恋の商談は紅茶を飲みながら
当社比、乙女モード全開で糖度高めです。二人の男性が出てきます。苦手な方はお控えください。お楽しみいただけたら幸いです。
物語はフィクションであり、実在する人物・団体・事件・宗教などには一切関係ありません。
私の名前は楠林檎。私はごく普通の派遣社員としてとある派遣先の会社で働いているーー……。
先週の金曜日、仕事が定時で終わると今日のためにお洋服を数点購入した。鏡の前で購入したお洋服を広げて、自分の体に合わせてみても、どこか幼く見えてしまう。ショップの店員さんに勧めて貰った通りに、今流行りのトレンドアイテムもきちんと取り入れたんだけれどなぁ……。なんだかしっくりこない。
いつも着ているTシャツにパンツ、スニーカー、一つ結びにした仕事姿の私なんて……憧れのあの人には見せられないし。水筒やお弁当、仕事用具が入ったトートバッグは変えられない。お洋服は仕事が終わったあとに着替えるとしても、慣れないヒールで激混みの電車に乗って出社……は無謀だよね。荷物がこれ以上嵩張るのも何だかなぁ……。
どうしょう、どうしょうって悩んで、ギリギリまでお洋服や髪型が決まらなくてーー……。
「やっとあえるね」という彼の一言で、私はーーーー……。
「まもなくA駅に電車がまいります。白線の内側に下がってお待ち下さい」
ーーうわっ、やっぱり朝からすごい人。
私はもうすでに前の駅で満員となっている電車の前に立っていた。ーーそう、慣れないヒールで。
ーー馬鹿だとはわかっている。
「林檎ちゃん、その靴可愛いね」
ーーその一言が聞きたくて。馬鹿でも良いから女の子らしい可愛良い靴を履いてきてしまった。
「ーーおい」
ーー幸いにもオフィス内はルームシューズだから仕事に支障はない。
「ーーおーい」
ーーこの、人でぎゅうぎゅうに詰まった満員電車を15分ほど我慢して、それから10分ほど会社まで歩いて行けば……大丈夫、イケる、イケる!!! 頑張れ、ファイト〜〜!!!!
「……ーーちゃん? ……楠さん?」
駅ホームの放送。電車のドアが開閉する音。様々な電子音の中に澄んだ潤声が聞こえる。私はゆっくりと瞼を開ける。白いブラウスに紺色のネクタイ。金色のネクタイピン。長い睫毛と紋黄蝶を魅せる硝子玉。……たしか同じビルに入っている会社の……金雀枝課長? そういえばたまに同じ電車で通勤している姿を見かける。
ーーって、え!?!? 私、A駅から電車に乗り込んだはずなのに、ここはB駅のホーム。そして、この状況は一体……。どうしてベンチに座る金雀枝課長に膝枕されているの!?!?!?
「おっと、まだ動かないほうが良いよ。楠さん、電車中で倒れてしまって。もう、具合は大丈夫? 職場には俺から連絡しておいたから」
ーー電車内で倒れた? 全然、記憶にない。
「今から一緒に病院に行ーー……『ぐうううう〜〜……』
金雀枝課長の声を遮るかのように私のお腹が鳴った。
「……ねぇ、きちんと朝ごはん食べて来ていないでしょう?」
ギクリ。最近、気になっているお腹のお肉を少しでも落としたいが為に、朝昼夜三食サラダ豆だけだったなんて、口が裂けても言えない。ため息をついた彼は鞄の中から何かを取り出す。紺色のハンカチに包まれた四角いものを出すと、その包を開けた。
「ーー良かったら、どうぞ」
それはお弁当箱だった。お弁当箱の蓋を開けると中にはご飯と梅干し、手羽先にきんぴらごぼう、ほうれん草の胡麻和え、卵焼きが入っていた。純和食な愛妻弁当……!!!!!
「手作りだなんて!!! い、いただけません……!!!!」
私は彼の左手薬指を確認した。……指輪はない。……指輪の痕もない。わなわなと狼狽えている私にさり気なく差し出されたのは、きちんとアイロンがけされた某ブランドのハンカチ。膝枕させて貰った挙げ句に、駅のホームで「甘い卵焼きを一口あげる」、「あーん」……の、やり取り……これは確実に彼女……婚約者様、奥様に、絞められるやつだ……!!!!
私は鞄から栄養補助食とオレンジジュースを取り出すと、それを盾にして断った。
「わ、私はこれがあるので大丈夫です。お気遣い本当にありがとうございました。これ以上していただけると、彼女さ……ん……? 奥様にご迷惑をおかけすると思いますので……今日は誠に申しわけございませんでした……!!!!」
思わず口から出た出鱈目な敬語。私は深々と頭を下げて、逃げるようにその場を去った。
……そして、自分の勤務するオフィスに戻った私は上司に別な意味で問い詰められる。上司の話によると金雀枝課長は派遣先の会社の親会社の役員で、とてもお偉い方だったらしい。私の「存じませんでした」との返事に社内の空気を非常に重たくして私はパソコンの前で一人黙々と仕事をこなしている。
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仕事が終わると私はオフィスを出る。一つ上の階の化粧室で買ったばかりのワンピースに袖を通した。ピンクベージュのワンピース。コスメカウンターで奮発して買った口紅。普段はあまり履かないタイプの女性らしい靴。鏡に映る別人の自分を見て気合を入れる。美容部員さんに教えていただいた通りに化粧直しもしたし……と、コンパクトを閉じる。
化粧室から出る。今朝の金雀枝課長とのやり取りを思い出す。変に意識しているからなのか、そこにたまたま通りかかった彼を目で追ってしまう。社内で見る紺色のスーツ姿も格好良い……じゃなかった。ぼうっと眺めていると目と目が合う。彼は驚いた表情をしていた。私の身なり服装を上から下まで凝視する。……そうだよね、そうですよね。今朝、あ〜んなことがあったのに、これから遊びに行くだなんて非常識過ぎますよね……すみません。でも、約束なんです。
ーー憧れの人との待ち合わせの時間まであと30分。
彼は本当に仕事が忙しくて、隙間時間を見つけてはたまに連絡をくれる。日曜日の午前中の1時間とか。平日の夕方の1時間だとか。……彼にとっては都合の良い相手だとしてもそれでも関係を続けてくれているのが嬉しい。私からこれ以上は望まない。……そもそも、私、一年前に告白して未だに返事を貰えていないし。
駅ビルが建ち並ぶ、街中の一角に彼は立っていた。深い焦げ茶色の髪。ベージュのジャケットに黒のタートルネック。黒いパンツに革靴。やや吊り目がちの一重瞼の大きな瞳。夜空に散りばめられた天馬。彼は待ち合わせ時間より先に来ていて、私を「おいでおいで」と、手で誘った。二人でお目当ての喫茶店に入る。
彼の名前は白金星蘭。私の幼馴染みで、私の憧れの人。
喫茶店に入ると私はお気入りの林檎紅茶を注文する。ここには看板猫がいる。その子はミルクティーブラウンの毛並みの賢い子でとても大人しい。普段はお客さんとは離れて自分のゲージや専用の椅子の上で寛いでいるのだが、私には近くに寄って来てくれたりもする。ちょっと特別なお気に入りのお店。
美味しい紅茶をいただいて、会話を始めようかと思った瞬間。彼の携帯電話が鳴った。会社からの仕事の電話だった。私は「仕事中だったらまた今度でも良いよ」と、言った。「近いうちにまた逢いに行っても良いし……」。それでも星蘭は「今日は林檎のことを最優先にしたい」って、言ってくれた。
「あれから気持ちはかわっていない?」
星蘭は悪戯に笑った。
はぐらかしたように何かって言わないのずるい。
でも、ここで「なんのことですか」と、可愛くない返事をして彼に嫌われたらどうしょう。それならば「ずっと貴方のことが好きです」と、もう一度告白してしまおうか。
「私はずっと待っていますから、大丈夫です」
その言葉に星蘭は、また、笑った。
「……そうだね。一年前の告白の返事をうやむやにしてたから、いつかはきちんと返さないと、とは思っていた」
星蘭は紅茶のティーカップで口元を隠す。
「……ねぇ、林檎、僕のことを見て?」
美少年なのに眼光は鋭い。テーブルに置かれた紅茶が波紋を立てる。
強引に手を握られて、徐ろに指と指を絡められる。星蘭の女の子のようなすべすべのきめ細かい肌、長くもか細い指、手を握られ、彼に見つめられると心拍数が上がる。
「もう一度、言って?」
そう言うと自分の唇に私の手の甲をあてる。
ーーーーっ、ああああ。猫のような上目遣い。大きな瞳に見ているだけで吸い込まれそう。……好き、星蘭、好きだよ。ーーーーあああああ、でも、でもっ……。
「……ごめんね」
ーー私は返事を聞くことが怖くて、自分から断ってしまった。
「……んんん?」
ぱっと握られた手を振り解く。
慣れない靴を履いていたからなのか、椅子に座っていても足のつま先か痛い。
「本当に返事はいらないの。星蘭に自分の気持を伝えられただけで十分」
私は変にドキドキしてしまって。
「また星蘭の都合の良いときに逢ってくれるだけで嬉しいよ」と、伝えてしまった。
そのあとは他愛もない話をして、そのうちまた逢う約束をしてお別れをした。……ああ。私の意気地なし。
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駅前には会社にいるはずの金雀枝課長がいた。
私は軽く会釈をして通り過ぎようと思った。
「楠。ーー……いつも無視するなよ」
ーーええっ、無視? そんなつもりじゃ……!?
「ーーああっ、もう! 本当に……お前何なんだよ」
『ーー金雀枝課長!?!?!?』
そう言って彼は私を壁の方へ導くと、自分が着ていたスーツのジャケットを私の肩にかけた。背後から走って来る自転車を避けようとして、彼は私を庇い、その衝撃で壁に右手をついた。シャツの袖から見える高級腕時計。人通りが多く、ざわざわとしているはずなのに、時計の秒針が小刻みに動く音が聞こえる。
「……金雀枝 麗」
ーー!?!?!?
「社外にいるときは麗で良い」
ーーれ、れいっ……!?!?!? それはちょっと厚かまし過ぎませんか!?!?!?
「林檎ちゃん。彼氏と美味しいものでも食べてきたの?」
ーーちゃん!?!?!? それに彼氏って。
「彼氏ではありません」と、誤解を解こうとしても「友達?」と聞かれたり「幼馴染みです」と、答えたら「幼馴染みの男か……」と、言われたり……。あまりにも真剣に聞くものだから、私は「秘密です」と、答えてしまった。
金雀枝課長は胸の内ポケットから携帯を取り出す。なにやらネットでお店を検索していて、電話をかけていた。
「来週の金曜日、駅前の喫茶店……二名分予約した」
ーー!?!?!?
「奥様と……?」
おそらくそのワードは禁句だったらしい。私は知らずにおそらくきっと何度か呟いてしまっていた。
「駅前のスペシャルティーセット、気にならないか……?」
彼は私に携帯電話の画面を見せる。お洒落なお店、SNSに載せられた美味しそうなケーキや料理の写真。メニューに書かれたお値段の桁が一つ多い……。そこで、私は彼の思惑に気が付いた。
「わかりました。今朝のお詫びに……金雀枝さん……れ、麗……さん……の分も私がデザートを奢らせていただきます……っ!」
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