商人(7)
港町ポルトゥスに衝撃が走った。港町でも屈指の大商人であったマルカが謎の自殺を遂げたというのだ。それも極めて凄惨な方法での自殺であった。噂によれば、万年筆で自身の喉をめった刺し。喉をついてもすぐに死ぬことはできないだろう、呼吸困難による死が先か、出血による衰弱が先かは分からない。しかし、いずれにせよいたずらに苦しみを長引かせるとしか思えないその異常な死に方に、住民たちは震えた。幸か不幸か彼は遺書を残していた用で、後継者問題には発展しなかったそうだ。
遺体のすぐ横から発見されたその手紙には、最近彼の取引相手であった若い男、グレン・マーチャンダイズという男の名前が記されていた。何故、彼の側近たちではなく、まだ経験の浅そうな男を後継者として指名したのか、疑問を抱く者たちはいたものの、なぜかマルカの側近たちは文句を言うこともなくグレンに従っていたため、黒い疑惑こそ囁かれるものの、表立って疑念をあらわにするものたちはいなかった。しかし、そのあまりに異様な事件はしばらくのあいだ港町の中で怪談話のような扱いを受けることとなる。誰が初めに言い始めたのかはわからない。しかし、人々はそれが、「魔女の祟り」なのではないか、と囁きあったのだった。
…
港町ポルトゥスから西に馬車で5日ほどの距離にある王都。その一番の大通りはいつも通り多くの人にあふれ、賑わいを見せていた。そんな中、とある陽気な店主が一組の少年少女に声をかけた。
「よう、兄ちゃんたち!おつかいかな?それなら、魚はどうだい!港町ポルトゥスでとれた新鮮なやつを仕入れてきたんだ!味は保証するよ!」
最近、活魚を運んでくることで鮮度を保つ技術が開発されたってんだ、と得意げに話す店主。しかし、少年は丁寧に店主の提案を断った。
「はは、ありがとうございます。でも今日はお肉にするってお母さんが言ってたから、ごめんなさい。」
それを聞いて店主は特に起こることもなく逆に関心したような顔を見せた。
「ありゃりゃ、そりゃ残念。兄ちゃん、まだちっこいのにしっかりしてるね。関心関心。あ、ポルトゥスと言えば、こんな話を知ってるかい?」
そう言って、店主はポルトゥスから来た商人からきた噂話を伝えた。
「なんでも、地元の連中は魔女の祟り、だなんて言ってるらしいぞ、坊ちゃんたちもこわーい魔女に狙われないように気をつけてな…なんてな…わははは」
陽気な店主とは裏腹に、「魔女」という言葉が出た瞬間、今まであまり表情を変えず口も開かなかった少女の肩がピクリと動く。少年はそれに気が付き、抑えろ、と言うかのように彼女の手を握りなおし、彼女の耳元で囁いた。
「今はまだ我慢だよ。君には十分な力がない。大丈夫…安心して…君の復讐は必ず果たされる。今はまず十分な力をつけるんだ、大丈夫、大丈夫だよ、なんてったって君にはこの僕、ムルムルがついているんだから、ね?」
…
グレンと分かれた魔女は陽気に鼻歌をうたいながら、夜の森を行く。道中、獣や魔物が少女を見つけると襲い掛かったが、彼女に近づいたモノたちはたちまち枯れ果て、まるで何かを吸いつくされたかのようになったかと思うと塵のように崩れていった。
「ウフフ、まるでフルコースね…でも、こんなんじゃ全然足りないの」
陽気に舌なめずりをする少女だったが、その顔は不満そうであった。
「ああ、私だって早くあなたに会いたいわ…。本当だったらこんなコソコソと隠れるような真似はしたくないの、今すぐあなたに駆け寄っ抱きしめて頬をつついて、そのまま指で突き破って眼球をなぞって腸の温度を感じながら思い切り掻きまわしたい」
けれど、と彼女は一人つづける。
「今の私じゃあなたには到底かなわない。こんな小物を何人つぶしても到底及ばない…あなたはとてもシャイだから、こんな私がいってもきっと逃げちゃうでしょ…?」
頬を緩ませながら、何かを夢想するように目を閉じたかと思えば、彼女は自らの身を抱えて身震いする。
「ああ…大丈夫。ちゃんと考えてるわ…あなたが絶対私から逃げられないようにしてあげる。幸い、素敵な商人さんも見つかったし、私今、とっても順調よ?まっててね、ムルムル…?」
ウフフ、アハハ、と高笑いを上げながら彼女はスキップを始める。満月が照らした彼女の横顔は、人間が浮かべられるとは思えないおぞましい執念に満ちていて、しかしそれでいて、恋する乙女の表情であった。




