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妄想癖  作者: 放浪日和
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(後篇)


 「ここは、俺達だけが居住を許された待機所だ。お前らに勝手に中を荒らされるいわれは、ないはずなんだがな」

 玄関口で、目前に居並ぶ数名の捜索兵に向かって、無表情でトゥルファンが言い放った。隊長らしいのが、事務的な口調でそれに答えた。

 「これは皇帝命令だ。この待機所だけでなく、皇宮敷地内全ての部屋を捜索することになっている」

 「それはもう、何度も聞いた。だがアストラハン前皇帝陛下は、皇帝直属警護兵以外のこの待機所への立ち入りを禁じたはずだろう」

 まっすぐに相手を見据えたまま、静かにトゥルファンは言葉を続ける。

 「それはあくまで前皇帝陛下のお言葉。アゼルバイジャン現皇帝陛下は、全ての場所を捜索せよとの御命令だ」

 隊長の返事はそっけない。融通のきかない、役人タイプの雰囲気があった。

 「レグルス国王女の替え玉をかくまっていないことさえ分かれば、直ちに我々は引き上げる。そこまで捜査拒否をするからには、何か理由があると判断せざるを得ないのだが」

 「やだなあ。誰だって、自分の空間に踏み込まれるのは、イヤなもんじゃないの?」

 トゥルファンの背後の方から大きな声がかかった。

 その場の全員が、一斉にそちらに目をやる。奥の方から、雨傘を手にしたロズウェルがゆっくりした足取りで出てきた。

 「俺なんかテレ屋だからさ、部屋に貼ってある美人のポスター見られるだけでも、恥ずかしいもんね。日記なんか読まれたら、もう泣いちゃう」

 「…つけてたのか、おまえ」

 小さく横から言うトゥルファンに構わず、捜索兵がロズウェルの方を睨み付ける。

 「そんなことは、我々の知るところではない」

 「お前らはどうでも良くても、俺達はヤなんだよ。だいたい、皇帝命令とか言ってるけど、捜索令状があるわけじゃないんだろ?そんなんじゃ信用できねえな」

 軽くあしらうような口調でロズウェルが言っている横で、トゥルファンがそ知らぬ表情で煙草に火を点けている。後ろの捜索兵達に憤りの表情が浮かび始めた。しかし隊長兵だけは、顔色ひとつ変えていない。

 「それは、陛下の御命令を疑うという意味か?この命令に従わない者がいた場合、強制捜索も許可されている。反逆者は処分しても良い、とのことだ」

 「処分?」

 白煙を吐き出し、トゥルファンが冷ややかな笑みを見せた。

 「なめられたもんだな。その人数で、俺達を処分できるつもりなのか?」

 言いながら、ゆっくりと日本刀の柄に手をかけた。

 「やれるもんなら、やってみろよ」

 「いい気になるなよ!人数は明らかにこっちが多いんだぞ!!」

 隊長のすぐ後ろにいた若い兵士が耐えきれず、槍を手にいきなり踏み込んで来た。

 「…!」

 玄関口に緊張が疾る。トゥルファンは素早く身を引いてその突きを避け、次の瞬間には鞘から日本刀を抜いていた。

 状況を理解する間もなく、若い兵士の手から槍が弾き飛ばされた。

はっとする兵士自身は傷ひとつ負っていない。急いで床に転がった武器を拾おうとすると、今度は空気を裂くようなヒュッという音が耳元をかすめた。

 「!」

 若い兵士は息をのんで動きを止める。手を伸ばした槍のすぐ手前の床に、短い矢が突き刺さっていた。頬を少しかすったらしく、ちりちりと痛い。

 「ちょっと、経験値が足りないんじゃないかな」

 雨傘の先でじっと狙いを定めたまま、静かにロズウェルが言った。

 「その行為の意味することは…分かっているな」

 目の前の状況に眉ひとつ動かさず、隊長兵が口を開いた。

 「…知るか。ただ自分たちの部屋を、荒らされたくないだけだ」

 紫煙の立ち昇る煙草を口に咥えたまま、トゥルファンは刀の切っ先をまっすぐに捜索隊の方に突きつけ、言った。しかしそれに対し、隊長は不思議な笑みを浮かべた。

 「…残念だったな」

 「何だと…?」

 謎の言葉に、怪訝そうな表情でトゥルファンが眉をひそめた。

 咥えた煙草から長く伸びた灰が、音もなく足元に落ちていった。


 一方、和泉達は言われるまま部屋の中で待機し、落着かない状態だった。

 「…」

 ロゼッタが無言のまま、つぶれかけた黄色いソフトケースから煙草を抜き出し、火を点ける。さほどの時間も経っていないのに、サイドテーブルに備え付けられた灰皿には、既に数本の吸い殻が揉み消されていた。

 「おい、ちょっと吸い過ぎなんじゃない?」

 ベッドに仰向けに寝転がっている和泉がその様子にちらりと目をやり、皮肉をこめて声をかけた。

 「ん?ああ…」

 ロゼッタは生返事をするが、火を消す気配はない。唇に付いた煙草の粉を軽く拭い、何やらぼんやりと考えこんでいる様子だった。

 「トゥルファンさん達、まだ頑張ってるのかな…」

 入口の方向に目をやりながら、和泉が心配そうに呟く。捜索隊をうまくあしらったとしても、強引に踏み込まれたとしても、厄介な事態に進展することは避けられないことのように思えた。

 と、その時。部屋の外の廊下から急ぎ足の足音が聞こえてきた。二人同時に顔を上げ、入口の扉の方を見る。次の瞬間には、部屋の扉はノックもなく、勢いよく開かれていた。

 「…!」

 一瞬にして、部屋の中が緊迫した空気になった。飛び込んで来た人物に目を疑い、和泉がびっくりしてベッドから飛び降りた。

 「…やはり、ここに隠れていたのか」

 入って来たのはトゥルファンでもロズウェルでもなく、三人の皇宮兵士だった。

 「どうして…ここに?」

 ロゼッタも、相手がロズウェル達でないと認識した瞬間には立ち上がっていて、ホルスターの拳銃を握り締めていた。玄関で、阻止しきれなかったのだろうか。

 「表じゃ、まだ頑張ってるみたいだな。連中は」

 一人の若い兵士が小気味良さそうに笑いながら、鞘に収めたやや短めの剣を握りしめた。

 「裏口はノーマークだったけどな」

 …そういうことか…。

 和泉は舌打ちをした。トゥルファンらを入口に釘付けにしておき、気付かれないようにこの三人を裏手から回したのだろう。

 「虹野…とか言ったな。どうやって脱走したんだ」

 真ん中の奴がいきなり名指しで呼んで来たので、和泉は驚いてその顔を見た。そういえば見覚えがある。あの大広間で捕まったとき、和泉の右手を峰打ちして麻酔銃を取り上げた、あの兵士だったのだ。

 「…知ってるのか?」

 ロゼッタが油断なく相手を見据えたまま、尋ねてくる。

 「ああ、こいつのおかげで捕まったようなもんだよ」

 やや苦笑いの表情で、和泉が答える。

 「気をつけろよ、こいつがハンパじゃなく速くて…」

 和泉が言いかけた矢先、その兵士が素早く飛び出してきた。腰の長剣に手をかけ、昨日と同様、俊敏な動きで瞬時に間合いを詰めてくる。しかし今度の標的は和泉ではなく、ロゼッタの方だった。

 「!」

 至近距離では、さすがにロゼッタも分が悪いようだった。咄嗟に相手を撃つことが出来ず、後方に飛び退いて切っ先をかわすのが精一杯だった。

 「ロゼッタ!」

 和泉が思わず叫ぶ。

 かすかな焦げ臭い匂いが鼻をついた。タッチの差で刃をかわしたロゼッタだったが、咥えていた煙草の火種だけが切り落とされ、床に敷かれたカーペットの上でくすぶっていたのだった。切りかかった兵士はにやりと笑った。

 「…よく避けられたな。ニセのロレーヌ姫は、貴様の助けで逃げ出せた訳か」

 「和泉」

 その言葉を無視するように、ロゼッタはいくらか大きめの声で和泉に声をかけた。

 「絨毯焦がしたらさ、やっぱ弁償しなきゃダメかね?」

 「…そりゃ当然だろうね。こういうのって結構高価いんじゃない?」

 軽く肩をすくめ、和泉が答える。状況的にのんびり構えている場合ではないはずなのだが、あまりにもロゼッタが悠然としているので、つられるようにして緊張感が薄れてしまったのだ。

 しかしこの兵士、昨日は和泉に情けをかけるかのように峰打ちをしてきたが、今の間合いは間違いなく、本気でロゼッタを斬ろうとしていた。昨日の行動は、本物のロレーヌ姫に関する情報を得る為に、制限を受けたものだったに違いない。紳士的行為と思い込んでいた和泉は、いくらかがっかりした。動きは確かに凄いけど、やっぱり名前を聞いておくほどの価値は、無いな。

 ロゼッタの方は火種の落ちた煙草を咥えたまま、溜め息をついた。

 「…参ったな。今月ちょっと厳しいんだけど…なっ!」

 突然、目の前の兵士が顔を上げ、返す刀ならぬ剣で切り付けて来た。その動きを見逃さなかったロゼッタが素早く腰の拳銃を抜き、銃身でその刃を受け止めたのだった。形状の異なる金属同士が衝突する独特の音が、部屋に鈍く響き渡った。

 訓練された皇宮兵士を相手に、腕力での押し合いに持ち込まれれば、不利になることは目に見えていた。ロゼッタはすぐに、押し付けてくる力を受け流すようにして、長剣を横へと薙ぎ払った。

 「…!」

 ここに至って、一緒に来ていた他の二人の兵士がようやく我に帰ったようだった。それぞれ自分の武器を握り締め、仲間に加勢しようと走り寄る。和泉はそれを見ると、咄嗟にベッドの上の掛け布団を掴み、その二人にかぶせるようにして投げつけた。

 「!?」

 ちょうど片方の若い兵士が、短めの剣を抜き出したところだった。掛け布団の真ん中がざっくりと切り開かれ、中から吹雪のように飛び出した羽毛が、視界を阻むように部屋いっぱいに飛び散った。

 ぱぁん!

 その刹那、鼓膜に響くような銃声が、部屋の中に響き渡った。

 「!」

 和泉がびくりとしてロゼッタの方を振り返る。目にしたものは、ロゼッタに切りかかった例の兵士が、ちょうど仰向けに倒れる光景だった。額の真ん中を撃ち抜かれているのがわかった。その向こうに、ロゼッタが左手でまっすぐ正面に拳銃を構えて立っている。その銃口からは、まだくすぶるような硝煙が立ち昇っていた。

 仲間の二人の兵士の足がすくむ。倒れた兵士は明らかに即死だった。目を大きく見開き、もはや身動きひとつすることのないその身体に、布団の羽毛が雪のように静かに降り積もっていった。

 …ロゼッタって、左利きだったんだ。

 次の瞬間、和泉が考えていたのはそんなことだった。自分でも意外なほど、目の前で人間ひとりが死んだことにピンとこなかったのだ。

 以前に、映画か何かで人が殺されるシーンを目にした時、その場にもし自分がいたらパニックになるだろうか?などと考えたことがあった。しかし、現実にそんな場面に立ち合った今、和泉は何とも思っていない自分に拍子抜けがしてしまった。死んだ兵士に何の感情移入も無いことや、撃ったロゼッタが味方であることが多分に関係しているのかも知れないが。

 「…どうせ絨毯を弁償するんなら、汚したって一緒だからね」

 拳銃を下ろして、感情のない口調でロゼッタが言った。

 「な…なんて事を…するんだっ!」

 残された兵士の方が、むしろ和泉より混乱気味のようだった。一番若い奴が、仲間の死体を見て、吃り口調で叫んでいる。

 「正当防衛なんじゃないの?あの様子だと、放っておいたらずっと話も聞かずに切りかかって来そうだし」

 和泉が傍から静かに言った。若い兵士が血走った目で睨み付けてきた。

 「黙れ!勝手に逃げ出した分際で…。俺達は任務を受けただけなんだ!この仇は討たせてもらうぞ!!」

 「やかましい奴だな…。お前が黙るか?」

 もはやここに踏み込んできた理由すら忘れているような兵士の言葉を、ロゼッタが冷たく遮った。構える銃口は、まっすぐに兵士の頭に照準を定めていた。

 「おい、よせよ。一旦引いた方が良さそうだ」

 もう一方の兵士は、一番若い奴よりいくらか冷静なようだった。今死んだ奴のように、素早く間合いを詰められる兵士もそうはいないだろう。何より、既にこちらに狙いを定められている飛び道具に、中世武器がかなうはずはなかった。

 「…しかし、この件は皇帝陛下に報告させてもらうからな」

 捨てゼリフと取れないこともないような言葉を残し、二人の兵士は逃げるように部屋を出ていってしまった。

 「ふ――っ…」

 一気に緊張が解け、和泉は傍のベッドに座り込んでしまった。

 「…大丈夫か?」

 拳銃を腰のホルスターに収め、ロゼッタが声をかけてくる。

 「ああ、こっちは平気だけど…」

 目の前の兵士の死体が嫌でも目に入る。その眉間からはまだ鮮血が噴き出していた。さすがにそれを凝視するのには耐えきれず、和泉はつい目を反らしてしまった。その様子に気付いたロゼッタが、死体を爪先で転がしてうつ伏せの状態にしてくれた。

 「…ごめん、あんまり殺すつもりはなかったんだけど」

 「いや、殺らないと君が殺られる状況だろ、あれは」

 和泉は軽く苦笑して応え、散らかってしまった部屋の中を見渡した。

 「私も、この掛け布団を弁償しなきゃな」

 「ああ、でもこの羽が散ったことに気を取られたらしくて、向こうにまともな隙が出来たんだ。助かったよ、これ」

 ロゼッタが言いながらベッドの上に落ちた羽を一枚拾い上げ、フッと吹いて宙に飛ばした。羽はひらひらと不規則に揺れながら、床の上に落ちてゆく。和泉も同様に袖についた一枚を取り、手持ちぶさたに弄びはじめた。

 「それは良かった。あんなことくらいしか、出来ないからさ。明らかにこいつ、ロゼッタだけを殺すつもりだったもんね」

 「…まあ、こいつらの目的はニセ王女を連れ戻すことだろうからね。傍の邪魔な俺を消しさえすれば、後はどうにかなると思ったんだろうな」

 こともなげにロゼッタが言い、サイドテーブルに歩み寄った。火種を切り落とされてからもずっと咥えっぱなしだった例の煙草に、オイルライターで火を付ける。和泉が、思い出したように声をかけた。

 「…そうだ、言うの忘れてたけど、昨日捕まった時に、借りてた麻酔銃を取られちゃってるんだ…ごめん」

 「…やっぱり、そうだったんだ。全然使おうとしないから変だとは思ってたけど」

 ロゼッタは肩をすくめ、懐の方の拳銃を抜いた。

 「ひとつ、持っとく?」

 「いや、私はあの麻酔銃すらまともに使えなかったんだ。君が使った方が絶対にいいと思うよ」

 和泉は苦笑しながら、手を振って辞退した。ロゼッタもその言葉は大方予測が付いていたようで、無理強いはせずに拳銃を肩のホルスターにしまいこんでしまった。

 そのとき、廊下の方から慌ただしく人の走ってくる足音が聞こえてきた。二人が顔を上げると、扉の開きっぱなしだった入口から、トゥルファンとロズウェルの顔がのぞいた。

 「…遅かったか!」

 部屋の様子を一目見て、ロズウェルが舌打ちをする。

 「はい…裏口からいきなり踏み込まれました」

 「銃声が聞こえたからまさかとは思ったが…怪我は無かったのか?」

 心配そうに尋ねるトゥルファンに、ロゼッタが決まり悪そうな表情を見せた。

 「怪我はないんですが…その、ちょっと危ない状況だったんで、一人を…」

 床に転がる兵士の死体を視線で指し示す。

「…まあ、いいさ。こっちも気付けなかったからな」

 「すいません。絨毯と布団、後で弁償します」

 和泉が頭を下げると、ロズウェルが何でもないというふうに手を振った。

 「いや、今は誰も使ってない部屋だし、もともと城から支給された物だから。気にしなくていいよ」

 「そちらの状況はどうだったんですか?」

 ロゼッタが尋ねた。

 「似たような状況だな。一人くらいは死んだかも知れないが、残りは逃げられた」

 「…これで、こっそり皇帝に近付いて暗殺するのはもう無理だな」

 ロズウェルが腕を組み、舌打ちをする。

 「まさか全部屋捜索命令が出るとは、思わなかったからな…」

 「どうしますか?これから」

 和泉が不安そうに尋ねた。

 「今ごろ、俺達ふたりは反逆者として報告されてるだろう。しばらくしたら、おそらくもう少し沢山の兵士がこっちに来るだろうから、まずはそれを迎え撃つか」

 ちょっと考え込んで、トゥルファンがそう言った。

 「もう、後戻りはできないな…」

 ロズウェルが頭に手をやりながら、溜め息をつくように言う。

 「兵士が来たら、私にちょっと考えがあるんですが」

 和泉が遠慮がちに手を上げ、周囲を伺うように見回した。

 「どうする気だ?」

 「実は…」

 特に理由も無く声をひそめて、和泉は自分の思っている方法を話してみた。

 「…そんなことが、出来るのか?」

 「ええ、まあ…」

 心配そうな顔のトゥルファンに、和泉がちょっと笑う。

 「方法としては悪くないかも知れないけど…。ちょっと…怖くないか?丸腰の状態で、それは…」

 ロゼッタまでいくらか不安そうな表情だが、和泉は安心させるように、ちっちっと人差し指を振った。

 「いや、向こうはニセ王女の私を、出来るだけ殺したくないみたいだからね。やることやったら、安全圏に逃げればいい訳だし」

 「後は、俺達で何とか出来るわけか…」

 ロズウェルはいくらか考え込む様子を見せていたが、やがて納得したようにうなずき、和泉の肩をぽんと叩いた。

 「じゃあ、ひとつその手でいってみるか。頼むよ、虹野くん」

 「任せて下さい!」

 和泉は力強くうなずき、片手の掌をもう一方のこぶしでぱんと叩いた。


 「あー…、君たちは、完全に包囲されている」

 表の方から、大きな声が聞こえてきたのは、それからほどなくのことだった。

 「おいでなすったかな」

 トゥルファンが立ち上がり、窓のカーテンの隙間から外を伺う。待機所を取り囲むように、数十名程度の兵士が立っていた。前の方にいる奴が、拡声器のような物を手にして語りかけてきているようだった。

 「覚悟を決めて、直ちにレグルス王女の替え玉を、こちらに引き渡すように!」

 「何だか…俺達が強盗でもして、ここに立て篭もってるような言い方ですねえ…」

 火の点いていない煙草を咥えたまま、ロゼッタが呆れたように言う。

 「まあ、向こうにしてみたら似たようなもんだろうね」

 ロズウェルがちょっと笑って答え、椅子から立ち上がった。

 「じゃあ虹野くん、お願いできるかい?」

 「はい」

 和泉が返事をして、椅子から立ち上がる。さすがに緊張していて、心臓が激しく動悸していた。武者震いのようなものが出るのが自分でわかった。

 「気をつけろよ!」

 ロゼッタが心配そうに声をかける、和泉は黙ったまま手を上げてそれに応え、ゆっくりと玄関口の扉の方に歩いていった。

 扉を開けて一人で外に出ると、包囲していた兵士たちから、かすかなどよめきが聞こえてきた。

 「…私を、お探しですか?」

 まっすぐに正面を見つめて、声をかける。拡声器を持った奴まで、びっくりした様子だった。

 「…そうだが…、投降するというのか?」

 「その人数じゃ、ちょっと分が悪そうだからね」

 肩をすくめて和泉が答える。兵士たちは意外そうな表情で顔を見合わせた。

 「もっと抵抗するかと思っていたが…。いや、賢明な判断だな。ではいま一度、皇女様のもとへお戻り願おうか」

 拡声器をもった奴が目配せすると、兵士が二人ばかり、和泉を捕まえようとこちらに歩み寄ってきた。それを見ると、和泉は素早くポケットに手をつっこみ、バーゼルからもらった例の煙幕を取り出していた。

 ピンを引き抜き、目の前に転がす。たちまちそこから、大量の真っ白な煙が噴き出してきた。周囲は見る間に、霧に覆われたように視界が遮られていった。

 「…!罠か!?」

 慌てふためく兵士たちを尻目に、和泉は弾みをつけて飛び跳ねた。跳躍装置がはたらいて、和泉の身体は軽々と、待機所の屋根の上まで跳ね上がった。

 …あとはここで、高みの見物をしていればいいわけだ。

 屋根に腰掛け、和泉は悠々と下を見下ろした。打ち合わせ通り、煙に紛れて飛び出してきたトゥルファンとロズウェルが、兵士を次々に手にかけてゆくのが見てとれた。

 …さすがに、強いな。

上から見ていると、二人の動きが別格なのが良く分かる。トゥルファンはあの日本刀を駆使して、侍さながらの戦いぶりだし、ロズウェルも近くの敵の攻撃を傘で受け止め、少し距離をおいて矢を撃ち出す攻撃を巧みに行っていた。だてに皇帝直属の部隊にいるわけではないようだ。

 敵兵の同士討ちも始まっている様子だった。煙で突然視界が遮られ、半ばパニックになっているのだろう。

 「…落ち着け!みんな落着くんだ!!」

 必死で拡声器で怒鳴る声が聞こえてくる。しかし、その声が既に上ずっていて、かなり混乱している様子だった。あんたが落ち着けよ…と、和泉は思わず、くすりと笑った。

 …煙が薄くなってきたら、もう一個投げようかな。

 煙幕をもうひとつ取り出し、和泉は勝利を確信して微笑んだ。


 …だいぶ、敵が減ってきたみたいだな。

 カーテンの隙間から外を覗きながら、ロゼッタは拳銃のマガジンを入れ替えていた。

こちらは外には出ず、窓をわずかに開けて、カーテンの隙間から敵兵を狙撃する戦法をとっていた。煙でパニックになっている兵士を狙い撃つのはたやすかった。トゥルファン達は制服が異なっているので、誤って撃つことはない。

 …和泉も、思い切った方法を考えたな。

 あまりにも和泉の作戦通りに事が運ぶので、ロゼッタも一安心していた。ひょんな事から、大事に首をつっこんでしまったようだが、この調子ならなんとか乗り切れそうだ…。そんな事を考えていた、その時。

 「!」

 突然、背後から音もなく、鋭い刃が喉元に当てられた。

 ぎくりとしてロゼッタが身を硬直させる。窓の外に気をとられ、背後の気配を感じ取ることが出来なかったようだ。

 「…動くなよ。武器をその場で捨てろ」

 右肩を掴まれ、低い男の声が言葉少なに命令してきた。

 「…」

 冷たい刃が、今にも喉をかき切りそうだった。ロゼッタは抵抗を諦め、手にした拳銃を足元に放り出した。すぐに誰かが、それを拾う気配がした。どうやら相手は、一人ではないようだ。

そのまま黙って両手を上げたロゼッタに、背後からは気分良さそうに笑う声が聞こえてきた。

 「…いい子だ。そうやって大人しくヘルド・アップしてりゃ、何もしねえよ」

 「…ホールド・アップだろう」

 言葉に気付き、そっとロゼッタが訂正してみる。背後であからさまに、うろたえるような気配がする。

 「や、やかましい!余計なことをぬかすな!!今すぐここで死にたいか!?」

 …さっきと言ってることが違うじゃん…。

 そう思ったロゼッタだったが、これ以上揚げ足をとると、本当に切られてしまいかねないので、とりあえず黙っていることにした。

 「そっち側がずいぶん優勢みたいだな、外の方は」

 気をとりなおしたのか、背後の兵士はいくらか愉快そうに話し出した。

 「その流れに棹さすようで悪いが、ちょっと来てもらうぜ」

 「…意味が逆だよ。流れに棹させば勢いがつくんだ」

 ついロゼッタが話の腰を折ってしまう。後ろの声は再び、機嫌を損ねたようだ。

 「…口の減らない奴だな。いっそ黙るか!?」

 「落着いて下さい!命令の遂行が優先です」

 いきり立つ様子のところを、もう一人が必死に押しとどめた。態度から察するに、この兵士の部下にあたる下級兵のようだ。兵士はいまいましげに舌打ちをした。

 「じゃあ、早いところ歩いてもらおうか。連中が外で頑張ってるうちに、な」

 奪い取った拳銃の銃口をロゼッタの背中に押し付け、その兵士が裏の出入口の方を顎でしゃくった。傍では下級兵が、油断なく短剣を構えているのが見える。ロゼッタは仕方なく、示された方向へと歩き出した。

 「こうやって俺だけ連れ出すのも、命令のうちだったわけ?」

 ロゼッタの問いに、兵士が答えた。

 「まあな。アデレード皇女様の御命令でな。どさくさに紛れてニセ王女か侵入者のどちらか一方を、連れ出すように言われてるんだ。俺はちゃんと見てないんだが、レグルス王女のニセモノは、お前の方か?」

 「…いや、俺じゃないよ。外にいる方だ。俺はそのニセモノを連れ戻しにレグルス王国から来ただけ」

 尋ね返されたのを、今度はロゼッタが答えた。兵士は舌打ちをした。

 「簡単に言うな。あの警備をかいくぐって入り込んだわけか」

 会話をしながらもロゼッタは外の様子を伺うが、屋根に飛び上がってしまっている和泉はもとより、トゥルファン達もこちらに気付く気配はない。腰のホルスターにもう一丁の拳銃があるが、兵士二人がかりでこちらを睨み付けている上、ヘルド・アップもといホールド・アップしているので、隙をついて抜くことは出来そうになかった。

 …どうやら、なりゆきに任せるしかないみたいだな…。

 ロゼッタは諦めて、兵士に命令されるまま、待機所の裏口へ向かって歩いていった。


 「入れ!」

 力任せに背中を蹴り飛ばされ、バランスを崩したロゼッタの身体は、埃の積もった床に投げ出された。

 「痛っ…!」

 すぐに身を起こそうとしたが、素早く進み出てきた下級兵がロゼッタの頭を床に押し付け、腕を押え込んできた。

 「…放せっ!」

 ロゼッタは何とかその手を払いのけようとしたが、先ほどの兵士が拳銃をこめかみに押し当ててきて、否応なしに動きを止められた。

 すぐに下級兵が腰に付けている革の道具入れから細い鎖を取り出す。力ずくでロゼッタの両手首を後ろ手にし、傍の鉄骨に縛り付けてしまった。

 身動きの取れなくなったロゼッタは、唇を噛んで二人の兵士を見上げた。が、ここであからさまに悔しそうな表情を見せては相手が喜ぶだけだと思い直し、泰然とした態度で口をひらいた。

 「これも…皇女様の御命令ってわけ?」

 尋ねながら、周囲に目をやってみる。先ほどの待機所から数百メートルばかり歩かされ、プレハブの倉庫のように見える小屋に入らされたのだが、思った通り倉庫のようだった。古道具のようなものや、段ボール箱や木箱などが乱雑に積まれている。どうやら普段からあまり使われていない場所らしい。動くたびに舞い上がる埃が、窓から差し込む光をくっきりと浮かび上がらせていた。

 「ああ、全て命令通りさ」

 勝ち誇ったようにロゼッタを見下ろしながら、兵士が答えた。

 「個人的には、すぐにでもお前に殺られた仲間の仇を討ちたいところなんだがな…。この得物が、ずいぶんと仲間の血を吸い取ってくれたようだからな」

 言いながら、ロゼッタから奪い取った拳銃を目の前で弄んだ。ロゼッタはこともなげに言い返す。

 「撃たないと、俺の方が斬られちゃうからね。だいたい、仮にも皇宮を警護する兵士が、城に忍び込んできた侵入者にあっさり撃たれる方がおかしいだろう。まともな訓練、受けてるのか?」

 「…言ってくれるな」

 兵士の顔から笑みが消え、じろりとロゼッタを睨み付けた。

 「じゃあ、その皇宮兵士のひとりとして、汚名を挽回させてもらうとしようか」

 「…汚名は返上するもんだよ。挽回するなら名誉。好きこのんで恥を上塗りたいなら、話は別だけどな」

 この期に及んで言葉を間違える兵士に、ロゼッタはついまた訂正してしまった。

 …無理して難しい言葉を使うなよ…。

 呆れて溜め息も出ないロゼッタに、恥をかかされた兵士はまたしてもいきり立った。

 「本当に口の減らない奴だな!俺の一存でお前はどうにでもなるんだぞ!!」

 「挑発です!落着いて下さい!」

 今にも引金を引いてしまいそうなのを、下級兵が必死でなだめている。

 …いや、別に挑発するつもりはないんだけど…。

 「くそっ…。なんて人を食った小娘だ」

 何とか落着きを取り戻し、兵士は苦々しくロゼッタを見下ろした。

 「…で、結局、俺をどうしたいわけ?」

 ロゼッタは悠然とした態度で、実は一番気になっていたことをさりげなく尋ねた。兵士はかすかに笑った。

 「茶でも出すように思うか?」

 「いや。そこまでは思ってなかったが」

 「…仲間のところに、返してやってもいいんだぜ」

 兵士の言葉に、ロゼッタはいぶかしげに眉をひそめた。

 「…どういうことだ?」

 「これがアデレード姫様の命令なんだよ。お前かニセ王女のどちらかを連れ出したら、本物のレグルス王国の王女…ロレーヌ姫だったか?そいつの隠れ場所を吐かせるように、言われてるんだ。相当気になさってるようでな。素直に吐けば、とりあえずこの場は解放してやることになっている」

 …なるほど、そういう話ね。

 ここの国の皇女が、自分より美しさが上回るのが気に入らないという理由だけで、異様なほど執拗にロレーヌを付け狙っていることは、既に和泉から聞いている。

 「皇女様は、自分が世界で一番の美人だと思ってなさるからな。それ以上に美人だと噂になったレグルス王女に、ゼラチンをおぼえたわけだな」

 …ジェラシーだろ。

 どうして、よく知りもしない言葉をあえて使おうとするのだろう。

 しかし、仮に素直にロレーヌの居場所を教えたとしても、陰湿なやり方ばかりのここの連中が、約束通り自分を解放してくれるようにはちょっと思えなかった。それに、『とりあえずこの場は』解放されたとしても、警備の厳重なこの皇宮の敷地の中では、袋のねずみも同然の状態なのだ。

そもそも、和泉が危険を冒してロレーヌ姫の替え玉になり、自分がこれまでロレーヌにつききりで警護をしてきたのは何の為だったのか。バーゼルの便利屋に勤務している上での業務命令、と言えば確かにそれまでだった。しかしロゼッタは、三週間ほどの時間を共に過ごしているうち、もはや単なるビジネスの枠を超えた気持ちを、ロレーヌに対して抱き始めていたのだった。

 バーゼルの事務所に滞在中、王女としての驕るような態度は一切見せず、すすんで雑用を手伝おうとまでした真摯な態度。和泉が拉致された時は、心痛のあまり食事も喉を通らずに涙ぐんでいた。そういった優しい性格を持ちながら、言葉のはしばしには見え隠れする知性があり、芯からにじみ出る凛とした威厳と気品をも兼ね備えているのだ。容姿の美しさには、そういった内面の美しさも表れているのかも知れない。

 将来、いつかあのロレーヌ姫が王位を継承し、レグルス王国を統べる立場になる日が来るに違いない。そうなった暁には、多くの人々が夢見る、いわゆる理想郷に近い王国が出来るのではないか。いつしかロゼッタは、そう考えるようになっていたのだった。

 …そんな将来あるウチの王女様を、こんなクズみたいな連中の手に、みすみす引き渡してたまるかってんだよ!

 そこまで考えると、ロゼッタは目の前の二人の兵士を見上げ、皮肉を込めた笑顔を浮かべながら、口を開いた。

 「残念だったな。自分かわいさに情報を洩らすほど、賢く育っていないみたいなんだ」

 「…素直に吐くとは思っていなかったがな」

 さほど意外な返答でもなかったらしく、兵士は肩をすくめた。

 「ならば、皇女様の命令を完全ついこうさせてもらうしか手がないな」

 …完全遂行って言いたいのかな…?

 もう、いちいち訂正するのも面倒になってきてしまった。

 そんな様子に気付く由もなく、兵士は倉庫の隅の方に置いてあった木箱に歩み寄り、慎重な手つきで中から何やら取り出した。外観からして、どうやら時限爆弾のようだった。ダイナマイトのような、火薬が詰めてあると思われる数本の筒をコードでつなぎ合わせ、アナログ式のタイマーを取付けた、マンガにでも出てきそうな古典的な形状。本来ならばこの国では、火気をおびた武器や兵器は禁じられているので、こんな旧型を入手するのが関の山なのだろう。

 思いのほか大型のそれを木箱の上に乗せ、兵士は微笑しながらこちらを見た。

 「残念だが、ここでお前には消えてもらうぜ」

 「…死なせてくれと頼んだ覚えは、ないんだけどな」

 「素直に喋る様子がなければ、すぐに処分するようにとの御命令だ」

 いくぶん愉快そうに話す兵士に、ロゼッタは不満そうに言った。

 「俺は、そのバカ皇女に会った事もないんだけど。何か恨みでも?」

 「皇女様は、自分の思い通りにならないものは、全部消さないと気が済まない御性分なんだよ。昨日のニセレグルス王女の生意気な態度には、だいぶ気分を害されたようでな。それを助けに来たお前は、まあ同罪ということだ」

 「…ひとつ聞いておきたいんだけど、そのめちゃくちゃな命令、皇帝はちゃんと許可してるわけ?」

 どうしてもそれが不思議に思えて、思わずロゼッタが尋ねた。

 「ああ。アゼルバイジャン皇帝陛下は、これ以上にないほど、妹であるアデレード皇女様を溺愛なさっているからな」

 「ちっ…。シスコン兄貴かよ」

 横を向いてロゼッタは舌打ちをした。兵士はまたも笑った。

 「まあ、そう言っては身も蓋もないがな。とにかくアデレード姫様の欲しがるものは税率を上げてでも買い与えるし、姫様の気分を害する者があれば投獄されるか、国外追放されるはずだ。場合によっては処刑されるだろうな」

 「皇女の言いなりなわけだ。国民はだいぶ苦労してるんだろうな…」

 呆れ果てたロゼッタがしみじみと溜め息をつく。

 「納得いったか?」

 「いくわけねえだろ!!」

 こともなげに尋ねてくる兵士に、ロゼッタは思わず怒鳴り返した。

 「だいたいなあ、顔のいい悪いでよその王女の誘拐命令なんて、国際問題だよ。ふつう許可されないだろ!兄妹そろって気がふれてるんじゃないのか!?」

怒りが頂点に達し、ロゼッタはなおも大声で何か言おうとした。が、傍にいた下級兵が素早く短剣を抜き出し、ロゼッタの喉元に突きつけて無理やり黙らせた。

 「暴れさせてやれ。どうせ最後なんだ」

 兵士が声をかけ、先ほどの時限爆弾をこちらへ持って来る。そしていかにも重たそうに、ロゼッタの目の前に置いた。

 「ウチのお姫様は、派手な演出がお好みでな。この倉庫ごと、お前を吹っ飛ばすように、言われたわけよ」

 「…いい趣味してるよ。さすがに、子供の頃から何でも思い通りにさせてもらえた皇女様は、考えることが違うね」

 ロゼッタの反応はクールなもので、兵士の方が拍子抜けしたようだった。

 「本当に分かっているのか?お前がこれと一緒に、心中することになるんだぞ」

 「何だよ。おびえて命乞いでもするように見えた?」

 ロゼッタが笑いながら言う。兵士は返答に詰まった様子。

 「いや、そこまでとは言わないが…」

 「あんたがお望みなら、怖がるマネだろうが、泣き叫ぶフリだろうが、何でも好きなことをやってやるけど?」

 ロゼッタが冷ややかな笑みを崩さずにそう言った。明らかに、目の前の兵士を馬鹿にしきった態度だった。しかし、兵士の方も、先ほどのようにムキになって喚いたりしようとはしなかった。ロゼッタの挑発にかすかに眉を上げはしたものの、これから殺す相手に何を言われようと気にならない、といった態度を装って口をひらいた。

 「いや、結構だ。それより、とっとと始めるとするか。回らば急げって言うからな」

 「…善は急げ、だろう」

 何か別の言葉と混同しているのがどうしても気になり、ロゼッタはまたもや兵士の言葉を訂正してしまった。全くもって善ではないのだが、話の流れからして、使いたかったであろう言葉はそれ以外に考えられない。

 この期に及んで言葉の間違いを指摘され、しかもそのロゼッタの態度が、死に直面しているとは思えないほど落ち着き払っていたため、兵士もさすがにムッときたようだった。しかし見事にそれに耐え、静かに爆弾のタイマーをいじくり始めながら言った。

 「…ああ、そうだな。善は急げ、だったよ。本当なら今すぐにでも、その小うるさい口ごと消してやりたいんだが、命令だ。仕方ないな」

そう言うと、ぐいっとタイマーの竜頭を回して立ち上がった。セットされたその時間は、きっちり三十分後だった。

 「…!」

 さすがにいくらかあせりが出てきて、ロゼッタは黙ったまま、唇を噛みしめた。

 「さすがに怖くなってきたみたいだな、え?」

 嘲るように笑って、兵士がロゼッタを見下ろした。

 「さっきみたいに生意気なセリフはどうしたんだ?何とか言ってみろよ」

 これまでの仕返しと言わんばかりに言葉をぶつけてくる。わざわざロゼッタの目の前にかがみこみ、嫌味たらしく間近に顔を近づけてきた。

 ロゼッタはじっと黙ったままその顔を睨み返していたが、答える代わりに、やにわにその顔に向かって唾を吐きかけた。

 「!」

 一瞬、その場の空気が凍り付いたように固まった。

 しばしの間、兵士は表情を凍り付かせたままロゼッタの顔を見ていたが、やがて無言のまま静かに立ち上がり、唾を吐かれた顔を袖口で拭った。

 「あの…落着いて下さいよ。命令はあくまで…」

 「分かってる」

 慌てたような下級兵の言葉を、いくぶん声を強めて兵士が遮った。

 「だが俺はこいつにさんざん馬鹿にされたのを、ずっと今まで我慢してきたんだ。そして今、こんな丁寧なご挨拶までされた。この場で殺しさえしなけりゃ、ちょっとくらいのお礼は許されると思うがな!」

 言ったかと思うと間髪を入れず、思い切り力任せにロゼッタの顎を蹴り上げた。

 「!!」

 顎の骨が砕けたのではないかと思うほどの衝撃だった。勢いでロゼッタは、後ろの鉄骨に激しく後頭部を打ち付けた。髪を結わえていた紐がほどけ、セミロングの髪が肩にかぶさる。激痛のあまり声が出ず、顔を上げることすら出来なかった。

 兵士は鼻で笑い、蹴った爪先で二、三度地面を叩いた。すっきりした表情でロゼッタに一瞥をくれると、爆弾のスイッチを指で押す。秒刻みの音が聞こえてきた。

 「残念だったな。これでお前の寿命はあと三十分だ。皇女様が御自分の部屋で、爆音の響く瞬間を心待ちにしてらっしゃるぜ」

 「…!」

 ロゼッタはまだ声が出せない。兵士は奪い取った拳銃を、ロゼッタの目の前に置いた。

 「こいつは返してやるよ。どうせこの国じゃ使えない代物だからな。自分の得意武器と一緒に添い遂げるのも、悪くはないだろうさ」

 そう言うと部下を従え、倉庫の出口の方へと歩いていった。

 「よく考えてみりゃ、この場ですぐ殺すよりも、三十分の時間をかけて、死に近付く恐怖ってやつを味わわせる方が楽しそうだな。そんな事を考え付く時点で、アデレード皇女様は本当に大したお方だよ。それじゃ、な」

 兵士の捨てゼリフを残し、出口の引き戸が閉じられる。薄暗い倉庫の中にひとり残されたロゼッタは、歯を食いしばりながらようやく顔を上げた。蹴られた顎の辺りと、打ち付けた後頭部の両方から強い痛みが響いてくる。

 「うっ…。思いっきり蹴りやがって…!」

 蹴られた瞬間に口の中が切れたらしく、鉄臭くて塩辛い味がする。ロゼッタは横を向いて、血混じりの唾を吐き捨てた。時限爆弾の時を刻む音が、妙に大きく聞こえてきて焦りを誘う。

 …冗談じゃない!顔を合わせたこともないバカ皇女に、あっさり殺されてたまるか。

 懸命に、拘束された手首を動かそうと試みるが、きつく縛られた鎖は緩む気配がない。革靴の踵の中に、和泉を救出した際に使ったヤスリが入っているのだが、手が動かせなくては取り出しようがなかった。

 何よりも、蹴り上げられた顎の激しい痛みが、冷静な思考を妨げている。アッパーカットなどとは比較にならない衝撃だった。靴の爪先に、鉛でも仕込まれていたのではないだろうか。

 …脱出の方法が、何も思いつかない…。

 「…クソが!」

 いまいましげに悪態をついたかと思うと、ふーっと溜め息をつき、身体の力を抜いたロゼッタは後ろの鉄骨によりかかった。

 時が、刻一刻と過ぎ去ってゆく。


 一方、トゥルファンとロズウェルの方は、ロゼッタが連れ去られたことには気付かないまま、襲撃してきた兵士をあらかた片づけてしまっていた。最後にひとり、あの拡声器を持った兵士だけが残っている。

 「信じられない…!あの人数を、二人だけで…」

 うろたえたように辺りを見回し、拡声器の奴がつぶやく。トゥルファンがその目の前に歩み寄り、血で汚れた日本刀を突きつけた。

 「人数をそろえたところで、統率がとれてなけりゃ所詮は烏合の衆なんだよ」

 「ってゆーか、何であんたは拡声器だけしか持ってないんだ?」

 ロズウェルが呆れたような顔で尋ねる。他の兵士に全て頼るつもりだったのか、拡声器の奴は武器らしい物を何も携えていなかったのだ。

 「やかましい!貴様らいい気になるなよ。レグルス王女の替え玉をかくまい、二度に渡って抵抗した罪は相当なものになるぞ。造反罪で死刑にもなりかねないと心しておいた方がいいだろう」

 「あんたの方がやかましいよ…。そんなことはとっくに承知の上さ。はっきり言って俺達は、今の皇帝のやり方には納得がいかないんだ」

 ロズウェルの言葉に、拡声器は作り笑いをしながら言った。

 「そう言わずに考え直してみろ。貴様たちほどの戦力を失うのは、この城にとっても痛手になる。今からでも遅くない。おとなしくニセ王女をこちらに引き渡して、皇帝陛下に服従の意を示したらどうだ」

 「いったん造反行為を示した奴を寛大に受け入れるような度量が、あの皇帝にあるとは思えないがな。言う通りにしたところで、俺達は良くても免職で国外追放。レグルス王女の替え玉はいずれにしても殺すつもりだろう」

 相手が丸腰の状態では斬る気も起きないらしく、トゥルファンは刀を鞘に納めてしまっていた。

 「…わかった。その意は皇帝陛下にお伝えすることにしよう。陛下の方も、貴様らが素直に投降するとは思われてなかったようだしな」

 一歩ずつ後ずさりながら、兵士は言った。

 「意見があるようなら、玉座の間まで来て直接言うように、とのことだ」

 そう言い残すと兵士は拡声器を抱えたまま、一目散に走って行ってしまった。

 「おい、もう大丈夫だよ。下りてきな」

 トゥルファンが屋根の上を見上げ、和泉に声をかけた。和泉はうなずいて、腰掛けていた屋根から飛び降りた。跳躍装置が衝撃を緩衝し、ふわりと軽く地面に着地する。

 「いいな、それ」

 ロズウェルが羨ましそうに、靴の跳躍装置に目をやった。

 「勤め先で貸与されたモノですけどね。…なんだか、ひとりで逃げ帰るのってみっともないもんですね」

 拡声器が逃走した方向を見ながら、和泉が言った。

 その時、ロズウェルがロゼッタの姿の見当たらない事に気付いた。

 「ロゼッタくんはどうしたんだ?」

 「ああ、あいつは多分、中から銃で狙撃してたはずですよ」

 「なるほど、道理で敵の減るのが早かったわけだな」

 話をしながら、三人で待機所に戻っていった。

 「ロゼッタ、おつかれー」

 和泉が中に入って、大きな声をかけた。しかし、返事がない。

 「?」

 和泉は不思議そうに、居間を見回した。

 「どこにいるんだ?」

 ロズウェルもきょろきょろと辺りを見渡す。

 表に面した窓側のカーテンが、風でかすかに揺れたのが見えた。それに気付いたトゥルファンが駆け寄ってみると、そこの窓が数センチほど、開いたままになっていることに気付いた。

 「ここから撃ってたんだな…」

 「で、その優秀なる狙撃手は、どこに隠れちゃったわけ?」

 雨傘を弄びながら、不思議そうにロズウェルが首をかしげる。和泉は待機所の奥の方へ歩いて行き、ロゼッタを探した。

 「ロゼッタ?どこ行ったんだよ~」

 呼びかけながら歩き回ってみる。しかし、廊下にも、寝る時に案内された部屋にも、手洗いにも、ロゼッタの姿は見当たらなかった。

 「おかしいなあ…」

 和泉が困りはてて立ち尽くす。何となくこみ上げてくる嫌な予感が、いても立ってもいられないような、落着かない気分にさせていた。

 「まさか、単独行動に走ったりはしてないだろうな…」

 廊下に出てきたトゥルファンが心配そうに呟いたが、言下に和泉が否定した。

 「そんな勝手な行動を、彼女が取るとは思えません。地の利もないし…」

 全員が沈黙したまま、じりじりと五分ばかり経過する。三人にとっては、三十分以上にも感じられる時間だった。

 「ちょっと…探しに出てみてもいいですか?」

 耐え切れなくなった和泉が、ついに顔を上げた。しかしトゥルファンは、厳しい表情で首を横に振った。

 「だめだ。単独行動は危険だぞ」

 「でもロゼッタは、こんな状況でいなくなるような奴じゃないんです。何だかイヤな予感がするんですよ」

 和泉は必死に話すが、ロズウェルの方も渋い表情だった。

 「気持ちは分かるけど…あっちが狙ってるのは、むしろニセ王女の虹野くんの方なんだよ。それがフラフラ歩きまわったら、それこそ連中の格好の餌食になるだけじゃないか。それに…ここで余分な時間をくえば、状況が不利な方に動きかねない」

 「じゃあ、ここで私を切って下さい。あとは自己責任で動きます」

 和泉がロズウェルの方をまっすぐ見据え、きっぱりと言い切った。

 「ご迷惑をかけたくはないんですが、どうしても気になるんです。私に何があろうと構わなくて良いですから…。今までありがとうございました」

 「…待てよ。分かったよ」

 根負けしたトゥルファンが、諦めたような溜め息をついた。

 「俺達も、当初の予定とはだいぶ状況が変わってきているし、一度考えを整理する必要があるからな」

 そう言って、和泉の目の前で指を三本立てた。

 「三十分だ。それまでは、ここにいる。だがそれを過ぎれば、俺達とは別行動になってもらうが、それでいいか?」

 「…はい!ありがとうございます」

 和泉は嬉しそうに、顔を上げた。

 「兵士を見かけたら、すぐに逃げること。何かあった気配があれば、できる限り援護に向かうつもりではあるけど…。とにかく気をつけて」

 ロズウェルの言葉に大きく頷き、和泉は待機所を飛び出していった。


 タイマーの残り時間は、既に十五分を示している。ロゼッタは焦る気持ちを抑えながら、手首に巻き付く鎖を何とか緩めようと苦心していた。

 しかし、どんな結び方をしているのか、縛り目を緩めようといくら力を入れてみても、いかんせん手首すら動かせない。むしろ細い鎖が手首に食い込んでいって、血が止まりそうになるのだった。

 顎の痛みはいくらか引いてきてはいたが、その部分はくっきりと青痣になっていた。うかつに膝にぶつけたりしようものなら、まだまだ飛び上がりそうなほど痛い。

 ロゼッタは溜め息をつくと、外の光が差し込んでくる採光窓を見上げた。だいぶ陽は高くなっているらしく、良く晴れた青空が見えたが、人の通りかかる気配はない。もっとも、誰か通りかかったところで、皇宮の人間が助けてくれるはずはないのだが。

 続いてロゼッタは、目の前に置かれた大きな時限爆弾に目をやった。ひと昔前の懐中時計のような形状のタイマーが、ゆっくりと、しかし確実に時を刻み続けている。その秒針が回るのとは逆方向に、残り時間を示す長針が動いていた。文字盤の、通常の時計ならば十二時に相当する位置に0の数字が描かれている。ここまで長針が動けば、爆発するのだ。

よく見てみると、0の数字の真下に、金属のような銀色をした突起が見えた。おそらく、ここまで来た長針がこの部分に触れれば、内部に電流が流れて爆発する仕組みなのだろう。

 …この針を外せれば、とりあえず爆発は止められるんだろうけどな…。

 タイマーを見ながら、ぼんやりとロゼッタは考え込んでいた。

 …待てよ。ちょっと良く見れば、この部分に針が触って爆発する仕掛けなのは、どう見ても明らかだよな。じゃあ、それを止めようとしてタイマーの蓋を外した瞬間に爆発する、トラップの可能性もあるかも知れない…。

 …いや、こんな原始的なまでの旧型に、そこまでの仕掛けはないだろう…。だけどやっぱり心配だから、火薬につながるコードの方を切断して…。待て待て、むしろそっちこそダミーコードが含まれている可能性が高いのか?

 さまざまな考えがロゼッタの頭を巡るが、自分自身で何が出来るわけでもなかった。いらいらしてきて、思わず爆弾を蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられる。足は充分に届く位置だが、ロゼッタはそれを思いとどまった。衝撃で爆発してしまったら、馬鹿をみるのは自分なのだ。

 残り時間は、既に十二分をまわっている。

 確実に迫っている死への恐怖が、ロゼッタの平常心を徐々に崩そうとしていた。


 かたや和泉の方は、気負って飛び出しては来たものの、どうしたら良いのか分からず、途方にくれていた。うかつに目立つ場所をうろついて、皇宮の人間に見付かってしまってはおしまいなのだ。

 …ロゼッタの奴、ホントにどこ行っちゃったんだよ…!

 以前読んだマンガだか小説だかで、こんな時、仲間同士で信頼し合っていれば心で通じ合える、とかなんとか書いてあったような気がしたのだが。

 …嘘だ、そんなの。

 都合よくロゼッタの声が心に響いてきたりする訳はなく、和泉は当てもなく歩き出していた。武器を持たない状態で、味方もなくたったひとりで歩き回るのは、思っていたよりもずっと心細かった。自分がそれまで、どれだけロゼッタを当てにしていたのかが改めて良く分かった。

 …早くロゼッタを見つけて、合流したいんだけどな。

 深呼吸をすると、和泉は再び、足早に歩き始めた。


 「あいたたた…!」

 無理に手首をひねろうとして、ロゼッタが短い悲鳴を上げた。鎖は緩むどころか、なお一層きつくなったような気すらした。

 爆弾のタイマーは既に残り十分を切り、七分を指し示していた。

 …どうすりゃいいんだよ、この事態を…!

 焦りと恐怖から、握り締めた手がじっとりと汗ばんでいる。こんな狭苦しい倉庫を、この世の見納めの風景にするのはまっぴらだった。しかし、後ろ手に鉄骨に縛り付けられ、座り込んだまま身動きの取れないこの現状を、自分だけの力では打破出来そうにないのだ。

 …本当に、これで終わりなのかな…。

 悔しさと無念さに唇をかみしめた、その時。

 「!」

 ふっと、ロゼッタは顔を上げた。

 外の通りに、足音が聞こえたような気がしたのだ。しかも、この足音は…。

 「和泉!?そこにいるのか?」

 普段から聞き慣れた和泉の足音によく似ていて、ロゼッタは我を忘れて大きな声を上げた。もし、相手が和泉でなかったら…などと悠長に考えている余裕は、もはや無かった。

 そして、果たしてそこを通りかかったのは和泉だった。ロゼッタの姿を探して、きょろきょろしながら歩いていたところに、いきなり自分を呼ぶ声が聞こえてきて、心臓が止まるほどにどきりとした。

 「え…、ロゼッタ?」

 しかし、すぐにロゼッタの声であることに気付き、和泉は慌てて周囲を見回した。

 「どこ…?」

 「たぶん、すぐそこ。プレハブの倉庫みたいな小屋の中!」

 和泉の立っている傍に、プレハブ小屋と呼べそうなものはひとつしかなかった。すぐに裏側の入口の方に走って回り込んだ。鍵のかかっている様子はない。

 力一杯、入口の引き戸を開いた和泉は、倉庫の中に飛び込んだ。

 「ロゼッタ!無事だったか?」

 「ああ、ご覧の通り、捕まっちゃったんだよ」

 髪がほどけて肩にかかり、顎には痣がついている上に、口元に血の滲んだロゼッタの顔を見て、和泉は思わず足を止めた。

 「その顔…何されたんだよ!?」

 「いや、一回蹴られただけさ。それより、爆弾仕掛けられてるんだ!」

 「えっ…」

 ようやく目の前の時限爆弾に気付き、和泉が身体を硬直させた。その残り時間は既に、五分弱になっていた。

 「もう時間ないじゃん!遠くに捨ててきてやるよ、こんなもん」

 そう言って和泉は爆弾を持ち上げようとしたが、ロゼッタがそれを止めた。

 「やめとけ!結構重そうな感じだったし、構造的に下手に動かせば爆発するかも知れない…。それより、俺の鎖をほどいてくれないか?」

 「…わかった!」

 和泉が力強くうなずき、かがみこんでロゼッタの手首の鎖に手をかけた。しかし、思った以上に固く縛りつけてある上に、見たこともないような面妖な結び方がしてあって、簡単にはほどけそうになかった。

 「これ、かなりキツいよ!君の銃で、切ったりできないか?」

昔見た刑事ドラマで、主人公の刑事が、つながれた手錠の鎖を拳銃で撃って断ち切るシーンがあったのを思い出し、和泉が尋ねた。ロゼッタは慌てたように首を振る。

 「よせよせ!俺の手首に穴が開くわ。跳弾する可能性も高いし。靴の踵のところにヤスリが入ってるから、それを使ってくれないか」

言われるままに、和泉がロゼッタの靴を調べる。左足の底部分をずらしてヤスリを取り出し、鎖を削り始めた。

 「あと二分半だよ、和泉…」

 落着いた口調で、ロゼッタが残り時間を告げる。和泉は黙ってうなずき返し、全神経を鎖とヤスリに集中させていた。しかし、鉄格子を切断するのにだって、十五分近くかかっていたのだ。一分二分でそう簡単に断ち切れるようなものではない。

 焦る気持ちとは裏腹に時間は無慈悲に流れてゆき、ついに爆発までの残り時間は一分を切った。

 「和泉」

 ロゼッタが無表情な声で、話しかけて来た。

 「何だよ」

 和泉が短く応える。

 「もう…いいよ」

 「何が?」

 手を休めず、ちらりとロゼッタの横顔に目を走らせて和泉が尋ねた。

 「あと一分もないんだ。お前まで道連れになることないよ。早く逃げろよ」

 「冗談言うなよ。君は私を助けに来てくれたのに、私に君を見捨てろって?」

 思わず和泉は声を強めたが、ロゼッタの口調は静かなままだった。

 「二人一緒に死んだって、例のバカ兄妹が喜ぶだけじゃないか。バーゼル先生も心配してるだろうし、どっちかは残らないと…」

 「バカはお前だよ!ブッ飛ばすよ!!」

 思わず和泉が怒鳴りつけた。

 「それでカッコつけてるつもりか?ふざけるのもたいがいにしろよ!」

 「ふざけてないよ!けどお前がいなくなって、あの王女様がどれだけ心配してたか、お前は見てないから分からないんだ。食事も睡眠もとれないで、きっと今でも…」

 ロゼッタは悔しそうに歯ぎしりした。

 「それで俺達が両方死んだなんて、報告出来ないじゃん!」

 「ちょっと待って!何か切れそうな感じ!!」

 言い合いながらも手を動かしていた和泉が、鋭く叫んだ。しかし、ロゼッタの表情は変わらなかった。

 「もう遅いよ、あと十秒しかない。いいから逃げて、早く!」

 「待ってて、もうちょい…」

 和泉は必死になってヤスリを使っている。

 「…言うこと聞いてくれよっ!和泉のバカヤロ――!!」

 たまりかねて、ついにロゼッタは絶叫した。その剣幕に、さすがの和泉もどきりとして手を止める。

 しかしその時には既に、残り時間は二秒になり、一秒になり…。

 0。

 「…!」

 二人は同時に身をすくめ、ぎゅっと目を閉じた。が、しかし…。

 「?」

 まだ自分が生きていて、辺りが静寂したままなことに気付き、ロゼッタが顔を上げた。

 「あれっ…?」

 和泉も顔を上げてきょとんとしている。

 目の前の時限爆弾は、間違いなく残り時間0秒になっている。秒針と長針は完全に0の数字と重なり、時を刻む音ももはや聞こえていなかった。

 「…不発弾か…」

 「…そう…だな…」

 ぽつんと二人で呟き、互いに顔を見合わせる。緊張と恐怖が一気に解けていった。

 「助かったぁ!」

 身体の力が抜け、和泉が後ろの壁にもたれかかる。しかし、ロゼッタの方は厳しい表情のままだった。

 「でも、爆発しないとも限らないんだ。早い所ここを出た方が…」

 「そっ…そうか!」

 和泉は慌ててヤスリを握り直し、半分切れかけた鎖に手をかけた。ほどなく鎖は無事に断ち切れ、ようやく束縛から解放されたロゼッタが手首をさすりながら立ち上がった。

 「ああ、助かったよ。ホント、ありがとな」

 「おうっ、無事で何よりだよ」

 怒鳴り合いをしたことも忘れ、安堵の笑みを交わし合う。ロゼッタは足元に落ちていた髪留めの紐を拾い、ほどけていた髪をまとめて再び結わえた。

 「よし、急いで戻ろっか」

 そして先ほど兵士に返された拳銃を拾い上げて懐のホルスターに納めながら、和泉に向かって声をかけた。

 「うん。実は君を探す時間、三十分しかもらってないんだ」

 「マジで?過ぎてないといいんだけど…」

 急ぎ足で倉庫を後にし、ふたり一緒に待機所の方角へと駆け出した。

 そうやって、数十メートルばかり倉庫から離れた、その時。

 ――――――!!!

 一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。

 後方から耳をつんざくような爆音が響き渡り、次の瞬間、熱気をおびた強い衝撃波が二人の方へと襲い掛かって来た。

 「!?」

 何を考える暇もなく、熱風に半ば押し倒されるようにして、和泉とロゼッタが地面に伏せる。その頭上を、何かの細かい破片が無数に飛び散っていった。

 それらが大方おさまるのを待って、二人はゆっくりと顔を上げてみた。耳の奥がキーンとして、音がよく聞こえない。鼻をつまみ、耳抜きをしながらロゼッタが恐る恐る後方を振り返り、思わず和泉の肩を掴んだ。和泉も同様に振り向き、絶句した。

 先ほどの倉庫は跡形もなく消え去り、辺り一帯に焼け焦げた残骸が散らばっているのが見えた。周囲の草も焼け、申し訳程度に残った木材がちろちろと燃え上がっている。

 何が起こったのか、などとは考える必要もなかった。

 「爆発したのね、あれ…」

 「…それ以外、何かある?」

 茫然とその様を見ながら、二人でゆっくりと立ち上がる。

 「遅発…か…」

 ロゼッタが小さく呟き、思わず和泉と顔を見合わせる。二人とも急に実感が涌いてきて、ざわりと全身に鳥肌が立つのが分かった。

 「だいぶ旧型だったからな…。接触が悪かったんだろうな」

 「…もし、不発だからって安心して、あそこでのんびりしてたら…」

 和泉が言いかけて言葉を切り、ぞくっと身を震わせた。

 しかし、いつまでも立ちすくんでいるわけにはいかなかった。二人は気を取り直してうなずき合い、再び走り始めた。


 「おい、お前が出てきてから、どのくらい経ってんの?」

 ロゼッタが和泉に向かって尋ねる。和泉は肩をすくめた。

 「わかんない…。時計持ってないもん」

 「…って、携帯持ってんじゃん!」

 「…そうか!」

 和泉が思い出したように携帯電話を取り出す。

 「いや、いつ出てきたか分からないのに、見ても仕方ないだろ」

 「そうか…」

 和泉は再び、携帯をしまいこんだ。

 「もう先に行かれちゃったかも知れないな…」

 そんな話をしながら、塀の角を曲がった瞬間、目の前に人影を見た。

 「!」

 反射的に、ロゼッタが腰の拳銃を抜いてそちらに銃口を向けた。しかし…。

 「あ、無事だったか!」

 目の前に現れたのは、トゥルファンとロズウェルの二人だった。反射的に身構える習慣は、トゥルファンの方にもついているらしかった。既に抜き身の刃をこちらに向けていて、昨夜ロゼッタと睨み合った時と同じような状況になっている。二人とも相手を認識した瞬間、すぐに武器を引っ込めたが。

 「あれ、どうして…?」

 「さっきの爆発が気になってね」

 不思議そうに言いかける和泉の言葉を遮るように、ロズウェルが言った。

 「無事なら何よりだが…。何だったんだ?あれは」

 「ええと、実は…」

 トゥルファンの問いに、和泉とロゼッタでかわるがわる説明した。聞いている二人の表情は、次第に厳しくなっていった。

 「…だいぶ本気だな、向こうも」

 「で、これからどうするつもりだったんですか?」

 和泉が尋ねた。ロズウェルが傘を杖のように両手でついて答えた。

 「うん、だいぶ迷ったんだけどね。さっきの残った奴から、直接城まで来るように伝言を受けたんだ。あそこでぼんやりしてても火を付けられかねないし、思い切って乗り込んでみようかと」

 「それじゃ…相手の思う壷じゃないんですか?」

 心配そうにロゼッタが眉をひそめる。

 「まあ、一般兵がまとめて来る分なら大したことはないさ。スキあらば、皇帝の首をはねてやればいいだけの話だ」

 刀の柄に手を添えて、トゥルファンが冗談とも本気ともつかない微笑を浮かべる。

 「どう、まだついて来る気はある?」

 改めて確認するように、ロズウェルが尋ねて来た。

 「まあ、乗りかかった舟ですからね。私がいてお邪魔でなければ」

 「俺も。殺されかけて、おとなしくシッポ巻くのも癪だし」

 和泉もロゼッタも、今更逃げ帰る気は起きなかった。

 「そう、じゃあ話は決まったね。一緒に行こうか」

 ロズウェルはにこやかに言い、目の前にそびえたつ豪奢な皇宮を見上げた。


 …何だか、気味が悪いな。

 長い廊下を歩きながら、和泉は不安そうにそう思った。

 トゥルファン達に連れられて城の入口の扉の前まで歩いて行くと、そこに立っていた番兵達が黙って扉を開いた。いきり立ってこちらに向かって来るとばかり思っていたので、これには拍子抜けした感じがした。しかも、城内に入ると全く敵兵が出て来ない。無人かと思うような静けさの中をただまっすぐ歩いていくのは、気味が悪いとしか表現のしようがなかった。

 「たぶん、途中では俺達に一切手を出さないように、言われてるんだろうな」

 そんな和泉の心を読んでいるかのように、トゥルファンが煙草に火を点けながら言った。

 「どうせいつもの大広間で、いつもみたいに玉座にふんぞり返ってるんだろうさ。ひとつ、行ってやりますかね」

 肩をすくめ、ロズウェルが先に立って歩いて行く。それについて一緒に歩いて行くと、やがて和泉には見覚えのある大きな扉の前に出た。兄妹の玉座の設置してある、あの大広間へと通じる扉だった。

 「さてと、開けますか」

 後ろの三人に軽く目配せし、大して躊躇もせずにロズウェルは扉を開いた。その入口から真っ正面の玉座まで、まっすぐに赤い絨毯が敷かれていた。

 「大した歓迎ぶりだな…」

 トゥルファンが苦笑いした。その絨毯の向こうにある玉座に、あのアデレードが高飛車な笑顔で、悠然と座っているのが見えた。

 「案の定、ここまで乗り込んできたわね」

 いくらか愉快そうにアデレードが言って、ゆっくりと立ち上がる。和泉達は黙ったまま、静かに赤絨毯の道へと足を踏み入れて行った。集められて控えていた周囲の兵士達に緊張が疾るのが感じられたが、まだ手を出さないよう言われているらしく誰も動かなかった。

 ロゼッタがアデレードを見て、思わず指をさして叫んだ。

 「お前か?アデレードってバカ皇女は」

 「きさまっ!私の妹に向かって…」

 それに対してアデレードが何か言うより先に、隣のアゼルバイジャンの方が気色ばんでガタッと立ち上がった。

 …あ、いたんだ。

 ロゼッタも和泉達も、そこで初めて皇帝の存在を認識した。最初からアデレードの隣に座っていたはずなのだが、どうしてもその存在を見落としてしまう。それにしても、この反応はやはり、かなり重症のシスターコンプレックスのようだ。

 「いいのよ、兄さま。私もその人に話があるから」

 アデレードは落着き払って兄をなだめ、ロゼッタの方に視線を向けた。

 「おっしゃる通り、私がアデレードよ。お初にお目にかかるわね」

 「お初にお目にかかる相手を、倉庫に閉じ込めて爆破する習慣があるのか?この国は」

 まっすぐアデレードを睨み付け、皮肉を込めてロゼッタが言い放った。アデレードは軽く笑った。

 「そう、それが不思議なのよね。どうして助かったの?」

 「日頃の素行がいいからね…」

 と言いかけて、隣でちょっと笑い声をたてた和泉を軽く睨みつけてから、ロゼッタは正面に視線を戻した。

 「とにかく運が良かったんだ。まさか会ったこともない奴に、理由もなく殺されかけるとは思ってなかったよ!」

 「素直に質問に答えなかったのが悪いんじゃない。理由だって、つけられないことはないのよ。皇宮敷地内無断侵入とかね」

 アデレードの表情はあくまで平然としている。

 「あ、そう。よその国の王女の拉致は、許されるわけ?」

 「ええ、私なら特別に、ね」

 「…あのねぇっ!」

 まともに理屈が通じず、いい加減にいらいらしてきたロゼッタだったが、その間をわって入るようにアゼルバイジャンが止めた。

 「アディ、そこまでにしておくんだな。言い合っていても何も始まらない」

 「おっしゃる通りですね」

 ロズウェルが言い、前の方に進み出た。

 「では、我々が何用でここまで来たか、お分かりですか?」

 「おおかたの話は、聞いている」

 物静かに、アゼルバイジャンは答えた。

 「しかし、お前達の話を素直に聞き入れてはつまらなくなる、とアデレードが言っていてな。現在のところ、国民から不満の声が上がっている様子もないようだし、問題があるとは思わないがな」

 「待てよ!妹の一言で国を動かしてるのか!?あんたは」

 「国民から文句が出ないのは、めちゃくちゃな政治におびやかされて、意見が出せない状態にされてるからだろう!」

 和泉とトゥルファンが続けて言い放ったが、アゼルバイジャンに動揺する気配はない。

 「何とでも言うんだな。私にとっては、お前たちなどただの反逆者、抵抗者に過ぎない。全員、追放だな」

 「だめよ兄さま!」

 アデレードがアゼルバイジャンの袖を掴んだ。

 「レグルス王国から来た二人は、もともとよそ者なんだから追放しても意味ないでしょ。それに、どっちも私を馬鹿にしたりして生意気な態度だったわ。気に入らないから、何かもっとひどい目に遭わせてよ!」

 「それもそうだな…。じゃあ死刑だ」

 「ちょっと待て!!」

 思わず、和泉とロゼッタが声をそろえた。

 「妹の一存で人の生命を動かすなよ!」

 「このシスコンが!!」

 口々に悪態をついたが、相変わらずアゼルバイジャンはそ知らぬ表情だった。

 「今一度、国のあり方を考えて頂きたいのです」

 雨傘を握り直し、静かにロズウェルが言った。

 「アルデバラン帝国は、現在非常に不安定な状態になっています。無茶な政策や税率が国民を圧迫しています。また、いかに皇女様の望みとはいえ、他国の王女の拉致は非常識です。ましてやそれを抹殺しようとするのは…。このままではいつの日にか、国民の不安や不満も限界を超える時が来ましょう」

 「ずいぶんと、立派なことを言うのね」

 アデレードが横から口をはさんだ。

 「でもそれは、勝手に美人に育ったレグルスの王女の方が、悪いんでしょ?私より綺麗な女は、存在して欲しくないもの」

 どうやら、全く話が通じていないらしい。ロズウェルは呆れたように、溜め息をついた。

 「全くもって、その通りだ」

 妹の言葉に、愚かなる皇帝はうなずいた。

 「アデレードを上回る美女だという本物のロレーヌ王女を、何としてでも見つけ出し、消さなければならない。だが、その前に」

 と、アゼルバイジャンは一度言葉を切り、両手をぽんと叩いた。すると、横の通用口のような扉が開き、そこから兵士が一人、新たに現れた。身長が二メートル近くあるかというような大柄な男で、細身の長剣を手にしていた。

 「ラパス、汚名返上のチャンスをやろう」

 「…ありがとうございます」

 ラパスと呼ばれたその兵士が、控えめな声で返事をした。

 「?」

 その声に、和泉は聞き覚えがあった。しかしよく思い出せないし、顔の方は記憶にはなかった。

 …どこかで、聞いたような声なんだけど…。

 「元気そうだな。まんまと騙されたよ」

 物静かな声で、兵士が和泉の目を見た。その瞬間、和泉はびくりとした。ようやく、どこで聞いた声なのか思い出したのだ。昨夜は、分厚い鉄の扉を隔てていたので、顔を見る機会はなかった。しかし、この声は…。

 「あんた昨日…私が捕まった時の番兵さんか!」

 思わず声をあげて、前方へと飛び出した。間違いなく、昨夜捕まって投獄された際に、扉越しに世間話をした相手の声だった。ラパスは寂しげに微笑み、静かにうなずいた。

 「ずいぶんとうまく、あそこから逃げ出したな」

 「うん…。そこの奴が、助けに来てくれてね」

 和泉が答え、後ろにいるロゼッタを手で示した。

 「そうか、それは何よりだ。だがな…」

 ラパスは言いかけ、一度言葉を切った。その瞳に憂いの色が浮かんだのが見えた。

 「番兵をやってた俺が、囚人を取り逃がした責任をかぶることになってな…死刑の判決を受けたんだ」

 「…えっ?」

 和泉はもちろん、少し後方で黙って話を聞いていたロゼッタ達も、びっくりして耳を疑った。…それしきのことで、死刑!?

 「気配に気付けなかった俺も、バカだったんだ」

 ラパスは無表情な声で、話を続けた。

 「思い返してみれば、不審な物音がしたり、あんたの態度が不自然な感じもしたしな。きちんと確認するのをサボった俺が、確かに悪い」

 「そんな…バカな!」

 あまりの理不尽さに、和泉は怒ることも出来ずに茫然としていた。そんな和泉を静かに見ながら、ラパスがゆっくりした足取りでこちらに歩み寄って来ていた。

 「ただひとつだけ、ある条件を満たせば、刑が免除されるって話でな。その条件は…俺自身の手で、脱走した当のあんたを殺すことなんだ!」

 和泉の目の前まで来ると、突然声を大きくし、ラパスは手にした長剣を高々と振り上げた。しかし、そのすぐ目の前に立っている和泉は、まだ茫然としていて反応できない状態だった。

 「…!」

 ロゼッタが咄嗟に肩のホルスターから拳銃を抜き、ラパスの方に向けて引金を引いた。

 ぱきんっ!

 響き渡る銃声とともに、弾丸は振り上げられた長剣の刃に命中し、折れた刃が弾け飛んで絨毯に転がり落ちた。同時に、柄の部分を握りしめたラパスの手が斜めに切り払うように振り下ろされ、和泉の頭上で空を切った。

 「おい、何やってるんだよ!死ぬぞ!!」

 ロゼッタが和泉の傍に駆け寄り、肩を乱暴に揺さぶった。しかし、和泉は茫然とラパスを見つめたままだった。

 「私が…私が逃げたせいで、あの人が殺される…!」

 「バカ!そう思わせて動揺させるのが、あの皇帝の腹なんじゃないか!」

 言い合っている間に、ラパスは刃の折れた剣を投げ捨て、通用口の方から新たな長剣を持ち出していた。

 「俺は、あんたを殺したくはない」

 鞘を外して床に投げ捨て、再びゆっくりこちらに歩み寄ってきながら、静かに語りかけてくる。

 「だが、俺には細腕の女房と、立って歩けるようになったばかりの息子がいる。あいつらを残して先に逝くわけには…どうしてもいかないんだ」

 「おかしいよ!そんなの…」

 和泉がようやく叫んだ。

 「あんた昨日言ってたよね?本当の平和は何なのかって。家族を盾にとって、誘拐したよその国の人間を殺すように命令してくるのは、あんたの考える平和な国なのか!?」

 「あんたはまだ若いから、分からんだろうがな」

 ラパスは再び、寂しげに笑った。

 「悪い法律だって、やっぱり法律には違いないんだよ。俺は若い時分からこの国で、この皇宮で、番兵として働いてきた。皇帝陛下が替わろうとも、その命令に従うだけだ」

 …違う!そんなの…。

 様々な混乱した思いが、和泉の頭の中を駆け巡った。どうして、明らかに間違っていると分かっている命令に、素直に従っているんだろう。トゥルファンやロズウェルのような行動を選択することは、出来なかったのだろうか…。

 しかしそうしている間にも、長剣を握り締めたラパスは確実に和泉との距離を縮めている。ロゼッタが後ろからその肩に手を置き、話しかけた。

 「和泉。あの人を説得するのは諦めろ!おとなしく斬られるつもりか?」

 「でも…だって…!」

 平常心を取り戻せない和泉に、ロゼッタは強い調子で言葉を続ける。

 「このままじゃ、バカ兄妹の思う壷じゃないか。しっかりしろよ!」

 そう言うと、腰のホルスターから拳銃を抜き出し、和泉の手に握らせた。

 「自分で何とかするんだ。この状況を」

 「えっ。無理だよ!私じゃ…」

 びくりとして、和泉は手を引っ込めようとしたが、ロゼッタはその手を強く握り締めて離さなかった。

 「あの人の狙いは、お前ただひとりなんだよ」

 まっすぐに和泉の目を見たまま、教え込むような口調で言う。

 「早い話が、決闘を申し込まれてると思えばいいんだ。相手がお前じゃなければ、きっと納得しない。あの人は結局、処刑されることになるよ」

 「でも…それじゃ、あっちは剣なのに、私が銃って…」

 「バカだな!プロの兵隊相手に、対等の条件でかなうと思ってるのか!?」

 ためらいながら言いかける和泉の言葉を、ロゼッタが強く遮った。

 「スポーツの試合じゃないんだよ。確実に生き残る方法を使うんだ」

 しかし、それでも和泉には決心が付かないようだった。困惑した表情のまま、ラパスとロゼッタの顔を交互に見ている。ロゼッタは溜め息をつき、もう一度口を開いた。

 「お前がどうしても無理なら、俺がやるよ」

 和泉の手から拳銃を取り返すと、シリンダーを開いて、六つ全ての弾倉に弾丸が込められていることを確認した。シリンダーを勢いよく回転させながらぱちんと閉じると、ロゼッタはその視線をラパスの方へ向けた。

 「悪いけど、俺に迷いはないからね。人を殺そうと思うなら、自分自身も殺されるリスクがあることは分かってるはずだし」

 「…だめだっ!」

 和泉が叫んで、ロゼッタの腕を強く掴んだ。

 まだ戸惑いの様子が残るものの、その目に先ほどとは違う何かが見えた。

 ロゼッタは黙ったまま、もう一度和泉の手に拳銃を握らせた。銃身にかすかな青みがかかった黒光りするリボルバーが、和泉の手に意外なほどずしりと重く感じられた。

 「ここの先端と、こっちの溝が重なった先に、狙いを定めるんだ」

 照星と照門を示し、ロゼッタが手短な説明を始める。

 「眉間に狙いがつけられれば、確実に倒せるんだけど…。たぶん難しいから身体の真ん中を狙うといい。出来れば気持ち程度に、右側に寄せて」

 心臓を狙うように指示していることは、和泉にも理解できた。

 「こいつはちょっと大きめの弾を使っているから、威力はあるけど反動がすごいんだ。両手でしっかり支えて持たないと、上に跳ね上がるぞ」

 既に目の前にラパスが来ていても良い頃合いだったが、彼はまだだいぶ前方をこちらに向かって歩いていた。和泉達に、故意に時間を与えているかのように見えた。

 「あの長い刃が、こっちに届く間合いになる直前に引金を引くんだ。引き付ければその分、当たる確率が上がる。ただし間合いに入られたら、死ぬのはお前だぞ」

 「…わかった。やってみるよ」

 ゆっくりと迫り来るラパスを見つめながら、覚悟を決めて和泉は深くうなずいた。

 ロズウェルとトゥルファンは何も言わず、ただ黙ってその成り行きを見つめている。

 慣れない手つきで拳銃を握り締めたまま、和泉が一歩前へ踏み出した。その背後から、ロゼッタがもう一度声をかけた。

 「いいか?俺達は仕事で、ビジネスでここに来てるんだ。生き延びて、無事に帰るまでが仕事だからな。それはあっちもお前も同じなんだ。そのことを忘れるなよ!」

 和泉は黙ったままもう一度うなずき、正面に視線を向けた。

 「話は終わったみたいだな」

 長剣を構えて歩み寄ってきながら、ラパスが声をかけてきた。

 「俺とあんたと、両方が生きてこの部屋から出ることは…ないんだ!!」

 自分自身に言い聞かせるように叫ぶと、長剣を振り上げ、迷いを断ち切るかのように一気に和泉の方に向かって来た。

 「…!」

 和泉はそちらに銃口を向けた。…しかし引金を引こうとした瞬間、先ほどのラパスの悲しげな瞳が脳裏にちらついた。

 …ダメだ、やっぱり撃てない!

 和泉は激しく頭を振った。ラパスは既に目の前に来ていて、勢いを付けて長剣で切り込んでくる。和泉は咄嗟に身をかがめ、床に片手をついて後方に飛び退いた。

 「和泉!」

 ロゼッタの呼びかける声が響き渡った。バランスを崩して尻もちをついた和泉が、唇を噛んでラパスを見上げる。左の頬に焼け付くような痛みを感じた。まともに斬られるのは辛うじて避けられたが、大きく横に薙ぎ払った長剣の切っ先が、頬をかすっていたのだった。ある程度の深さのある傷らしく、流れ落ちる血が和泉の服に、そして同じ色をした絨毯の上に落ちていった。

 何故か追い討ちをかけようとはせず、ラパスは和泉の血が付着した長剣を握り締めたまま、こちらを振り返った。

 「ちょっと、何してるのよ!チャンスでしょ?」

 もどかしそうにアデレードが声を上げている。

 和泉ははっとして、急いで立ち上がった。ラパスが振り向いた体勢のまま、黙ってじっとこちらを見ている。その視線が、互いにぶつかった。

 「…!」

 その目を見て、思わず和泉の動きが止まった。その目を何と言い表したらよいのか、分からなかった。何かを悟ったような、何か意志を秘めたような、静かで強い瞳。無言のまま、何かを語りかけてくるかのようだった。

 和泉は黙ったまま、ロゼッタに借りた拳銃を握り直した。何か熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、鼻の方に抜けていくような、妙な感覚を覚えた。しかし、強く頭を振ってそれを振りきり、和泉はじっと目の前のラパスを見返した。

 次の瞬間、無言のまま、ラパスは再びこちらに向かって飛び出して来ていた。

 和泉も、無言のままそちらに銃口を向けた。ロゼッタに教わった通りにして照準を合わせ、照門の隙間からラパスを見据える。銃身の陽炎よけの上を伝って、ラパスが迫って来るような錯覚にとらわれた。

 しかしそれに惑わされることはなく、ラパスが間合いに入ってくるその瞬間に、今度こそ和泉は拳銃の引金を引いた。

 ぱぁぁ…ん!

 大きな銃声が、広間いっぱいに響き渡る。強い反動で、拳銃を持った和泉の両手は真上に跳ね上がった。…そして弾丸は狙い通り、ラパスの心臓部に命中していた。

 その瞬間、確かに和泉は、ラパスと目が合った。

 彼の握り締めていた長剣が、音もなく真紅の絨毯に落ちてゆく。身体を前のめりに折り曲げたまま、衝撃波を受けたかのように後方に二、三歩よろけ、ラパスはゆっくりと仰向けに倒れていった。

 水を打ったかのような沈黙が、広間を支配した。

 もはや言葉を発することのないその身体を、和泉は虚ろな目でじっと見下ろしていた。やがて、激しい不快感と憤りが一挙にその身体の中を支配していった。

 「あぁぁぁ―――っ!!!」

 感情に任せ、和泉は力一杯絶叫した。

 顔を上げてアデレードとアゼルバイジャンをキッと睨み付け、握り締めたままだった銃の銃口を二人に向けた。

 「ちょっと!何を…」

 アデレードが何か言いかけるのも構わず、問答無用で立て続けに引金を引いた。凄まじい銃声が連続して、轟音のように広間を響き渡ってゆく。

 反動が激しい上に距離があることもあり、弾丸は皇帝兄妹には命中しなかった。しかし、激しい音とともに、背後の壁や玉座などの至近距離に当たってゆく弾丸は、兄妹の恐怖感を煽るのには充分だった。

 「よ、よせ!やめるんだっ…!」

 おびえてかすれるようなアゼルバイジャンの声も、銃声にかき消されている。

 残り五発の弾丸を撃ち尽くし、カチッカチッと空のシリンダーの音が鳴ってもなお、和泉は引金を引き続けた。

 「和泉、もうよせ!」

 ロゼッタが飛び出してきて、震える和泉の肩を掴んだ。

 「あんな連中…殺す価値もないよ」

 弾の切れた拳銃を下ろし、和泉は力なくロゼッタの方を振り返った。大きく見開いたその瞳から、大粒の涙がとめどなくあふれ出していた。

 「何で…、何でこんな…。おかしいよっ!何かが…絶対に!!」

 崩れるように絨毯に両膝をつき、大声で和泉は泣き叫んだ。怒りと悲しみと、やりきれない気持ちが心を支配し、制御することが出来なくて、ただひたすら号泣した。傍のロゼッタも何と言えばよいのか分からず、じっと黙ってその背中に視線を落としていた。

 しかしその時。突然、居並ぶ皇宮兵士の中から一人が飛び出した。おそらくは自己判断で、皇帝を危険から回避させようと思ったのだろう、手にした槍に力を込めて、和泉とロゼッタめがけて突いてきた。

 「!」

 ロゼッタがいち早く殺気立った気配に気付いたが、攻撃はほぼ真後ろからだった。咄嗟に懐に手を入れるのが関の山で、拳銃を抜くことまでは出来なかった。かと言ってひとりで攻撃を避けると、そばでうずくまる和泉に槍が突き刺さることになる。

 一瞬の躊躇が、回避をも遅らせた。和泉の襟首を掴んで横に逃げようとしたが間に合わず、突き出された穂先はロゼッタの左腕を直撃した。

 「…ぅあっ!」

 呻くような低い悲鳴を上げ、腕を押さえたロゼッタが崩れるように絨毯に倒れこんだ。黒い革ジャケットの上腕部から、みるみる血が溢れ出していった。

 「ロゼッタ!?」

 すぐに状況に対応できず、振り向いた和泉が動転して声をあげる。兵士はロゼッタの方にもう一突きをしようと、槍を握り直した…しかし。

 倒れたまま、ロゼッタが必死に右手を懐に入れ、抜き出した拳銃を兵士に向けて引金を引いていた。そしてそれと同時に、事態に気付いて飛び出したトゥルファンが、抜き出した一太刀を兵士の背中に浴びせていた。

 「…!」

 眉間に、背中に、それぞれの一撃を受けた兵士は、一言も発さずに床にくずれ落ちた。ロゼッタはそれを見ると視線でトゥルファンに感謝の意を示し、力尽きたように拳銃を握る右手を床に落とした。

 「ロゼッタ!しっかりしてよ、ロゼッタ!!」

 「ん、大丈夫…!」

 必死に呼びかける和泉の声に、歯を食いしばりながらもロゼッタが応える。しかし、その左腕には痺れるような激痛が疾り、なおも出血しながら心臓そのもののように脈打っていた。和泉は着ていた服のベルト状の飾り紐を外し、ロゼッタの上腕部を強く縛りつけて止血しようとした。

 「うっ!…ごめん、和泉…」

 「それはこっちのセリフだよ!」

 かすれた声で話しかけてくるロゼッタに、和泉は再び泣き出しそうな大声を出した。

 「お前ら、いい加減に気付かないのか!?」

 刀を握りしめたまま、トゥルファンが広間を見渡して大声で叫んだ。

 「ここまで腐りきったこの国に、守る価値がどこにあるんだ!頭の狂った皇帝兄妹の命令をクソ真面目に聞いていたところで…」

 一度言葉を切り、和泉に射殺されたラパスの死体を刀で指し示す。

 「こうなるだけなのがまだ分からないのか!?」

 静まり返っていた広間に、戸惑いのざわめきが広がっていった。

 トゥルファンの言葉通り、それまで忠実に命令に従っていたラパスが、たった一度の失敗で死刑宣告を受けた。アデレードの性格から言っても、今後も無茶なわがままを押し通そうとするに違いない。そして、どうせそれを黙認するアゼルバイジャン…。果たしてこの国で、この皇帝の下で働き続けることが本当に得策なのかどうか、兵士たちも疑問を感じてきている様子だった。どうかすれば、そこに倒れているラパスは、明日の我が身…。そんな思いが現実感となって、兵士たちの意識を支配しつつあった。

 「そんなたわ言に耳を貸すことないわよ!もういいから、早いところみんなやっつけちゃって!!」

 アデレードがいらいらしたように大声で命令したが、動揺した空気の中、兵士たちに積極的に動こうとする気配は感じられなかった。

 「…トゥルファン殿のおっしゃる通りですな」

 突然、静かな声が広間に響いた。声のする方に目を向けると、先ほどラパスが入ってきた通用口から、一人の人間が入って来た。皇宮兵士のように武装しているわけではなく、文官のような服装の中年の男性だった。皇宮の役人のひとりのように見えた。

 「そのような筋の通らない命令を繰り返されては、国民はもとより、傍で仕える者たちの心まで離れてゆくばかり。もはや、この国は崩壊寸前の状態まで踏み込んでおります」

 「…ブルターニュ、お前もか!」

 役人を睨み付けて、いまいましげにアゼルバイジャンが言う。ブルターニュと呼ばれたその男は、静かに一同を見渡した。

 「先代のアストラハン皇帝陛下の治世と比較すれば、現在がどれだけ荒廃したかは一目瞭然でしょう。もはや平和主義とは名ばかりで、恐怖政治と言い切っても、過言ではありますまい」

 ブルターニュの言葉に、兵士たちが何人か無言でうなずくのが見て取れた。一種のカリスマ性のようなものを持っているのか、その場の一切が静まり返り、全員が黙ってその言葉に耳を傾けている。

 「それを見て見ぬふりを続けてきた、宰相であるわたくしにも責任がございます。しかし、それももはや限界…」

 一度言葉を切り、和泉とロゼッタの二人の方を見やった。

 「何の非もない他国の若者を拉致し、危害を加える。このような行為は、もはや一国の主君である以前に、人間性が疑われるものでありましょう。そして今、このように皇帝直属の兵士や他国の民までもが、信念に基づいた勇気ある行動を取りました。遅ればせながらわたくしも、それを見習おうと考えました次第です」

 そう言うとブルターニュは、アゼルバイジャンの方へ視線を戻した。

 「今日この日より、アゼルバイジャン殿の皇帝の役職を、罷免させて頂きます」

 「何だと…!?」

 アゼルバイジャンが絶句して身を乗り出す。その場にいる他の面々にも、驚愕と狼狽の気配が広がってゆくのが分かった。ブルターニュは視線をまっすぐ正面に向けたまま、言葉を続ける。

 「現在、会議室ではわたくしの指示により、既に帝国を廃する方向で、書類の作成が始まっております。本日中に、国民にも正式発表を致します」

 「そんな横暴、通ると思ってるわけ!?バカな真似はよしなさいよ!」

 慌てたように、アデレードが叫び声を上げる。

 「横暴なら、自分がこれまでさんざん通してきたんじゃないのか?」

 ロズウェルが、それと対照的に静かな口調で後ろから声をかける。アデレードは悔しげに、キッとそちらを睨み付けた。

 「何よ!あんたたちもブルターニュも、兄様の任命で今の地位にいるんじゃない!その恩を忘れて、何てデカい態度なの?」

 アゼルバイジャンの方は、もはやショックで言葉を失い、茫然としていた。半ばヒステリー気味に、アデレードだけが喚き声を上げ続ける。

 「冗談じゃないわ!ふざけないで!私はそんなの絶対にイヤよ!!」

 いくらか錯乱したような様相を呈しはじめたアデレードに、ブルターニュは黙ったまま、居並ぶ皇宮兵士に目配せをした。

 何もかも理解した兵士は、大きくうなずくと、アデレードの方へ歩み寄ってその腕を掴んだ。隣のアゼルバイジャンも、同様に両腕を取られている。

 「何するのよ!ちょっと、やめなさいよ無礼者!!」

 見苦しく暴れながら、アデレードは玉座から引きずり下ろされ、兄と共に後ろの戸口から連れ出されていった。

 「…やったぞ!革命成立だ!!」

 ロズウェルが傘を振り上げ、力いっぱい叫んだ。トゥルファンも安堵の表情で、握り締めたままだった日本刀を、腰の鞘に納める。周囲の兵士たちの間からも、一斉に歓喜のどよめきが聞こえてきた。

 「大丈夫でしたか?すぐに、手当てを致します」

 ブルターニュが和泉とロゼッタの方へ歩みよってきて、声をかけてきた。

 「あ…ありがとうございます…つっ…!」

 ロゼッタが身を起こそうとして、苦痛に表情を歪めた。和泉が慌てて右肩を支える。

 「無理するなよ!血を止めただけなんだから」

 「このようなことになって、本当に申し訳ありません」

 絨毯に膝をつき、ブルターニュは深々と頭を下げた。

 「宰相であるこのわたくしが、もっと早く陛下に諫言していれば、こんなことにはならなかったのでしょうが…」

 「いや、あなた一人の言葉に、あの兄妹が耳を傾けたとは思えませんよ。時期を見計らっていたその行動は、正しかったんじゃないですか?」

和泉が言葉を返す。トゥルファンとロズウェルが駆け寄って来た。

 「おい、無事なのか!?」

 「死にやしませんよ。それよりついに、やりましたね」

 弱々しくも笑顔でロゼッタが答える。ブルターニュが声をかけた。

 「おかげさまで、目を醒まさせて頂きましたよ。皆さん本当に、勇気ある行動でしたね」

 「あんたもね。書類での正式な手続きは、俺達じゃ出来ないからね」

 ロズウェルが言って、ブルターニュの方へ手を差し出した。目的を同じにしていた文官と武官が、互いに手を握り合った。

 暗い夜のとばりの中におかれていたアルデバラン帝国に、ようやく夜明けの光が差し込んだ、その瞬間だった。


 「それでは、わずかな間でしたが、本当にお世話になりました」

 皇宮の正門の前で、和泉とロゼッタが深々と頭を下げた。

 「ああ。その怪我、早く治るといいな」

トゥルファンが答え、ふたりに交互に目をやる。ロゼッタは左腕に白い包帯を巻かれ、上着の袖を通さずに下におろしていた。現時点では動かすことは出来なかったが、幸いにして神経や筋への損傷はなく、一ヵ月程度で完治するだろうとの診断だった。また和泉の頬の傷も、出血量の割には浅めと呼べるものであり、大きな絆創膏を貼ってもらう程度で済んでいた。

 「傷、顔に残らないで良かったな」

 「ええ、ご心配ありがとうございます」

 ロズウェルがにこやかに声をかけると、和泉もにこやかにうなずいた。

 「あなたがたの意志とは関係なしに、この国にお越し頂く結果になってしまったことは、改めてお詫びさせて頂きます」

 ブルターニュが丁寧に頭を下げた。

 「今はまだゴタゴタしておりますが、一段落がつき次第、正式にレグルス王国に、お詫びとご挨拶をさせて頂く予定でおりますので」

 「ご丁寧に、ありがとうございます」

 ロゼッタも和泉も、同様に丁寧な一礼を返す。

 「ラパスには、本当に気の毒なことをしました」

 ブルターニュが残念そうに言う。その名を聞くと、和泉はいくらか辛そうな表情になって、目を伏せた。

 「彼の処分に関しては、何とか寛大な措置を取り計らってもらえるよう、わたくしも頼み込んだのですが…。結局、聞き入れてはもらえませんでした」

 「あの人…私に、殺してくれって、訴えてきました」

 うつむいたまま、和泉がぽつりと言った。

 「はっきりそう言われた訳じゃないんだけど、何度か目が合って…。その目が、そう言っていたような気がして…うまく言えないんですけど」

 「あいつの家は、代々あの皇室に仕えてきたんだよ」

 横から、トゥルファンが言葉をはさんできた。

 「特にあいつの親父さんが、前皇帝にずいぶんといろいろ世話になったらしくてな。親子ともども一生、皇室に忠義を捧げることを誓っていたはずだ。最後まで、国を守り続けようとしたわけだな」

 「なるほどね…。じゃああの皇帝にではなく、アルデバラン帝国そのものに殉じたわけなんですね」

 ロゼッタが納得したようにうなずいた。

 「信奉した自分の国が思ってもみなかった方向に向かって、ずいぶん苦しんで、苦渋の上でああいう道を選んだんだろうね」

 静かなロズウェルの言葉を聞きながら、和泉は独房で交わしたラパスとの会話を思い出していた。

 彼こそ本気で、この国の将来を憂いていたんだな、と改めて思った。いつの日か無事に日本に帰れたとして、彼と同じような立場に立つことがあったとしたら、果たして自分に同じ行動がとれるだろうか?自問して、それに即答できない自分に気付き、和泉はやや自嘲気味に微笑んだ。

 「残された彼の家族については、出来うる限りの保障を検討しようと思っております。彼へのせめてもの、餞になるでしょう」

 胸に手を当て、静かにブルターニュが言葉を締めくくった。

 「そう言えば、あの元皇帝兄妹は、どう処分するつもりなんですか?」

 ロゼッタが素朴な疑問を口にした。革命が起きれば、大抵のそれまでの権力者たちは処刑されるのが一般的のはずだった。しかしアゼルバイジャンはともかく、あの高飛車なアデレードがあっさり処刑されるイメージが、どうも涌いてこないのだった。その問いに、またもブルターニュが口を開いた。

 「その点に関しましては、まだ我々の一存では決めかねる問題でありましょうな。死刑宣告が一般的ですが、わたくしと致しましてはあっさり殺すよりは、故意に生かして庶民の苦労を味わって頂くのも一興と考えている次第でして」

 「…」

 意外と、サディスティックな一面もあるようだ。

 「結局、余裕を見せたつもりであの皇女が作った手紙が、自分自身の立場を追う結果になったわけね」

 全ての発端を思い返してみて和泉がそう言うと、ロゼッタが隣で小さく肩をすくめた。

 「まったくだよ。黙ってやってれば、うまくいったかも知れないのにね」

 ブルターニュが周囲を見回しながら言った。

 「では、この国の明日のためにも、ぼんやりしている暇はありません。今後の展望を見据えるため、トゥルファン殿とロズウェル殿にも話し合いに参加して頂きたいと考えているのですが」

 「俺達が何かの役に立つんなら、是非」

 話しながらこちらに視線を向けてきたブルターニュに対し、ロズウェルは笑ってうなずいた。

 「中にはまだ、あのバカ皇帝側の考え方の奴もいるだろうからな。掃蕩役が必要になるかも知れないしな」

 刀の柄に手をかけ、冗談めいた口調でトゥルファンが言った。一同がひとしきり笑うと、和泉が声をかけた。

 「では、新政府設立のニュースを拝聴する時を、レグルスで楽しみに待っていますよ」

 「ああ、そうだね。またいつか、会える日を楽しみに」

 最後の挨拶を交わすと、後は振り向かずに、和泉とロゼッタは様々な思い出が残ったこの宮殿に背を向けた。


 「ええ、はい…。何とか、二人とも無事です。じゃあこれから帰還しますんで。また後ほど」

 レグルス王国にいるバーゼルに手短な報告を済ませると、和泉は通話を終了して、携帯電話をポケットにしまいこんだ。

 「さて…と、これで全部終わったな。お疲れさん、ロゼッタ」

 歩きながら大きく伸びをして、ロゼッタに声をかける。

 「ああ。何とか両方、生きて出て来られたな」

 ロゼッタは答えながら、不器用な手付きで内ポケットから煙草を取り出した。中身を抜き出して咥えようとするが、右手だけではなかなかうまくいかない。四苦八苦しているうちに、しまいには箱ごと地面に取り落としてしまった。

 「おいおい、無理するなって」

 和泉がちょっと笑ってそれを拾い上げる。最後の一本だった中身をロゼッタに咥えさせてやると、空っぽになった紙製の黄色いケースをくしゃりと握り潰した。ロゼッタは苦笑しながら、軽く右手を上げて感謝の意を示し、取り出したオイルライターでその煙草に火を点けた。

 「腕、けっこう痛む?」

 「う~ん、やられた時に比べれば、いくらかマシにはなったけどね」

 心配そうに尋ねる和泉に、包帯を巻いた腕を見やりながらロゼッタが答える。

 「でも、あの槍がもう少し真ん中にそれてたら、心臓一突きだったわけだし。そう考えればまだ良かった方なんじゃない?」

 「…やめてくれない?そういう冗談」

 他人事のように言うロゼッタに、和泉はふてくされたように頬を膨らませた。

 「あ、そういえばロゼッタって、左利きじゃなかったっけ?」

 ふと思い出したように、和泉がロゼッタの顔を見た。

 「一番最後に兵士撃った時、左手やられてて、右で撃ってたよね」

 「ああ、左だよ。基本はね」

 ふーっと白煙を吐きながら、ロゼッタは答えた。

 「食事とか、何か書いたりとかはぜんぶ左。でも撃つのだけは、どっちも同じように出来るんだ」

 そう言うと煙草を咥えたまま右手を懐に入れ、肩のホルスターからオートマチックの拳銃を抜き出した。まるでそちらが利き手であるかのようにくるくると手の中で銃を回転させると、ぴたりと和泉の方に銃口を向けて悪戯っぽく笑った。

 「俺が生きてくのには、これしかないからね。ちょっと利き手を怪我したくらいで殺されたんじゃ、死にきれそうにないからさ」

 「…なるほどね」

 ようやく納得して、和泉は肩をすくめる。

 「私は今回が初めてだよ、人を撃ったのは」

 「…初めて人を殺すには、ちょっと気の重い相手だったな」

 また表情を曇らせた和泉に対し、前を向いたまま、拳銃をしまいこみながらロゼッタが相槌を打った。ラパスの性格がもっと悪くて、死んで当然のクズ野郎だったりすれば、まだいくらか気が楽だったかも知れなかったのだが。

 「でも、あそこで逃げたらかえって礼を欠くことになるからね」

 「…分かってるよ。そんなことは」

 そんな話をしながら皇宮、いや元皇宮から少し離れたところまで歩くと、路肩に寄せるようにして 黒い旧型のスポーツセダンが駐車してあった。ロゼッタがレグルス王国から乗ってきて、そこに止めておいたものだった。

 「和泉、車の運転できたっけ?」

 ロゼッタが自動車のキーを取り出し、和泉の顔を見た。

 「ん、まあ…一応」

 和泉はあいまいに答える。日本にいた頃に運転免許を取得してはいたが、バイト代を貯めてせっかく購入した自動車にも大して乗らないまま、こちらの世界にやってきたのだ。そしてそれ以来ずっと運転する機会はなかったので、ほとんどペーパードライバーのようなものだった。

 「じゃ、レグルスまで頼むわ。俺はちょっとキツイんで」

 しかしその返事を聞くとロゼッタは、キーを和泉に投げ渡し、助手席側に回りこんでしまった。確かに、片腕を負傷しているロゼッタにドライブを強いるのは、酷な話であると言えた。諦めた和泉は運転席の方のドアを開き、自動車に乗り込んだ。キーを差し込み、おそるおそるエンジンを始動させる。

 「カーナビに、うちの事務所が登録してあるから、言うこと聞きながら走れば着けるよ。高速使ってもいいし」

 「いや、高速道路は無理!運転、あんまり慣れてないんだよ」

 クラッチを切り、ギアをローに入れながら、必死に和泉が首を振る。

 「バカだなあ、高速の方が安全なのに。歩行者はいないし、道は広いし。交差点も信号も、急カーブもないんだぜ」

 至極もっともなことをロゼッタが言ったが、ほぼ初心者の和泉に必要なのは、むしろ心理的余裕だった。ゆっくりとアクセルを踏んでスタートしようとした矢先、クラッチをつなぎそこね、車はがくんと揺れながらエンストしてしまった。

 「…!ホントに大丈夫か?」

 「平気だよ!いったん走り出しさえすれば何とか…」

 慌ててギアを入れ直し、再びエンジンをかける。

 「…まあ、しばらく運転してれば慣れるだろうさ。高速使わないんなら、どっかで煙草の補充させてよ」

 「わかったよ。あーあ、あっちの世界で買った車で、もっと運転出来てればな…」

 ギアに手を置いて溜め息をつく和泉に、ロゼッタの呆れ返ったような視線が、遠慮なしに突き刺さってきた。

 「お前、またあっちの世界とか言うの?いい加減に…」

 と言いかけたが、ふと思い直したように言葉を切る。しばし黙っていたが、やがて吹き出すように軽く笑うと、ロゼッタは助手席の背もたれに身を沈め、和泉を見た。

 「日本…だったっけ?」

 和泉は、びっくりしたようにロゼッタの顔を見た。

 …ロゼッタが初めて、まともにこの話に乗ってくれた!

 「…うん!春には桜が咲いてね、その時期に…」

 ハンドルを握り、和泉が嬉しそうに話し出す。そして車は再び、レグルス王国を目指して走り出した。


 「まったく、何て言ったらいいのか分からないよ。ホントに」

 デスクに座ったバーゼルが、呆れたように溜め息をつく。その手にしている新聞の第一面には、大きな活字で、『アルデバラン帝国 崩壊』と書かれた見出しが出ていた。

 「僕の出した指示は、『ロレーヌ王女の替え玉になって不測の事態に備えること』と、『拉致された和泉くんを連れ戻すこと』だった気がするんだけどな。国をひとつ潰してこい、なんて言ったっけ?」

 「二人だけで国を潰したような言い方をしないで下さいよ!我々が直接手を下したわけでもないし…」

 いくらか不満気に言い返し、和泉がデスクに手をついた。

 高速道路にも乗らず、初心者ゆえにスピードも出せなかった和泉は、ロゼッタがアルデバランに向かった時の倍以上の時間をかけて夜通し車を走らせ続け、今朝方ようやくレグルスに帰還することが出来たのだった。そして既にその時には、朝刊を読んだバーゼルが大方の事態を把握していた次第だった。

 「余計なことには首を突っ込まないようにって言ったはずなのに、二人してケガまでしてきて…。これでも結構、心配してたんだよ」

 「まあ、ちゃんと帰ってきたってことで、大目に見て下さいよ。ああいう結果にならなかったら、今後も王女様が拉致される危険性があったわけですし」

 ロゼッタが苦笑しながら申し開きをする。

 「…まあ、それもそうなんだけどね」

 本気で怒るつもりはないらしく、バーゼルは新聞を机に放った。

 「それより、何なんですか?これは…」

 和泉が不思議そうにバーゼルの机とその周辺に目をやる。机の上から床の方にまで、大量の折鶴がバーゼルを埋め尽くそうとするかのように散乱していた。その数はゆうに千羽を超えているに違いない。

 「…あまり気にしなくていいよ、それは」

 バーゼルは和泉から目をそらし、軽く咳払いした。

 「いろいろあったみたいだけど、まあ二人とも、大きな仕事をよくやってくれたね。今後いい宣伝になりそうだし、国王陛下もだいぶ喜んで下さってたよ」

 「あ、そう言えば、お姫様は?」

 和泉がロレーヌの姿を探して、事務所の中を見まわす。

 「僕が王宮までお送りしておいたよ。和泉くんに電話連絡をもらって、もう危険はないと思ったからね」

 にっこりと笑って、バーゼルが答えた。ロゼッタが肩をすくめる。

 「なんだ…。話くらいしたかったのに」

 「御心配なく。君たちが帰って来たら、王宮まで連れて行くように言われてるんだ。いろいろ頑張ってくれたのに対して、きちんとお礼を言いたいみたいでね」

 「…ホントですか?」

 「それは光栄ですね」

 和泉とロゼッタは、嬉しそうに顔を見合わせた。

 「ただし、二人とも少し眠って、きちんと身体を休めること。それから、アルデバラン帝国で何があったのか、詳しく僕に報告してもらおうか。それが済んでから、一緒に王宮までご挨拶に出かけるからね」

 まるで母親のように、バーゼルが腰に手を当てて言い渡した。

 「いいんですか?むしろそうさせてもらえれば有り難いんですが。この二日ばかり、あんまり睡眠取れなかったんで」

 あくびをかみ殺すようにしながらロゼッタが答えると、和泉がその横顔を見た。

 「何だよ、帰り道で寝てれば良かったじゃん」

 「バカ言うなよ。あんな危なげな運転の横で、落着いて寝てられるか!」

 「む、言ったな!?どーせ私は…」

 ふてくされた和泉を見て、ロゼッタが笑い出す。

 …何だかどっちも元気みたいだし、このまま王宮に連れてくかな…。

 バーゼルはそんな二人の様子を見て、呆れたように溜め息をついた。


 「よくやってくれたな。君たちには本当に、世話になった」

 しっかりと睡眠休憩を取り、それぞれに報告書もまとめて提出したのち、和泉とロゼッタはバーゼルに連れられてレグルス王宮を訪ねた。国王ベオグラードは、言葉では表し切れない感謝の気持ちを、惜しみなく態度に出して迎えてくれた。バーゼルら一人ひとりの手を握りながら、丁寧に頭を下げてくる。

 「もったいないお言葉、感謝致します」

 バーゼルが丁寧に敬礼し、それに答えた。

 「あの手紙に、ひとつの国家が直接関わっていたのは予想外でした。当社の社員たちは私の期待に応えて、いやそれ以上に、頑張ってくれました」

 そう言いながら和泉とロゼッタの方に目をやり、穏やかに微笑む。

 「いや、我々は社長の指示に従ったまでですよ」

 ロゼッタが微笑して、控えめに言った。隣にいる和泉も異論はないらしく、黙ったままにこやかにうなずいた。

 「そのアルデバラン国から、こちらに一報が届いたのだ」

 ベオグラードが言いながら、小さな白い封筒を取り出した。

 「皇帝失脚の一件があってから、国名をアルデバラン共和国として、近々大統領選挙を行うとのことだ。一段落したら、我が国に詫びを兼ねた挨拶に…とある」

 内容からして、その手紙はブルターニュが記したものだろう。

 「じゃあもう、お姫様の拉致を計画する奴はいないんですね」

 和泉が息を弾ませて言った。ベオグラードは穏やかにうなずく。

 「その通り。君たちのおかげでな。娘のロレーヌも、ようやく安心して睡眠をとることが出来ると喜んでいたよ」

 すると、その言葉に合わせたわけではないのだろうが、後ろの扉が静かに開き、当のロレーヌが入って来た。

 「…!」

 和泉とロゼッタは、思わず息をのんで目を見張った。最初に出会った時の略装とは違い、ロレーヌは本格的にレグルス王女としての正装をしていた。華やかで品の良いドレスを身にまとい、薄化粧を施したその容姿に、すぐには言葉が出て来ない。

月並みな表現だが、まさに輝くような美しさで佇むその姿に、広間はぱっと明るくなったように思えた。

 …やっぱり、アデレード皇女なんかとは比較にもならないや!

 ぐっと両手を握り締め、和泉がひとりで納得するように大きくうなずいた。

 「このたびは、本当にお世話になりました」

 控えめな口調で言いながら、ロレーヌはかしこまって丁寧に頭を下げた。しかし、次の瞬間に顔を上げると、和泉の方に走り寄ってきてその手を握り締めた。

 「和泉さん!ロゼッタさんも…!良かった…ご無事で」

 和泉とロゼッタを交互に見やり、心から安堵したように微笑んだ。その表情は何の変哲もない、ごく普通の少女のものだった。

 「ただいま帰りましたよ。ずいぶん、ご心配をおかけしたみたいですね」

 しっかりと手を握り返し、和泉が笑顔で答えた。このお姫様のためなら、いろいろ苦労してきた甲斐があった…。温かい手の温もりを感じながら、心からそう思えた。

 しかしロレーヌは、和泉の頬とロゼッタの腕に目を止めると、いかにも心配そうに表情を曇らせた。

 「そのケガ…大丈夫ですか?あたしの代わりに負ったことになるんですよね」

 「ご心配なく。大したことはありませんよ。どちらも、後には残らないでじきに綺麗に治るそうですから」

 ロゼッタがゆっくり歩み寄ってきながら、その言葉に答える。

 「良かった…。傷が残るんなら、あたしも自分の顔をナイフで切るつもりだったから」

 笑顔でさらりとロレーヌが言うので、一瞬、和泉達は聞き逃しそうになった。

 「…!ご冗談を…」

 「冗談は言わないわ。あたしのせいでケガしたんだから、同じようにして責任とるのは、当然じゃない」

 ロレーヌの口調はまるで他人事のようだった。傍に控える王宮の役人が、慌てたように口を挟んできた。

 「ご身分の自覚をなさって下さい…。将来、他国との協定の際に不利になる場合があります!」

 「やあねえ。顔で国交や政略結婚の相手を選ぶ国と同盟結んでも、いいことなんかあるわけないでしょ?」

 その言葉からは、自分の端正な顔立ちへの自覚があるのかどうかすら分からなかった。そしてそれに対する、父親であるベオグラードの言葉も、娘と似たようなものだった。

 「それは、その通りだな。将来、他国と同盟を結ぶ必要性が出来たとしても…我が娘を社交界の飾り物にするようなことだけは、私も避けたいと思っている」

 …ああ、なるほど。この親があるから、この娘がいるわけね。

 ロゼッタが納得のいったように微笑した。あのアルデバラン帝国の兄妹とは、根本的に考え方が異なっているようだ。

 「ともかく、君たちのおかげで、国の平安が保たれたわけだな。今後とも、有事の際には是非、相談に乗ってもらいたいものだ。もちろん、その際にこちらで御社の支援が出来るのならば、協力させて頂きたいと思っている」

 「有り難いお言葉です。微力ですが、喜んでお力添えをさせて頂きます」

 締めくくるようにベオグラードが言い渡すと、バーゼルは微笑んで最敬礼をしたのち、深く一礼した。


 ベオグラード父娘に送られて王宮の正面扉の外に出ると、眼下に広がるレグルス王国の街並みが目に入った。街全体が沈みゆく夕陽に染められ、紅に輝いているように見える。神々しささえ感じるその美しい光景に、しばし和泉は目を奪われた。

 …なんて、綺麗な国なんだろう…。

 その昔、夢で見たような、あるいは子供の頃に読んだ童話の挿絵か何かで見たような、不思議と懐かしい感覚があった。

 もちろん、いずれは何とかして、本来自分が住む世界…日本に帰りたいとは思っている。早く家族に無事を知らせたいし、大学生活もまだまだ先がある。せっかく買った自動車に乗って、遠くへ遊びにも行きたい。しかし…。

 …この国ならば、もうしばらく住んでいても悪くはない…かもね。

 そんな思いがちらりと頭をかすめ、和泉はひとりでそっと笑った。

 「和泉?おいてっちゃうよ~」

 ロゼッタの声が響いてきて、はっと我に帰る。バーゼルとロゼッタは既に、入口の階段を下りきり、こちらを見上げていた。

 …まあ、いっか。どうせ私は、自分が異次元の世界から来たって思い込んでる、妄想癖のある人なんだよね…ここでは。

 …まだもうしばらくは、いいじゃないか、それで。

 ひとりで考えをまとめると、和泉はちょっと肩をすくめた。

 「ちょっと待ってよ、今行くから!」

 大きな声で返事を返すと、まとめた長い髪を黄昏の風になびかせ、和泉は急ぎ足で階段を駆け下りていった。


(完)

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