さる聖女の後悔と信仰の対価(9)
「こ、ここは…?」
男が目を覚ましたのは、教会の一室であった。簡素な、しかし休息を取るのには十分なベッドのみが並べられたその小部屋で、朝の日差しが彼の目を覚ました。彼のそばには、ひょっとすると一晩中彼を見ていたのだろうか、ベッドにもたれこむように眠る見知った顔があった。
男が身じろぎをした事を感じ取ったのか、その見知った顔、聖女であるサナは目を覚ました。
「フォルティス!!良かった!目が覚めたのですね…本当に、良かった」
見れば、彼女の目は赤く腫れており、おそらくは泣きはらしたのであろう事がうかがえた。それを見た男は申し訳なさそうに、彼女へと謝罪する。
「ごめん、サナ、心配をかけたみたいだ…」
それを聞いてサナはまだ残る涙を腕でぬぐい言葉を返した。
「本当に、本当に心配したんですから…良かった…」
その様子を見ながら、男は、しかし意を決したように口を開く。
「サナ、その…僕…おれは、君に聞かなきゃいけない事がある…」
その言葉を聞いたサナは、ハッと、一瞬何かに気が付いたような表情を作るが、すぐに、矢継ぎ早に言葉を返した。
「そんなことは、後にしましょう。今のあなたは私の患者です、まずはしっかりと休息を取って―――」
しかし、男はしっかりとしたまなざしで彼女を見つめると言葉を発した。
「サナ」
名前を呼ばれた彼女は、思わず言葉を止めてしまうが、沈黙に耐えられない、とばかりにすぐ言葉をつづける。
「あ、そうだ、リンゴがありますから、まずはそれをいただきましょう、体調が優れないときほど朝食はしっかりと―――」
半ば強引な話題転換に、しかし、男は表情をかえることなく、ただ真剣な声色で彼女の名前を再び呼んだ。
「サナ」
短く、しかしはっきりと意思をぶつけられた彼女は、それ以上言葉をつづけることができず、押し黙ってしまう。
「沢山、あるんだ、聞かなきゃいけないことが。話さなきゃいけないことも、本当に、沢山。」
その瞬間、ついにサナは覚悟した。これから聞く事が、どれだけ自分にとって残酷な事だとしても、自分にはそれを聞く責任がある、という事を。
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「全部、思い出したんだ」
重い口を開き、男、フォルティスは自身の思い出した事をサナへと話した。あの日、フォルティスが行方不明に、ルパが亡くなったその時の記憶はまだ戻らないものの、それ以外の記憶については、彼は全てを取り戻していた。
「だから、君に聞かなきゃいけないんだ。サナ、どうして俺の事、昔の事を話してくれなかったんだ?」
真剣なまなざしを向ける彼を、しかしサナは直視できず、気まずそうに目線をそらした。
「それに、どうしてあの日、君は突然修道院に行っちまったんだよ…俺は、俺らはずっと一緒にいられると思ってたんだ…それに…」
それを聞いたサナは、思わず、だって、それはルパが…と言いかけ口をぎゅっと結んだ。しかし、しばらくすると、やがて観念したようにその口を開いた。
「私、私は…怖かったんです。だって、私は本当は―――」
そうしてサナはついに、己のうちに秘めていた思いを彼へと告げた。サナも、フォルティスの事を思っていたのだ。しかし結局親友のルパを裏切ることはできず、修道院へと入った。それについては納得の上での事だと自分に言い聞かせ続けていた、しかし、それでも心の奥には棘が刺さり続けていたのだ。
サナが一人修道院にいる間にも、ルパとフォルティスはきっと、二人だけの思い出をいくつも作っていたはずだ。フォルティスはあの日、サナの事が好きだと思いを告げた、それでも、自分のいない場所で二人が築いた思い出は、きっと彼を変えてしまうかもしれない。それを明らかにしてしまうことが恐ろしかったのだ。そして、なにより、この夢のような日々を終わらせたくなかったのだ。
まとまらない思考、半ば吐き出すだけの言葉をついに吐き出したサナ。フォルティスは、彼女の思いを知らされ驚いた表情を見せながらも、ただ、静かに話を聞いていた。
「でも、もう全部…壊れてしまった…やっと、欲しかったものが手に入ったのかも、なんて思っていたのに…」
そう、呟くように漏らしたサナ。彼女を慰めるように手を伸ばしかけたフォルティスの手は、しかし途中で止まってしまう。代わりに漏れたのは、慰めではなく、謝罪の言葉だった。
「ごめん。俺が悪かったんだ。あの日、俺が君にあんな事を言わなければ…」
そういってうつむくフォルティスの両肩をサナは乱暴につかみ言葉をぶつける。それは、あるいはすがるようにも見えた。
「やめて、謝らないで!…あなたを好きになったのは私だって一緒だったの!!それに、だって、だって、今ここでそれを謝るってことは…それは…」
すがるようにつかんだ手が、力なく落ちていく。
「ごめん。俺は、まだ、ルパの事が忘れられないんだ…」
記憶を取り戻したフォルティスは告げた。サナが二人から離れたあと、彼らの間に紡がれたかもしれない絆、サナが最も恐れていたそれは確かに存在し、そしていまだにフォルティスを手放そうとはしていないのだ、という事を。
「だって…だって、もうルパはいないじゃない…なのに…なんで…?」
ただただ、泣きじゃくるサナ。部屋には他の聖職者や患者はおらず、その鳴き声だけが延々と響く。
「ごめん」
フォルティスはただただ謝り続け、そしてそのまま、どちらも話を切り上げることすらできず、日が落ちるまでその光景は続いたのでった。




