さる聖女の後悔と信仰の対価(10)
そこは教会の広間であった。すっかりと暗くなった部屋の奥、教会のシンボルである巨大な十字架、その前には、一人の聖女、サナがわずかな灯りすらもともさずに佇んでいた。教会のステンドグラスからわずかに差し込む月明りだけが照らすその顔からは、疲労の色がうかがえ、また、その目の周りは、泣きはらしたのであろう、赤く荒れていた。
「私はずっと、人一倍周りに気を使ってきたんです」
教会のシンボルの前で佇み言葉をこぼす聖女。その姿はさながら懺悔のようにもみえた。
「欲しいものがあるときだって、両親に気を使って、消してねだることはなかった」
既に声が枯れるほどに泣きはらしただろうに、今まで押し隠してきた気持ちを、吐き出せば吐き出すほど、その声色は荒々しくなっていく。
「フォルティスの時だって、そう、私だって本当は彼の事が…でも…ルパが…っ!」
そう、これは懺悔などではない。聖女の、聖女であることを期待された少女の、等身大の愚痴だった。
「ねぇ、神様。私はこれだけ、自分を押し殺して、みんなの為に、って頑張ってきたんです。どうして?どうしていつも私だけこんな目に会うんですか…?」
「教えてください!教えてくれたって…そのくらい…良いじゃないですか…」
強く言葉を吐き捨てて、ガックリと力なく首を垂れる聖女。その独白は、誰にも聞かれることのない、ただ一人だけの、神に向けた愚痴…のはずであった。
「答えは簡単よ…ウフフ」
そこにいたのは、サナも良く知る少女。あの日、たまたま道でぶつかった事から知り合った少女、リリスであった。その顔に浮かぶ二つの赤い瞳は、このわずかな月明かりを反射して、妖しく輝いている。
「簡単!簡単な事ってなんですか!他人事だから!そんな事が言えるんでしょう!それより、一体いつのまにココに入って―――」
思わず言葉を荒げてしまったサナが、リリスが何故この場所にいるのかを尋ね終えるより前に、彼女は言葉を差し込んだ。
「あなた、怠惰…いいえ、臆病なのよ、結局、自分が傷つくことが怖いだけなの、違うかしら?」
その、あまりに辛辣な言葉を予期していなかったサナは、思わず怯んでしまうが、しかしすぐに拳を固く握るとリリスへと言い返す。
「あなたには分からないわ!私の気持ちなんて!自分だけが幸せになれれば良いなんて、この世界は都合よくできてなんか―――」
「―――あら、そうやって今度は世界のせいにするのね。楽で良いわね」
しかし、たちまち返された辛辣な言葉に再び言葉を失ってしまう。そうして、しばらく、何か言葉を言い返そうというそぶりを見せたサナだったが、やがて完全にうつむいてそして、再び泣き始めてしまう。
「…じゃあ、どうしたら良かったっていうのですか…私には、もう何も…」
その姿を認めるとリリスはサナへとそっと歩み寄り、彼女の頭を自身の両の腕で優しく抱きかかえ、撫で始めた。
「簡単よ、欲しいものは、欲しい、って言えば良かったの。」
そのシンプルな答えを聞いた瞬間、サナの頭には一瞬の空白が生まれた。
「私があなたなら、初めから彼の事をあきらめたりしない。あなたの友人のルパだってそうしたじゃない。彼を取るために友人のあなたとさえも戦ったの」
「生きている限り、意見の衝突はあるわ。避けられない戦いもある。けれど、ありえたかもしれない可能性の、その全てを初めから手放してしまう、これのどこが怠惰じゃないっていうのよ」
そう言うと、リリスは唖然とした表情で彼女を見つめるサナへと微笑んだ。しかし、それでもサナは、目をそらし泣き続ける。
「でも、でも…もう、何もかも、遅くて…」
そんなサナを、リリスはやさしく撫で続けながら言葉をかけた。
「フフフ…そうね…普通だったら、遅い、なんてこともあるのかもしれないわ…でもね―――」
そういって、リリスはサナの耳元へと口を寄せた。
「―――今回は特別。私が、恋する乙女のお手伝いをしてあげる」
そう囁くリリスの表情は、その幼い容姿とは裏腹に、どこまでもぞっとするような美しさを湛えていた。




