商人(4)
「さて、さっきはあなたの依頼を受け入れる、と言ったけれど一点だけ訂正しておくわ。」
リリスが唐突に放った言葉に、グレンの顔が不安そうに曇った。
「訂正ですか?」
リリスはグレンをなだめるように再度微笑みかけると次のようにつづけた。
「ええ、でも心配しないで。あなたにとっては大差ない、それどころかより魅力的な話になるはずよ。私はこれでも忙しいのよ。だから、護衛依頼は受けられない。代わりに、あなたの敵と、潜在的な敵、それら全てを無害化してあげる。」
二コリ、笑いかけたリリスに対して、グレンは、まだ腑に落ちない、という顔をしていた。
「無害化…?それはどういう…もしや殺害するという事でしょうか?」
それを聞いてくすくすと笑うリリス。
「ウフフ、あなた見かけによらず物騒なのね。でも、部分的に正解よ。何人か必要のない人間については殺すわ。けれど、敵の中にも有用な人材、というのはいるはずよ。例えば、そうね。今回のケースだと、あなたを裏切った貿易商、彼はいらないわ。けれど、彼の商会とそれを運営する部下たち。彼らは有効に使うべきだと思うの。」
それを聞いてグレンは考えるように顎に手をあてうつむいた。
「有効に使う…?一体どうやってそんなことができるというのですか?彼らとて、いきなり頭がすげ変わったなら反発もあるでしょう」
見当がつかない、とばかりのグレンに対して、リリスは自慢をするように胸を張って答えた。
「ウフフ…。私は魔女よ。人の心を惑わすことこそ魔女の本懐。まずは魔術で管理職の連中を抑えるわ。言ってしまえば洗脳ね…ウフフ…強い反発が予想されるとすれば、既得権益である彼らでしょうから。もちろん、その下から反発が来る可能性は十分にあるけれど、その時は洗脳した管理職の連中をうまく使って抑えれば良い。あるいは、以前より素敵な労働条件を提示してあげても良いかもしれない。その辺りのさじ加減は、グレン、あなたの手腕次第よ。」
そういって確認するようにグレンを見つめるリリス。
「なるほど、魔女というのはそんなことまでできるのですね…。良いでしょう。願ってもない話です。つまり、私は己の身を守るだけでなく、計画に必要な手足である商会まで、一度に手に入れられる、ということですね。」
ようやく腑に落ちたとばかりにグレンはウンウンとうなずきながら内容を咀嚼した。
「そういうことになるわね。さあ、それなら行きましょうか」
「え、今からですか?」
「もちろんよ、善は急げって言うでしょ?これが善かどうかは知らないけれど…フフフ」
魔女のあまりに早い行動に意表を突かれながらも、グレンと魔女は商会のある港町へと向かったのだった。
…
グレンとリリスが港町ポルトゥスにたどり着いたのはその日の夕方、太陽がほぼ沈んだ時分であった。港町ポルトゥスはその土地柄、貴族が少なく、貿易と商売によって栄える町だ。町の歴史は比較的新しく、その性格からか、警備はそれほど重視されておらず、むしろ商売の効率化に重きをおいている風であった。グレンははじめ、町に入ることで自分が生きていることが貿易商にばれることを警戒していたが、リリスが魔術によって認識阻害の効果を発揮しているから問題はない、という言葉によって既にその警戒を解いていた。
「さて、それじゃあココの宿をとるのがよさそうね」
リリスがそういって目を向けたのは一見のシンプルな宿であった。特別大きくもなければ小さくもないそれは、おそらくは商売でこの町に来る一般的な商人のための宿なのだろう。しかし、特筆すべき点はその立地である。なんと、その宿は問題の貿易商の宿のすぐ隣に位置しているのだった。
「流石にこの位置の宿に泊まるのは肝が冷えますね…いくらリリスさんの魔術の効果があるとはいえ…」
それを聞いてくすくすとリリスは笑った。
「何よ、意外と小心者なのね。人類を管理する、なんて言ってしまう人間の癖に。」
それを聞いたグレンは心外だという表情をつくり言葉を返した。
「慎重派、といってください。まあ、なにはともあれ入りますか。」
二人は宿に入ると、幸い空き部屋があり、二人は部屋を一つとった。
「そうだ、食事はどうでしょうか?せっかく依頼を受けてくださるというのですから、私におごらせてくださいよ。」
部屋に荷物を置くとグレンはそう提案した。しかし、リリスは目を細めはにかむとそれを断った。
「せっかくのお誘いだけど、ごめんなさい。いろいろ理由があって、私、普通の食事はとれないのよ」
リリスの現在の肉体はそもそも彼女のものではない。リリスが先に立ち寄った村にいた少女のモノを借り受けているに過ぎない。リリスの存在は本質的には霊体であり、より高次の世界にのみリリスの本質は存在している。物理的身体がないと、世界において行動するうえで不都合が多いために用意したのだが、食事や寿命などのわずらわしさから逃れるため、物理的身体の時は停止させてあるのだ。だから、成長することもなければ、消化の機能すらもたない。人肌を交わしあうことすらもできないのだ。それはさながら、単なる肉人形のようであった。もっとも、そんなことはリリスにとってはいかなる意味も持たぬことではあったのだが。
「なるほど、残念ですが、私一人食事をとらせていただきますね。ここは港町だけあって海産物がおいしいんです。」
そういって、グレンは一人夕食をとるため部屋を後にした。
「ふふ、それじゃあ私は今晩の準備をしようかしら…」
リリスは一人そうつぶやくとどこからか取り出した不気味な草花や木の実の調合を開始したのだった。




