前世で運命の番に飼い殺しにされたので今度は破滅させてあげます
「やっと見つけた……! 俺の番!」
これが感動的な劇のワンシーンならばどれだけ良かっただろう。
シオンは震える手で口を塞いだ。
シオンは城下町に住む、パン屋を営む夫婦の娘として産まれた。パン屋は庶民的で、絶大な人気こそないものの近隣には親しまれている。
しかしシオンには前世の記憶があった。
前世でシオンはアセプホム公爵家の令嬢だった。貴族たれと厳しく育てられ、子を道具や駒のように扱うのが当然の世界で暮らしていた。
ある時、シオンは竜人の王子の番として隣国に嫁ぐことになった。それまで婚約していた他家との契約もスッパリ切って。
竜人は広く分けると獣人の一種だ。より力が強く位の高い者ほど、番を感じ取る能力に長けているらしい。とはいっても運命の番など御伽噺のようなものだ。
そんな御伽噺のような存在を、見つけてしまったのだ。
シオンはあれよあれよと隣国に連れ去られた。ただただ竜人王子に思うがまま愛でられるだけで、何の仕事も与えられず部屋の中で1日を過ごす。
「お願いします、なにか仕事を手伝わせてください!」
「何を言っているんだ。きみは仕事なんてしなくていいんだ。そんな面倒なことはなにもしなくていいんだよ」
絶望だった。この人には何を言っても通じない。シオンはそう思った。
シオンは魔術に優れた娘で、魔法省からの勧誘を受けていた。学園の卒業の際には上位陣の1人として表彰も受けた。いずれは公爵家を継ぐ身として相応の教育も施された。
それなりに役立つ能力を持っている自負もある。なのに、それらは一切日の目を浴びることのないまま生活することになった。
飼い殺しされるだけの日々。
逃げ出そうとするたびに監視は厳しくなり、最終的には自室から出ることも許されなくなった。
周囲からは「あなたはランドグ様の番なのだから」と言われるばかり。シオンの味方は居ない。
「なんでも言ってごらん。竜人にとって番の願いを叶えることは何よりの幸福なんだ」
「では……ここから出してください……」
「……ごめんね。それはできないよ。愛しいシオン」
シオンは次第に食が細くなり衰えていった。そんな中でも竜人はシオンを愛するためやって来ては、満足するまで付き合わされる。
彼にとって番とは魂であり、魂を包むガワなどはどうだっていいのだ。だから醜く衰えても愛を囁くし、髪や目を染めて逃げようとしても見つけてくる。
彼はシオン・アセプホムという人間を、なにも見ていなかったのだ……。
シオンはそのままゆるやかに衰弱して亡くなった。18歳で嫁入りしてたった10年後の、28歳のことだった。
自身の不幸の原因である竜人────ランドグがいま目の前に居た。寿命の長い種族であるため、容姿は記憶と変わらないままだ。
美しい黒髪の美丈夫。高位の獣人ほど人間に化けるのが上手いのだ。彼は完璧な青年としてそこに立っていた。
生まれ変われば番ではなくなると思っていたのに。
シオンは震えながらなんとか口を開く。
「あ、あの。あなたは……?」
「きみが覚えていなくとも仕方ない。俺はランドグ。きみの運命の番だ」
ランドグはいますぐシオンを連れ帰りたいと言ったが、シオンは必死に抵抗した。
「心の準備が……それに、家族ともお別れの挨拶をしなければなりません」
「む……それもそうか。では明日またこの場所で」
彼はそう言って去って行った。
「明日って……気早すぎでしょ」
シオンはそう毒吐いて踵を返した。
これからやらなければならないことがたくさんある。
まず、両親には泣きながら事情を説明した。
「獣人のかたが……私と結婚できないなら2人を……こ……殺すって……!」
と、話を盛って。
両親はシオンのためなら死んでもいいと語ったが、シオンはそれを拒否した。
次に、前世の生家であるアセプホム公爵家に文を書いた。
前世で嫁いでから10年、生まれ変わるまでの空白期間が2年、生まれ変わって15年。合わせて27年が経過している。
何も滞りなく進んでいれば、シオンの妹が婿を取って公爵家を継いでいるはずだ。妹は現在40歳。子どもが居ても家督を譲るにはまだ早い。おそらく現役のはず。
いまや平民の町娘であるシオンには貴族の情報は入ってこない。現状がどうなっているのかも把握していないので、この文が妹の手に届くとも限らない。
両親はともかく、妹とはそれなりに仲が良かった。
前世と今までの経緯と、万が一のためのお願いを書き加える。本人にしか知り得ないことを書いているとはいえ信じてもらえるかもわからない。正直賭けだ。
魔法で鳥を呼んで足元に文を括りつける。
伝書鳩など前世でも古い手法だ。しかし普通に届けてしまうと検閲などで引っかかって落とされる可能性もある。
そうして荷物をまとめ、翌日。
シオンは今世の別れとばかりに店の前で両親と抱き合って泣いた。
名残惜しげに別れ、両親の姿が見えなくなったところで魔法で髪と目の色を変えた。ランドグには通用しないが、これからのことを考えるとやっておくに越したことはない。
平民として生まれて、貴族であった頃には知りもしなかったことをたくさん知った。
接客の仕方、皿の洗い方、料理の仕方、虫取り遊び、追いかけっこ、そして……両親からの愛。
当たり前のようにパン屋を継ぐのだと思っていた。いいや、必ず戻って、継いでみせるのだ。両親がしたように、自分も大切な人たちに優しくありたい。
そのためには悪魔にだってなってみせる。
「来たな」
「は、はいっ」
案の定、ランドグは色彩の変化したシオンの姿に言及しなかった。気付いていない可能性すらある。
そのまま流れるように馬車で出発する。2人きりの車内では、ランドグがシオンに質問し、シオンがそれに応える形で会話が進んでいた。
どうやら王子だったランドグは今や国王になっているらしい。長寿なのでそう焦ることはないといえども、早く子をと望む声が多いそうだ。
前世では栄養がなさすぎて妊娠もしなかった。現在15歳のシオンにはまだ早すぎる。そんな無体をはたらくことはないと信じたいところだ。
「向こうにはきみの部屋も用意してあるんだ。欲しいものがあればなんでも言ってくれ」
「本当になんでもいいんですか……?」
「もちろん。番の願いを叶えることが何よりの喜びなんだ」
前にも聞いた言葉だ。
「そんなたくさんしてもらって、申し訳ないですよ。私にも何かお手伝いさせてください」
その言葉にランドグは懐かしいものを見るように目を細めた。
「昔もきみはそう言ったよ。でも心配しなくていい。シオン。きみは面倒な仕事なんてなにもしなくていいんだ」
「昔……ですか。昔の私はどんな人だったんですか?」
「そうだな……。高貴な女性だったよ。お淑やかで……病気で亡くなってしまったんだ。今度こそきみを離したりなんかしないよ」
(ああ……こいつはなにも変わってない)
なにを良い思い出のように語っているのか。シオンは唾を吐いてやりたいのを抑え、覚悟を決める。
「じゃあ、ランドグ様! 私、キラキラした高い宝石とか、素敵なドレスとか! いっぱい、いーっぱい欲しいです!」
────傾国の悪女になる覚悟を。
ランドグがシオンの死で心を入れ替えて接しようとするのなら、シオンもそれを受け入れたかもしれない。しかし、馬車内での会話でランドグが何も変わっていないことを思い知った。むしろ、一度失ったぶん束縛は強くなったようにすら感じられた。
隣国に着いて。
「ねえランドグ様ぁ。結婚式、この予定よりもっと派手にしましょうよ! 思い出に残る大事な式にしたいの!」
「ちょっと、あんた! このお茶熱すぎるわよ! クビよ、クビ!」
「もっとたくさんドレスが欲しいわ! こんなちんけなレベルの布じゃダメよ、もっともっと、もーっと最高級品じゃなきゃ! 私は王妃なのよ!」
「この料理味付けがてんでなってないわ。豚のエサなのかしら」
「何よ! なにもしなくていいって言ったのはランドグ様よ! ランドグ様に逆らうっていうの!」
「あんたなんかクビよ! なに、文句あるの!? ランドグ様に言って処刑してやるわ!」
「ランドグ様。お金がないのなら税を上げればいいのです。金持ちになるほど多く税を徴収しましょう」
「ランドグ様。民が困っているのなら、炊き出しをして施せばいいじゃありませんか」
「ランドグ様。愛していますわ。私のお願い……聞いてくださいますわよね?」
「ランドグ様……」
シオンはあえてわがままを言った。もっと高価なものが欲しいと言い、些細なことで使用人をクビにして。悪政をはたらくよう進言もした。
おかげで王宮は寂れ、炊き出しを頼りにして働こうともしない浮浪者ばかりが集まってくる。
彼らはかつて「竜人族の番に選ばれるのは幸せなことなのだ」とシオンを抑圧した。そう思えば罪悪感はいくらか和らいだ。
ランドグはシオンの言葉に従っては国が滅ぶと理解はしていたが、番の要求を叶えてしまう。番と引き離されるような願い以外ならばなんでも聞いてしまうのだ。
願いを叶えてシオンに「ありがとう、ランドグ様! 大好きよ!」と言われてしまえばもう……ランドグは脳内麻薬の虜となる。
国王としての理性と獣人としての本能で板挟みになったランドグはだんだんと弱っていった。
それを機に民は革命に乗り出した。まだ騎士が抑えているとはいえ、その騎士たちにの中にも少なからず不満を持っている者が居る。寝返るのも時間の問題だ。
「シオン……私のシオン……」
すっかり弱ってしまったランドグは、細くなった腕でシオンの温もりを求めるばかり。
「ランドグ様。ご安心ください」
シオンはゆっくりと彼に近づき────。
「すぐあの世に送ってあげます」
────その胸に短剣を深々と刺した。
「がっ……あっ……?」
「あんたのこと、ずっと、ずーっと、大嫌いだったよ」
ランドグは目を大きく見開いてシオンを見つめる。シオンは蔑むように見返したあとは、一瞥もくれずに去って行った。
こうしてこの国の王国史には新たな御伽噺が出来上がる。
わがまま放題な番と、それを受け入れる国王が国を滅ぼした。
運命の番なんてろくなものではない……という御伽噺。
「お父さん、お母さん!」
「まあっ……シオン!」
「そんな! ああ……シオン……!」
シオンと両親は再会を果たす。実に5年ぶりであった。
隣国ではシオンの捜索が進められていたが、見つかる可能性は低いだろう。そのために髪や目の色を変えていたのだ。化粧で印象もすこし変えていた。反乱によって積み重なった死体の中に切った髪を捨てておいたので、死んだと思われて欲しいところだ。
シオンの帰還に町の人達も喜んだ。
別れ際にあれだけ泣き喚いたのだ。町の中では「獣人ってのはひどいやつらだ」という声が上がった。中には自分の家族も獣人にさらわれたと言う者もごく少数居た。
これを国は重く受け止めたらしい。
急遽獣人と人間との番契約に関する法を制定。隣国の混乱であぶれた民を王家と公爵家が中心となって受け入れた。
獣人側に番を感知し欲するはたらきをする器官を抑制する薬の開発計画も始まったとか。
おそらく獣人の王国は近々こちらの王国に取り込まれることになるだろう。
それらの噂を聞いてシオンは胸を撫で下ろした。アセプホム公爵家は動いてくれたのだ。
シオンは公爵家に送った手紙に、もし隣国が荒れて民が路頭に迷うようならば救って欲しいとお願いを書いていた。いくら辛い目に遭ってきたといえども、何も知らない民まで見殺しにはしたくない。
もちろんすべてが救えるわけではないだろうが……曇っていた気持ちはわずかに晴れた。
「シオン、手紙が届いてるよ」
「ありがとう」
母から受け取った手紙の中には、かつてシオンが好きだと語った薄紫の花が一輪。栞にされていた。他には何も入っていない。
もう会えないだろう妹。シオンは栞を額に当てて、静かに感謝の祈りを捧げた。
それから。シオンはパン屋の一員として働く生活に戻った。
ある時、隣国で職を失ったホームレスの猫獣人に廃棄用のパンを与え、従業員として雇うこととなる。彼は人間に変化できない下位の獣人だったが、体毛の無い種族だったのでそのままパン作りに参加できた。
シオンは自分のせいで不幸を被っている人が目の前に居るのが放っておけなかったのだ。獣人への風当たりも想像以上に強くなってしまった。獣人のすべてが悪いわけでは無いというアピールのためという打算もあった。
ようはシオンなりにできる範囲の罪滅ぼしである。
しかし、いつしか2人の距離は急速に縮まり……パン屋の新たな名物夫婦として歩んでいくこととなる。
町の人々は口を揃えて言った。
他の獣人に番として望まれ引き裂かれても真実の愛を貫いたのだと……。
時系列もなにもかもめちゃくちゃになっていてシオンは苦笑したが、なぜか良い話として民間に語り継がれていくので、みんながいいならいいかと諦めた。
城下町のパン屋は末長く町の人々に愛されたのだった。