とある村の少女 (2)
少女ははじめ、急に現れた魔女リリスに対して驚いたような素振りを見せたが、すぐにその精機の伴わない目を取り戻した。
「あなた、だれ・・・?」
少女は自分の頭がうまく回らないように感じていた。眼の前にいる女性は、どこか存在が気迫で、到底生きている人間のようには見えない。それでいて、その真紅の瞳はどこかそこしれぬ深い闇をたたえているように思え、思わず気圧されてしまう。
「私は、リリス。よろしくね。とある目的のために旅をしているのだけれど・・・たまたま立ち寄った村であなたを見つけたの。ねえ、さっき、助けて、って言ったかしら?」
少女を脅かさないようにだろうか、笑顔で話しかけるリリスだったが、その笑顔にはどこか、きっと彼女は良くないモノなのだろう、ということを少女に感じさせた。
「・・・わからない・・・」
少女はそう答えた。
確かに彼女は、助けて、とつぶやいた。しかしあまりにも幼く、また必要な教育も受けてこなかった彼女には、当たり前の感情や思慮ですら欠落していた。幸福を求めても、幸福が理解できず、復讐を求めても復讐が理解できない。ただただ、心の中に沈殿していく原始的な感情の発露が少女の心を圧迫し、当人にすら理解できない痛みとなってひたすらに精神を摩耗させ続けていたのだ。
「あら、あなたもしかして・・・そう・・・とっても可哀想な娘ね。自分の感情の正体すらわからないなんて・・・」
一瞬、リリスは哀れみの感情を浮かべたようにも見えた。しかし、すぐに数秒前と同じ笑顔を浮かべると彼女は答えた。
「良いわ。私が教えてあげる。あなたの感情の正体、そしてそのぶつけ方を。」
契約を結ぶかどうかはそのあとにしましょうーーー最後にそう呟いた彼女の声は果たして少女に届いたのだろうか。
…
「あなたには簡単な魔法を教えてあげる。」
リリスは少女に簡単な魔法を一つ教えた。それは、リリスの持つ業の中では極めて簡単なものであったが、しかし間違いなく魔術の一種であった。リリスはそれを「仕返しの魔法」と呼んでいた。
「その魔法を使えばあなたが今までに受けた苦痛を少しずつ、誰かに返すことができるの。安心して、苦痛は少しづつ、少しづつ返却されるから、もしあなたが嫌になったなら、いつでもその魔術を止めれば良いのよ。ね、このくらいなら許されると思わない・・・?」
少女には実のところいったい「苦痛」が何をさすのかわからなかったが、「いつでも止められる」という彼女の言葉に安堵し、ひとまずその魔術を試してみることにしたのだった。少女の視界に移るのは、今朝がた、彼女のことを蹴り上げた少年だった。彼女はその姿を視界にはっきりとおさめると、教わった呪文を口ずさみ始めた。
効果はすぐに現れた。少年が目に見えてうろたえ始めたのだ。少し距離があるためにはっきりと見ることは出来ないが、少年は何者かに蹴られたかのように、お腹を抱えてうずくまり始めた。
「もう少し、近くで見てみましょうか?大丈夫、バレないように私が魔法をかけてあげる」
リリスがそういうので、少女はさらに少年へと近づいた。少女が近づくと、お腹を抱え苦しんでいた少年は、絶叫を始めた。地面を転がりのたうち回りながら、全身を掻きむしり始めたのだ。一体何が起きたのか。よく見ると少年の肌には、すこしずつ、はじめは単なる痣のように、そして次第にはっきりと無数の切り傷や打撲の跡が浮かび始めていた。少女にはその傷に心当たりがあった。そう、彼によって投げられた石でつけられた無数の痣だ。彼はいま、自分と同じ気持を味わっているのだ。
「ああああああ、痛い痛い痛い痛い痛い・・・・・」
「何だ、一体何が起きてる!どうした!」
少年の絶叫に気がついた大人たちがよってきた。しかし、魔法のおかげか誰一人としてリリスト少女には気が付かない。一体何が起きたのか、と戸惑う大人たちを見つめながら、少女の心には暗い歓びが芽生え始めていた。
「そっか、これが苦しい…そして、愉しいってことなんだ・・・」
「ふふ・・・ふふふ・・・うふふ・・・ははは・・・あはははははははははははは!」
はじめは直ぐに止めようと思っていた呪文だった。しかし、口角を上げ、瞳に暗い歓びの炎を灯した少女にはすでにそのような考えはなく、ただただ少年の命が尽きるまで、その苦しみの様を眺めていたのだった。




