商人(3)
グレンのあまりに唐突な告白に、しかしリリスはその笑みを崩さず、先を促すように沈黙を守る。それを見てグレンは、一呼吸を置いたのちに話し始めた。
「ねずみがどのくらいの子供を産むか、ご存じですか?王都のとある変わり者の学者が以前書いた論文を読んだことがあるのですが…」
種類にもよるが、例えば俗にいうドブネズミであれば、妊娠期間20~21日で、平均8匹程度の子供を孕む。また、年間の妊娠回数がおおよそ5~6回であると言われている。そこから単純計算すれば、一匹のメスネズミから年間おおよそ48匹程度が生まれる計算になる。この世には既に無数のネズミがいるのだから、一年間に生まれるネズミの数は膨大なモノになるだろう。
「にもかかわらず、この世の中はまだ、ネズミであふれるような事態にはなっていませんね。これはなぜでしょうか?」
問いかけるグレン。当たり前でしょう、とばかりにリリスは返した。
「天敵の存在かしらね。産むより食べるほうがたやすいもの。猫が少しいればあっという間に駆逐されつくされてしまうのではないかしら。」
グレンはうなずく。
「はい。おそらくはそれが答えでしょう。また、そもそもネズミの寿命は高々3年ほどです。」
しかし、人間はどうなのでしょうか、とグレンはつづけた。
「人間にも同じく天敵がいます。大型の獣には武器なしではかなわないでしょうし、この世の中には我々には今のところ勝ち目のない魔物たちもいます。しかし、人類とネズミには決定的な違いがある。」
武器さえあれば、
「いえ、もっと言えば、知恵という我々の最大の武器さえあれば、天敵が打倒できる。それは少し大きな獣にとどまらず、強力な魔物でさえもいずれは打倒できてしまう、という事です。」
なるほどね、とうなずくリリスをよそにグレンは言葉をつづけた。
「人類が繁栄し、その最後の天敵を駆逐しはたしたとき、その時こそが人類の終わりの始まりです。やがて、際限なく増え始めた人類は、この地上のありとあらゆるリソース、つまり、食物、材料、燃料、ありとあらゆるものを貪りつくす。」
肥え太りすぎた欲望そのものが、自身を維持できずに、ありとあらゆるものを巻き込みながら人類を滅ぼすのです。
「僕は物心ついた時からこの心配ばかりをしてきました。親に、あるいは友人に話しても馬鹿馬鹿しい、と一蹴されるばかり。それでも私の心はこの恐ろしい想像をつかんで放しません」
それで、僕は考えたのです、そうグレンはつづけた。
「自分がやるしかない。文明の発展を、人類の数を、世界の仕組みそのものを維持する側に回ることでコントロールするしかない。当然、そんな大それたことが私の代だけで可能だなんて思っていません。それでも、私がここでその礎を作り、同志を集めることができれば、それは組織となり、世界を裏から管理することができるようになるはずなんです。」
そう、話し終えたグレンの瞳は、苦しみのなかに、それでも消えぬ輝きをたたえており、夢をみる若者の目をしていたのだった。
「ウフフ…あなたの事はよくわかったわ。あなた、賢いだけでなくて、とっても優しいひとなのね」
一通りの話を聞き終えたリリスはそう返した。
「優しい・・・?ですか・・・そんなことを言われたのは初めてですが、どうしてそんなことを?」
返ってきた意外な言葉に驚きながらグレンは返した。
「だって、そうじゃない、人類がいつか自らの重荷につぶされるかもしれないとして、それが起こるのはきっとあなたの代ではない。少なくともあなたにとってなんの関係もない問題を解決しようと、そこまで心を痛めているんですもの・・・フフフ・・・これがやさしさでなくてなんだというのかしら?」
そういって目を細めたリリス。グレンはしばらく惚けたのち、己の頬を一筋の涙が伝う感覚に気が付いた。
「うっ・・・すみません。今まで、この話をまともに取り合ってくれた人っていなくて・・・まして肯定的に聞いてくれるなんて」
嗚咽混じりに返すグレンにリリスは穏やかな表情のまま返した。
「あなたは、少し周りより賢すぎたのだけよ…ふふふ…安心して、私、賢い人って好きよ。そう、だから、これは個人的な提案なんだけど、ぜひ、あなたの夢を手伝わせてもらえないかしら・・・?」
それを聞いて驚いたようにグレンは聞き返した。
「それは、どういう…?」
リリスは答える。
「あなたの依頼、無償で引き受けてあげる。その代わり、後で一つだけお願いがあるから、それだけ聞いてほしいの、どうかしら?」
一瞬何を言われたのかをかみ砕くような仕草を見せたグレンだが、すぐに涙を手で拭い答えた。
「ははは、内容の分からないお願いを後で一つだけ聞く取引、なんて普通の商人だったら絶対に受けないでしょうね。」
「是非、よろしくおねがいします。」
その日、人類の未来を決定づけることになる、魔女と商人の契約が交わされた。




