三 夕空のソナタ
章吾の乗っているのはCBRの中でも900RRファイヤーブレードという車種で、スタイリッシュでありながらマッチョな雰囲気も兼ね備えた中々いかついバイクです。
俺は駐車場にバイクを停め、後ろに乗せていた佐伯麗子を降ろす。背中に当たっていた胸の感触がまだ残る。俺に買われてからはじめて女の尻を乗せた、ホンダCBRもさぞかし喜んでいるだろう。って、そんなことはどうでもいいんだよ!
「あたしたちの種族はね、テレパシーで瞬時に自分たちの意識を同調、情報を分かち合うことができるの。早い話が心の中まで丸見えなのよ。だから嘘つく意味がないってこと」
佐伯麗子モードが前面に出ていることにより、確かに言葉自体はわかりやすくなった。それでも言っていることの内容は相変わらず。
「で、今は電波だか電磁波だかの影響でそれができないから、仲間に直接会うか、一人で頑張るかしかない、ってことか。それだとあんたは、どうやって事前に地球の情報を知りえたのかって疑問があるけど」
「宇宙空間にいたとき、人工衛星の電波情報を傍受したのよ。ああ安心して、それで壊したりはしてないから。大気圏外だと大丈夫なのよね」
俺たちは街まで出て県庁に来ていた。地球人佐伯麗子の肉体を借りた、自称宇宙人の名前は長くて忘れた人いわく、行政のトップに会って直接交渉を申し込むのが一番の近道、だからだと。
「とりあえず、近場で一番偉いのって県知事でしょ。そこからコネを作って内閣府へまっしぐらよ。あたしのほかに地球に降りた仲間も、担当した国で似たような手順を踏むと思うわ」
それ、自爆フラグじゃねえかな。こいつは自分が警察に捜索されてるのがわからねえのか。
言っておくけど、俺はまだこいつが宇宙人だと完全に信用したわけじゃない。まあでも、犬のこともあるし、もう少し様子を見て協力してもいいかなと心を動かされたわけだ。こいつの物言いじゃないけど、恩は恩だからな。
テレパシー能力に関しては、半信半疑どころか見ても確認してもいないのでまったく信用ならない。
俺が気になるのはこいつらの種族が持つほかの特性だ。地球の生物に乗り移って体を操る。そのついでに宿主の体に具合の悪いところがあったら、代謝だか自己治癒の促進だか、はたまた遺伝子情報の書き換えで治してしまえる。
そんな荒唐無稽な能力を、クロの回復で俺は目の当たりにしてしまった。いや他にもある。俺がこいつを見つけたとき、波は高め、場所も岩の多い地点だった。裸同然のビキニ姿であんなところを泳ぎ、流されて岩礁に漂着したら、打撲あざや擦り傷の一つや二つはあるんじゃないだろうか。俺が見た限りではそんなもの……。
頭の中に、白くまぶしい肌を持った女の裸体が浮かぶ。これはあくまでも確認作業だ。断じて、柔らかそうなあの部分とか、ほどよくくびれたあの部分とか、適度に丸みと肉感を持ったあの部分とか、そういうのを思い出したいわけじゃない。でもしっかり思い出さなきゃ確認できないかな。いやほんと、困った。困ってるんだよ?
「ねえ、これがうまくいったらさ、しばらくショウゴくんとはお別れかもね」
妄想にトリップしかけた俺を、その声が現実に呼び戻した。
「そうなるだろな。星間交流なんて大事業に参加するほど、俺は立派なもんじゃないし」
こいつが嘘を言っている、あるいはちょっとおかしくなっているだけだったとしたら。こいつは保護されて凪浜市に帰るんだろう。それほど遠くもないけど、別の街の赤の他人だ。惜しいとは思うし、自殺だなんだという話を聞いてしまったので心配な気持ちもある。でもこれだけ元気だからなあ。俺も夏休みが終われば東京に戻るし、面倒見切れん。
場所が県庁なのも良かった。すぐ近くには警察署があり、お役所に消息不明の女の子を届けたことになるから、なんだかんだで無事にことが収まるだろう。凡人の俺にできることは、文字通りここまでだ。
「じゃあ行って来る。この借りは絶対に返すから。卒業して就職がなかったら言ってね。交流親善大使一号に任命するから。そのためにもがっぽりと予算を確保してもらうように交渉だ。あたしがしっかりやらないとショウゴくんがニートになっちゃう」
「うるせー、さっさと行け。あんまり役人さんを困らせんなよ」
ツカツカとミュールを鳴らし、佐伯麗子は県庁舎に入って行った。服も履物も妹のだけど、この際だからくれてやろう。どうせ俺は困らん。
俺はその場にとどまり、少し考え事をした。もしあいつが本当に宇宙人で、言葉どおりの能力があるなら。地球人と交流し仲良くしたなら。俺たちは手に手をとり、明るい未来を築いていけるのだろうか。
麗子モードの言動はまさに天衣無縫。宇宙人モードだと堅苦しく事務的だ。しかし、両者に共通していることがある。とても義理堅く、ギヴアンドテイクが徹底していると言うことだ。感謝の気持ちを行動で表す、受けた恩は必ず返す。そこに一本の芯が通っている。お色気攻撃に関しても、それを俺が喜ぶという計算から来ているなら説明がつく。
やつらの目的が地球との交流なら、それに協力した場合に大きな見返りを得るだろう。でも人間って汚いからなあ。利用するだけ利用して、自分の欲望を満たすためだけに宇宙人と付き合うかも。そうなると、逆に手痛い報復を食らうんじゃないかね。義理堅いやつってのは、受けた仇まできっちり返してくるもんだからな。仁侠映画を見るとよくわかる。
嘘をつかない、つく意味がないと言うけど、地球人と付き合っているうちに、嘘をつくようになるかもしれない。それくらいこの社会には嘘があふれてる。清廉で真摯な宇宙人をウソツキに変えちまったら、それはそれで悲しい未来じゃねえか。それも見越しての進化や共存なのかな。
って、こんなこと無駄に考えてる俺もどうかしてる。無責任に放り出したような別れになって、後悔してるのかもしれない。やっぱり無理矢理にでも警察に連れて行くべきだった。
悩んで考えても答えは出そうにない。
街に来たついでに俺は携帯電話のショップに寄り、新品と交換する保証サービスの手続きを取った。データは全部飛んだけどな。やれやれ。
バイクに跨り、わざと遠回りして凪浜市の湾岸道路から家に帰る。警察が交通整理や検問をしている。岸には捜索隊が出ているのだろう。ごめんなさいお巡りさん。あなたたちが探している女の子とさっきまで一緒にいました。でも元気だし、ちゃんとお役所に届けたから大丈夫です。ヘルメットの中でそう謝りながら。
俺は、最初に佐伯麗子、もしくは宇宙人ナントカカントカに会った岩場に寄ってから帰ることにした。超ド級の不幸体質で海が好きな美少女。話を聞く限りじゃ、麗子本人が悪くて不幸を背負い込んだわけじゃない。ほとんど周りの人間の悪意、もしくは過失だ。
最期は好きな海で。そうあいつは言った。それはそれでわかる気がする。この辺の海はボランティアとかも盛んで、地元の人間が誇る程度にはきれいな海だ。死ぬときくらいはきれいなところ、好きなところを選びたい。
自殺は悲しいことだし、周りに迷惑をかけてるけど、その気持ち自体は普通の感覚だよな。
それでも佐伯麗子は生きて戻ってきた。いや、宇宙人に体を生かされて操られて、嘘と汚れでいっぱいの陸地を再び歩き始めた。宇宙人は地球の人間と仲良くするために、人間の世の中を捨てて海に還ろうとした佐伯麗子の体や記憶を利用している。今まさに。
どうなんだろうなあ、それ。麗子自身が、それを望んで受け入れたんだろうか。そうでないのだとしたら、やりきれない。奴隷か道具じゃないかそんなの。
波は昼に比べてずいぶん穏やかになっていた。海が好きな、自殺する前の佐伯麗子と知り合えなかったことが、無性にさびしく感じた。あんなに明るい子だったんだろうか。それはないかな……。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。宇宙人だなんだというのも、単なる作り話だろうに。
そんなことを考え、俺はしばらくその場にいた。岩に当たる波の音が気持ちよかった。
まだ続きます。もう少しおつきあいください。