一 波間のワルツ
連載している街ギルの1か月記念に何かしようと思ったけど全く思いつかなかったので、かねてからなろうにも保存がてら投稿しておこうと思っていた中編小説を投稿します。
お時間のある方、現代ほんわかコメディたまに読みたい方などは是非。
3万文字程度の割には内容充実の作品ではないかと自分では思っています。
いつだったかの某所の競作企画イベントで優勝した作品でもあります。
細かいことはもう忘れましたが……w
海から女の水着を釣り上げた。九月初旬、よく晴れた昼のことだ。
「くっそ、いい引きだと思ったのになんだこれ。海水浴客の忘れ物か」
俺は海水浴シーズンが終わった地元の海辺にいる。日本海の特に目立たない街。
大学の夏休みはまだ終わらないので、実家に里帰りしているのだ。通っているのは東京の特に良くも悪くもない大学で、もう三年目。
しかし朝から岩礁に腰を下ろして、ひたすら待っていた末の獲物がこれかよ。
リベンジの前に昼飯にしよう。そんなことを考えながら俺は獲物を釣り針からはずす。他人のゴミとはいえ、拾ったなら責任を持って廃棄しなくちゃな。綺麗な海を守るためにも。
それは明るい空色のビキニブラだった。紐の部分はレース地が編みこまれていて、結構可愛い系じゃないか。ううむ、できれば美人の遺物でありますように。持って帰ろうかな。
そう思った直後、俺は鳥肌が立った。
「まさか、人に引っ掛けちまったのか」
手ごたえを感じた瞬間、これは紛れもなく魚かなにかだという確信があった。それくらい、重みと動きのあるヒットだったんだ。
引いている間にその力は弱まり、流れているのか動いているのかの区別はつかなくなったものの、もしそうなら大変なことだ。ここは砂浜から離れているので、泳ぐ奴なんか滅多にいない。最悪、溺れて流されていたのだとしたら……。
「だ、誰かいるのか? 返事しろー! おーい!」
岩場に打ち付ける波の彼方へ、俺は声を振り絞って叫んだ。思えば無茶な話だ。それでも気が動転している俺には、それくらいしかできることが思いつかなかったんだ。
血の気が引いていく感覚に襲われながら、俺は周辺の岩場を飛び越えながら叫び続けた。
「……おーい! お、おうわっとっと!」
そのとき、濡れた岩に足を滑らせ、俺は叫びながら海に落ちた。もうなにがなんだか、わけがわからん。それでも泳ぎには自信がある。すぐさま海面に顔を出して四方を見渡す。打ち付けられたらたまらないので、体をなるべく岩に密着させながら。
せめて思い過ごしであって欲しい。海水浴客の忘れ物が、今さらになって俺の釣り針に引っ掛かっただけであって欲しい。祈るような気持ちだった。九月の海は予想以上に冷たく、俺の心と体から温度を奪っていく。
「あ……」
今日の俺は、なにかを願うとどうしても裏切られるらしい。
岩肌に打ち上げられ、ぐったりしている一人の人間を、俺の両目が捉えた。俺は力の限りに泳いで近寄り、その体を抱き起こした。
女だった。水着の持ち主だろうか……。
「しっかりしろ! 生きてるか? 今助けてやるからな! 死ぬなよ! 絶対死ぬなよ!」
火事場の馬鹿力というのは実在するらしい。俺は片手でその女を抱えながら岩場を登りきった。平らなところに女を寝かせ、脈と呼吸を確認する。
心臓は動いている! しかし安心したのも束の間、呼吸は感じられない。
「え、えっと人工呼吸か。確か左手で鼻をふさいで、右手であごを上げて」
中高生のころ、毎年一度は人工呼吸の訓練があった。海辺の町だからなのだろう。それでも本番は生まれてはじめてだ。一つ一つの動作を確認しながら、俺は大きく息を吸い込んで顔を近づけた。
ちょうどそのとき、女の瞳が急に開いて俺の目線とかち合った。
「うわあああああっ! ご、ごめんなさいごめんなさい助けて許して呪わないで」
俺は驚きのあまり後ろに飛んで逃げた。
「ごほっ、げほ。うぶぶっ」
その女は上半身を起こして弱々しく咳き込み、口から大量の水を吐いた。その動作が終わると、ゆっくりと俺を見てしきりに瞬きしている。
「だ、大丈夫なのか……?」
恐る恐るたずね、ふとあることに気づき視線をそらす俺。女の上半身は裸で、形の良い二つの小山がむき出しになっている。そりゃそうだ。俺の釣り針が引っ掛けちまったんだから。
「あ、ごめん、ほんと、なにもしてねえし、ちょっとしか見てないから。って俺なに言ってんだ。いや無事ならよかったマジで。とりあえず、上を、着てくれ。隠してくれ」
しどろもどろになっている俺に対し、目覚めた女は澄んだ声で返答を放った。
「お気遣いに感謝する、地球の人。ところでなにを謝っているのだ。謝罪が必要な状況とは思えないが」
「いや、あの。年頃の娘さんだし。って、なんだって?」
今こいつ、俺をなんて呼んだ?
「やはりこの肉体は水中行動に向かない。水を飲んでしまった」
俺はさっきまで釣りを楽しんでいたポイントに戻った。目の前ではビキニ姿のねーちゃんが猛烈な勢いでサンドイッチを食べている。もちろん胸を水着で隠してもらったし、食われているのは俺の昼飯だ。
「ふごふが。やはり地球人類の肉体を動作させるためには糖分摂取が効率的のようだ。もぐ。この場合は感謝と謝罪のどちらが必要であろう。ごくん。どちらを要求されても相応の対処をしたい。げっぷ」
「わかるように話してくれ。難しい言葉は苦手だ。あと、メシを食いながらしゃべるな」
「きみのカロリー源を私が摂取していることは、きみにとって不利益ではないのか?」
……カロリー源って、メシのことか。
「いやべつに、感謝も謝罪もいいけど。腹減ってるんだろ。遠慮なくどうぞ」
「ではこの件は保留するとしよう。言語コミュニケーションにおける若干の障害は、徐々に改善されると思われる。そのためにも、まずは情報が欲しい。ここは地球上の日本国という行政区域に相違ないだろうか」
俺は軽い頭痛を覚えた。メシの前にも聞かれたことだ。
「……ああ、そうだよ。なあ、俺からも質問だけどさ」
「遠慮なくどうぞ」
「マネすんなっ。あんた、本当に宇宙人なのか」
この質問をするのには激しい抵抗があった。心理的に。
もちろん、そんなわけはない、と言って欲しかったからだ。それでも、ああ今日の俺はなにを願ったところで神さまには聞き入れてもらえないのさ。
「いかにも、私はきみたち地球の人から見た宇宙人にあたる。こことは別の惑星から来た。目的は文化交流と相互扶助。この計画が成功することは、我が種族全体の切実な願いである」
どうか夢でありますように。テレビ番組のドッキリ企画でも可。
「……頭を打ったみたいだな。今、救急車呼んでやるから。自分の名前はわかる? 住んでる場所とか両親とか電話番号は思い出せるか?」
俺は荷物の中から携帯電話を取り出して、地元の消防署をダイヤルしようとした。少し冷たすぎる対応かなとも思う。それでも溺れかかっていたのは事実だし、念のために病院で診てもらうのが先決だろうと思ったからだ。
「我々の言語で『海底火山から噴き出す極小の気泡』というのが私の個体名だ。オリジナルの発音を伝えることは不可能に近い」
「なげーよ! ってかそれが名前って覚えにくいし呼びにくいにもほどがあるだろ。ハンドルネームかなにかか?」
ついつい突っ込みを入れてしまった俺を、あくまでも淡々とした目つきで見つめる自称、宇宙人さん。からかったりふざけたり、という雰囲気が微塵もない。
まったく大変なものを釣り上げてしまった。見た目もある意味で大変だ。ショートカットのスレンダー体型、わずかに釣り目がちの美人でものすごく好みのタイプ。空と同じ色のビキニが似合うったらない。しかも、さっき見てしまった二つのふくらみが……。
ええい、邪念よ去れっ。それどころじゃないだろ今は。
「無事みたいだけど一応、救急車は呼ぶぞ、いいな?」
俺は複雑な気分を抱えながらも、意思疎通を諦めて携帯電話の発信ボタンを押す。
本当に洒落になってないなら、ますます病院や警察で保護してもらわないと。俺のような庶民でどうにかできる問題じゃない。
しかし、いくら待っても電話は繋がらなかった。
「おっかしいな。アンテナは三本立ってるのに。話し中にもならん」
「それは、きみたちが使う遠隔通信機だな」
「はいはい、そうだよ。携帯電話というすばらしい文明の利器」
「これは謝罪が必要だ。おそらくその機器は私が発した電波によって機能不全を起こした。まことに申し訳ない。どうか許して欲しい。そのために私はなにをするべきだろうか?」
なにやらわけのわからないことを言われた。俺はそれを無視して、消防署から警察に電話をかけなおそうとする。
携帯電話の画面を見た俺は、目を疑って何度も瞬きした。さっきまでなんの異常もなかったのに、アドレス帳やメニュー画面のあちこちが文字化けして読めなくなっている。いろいろいじっているうちに、とうとうボタンが利かなくなった。機種を変えてから一年も経っていないはずだぞ。
「……嘘、だよな? 電波がなんだって?」
あたりにこだまする波の音が、俺の胸でも鳴り響いていた。ざわざわ、ざわわ。
「我が種族は嘘をつかない。まことに残念だがきみの携帯電話は私が原因で故障した」
俺は頭を抱え、その場にうなだれた。自称宇宙人は謝り続けている。
まだ続きます。