五 薄明のセレナーデ
リア充爆発しろ。
夜中じゅう、いや朝になるまで俺は天国へいざなわれっぱなしだった。
しかも宇宙人モードと麗子モード、かわるがわるだからたまらない。
宇宙人モードのほうは、いろいろなことに興味津々で試したがり、積極的だった。
意外にも麗子モードは普段の快活さと裏腹に受け志向で、それがかえって俺の劣情を無駄に刺激しまくった。彼女が俺の名前を切なそうに呼べば呼ぶほど、俺は激しく体を動かし、そして何度も果てた。
裸で重なったまま、俺たちは眠りについていた。庭で軽トラのエンジン音が鳴り、その音で目覚めた。オトンが酒の配達に出たんだろう。
全部、聞こえてただろうなあ。
すげえ声出しちゃったし。店番をしているオカンに顔を合わせにくい。
首だけを起こして壁の時計を見る。もう少しで正午だ。俺の胸に顔を預けている麗子も目覚めているようだ。首とか肩とか耳とか、咬まれたり、つねられたり、つつかれたり。イタ気持ちいいからやめれ。
「おはよ、ショウゴくん」
第一声は麗子モードだった。こいつ、いつから起きてたのかな。ひょっとすると寝てないのかもしれない。
「おはよう。まだ頭がボーっとする。体中の関節が五ミリくらい浮いてる」
本当にこれでよかったのだろうか。いくら生前の記憶が残っているとしても、いくら佐伯麗子の最期の願いだったとしても。俺は彼女が生きているときに出会っていなかった。もし二人が出会ったのならこんなに深い関係になれたのか。その可能性は永遠に閉ざされている。
でも、やっちまったものはしょうがないか。
「宇宙人としてのあたしも、すっごい喜んでるよ。地球人はこうやって仲良くなるのか、こうやって幸せになるのか、それがわかったからね」
「こ、これだけじゃねえよ。他にもいろいろあるだろ、仲良くする方法なんて。順番をすっ飛ばしすぎだ」
「ふふ、そうだね。映画を見たり、たくさんおしゃべりしたり。美味しいものを一緒に食べるだけでもね」
すでに星間交流でもなんでもない話になってる。でもその意見には賛成だ。
「腹減った。メシにしようぜ」
居間に降りると、オカンが用意してくれたメシがあった。
「ねえショウゴくん、どうせなら外で食べようよ。少し泳ぎたいし水着で行こう?」
「水、冷たいだろう。そっちは平気かも知れんけどよ。そう言えばあんたの水着、うちに置きっぱなしだったな」
弁当箱にメシを詰めなおし、海岸まで歩くことにする。水着になったのは麗子だけ。薄い布の奥にある柔らかな感触を思い出し、俺の胸がかっと熱くなる。
はあ、しかしビキニが似合う立ち姿だなあ。裸のこいつを目に焼き付けたあとでも、素直にそう思える。海が好きだからこそ水着が似合うんだろう。どれだけ見ても飽きない。
青い空と同じ色のビキニ。そのまま、こいつが海と空の中に溶けて行くんじゃないかとすら思った。佐伯麗子は空や海のように清々しい、純粋な女の子だったのかな。
「おうクロ、お前も行くか。元気になって体力有り余ってるだろ」
「ウワンッ!」
久しぶりの散歩で興奮しまくっている馬鹿犬を連れ、俺たちは岸に降りた。弁当の何割かがクロに奪われた。
「ねえショウゴくん、車とかが近くを通らないか見ていてくれる?」
食後に軽く泳ぎ、岩場に立った麗子がそう言った。俺たちがはじめて会った場所だ。
「ああ、今は大丈夫みたいだな。どうしたんだ?」
「テレパシーの波長を変えて仲間と交信してみる。近くに通信する機械があると、また狂わせちゃうかもしれないから」
俺の心がざわついた。こいつの仲間たちは、どんな活動をしているのだろう。その経過しだいでは、地球交流も見直す場合がある。そう聞いたせいだ。
離れたくない、離したくない。俺は本気でそう思ってしまった。佐伯麗子はきっと魅力的な少女だったんだろう。でもそれ以前に、宇宙人としてのこいつ自身、海底から噴き出す極小の気泡のことを、俺は好きになっちまった。不器用でも義理堅く正直な、愛すべき隣人だと。
「そ、その、仲間と意識を通わせたら、あんたがあんたでなくなっちまうとかないだろうな。パソコンのデータを上書きするみたいに」
「半々かな。私が得た情報や価値観は仲間と共有しながらちゃんと私の中に残る。でも仲間からもそういうのが私の中に流れてくる。行動の目的も考え方も、がらっと変わっちゃうかもしれないし、あんまり変わらないかもしれない。やってみないとわかんないよ」
嫌だと叫びそうになった。でもこいつらだって、大きな目的があって地球に来たんだ。俺のわがままで文句を言っていいわけはない。
クロが麗子の足にすがりつく。麗子は目を閉じて静かに立っている。今まさに、仲間と意思を交わしているところなのだろうか。
しばらくの間そうしていた彼女は、やがてゆっくりと目を開いた。
「やっぱり地球の大気条件だと通信は難しいみたい。でも少しだけど仲間の意思を拾えた」
「それで、なんだって?」
麗子は寂しそうに笑い、そしてクロの頭を撫でた。
「一度みんなで物理的接触をして、直接に意識のやり取りをしよう。場所は太平洋の指定されたポイント。そこで情報の共有をしてから仕切りなおし。あたしもその辺が落としどころかなって思ってたから。個体によって成果の差がまちまちみたい」
「た、太平洋って。ここは日本海だぞ。その体で泳いで行くのかよ?」
「まさかそんなことはできないよ。あくまでこの体は借り物だから生物的な限界があるし、時間もかかっちゃう。他の生き物の体に移りながら。現実的なところでは鳥か魚でしょうね」
「じゃあ、じゃあその体はどうするんだ! お前が出てったら死んじまうんじゃないのか?」
「……ショウゴくん。佐伯麗子は死んでるんだよ。本やパソコンに記録されているのと同じように、あたしはこの体に残る情報を使っているだけ。でもショウゴくんが納得できないのはわかるよ。だから一つ提案があるの」
凪いだ海を背に俺に向き合った佐伯麗子が、宇宙人の口調に変わってきっぱりと言った。
「佐伯麗子が私と接触した際の生態状況を可能なまでに再現する。そこから先はどうなるかまったくわからない。すでに彼女が持つ生命としての自我は失われたのだから、身体細胞の活動条件がいくらそろっていても、彼女は死んだままかもしれない」
言語は明瞭。でも言っている意味はさっぱりわからない。俺の困惑を察したように、説明の言葉は続く。
「端的に表現すると、この体を佐伯麗子に返す。私に体を託すその直前の状態で」
佐伯麗子が生き返る……? 海に入り、生きる意思を失って宇宙人に体を託したその心身状態で……?
「でもそれだと……」
せっかく生き返っても、彼女はふたたび自殺するかもしれない。
「私にもその先どうなるかはまったく予測不能だ。自我が失われる前の生命なら、私が出て行ったあとはもとの個体に戻るだけでなんの支障もなく生命活動を再開する。クロ氏のガンを治療したときのように。しかし、今回のケースではどうなるのか」
海底火山から噴き出す極小の気泡は、クロと俺を順に抱きしめて言った。
「私はきみと会えたことで大きな価値を得た。幸せだったと言っていい。きみは私を拒否しなかった。私の発言を真実だと認めてくれた。そして昨夜、私を力の限り愛してくれた。そんなきみと出会えたことが私の幸せだ。佐伯麗子との契約は今まさに果たされた」
「ば、馬鹿野郎。そんな、これでバイバイみたいなこと言うなよ。俺、俺、あんたのことが」
ふっ、と逃げるように体を離し、俺に微笑みを向けた。
「仲間が待っている。さようなら、地球の人」
地球人、佐伯麗子の体から霧のような水色の蒸気が浮かび上がる。
それらは吹いた霧のようにゆっくりと地面に落ち、岩場の上で海水と混ざり合った。
この液体のようなものたちが、地球に来た宇宙人、その本体なのだろうか。
足元から流れ落ちていくしずくを追いかけるように、クロが海に飛び込んだ。
俺も気がついたらそうしていた。
穏やかな波を浴びながら、クロと俺はただ呆然と海原を眺めた。
まだ続きます。