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二 太陽のノクターン

こちらは投稿時に春の未明ですが、劇中は初秋の朝です。

「藤原というのが、きみの家名だな。個体名はなんと言う?」


 俺んちの表札を見た宇宙人、海底のナントカさんが聞いてきた。うちは湾岸のすぐ近くにある酒屋で、店の裏手が家になっている。本日は定休日。オカンとオトンは仕入先を回ったり買い物をしたりで、夕方過ぎまで帰っては来ないだろう。


「個体名って下の名前か。章吾だよ。最近の宇宙人は漢字まで読めるのか」

「私は地球人類と交流するための情報を事前に取得している。宿主の脳に残る記憶情報を解析している最中なので、それが完了すれば会話コミュニケーションは今より向上するだろう」


 電波を発していると豪語するだけあって、さっきから電波なことばかり言っている。

 どうしてこんな奴を家に連れて来たかって? 携帯が壊れたから家の電話を使うため、そして水着姿で警察や消防に預けるのもどうかなと思ったからだ。眺めている分には最高だけど。


「ただいま、クロ。お客さんに挨拶しろ。宇宙人だそうだ」

「ワフン」


 裏庭で飼っている雑種犬のクロが、力のない声で俺たちを出迎えた。真っ白い毛並みなのにクロと言う名前をつけた馬鹿は俺の妹だ。同じく大学生で、今年の夏は帰省していない。


「イヌ科の愛玩動物か。衰弱しているようだが、病気ではないのか?」

「どうかな。もう十三歳だし、そろそろお迎えが来るころなんだろ」


 小さいころから一緒に遊んだ相棒だから、死なれるともちろん悲しい。俺がイタズラしてこいつの顔に眉毛を書いたら、近所の別の子や店に来た客まで面白がって眉毛を書いてた。一時期は眉毛の犬がいる酒屋さん、なんて呼ばれていたくらいだ。

 そんな思い出もあることから最期くらいは看取りたい。大学が暇になる時期は頻繁に帰郷してるしな。俺にとって一番古い友人の一人なんだし、それくらいはしないと。


「ショウゴ。彼の体を借り受けたい。保護者であるきみからも交渉の許可を」

「は? 犬が好きなのか。遊びたいなら好きに遊んでやってくれ。元気ないけどな。俺は妹の服でもあさってくるよ。あんたが着れるものもあるだろ。俺も着替えないと……」


 電話もしないといけないし。家族が出かけててよかったぜ、説明のしようがない。


「犬への好悪は特にないが。きみの尽力に対するせめてもの代償になれば幸いだ」


 せっかく可愛いのに、せめて話が通じればなあ。さっきからなにを言ってるんだか、さっぱりわからん。俺は長い長いため息をつきながら、家に入った。


 妹の部屋は半ば物置と化している。里帰りをサボる奴の宿命だ。クローゼットからデニムのパンツとTシャツを探し当て、念のために下着の上下も。


 ……ああ、ふと冷静になっちまった。なんで俺こんな天気のいい夏休みに、真っ昼間から妹の部屋で下着の物色なんてしてるんだろ。オカンが見たら泣くんじゃないか。誰も帰って来ませんように。

 戦利品を手に居間へ。窓から裏庭を見ると、クロが宇宙人女の顔をぺろぺろと舐めている。あいつ、普段はダルそうにしてるくせに美人が来るなり元気になりやがって。羨ましいじゃねえかこの野郎。って、名前からは想像しにくいけど、メスだったなクロは。


 テーブルに置かれていた新聞を手に取る。宇宙人来訪の記事はないので安心。念のためにテレビもつけるけど、当然のようにそんなニュースはどのチャンネルも報じていない。


 居間の電話を操作して、地元警察署の番号が登録されているか確認する。単純に気分の問題で、一一〇番はダイヤルしたくない。今日は穏やかな休日、そんな大事は起こっていないと自分に言い聞かせたいのだ。

 身元不明の女の子が溺れていた。元気だし怪我もないけど、ちょっと記憶や会話が混乱しているようだ。そう伝えればいいかな。

 ディスプレイに映った警察署の番号を確認し、俺は伝えるべきことを頭の中で整理する。テレビのニュースは全国版から地方版へと変わっていた。


『地域のニュースです。先月三十一日より行方不明となっていた凪浜市在住、佐伯麗子さん十八歳の件に関し、地元警察署は自殺の可能性が高いとして凪浜東海岸一帯の調査を重点的に行うと発表しました。現地では佐伯さんが残したと見られる遺書が発見されており……』


 凪浜ってのは隣の市だ。ここから凪浜東海岸までは十キロも離れていない。

 顔写真が出た。発見した方はただちに最寄りの警察署まで、とテロップが出ている。ショートカットで、ぱっちりとしたつり目の女の子だ。

 一瞬、時が止まって電話の発信ボタンを押そうとする俺の手も止まった。窓の外を見てみると、クロが日向で気持ちよさそうに寝ているだけで、宇宙人女がいない。その直後にドアの開く音がした。


「失礼する。クロ氏の処置が終わった。カロリーを大量に使ったので本日、彼に支給する食事は多めに用意するといいだろう」


 テレビに映る美少女、行方不明の佐伯麗子さんによく似た人がビキニ姿でそこにいる。犬のメシを気遣う台詞なんて吐きながら。


「な、なあ。あんたこのテレビの……」

「これは電波を受信し、映像と音声を出力する端末だな。安心して欲しい、私は自分の電波送受信を遮断しているので、先ほどのようにこれらの機器に悪影響を及ぼすことはない」

「テレビの話が違う! あんた捜索されてるぞ! 早く凪浜の家に帰れよ!」


 俺の慌てぶりをよそにテレビを見て、考え事でもしているように黙りこくる宇宙人、もとい佐伯麗子。


「たった今、この体に記憶されていた情報の解析が終了した。私が持っていた情報、および意識との連結を図る」


 そう言って、女は急にその場に倒れた。

 俺はとっさに手を出し、床にぶつかりそうだったその体を支える。柔らかく滑らかな女の肌を両手に感じて、思わず心臓がどきりとした。


「おい、話の途中で勝手に寝るな! いったいどうなってるのかちゃんと説明しろ!」

「うーん……」


 寝言のようにうめきながら、女が俺の首に腕を回した。そのまま引き寄せられ、顔と顔が密着する。

 そして唐突に唇を奪われた。なんか、すげえ。やわらけえ。


「……んっ、ぷはっ! な、なななななにすんだ! ふざけるのもいい加減に」

「人工呼吸の続きー。サンドイッチありがと、藤原ショウゴくん」


 さっきまでの無表情とうって変わった満面の笑みで、イタズラっぽく舌を出す美少女がそこにいた。


「あ、服も用意してくれたんだ。このTシャツ可愛い。あはは、下着もわざわざ持ってきてくれたの? でもサイズ合うかな」


 俺の腕からするりと抜け出した彼女は、ソファに置かれた妹の衣類を手に取る。


「さあお待ちかね、お着替えターイム。よい子はこっそり見てね。ちゃらららららー」


 ポールモーリア調の怪しげな鼻歌を口ずさみながら、水着の紐を一つずつ解いていく。あ、なんか見えちゃうよ。桃色のがっ。


「って、ここで着替えるのかよ! 奥に行け奥に! 外に誰かいたら見えるだろ!」


 俺は居間のカーテンを閉めながら叫んだ。彼女は水着を脱いで裸になった上半身を、自分の腕で抱くように隠す。その一方で残った最後の一枚、いわゆるおパンツに指を引っ掛ける。


「だって脱がなきゃ着替えれないよ。恥ずかしいけど、ね?」

「ね? ってなんだよおお!」


 靴も履かずに玄関を飛び出して、外に逃げる俺。クロがびっくりしたように跳ね起き、ウォンと吼えた。家の中からは女の爆笑する声が、しばらく鳴り響いていた。



「あー笑った笑った。ショウゴくんって可愛いね」


 すっかり着替え終わった彼女は、引きつった顔の俺を見ながらまだ笑っている。


「えっと、佐伯麗子さん、でいいのか」

「名前はどっちでもいいわよ。海底火山から噴き出す極小の気泡でも。佐伯麗子でも」


 どっちでもなんて選択肢にカウントされないだろ、前者は。


「……なら佐伯さん。あんた、その。行方不明中だろ。早く家に帰らないと親だって」

「いないの。死んじゃったから」


 あまりにも軽く言うので、俺は冗談かと思った。それでも彼女の言葉は続く。


「借金作って自殺したの。あたしもそれから、中学のころはいじめられっぱなしでさ。高校は行かずにバイトしてたんだけど、そこでも先輩にいじめられて、彼氏にも浮気されて、それで自殺しました。あ、新聞に出てる。すごい、あたし有名人!」


 話す口調はあくまでも朗らかだ。それでも、話の細部にいたっては地獄そのものだった。


 親の保険金が降りたものの、その金はたちの悪いガキに恐喝されてほとんどなくなった。誘拐されかけたこともあると言う。佐伯麗子を引き取った親戚も裕福ではなかったため、経済的にはいつもギリギリの生活を送っていたようだ。

 中学校では美人がゆえに男にもてる。そのせいで女子から憎まれ、売春をして生活費を稼いでいると言う噂が立てられる。それ以外にも精神と肉体の両面でいじめは続いた。

 もともと勉強が得意でなかったことに加え、いじめのストレスで受験に失敗した。卒業後は近所の食品工場でバイトを始める。しかしそこの工場長に誘惑され、拒否したら従業員すべてが敵になった。時を同じくしてストーカー被害にも遭った。眠れない日々が続き、バイトを辞めてからも心身は不安定だった。

 数少ない味方だと思っていた彼氏は、どこぞの風俗嬢を妊娠させて結婚してしまった。


「小さいころから海は好きだったし、最期も海かなって思ってね。あ、信じてない顔してるでしょ。宇宙人は嘘つかないんだよ? さっきも言ったじゃない」

「いや、あんた佐伯さんだろうが」

「本体は宇宙人、海底火山から噴き出す極小の気泡よ。佐伯麗子の記憶や行動パターンがオプションとしてくっついてるの。ショウゴくんとコミュニケーションとるために麗子モードを使ってるだけよ。そのほうが気楽でしょ? うりゃっ」


 いきなり指で俺の腹をつついてきた。深刻な話のはずなのに、まったく緊張感がない。


「や、やめろくすぐったい。信じられるわけねえよそんな話。証拠だってどこにも」

「携帯電話を壊しちゃったじゃない。指一本触れないで。あれはほんと、ごめんなさい。お詫びにおっぱい触っていいから。いやあ、宇宙人仲間とテレパシーで連絡を取ろうとしたんだけどさ、地球の電波関係と相性悪いみたい。交流計画もオフラインでやるしかないわねー」


 いきなり壊れた携帯電話。原因不明、見たこともない壊れ方。宇宙人の電波。

 そして、お、おっぱいだと? いや俺の理性は本能に負けたりはしねえ! 人としての尊厳を守るぜ!


「あんなもん、たまたまだ。水でもかぶったんだろ」


 小さめのTシャツに包まれ、形のよさがはっきりわかる胸から目を逸らす。

 誤解がないように言っておく。小さいTシャツしか見つからなかったんだ、マジで。


「疑い深いなあ。クロちゃんの病気だって治したのに。大腸ガンだったけど、健康な細胞を代謝させて患部の細胞と置き換えたから。そのうちガン細胞の塊がウンコになって出てくるよ。くっさいでしょうね。あらやだお下品」


 着替えショーの騒ぎですっかり忘れてた。確かクロのメシがどうとか。

 外でゴロ寝しているクロを見る限り、元気になったかどうかはわからない。最近あいつはめっきり食欲が落ちているようで、若いころの半分も餌を食べることができなくなっていた。

 俺は店の中からビーフジャーキーを取ってきた。酒屋をやっている俺の家は、ジュースやお菓子、酒のつまみ、はたまた米まで売っている。店舗売りよりは、旅館や海の家などの大口配達で稼ぎを得ている観光客頼みの商売。海水浴シーズンを過ぎると割と暇なもんだ。

 クロは俺を見るなり、舌を出して尻尾を振る。牛肉の入った袋の口を破ると、しきりにクーンクーンと切ない声を出し始めた。


「おあずけ」


 鎖の届かないぎりぎりの距離、高さに餌をちらつかせる。クロは飛び掛って来そうな勢いで目の前の好物に前足を伸ばし、半立ちの姿勢でじたばたする。全然おあずけできてねえ。


「ウ、ワン! ワン!」


 ……怒るなよ。飼い主として情けないくらいの馬鹿犬っぷりだ。全盛期のクロが蘇ってる。


「ほれ。餓鬼のようにむさぼり食らいやがれ、犬畜生めが」


 俺はクロの首をわしわしと撫で、持っていたビーフジャーキーを口元に与えた。飼い主の愛撫にまったく見向きもせず、一心不乱にかじりつく、まさに餓鬼。

 ああ、クロの体ってこんなに温かかったんだな。


「いいねー、愛犬と主人の仲むつまじい光景。これぞ幸せな家庭よね」


 冷やかすような口調で佐伯麗子も外に出てきた。


「なあ、本当にクロは病気だったのか? いや、本当にあんたが治してくれたのか? こんな元気なこいつを見るのは……」

「ウチュウジン、ウソツカナイ」


 佐伯麗子はまぶしいくらいに笑っている。その姿がどんどんぼやけていった。元気いっぱいに馬鹿っぷりをさらけ出すクロを、何年かぶりに力いっぱい抱きしめ、俺はいつの間にか泣いていたんだ。肉を食い終わったクロが、俺の頬に流れる涙をひたすら舐めていた。


「それくらい、宇宙人とも仲良くして欲しいわね。元気になったんだから散歩に連れて行ってあげた方がいいわよ。クロちゃん、ショウゴくんのことが大好きみたいだから」 


まだ続きます。

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