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魔王様、それは窓口にございます!

変なこと書いてたら長くなっちゃった

 朝。

 我は麦の冠を正し、胸の名札――〈ヴァルザーク/臨時〉――を二度、軽く叩いた。

 

 叩くたび、薄い板の下で心臓が位置を主張する。今日からいよいよ窓口に立つ。紙の戦場、その最前線。


「今日が本番。わからないことがあれば聞いてくださいね」


 眼鏡の教育係――エリナが淡々と言う。声は冷たい水みたいに澄んでいて、やけに遠くまで通る。


「昨日“印は魂の器”とか言ってましたけど、窓口は魂のやり取りじゃなくて事務ですからね」


「心得た。実戦で示そう」


 黒い上着を翻して、ひょっこり顔を出す影。


「同志よ、ここは民の声を受け止める壇。朱をもって世界を律する場だ」


 今話しかけてきたクロウめはまさかの我が同胞である。この我と対等に話せるものがいるとは、人間も捨てたものではないな!


「任せよ」


「二人とも、声に出さないで心の中でやってね」


 エリナの小声は氷の刃。胸がチクチクするぞ全く……

 番号表示板に「001」が灯り、シャッターが上がる。空調の風が一段強くなり、ブラインドの影が細く震えた。


「一番の方、どうぞ」


 麦わら帽子の農夫が瓶を抱えて現れる。瓶の中で青い塊がぷるり。


「畑のスライムが増えて、田の境がぷるぷる動くんだ。隣の畑と揉めそうで……」


「境界が曖昧になれば、争いの火種となろう。我が鎮めて――」


「はい、繁殖・逸走報告です。ここに場所と数、希望する処置を書いて、受領印はこの欄」


 エリナが滑らかに差し出し、我の前にもう一枚。


「ヴァルザークさん、印はここ」


「うむ。少し待たれよ。作法があるのでない」


 スー、ハー、フー。一礼、ぽん。朱が紙に灯った瞬間、瓶の中のスライムすら少しおとなしく見える。


「……なんだ、押す前に礼してるのか?」


「紙にも人にも、礼は要る」


「へぇ。最近の役所は立派だな」


「いや、この人だけです」


 エリナはあいも変わらず切れ味がいい。

 礼を欠くのは魔王としても人間としても失格であろうに……


 農夫はぽかんとした顔のまま用紙を受け取り、「助かったよ」と小さく会釈して帰った。


 二番。ドラゴンの幼体を肩にのせた若者。肩の皮がちょっと焦げている。


「この子の吐息でポスト焦がしちゃって……修繕費の申請を」


「修繕費の申請ですね、かしこまりました。事故整理票、位置図、写真を添付したのでヴァルザークさん、押印お願いします」


「うむ、任された」


 再び作法に則り三息、一礼、押印の一連の動作を行う。


「了解っす。……臨時さん、押印すげぇ丁寧っすね」


「礼を込めれば朱は澄む」


「は、はぁ……」


 横でクロウ先輩が神妙に頷く。


「同志よ、朱は血より深い契約の証。見よ、あの円影――」


「はいはい黙ってくださーい」


 エリナの掌刀が空気を切った。


 三番。小さな子どもが手帳を掲げて背伸びする。


「スタンプください!」

「ふはは! 我が魂の朱印を求めるか。よかろう!」


「押すのはあなたの印鑑じゃなくて“来庁スタンプ”ですよ!? ズレないように」


「む、そうであったか……」


 エリナが枠を押さえ、我は三息の礼とともに押印。


「わーい! かっこいい!」


 親が苦笑しながら頭を下げる。


「ただのスタンプでここまで喜ぶとは……」

「魔王の務めだ」

「魔王? おじさん魔王なの!?」

「うむ、最も今は臨時だがな!」

「りんじの魔王なの!? すごーい!」


 魔王アピールは、子には効く。クロウ先輩が拳を胸に当て、「民は光だ」とかなんとか詩を付け足そうとして、エリナの視線に沈黙していた。

 紙の神殿のボスたる者、我に勝るとも劣らない威厳よッ――!


 四番。封筒を握りつぶした強面が突っ込んでくる。封筒は角が丸まって、戦の後みたいにくたびれている。


「書式が違う!? こんなややこしいの誰が作った!」


 アクリル板が低く鳴り、待合の空気が一段硬くなる。


「落ち着け。ここで直せば済むこと」


「はあ? 直すって――」


「順に、速く、間違えず。三つの誤りを正せばよい」

 宛先違い、日付ズレ、フリガナ欠落。二重線、訂正印、矢印。


「深呼吸して、一つずつ」


 エリナの声が背中の力を抜く。


 男は肩を落とし、「悪かったな……ありがとよ」と去る。その背中は来た時より一回り小さく、軽かった。


「怒気が鎮まった……見よ同志、朱は怒りを縛る!」


「ヴァルザークよ、縛るのではない、鎮めるのだ!」


「精神すらも操作する……恐ろしい儀式ッ! ここが真に戦場であったなら重宝されるであろう!」


「ここは戦場じゃありません。後静かに」


 五番。迷子のコボルト。耳がしょんぼり垂れて、尻尾は床の埃を集めている。トーマが低い姿勢で視線を合わせ、ゆっくり案内する。


「お名前と、おうちの人の電話番号、ここに。わからなかったら一緒に書こう」


 コボルトは震える手で何とか書いて、最後の欄で詰まる。


「ここ、むずかしい」


「住所、覚えてないかい? それならこの地図のどの辺りかはわかるかい?」


 トーマの質問で、記憶の糸が少しずつ手繰られる。小さな勇気は、紙の上にゆっくり形を持つ。


「エリナよ、コボルトが何故ここにいるのだ?」


「え? ……ああ、コボルトは昔は魔物として扱われていたのですが、ここ最近は亜人として扱うようになったんですよ。田舎だとまだまだ魔物という認識が強いみたいですけど……」


「この我が田舎者だと――いや、なんでもない。感謝する」


 よく考えたら我、田舎者か……


 六番。「魔物を飼いたいが夫が反対」という相談。


 エリナは「飼育の手引き」と「説明のコツ」を渡した。


「紙は人を変えません。でも“話す順番”は変えられます。相手の不安から先に拾って解消してあげると了承をもらいやすいですよ」


「エリナよ、貴様は言葉による洗脳術まで会得してるのか……!」


「物騒な言い方しないでもらえますか!? あと呼び捨てやめて下さい!」


 列は一瞬細り、すぐまた太る。番号札は紙の兵だ。次々吐き出され、整列し、前進し、任務を終えると紙箱へ戻る。


 窓口の内側では、我の印鑑が小さく「コト」と鳴る。蓋の開け閉め、朱肉の撫で、垂直、離す。ぽん。ぽん。ぽん。周囲の無表情なリズムに、我だけが儀式を混ぜ込む。クロウ先輩が時折、やたら荘厳な相槌を打つ。「朱の呼吸、壱ノ型」などと。エリナは聞こえないフリで書類を回す。


 昼休み。カウンター裏で水を飲む。

 紙コップの薄さが指を透かし、冷たさが骨の芯まで降りてくる。トーマが机に突っ伏して呻く。

「ヴァルザークさん、毎回お辞儀してるから遅いっす……。丁寧なのはいいけど、行列えげつない」

「紙に礼を尽くすのは当然だ!」

「いや、やるにしてもせめて上司に! 効率を考えて下さい!」

 

「何!? 民にこそ礼をせねばならぬではないか」


 クロウ先輩が妙に真顔で割って入る。


「同志よ、すべての紙は上座にある。お辞儀は必然!」


「おお、やはり理解者が!」


「……余計なこと言わないで……」エリナが頭を抱える。


「では折衷案だ。最初の一枚と最後の確認だけ“礼印”。途中は迅速に」


 我が提案すると、トーマが顔を上げた。


「……そうですね、それで行きましょう……」


「儀の核は守り、流れの命も守る。よい妥結だ」




 午後。学童クラブの窓口見学。色とりどりの帽子、小さな靴音、好奇心が手足について走ってくる。列は短い川になり、子供らは順番という橋を渡って窓口の前に来る。


「テンポよく、でも枠から出ないように」


「承知!」


 スー、ハー、フー――一礼、ぽん。次の子は一礼の真似をして、うまくいかず笑う。


「はやい! きれい!」


「おじさん、すごーい!」


「ふはは! 我はすごいぞ!」


 クロウ先輩が腕を組み、誇らしげにうなずく。


「同志よ、見たか。お辞儀は子供らにも伝わる!」


「ああ、同志よ! 素晴らしい出来だったな!」


「だから変なとこで同調しないでもらえますか!?」


 


 夕刻。窓口の列がようやく薄くなったころ、市民課の奥から係長が早足で現れた。眼鏡の奥は怒りではなく、困惑の色。


「ヴァルザーク君。君に関する書類だけど、様式違いで戻ってきてる」


「様式……」


「エリナ、フォーマット教えてあげて。後明日書類の方やってもらうからそれも一緒に」


「はい。ヴァルザークさん、ここはこう――でここはこう――」


「うむ……うむ……ああッ! 面倒ではないかこのやり方!? 全く誰だこんなのを考えた奴は!」


 朝に来ていたあの男の気持ち、今ならよく分かるぞ……! 我が粛清してやりたいくらいだ!


「文句言わずにやって下さい」



 会議室の隅。白紙を三枚、石板のように並べる。エリナが黒ペンで枠を引いた。線は細いのに、妙に強い。あれは呪ではない、形だ。


「“事象” “原因” “対策”。三つに分けます。

 それぞれ書き終わったら担当、魔物登録課”、期限“今週末”。――こうです」


「血の盟約はどこに記す?」


「どこにも記しません」


「……うむ。剣でなく順番で通すのだな」


「えっと……何言ってるんですか?」


 言葉を冷たく並べるだけで、紙が門を開いた気がした。鍵は魔力でなく、枠に合う形の文。納得いかぬが、確かに効く。




「はい、これで通ります。一応分かってはいるんですねヴァルザークさん……」


「我を誰と心得る!」


「お役所の新人さんですよね?」


「……うむ」


否定できぬではないか……



 廊下へ戻る途中、電話が鳴る。エリナが取ろうとした瞬間、クロウ先輩が受話器を掴んだ」


「もしや民の嘆き――」「クロウさん、定型で」


「お電話ありがとうございます、魔物登録課でございます。はい、番号を……はい、落ち着いてゆっくりお話ください」


 途中から普通になった。やればできる男だ。


「同志よ、言葉は刃にも盾にもなる。今は盾で応えた」


「……? あ、ああ! そうだな!」


 何やらピンと来ておらぬようだが……まあ良い。


 閉庁。シャッターが降り、番号板の灯りが消える。アクリルに残った一日の指紋が、斜めの光で薄く浮いた。エリナは息を抜き、トーマは背もたれに沈む。クロウ先輩はカウンターの朱の点を一つずつ撫でて、満足そうに頷いた。


「全部に“お辞儀印”してたら流れが途絶えます、明日からは普通にお願いしますよ、窓口は流れが命ですから」


「効率より大事なものがある!」


「ないです、ここでは効率がすべてですよ」


「すべての紙は尊い。礼は必然だ!」


「同志、我も支持する!」


「よくぞ言った!」


「二人で派閥を作らない!」


 トーマが机に額をつけたまま、床に向かって呟く。


「……臨時職員で宗派ひらくな……」


 宗派――語感が良い。だが今日は飲み込んでおく。


 片づける。朱肉の蓋は上向き、印鑑は筒へ、日付印はゼロへ。機械の喉は静まり、椅子はただの椅子に戻った。麦の冠がわずかに揺れる。角は無いが、礼はある。臨時の務めは続く。


 外へ出ると、夜の風が額を撫でた。自販機が遠くで唸り、小さな虫が光の周りを巡る。矢印の練習のようだ。ポケットの印鑑が「コト」と鳴る。今日の重みが、そこに収まっている。


 宿舎の洗面台。蛍光灯は一拍遅れて点き、鏡がこちらを映す。角のない額、見慣れない顔。水で手を冷やしてから、我は鏡に向かって笑顔を作る。


 口角を指一本ぶん上げ、牙は引っ込め、目元を柔らかく。息を胸の奥に落としてから、低く一言。


「こんばんは」


 鏡の男が、ようやく人間の声で返してきた気がした。ポケットの印鑑がまた小さく鳴る。


 番号札は紙、印はインク。――それでも、赤い点が増えるたび、泣き声は止まり、怒りは弱まった。

 征服とは、壊すばかりではない。留め、整え、安心を結わえることもまた征服だ。


 麦の冠をランプに掛ける。灯りを落とす直前、角のない額へ小さく頷いた。


「明日も、礼と朱と笑み。戦はせぬ。守るのみ――それでよい」


 笑ってベッドへ沈む。遠くで自販機がもう一度唸り、意識の底でぽん、ぽん、と印が落ちる。眠りは、今日よりひとつ、人間に寄った。

 今日、我は知った。

 “戦場”とは剣を交える場ではなく、

 番号札を握りしめた民の前に立つことだと。


次回

 書類を制すれば次は言葉――すなわち、“会議”。

 人間たちは机を囲み、沈黙と相槌で世界を動かすという。


 発言せねば消える。沈黙すれば討たれる。

 議事録は刻まれ、決裁印は剣より重い。


 次回――

 「魔王様、それは会議にございます!」


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