4話 妹
「た、ただいま」
「……」
どろどろになった服を捨てていつものようにスーツに着替えた後、俺はくたくたの身体を引きづるように帰宅。
扉を開けるとそこにいたのは返事をしない妹殿。名前は彩愛。
その視線はゴミを見るようなもので、名前とは反対に愛嬌なんてありはしない。
ま、それでも部屋に引きこもって出て来なくなってたあの時よりは遙かにマシだけど。
それに今日はちょっとだけ表情が柔らかくて、よく見れば顔色もいい気がする。
とはいえ、顔の傷は今も痛々しいままだけど……。
「?」
「す、すまん! 飯すぐ用意するからな」
顔を少しだけ見つめていると、彩愛は首を傾げて目を細めた。
キモイって思われたかもしれない。
そんな恐怖が全身を襲って俺は即謝罪。
急いで食事の準備へと向かう。
「はぁ……。嫌われたらショックでやってけないって」
一人っ子だった俺の父親が再婚。
その時に妹となったのが彩愛で、今は2人で暮らしてる。
というのも再婚相手の母親、彩愛の母親が不倫。
そして母親に愛想を尽かした彩愛は俺たちと暮らすことを選んだ。
だけど不況の煽りを受けて父親はリストラ。
アルコールに逃げたあいつは今までの優しさが嘘のように彩愛へDVを行っていた。
母親に連絡するも助けてはくれず、学校も警察も面倒事を避けたいのか、人前でだけはいい親面する父親の言う嘘を信じた。
そんな状況がしばらく続き、俺は高校を卒業。
適当に就職先を決めて彩愛の意思なんか関係なく勝手に連れ出して2人で暮らすことにした。
彩愛はなにも言ってこないけど、きっとあの時、自分を守ることだけに必死で彩愛を隠れ蓑にしていた期間の俺を恨んでるんだろうな。
それでもって多分『今頃いい奴面するのか、こいつは』とか思ってたりするんだろう。
だから彩愛が一向に働こうとしないのも、俺を見る目が冷たいのも仕方がない。
とはいえ一緒に暮らしてる身としてこれ以上嫌われるのは避けたいところで、むしろ好かれたい。
じゃあ好かれるにはどうしたらいいのかって考えるとやっぱり金が一番に浮かんだ。
だからこそ余計に探索者っていう仕事で甘い汁を啜ろうと思ったわけなんだけど。
失敗。正直滅茶苦茶に焦ってたってわけ。
「――でも、明日からこんな状況も一変。……できればいいな」
「……」
「ああ。ごめんごめん独り言だ。気にしないでくれ」
「……」
ちゃちゃっと飯の用意を済ませて食卓につく。
今日の献立はもやしと豚肉を鉄板で蒸した簡単ヘルシー貧乏飯。
それを彩愛は独り言が出てしまった俺を見ないふりして無表情でつっついて……あっという間に食事を済ませて部屋に戻っていった。
因みに昨日も同じ献立。今週はこのメニューが3度。
もやしはうちのメイン食材で生命線ってわけだ。
最近は心なしか彩愛の身体が細くなってるような気がして一応お兄ちゃんな俺は心配と申し訳なさでいっぱいだ。
「……これ、少し売ってきた方が良かったかな?」
そんなことを考えつつも、妹が部屋からいなくなると俺は食器を片付けてテーブルの上に魔石を並べた。
彩愛には探索者になったってことは隠してるから、すぐにこれを割るってことはできなくて……ようやくその時間が訪れたというわけだ。
あ、当然だが俺の部屋はない。そんなものができる部屋なんか借りれるわけがない。
「マイルーム、育ち盛りの妹の飯代……。全部全部これで何とかなってくれよ」
――パリン。
「アナウンスは……外ではなしか。ステータスも見れないし、結果は明日のお楽しみかぁ」
持ち帰った魔石を1つ割る。
アナウンスはない。
魔石に変化もない。
まるで焦らされているようにその後も2つ、3つ……若干手に赤みが帯び始める。
――ピコン。
魔石を割り始めて少し経ったころ、スマホにメッセージが。
探索者協会から、か。
『今日のニュース:【話題の新人探索者長谷川景が僅か3日目で10階層ボスの撃破に成功。明日には20階層のボス撃破を目指し再びダンジョンに侵入予定】、【低階層で新モンスターを発見】、【進化モンスター? を再び発見。特徴は黒色】』
「おお。凄いな。俺なんて3週間でやっとレベル5だっていうのに……ってこの人」
メッセージに添付されていた画像。
そこにいたのはさっき失礼な態度をとって来た女性の姿。
なんか見たことあるなって思ってたけど、そういうことだったのか。
みんなにちやほやされて天狗になって……。
「あー羨まし。……じゃなくて腹立つな。見てろよ、その鼻っ柱いつかをいつか俺の偉業で折ってやるから」
――パリン。
「つっ! やべ、ちょっと力入れ過ぎて、手の皮むけちまったよ」
メッセージを閉じて再び作業に入ると俺は力み過ぎて軽く怪我。
壁とか地面とかにぶつけても壊せるとは思う、だけど流石に家じゃそんなこと出来ないから仕方がない。
「はぁ。仕方ないけど……すぐに結果が出ないとただの自傷行為みたいで気持ちは良くないって。……ってぶつくさ言ってても仕方ないか」
愚痴を溢しながら淡々と魔石を割る。
静かな空間と単調な作業、それに今日一日の疲れ。
眠気は次第に俺から痛みを感じさせなくなり、作業する手はペースを落とした。
「――も、う……限、界」
そうして最後の一個を割り切る頃にはまともに目を開けていることもできなくなり、いつの間にかテーブルに突っ伏していた。
身体が動かない。
当然口も。
まるで金縛りにあったような状態に陥った俺は、意識が無くなるのを待つしかなくなる。
「――今日は頑張った、ね」
そんな時、微かに女性の声が聞こえた気がした。
柔らかくてそれでいて聞いたことがない声色。
その正体を知ろうと頭が回転しようと……はしない。
そんなことはもうどうでもいい。考えたくない。
ただただ今は眠ってしまいたい。
「――おやすみ、……」
女性の優しい声が子守歌の用に流れ、そして途切れていった。