#9 「この世界の生物」
◇
「ロスって、普段は何をしてたの?」
「……普段?」
「そう。ずっと……エクシオン? を監視してたわけじゃないでしょ?」
「……いいや、他にすることは何もなかった」
「えー……じゃあ、何を食べていたの?」
「保存食だ。王宮ミバの地下には毎年のように大量のそれが運ばれてきたからな。水とそれがあれば十分だ」
「どんなのがあるの?」
「野菜や動物の肉を圧縮し、凍らせた固形物が主だ。棒状で懐に入れやすく、時間も取らない」
「へー……」
「リンがエクシオンで食べていたもの、仮拠点で食べたものはそれを溶かしたものだ」
「えっ、そうだったの? 凄く、美味しかった!」
「……あの薄味を美味に感じるのか……」
「薄い……? そんなことなかったけど……あっ、溶かす前の保存食! そのまま食べてるから、濃い味に慣れすぎちゃったんじゃない?」
「……そのものも薄いんだが……?」
「えっ?」
「ん?」
◇
「ロス……質問、なんだけど……優しい巨人とか、綺麗な妖精とか、この世界に居ないかな?」
「面白いことを聞くな。何だそれは?」
「あっ……優しい巨人は、森に棲んでる、おおらかな性格の、大きい人で……妖精は、森に棲んでる、羽を持った小さな小さな女の子……なんだけど」
「……いるぞ」
「え、ええっ! ホントに!?」
「姿形だけならな。問題は、どちらも自民族中心主義で凶暴だということだ。近寄らないほうがいい」
「……はぁ」
「何を期待していたんだ?」
「この冒険の、ワクワクと癒しを……」
「……その剣か。疲労が溜まっているだろう。一旦休憩するか」
◇
「ねぇロス、この世界の人って、みんな魔法――じゃなくて、神術を使えるの?」
「……」
「ロス?」
「人というくくりでなら、そうだな。皆が皆、強度の違いはあれど神術を行使できる。生活、業務、戦闘、あらゆることに根付いている」
「やっぱり……そうなんだ……」
「神術が使えないなんて者は、それこそ人としてみなされるのかも怪しい」
「うっ」
「リンが監獄――エクシオンで上に"審議"されるはずだった項目の中に、それも入っている。四つ日のいずれかでジール・アグライアか他の団員に神術が使えるかどうか、試されていただろうな」
「ひぃ」
「だが、これはあくまで『人』の話。『人類』というくくりでなら、神術が行使出来ないものは存在する」
「……それって、どういう……?」
「神術が行使できない。いや、外に放出できない。故に、人と異なる奇形の外見、人を超越した強靭な身体能力を持つ――"アントリサーズ"と呼ばれる種族だ」
「あんと、りさーずって――私が……そうか否か、って言われてた――」
「そう。『敵』だよ」
「――!」
「とはいえ、最近は進化によってそう人と大きくかけ離れた外見のそれは少なくなりつつある。だからこそ、特別な出自といえどリンが疑われ、エクシオンに入れられることになった。発見された場所も場所だったからな」
「もし、私がそのあんと……うん?」
「アントリサーズ」
「そう、それだと認められていたら……」
「最悪、殺されていたな」
「うわぁ……」
「ジール・アグライアの動きにもよる。あいつは、父親と違い優等生然としていて、腹の内が読みにくい。エクシオンでは親しくしていたようだが、アントリサーズだという結果になった場合、掌を返す可能性もおおいにある」
「ジールさん……」
「外か、他国に出てしまえば、あの国の統治も及ばない。我としても良い機会――……」
「……ロス?」
「待て。何だこれは。こんなもの……胸騒ぎがする」
「……?」
「リン。そこの樹の下だ。危険と判断すれば動いても構わないが……無理はするな」
「えっ、ちょ、待っ――」
◇
近くの大樹の陰を指差し、「無理はするな」と言い残した瞬間、ロスは消え去った。
ひとりポツンと残された私は、しばらく茫然とそこに立っていることしか出来なかった。
ジャングルの奥から吹く生ぬるい風を受けて、思い出したように大樹の側に行きしゃがみ込む。
(ど、どうしたっていうの?)
ここまで歩いてきて、突然の放置。
ロスが呟いていた内容から、私の知らない方法で「何か」を発見したことは確かだけど、その内容が分からないからどうしようもない。
(いつ、帰ってくるんだろ……)
しばらく歩いて、太陽は間もなく頭上に辿り着く。
食料や飲料といったものは腰の鞄に剣と一緒に常備してあるから、当分の間は生き延びられるけど。
(もしすぐに帰ってこなかったとしたら、寝場所に困っちゃう、なあ)
辺りを見渡しても、嫌になるほどの情報量を秘めた緑が広がっている。
どこから何が飛び出してくるか、分かったものではない。
(今まではロスが、そういった場所を避けて通ってくれたんだと思うけど……)
これからしばらく、そうもいかない。
意識的に、剣の腹を撫でる。
いざとなったら戦闘だ。
ロス曰く、この森にはざっくり分けて四種類の生物が存在しているらしい。
一つは、虫類。これは監獄で見たのもあって、想像がつくし、前の世界でも散々見ていたものだ。この世界だと探せば新種とかもいそうだけど、私にその知識は無いからどれが新しいか、とかは全く分からない。
一つは、鳥類。監獄でも拠点でも見たことは無いから、この世界の鳥に関しては分からない。いつか見てみたい。
一つは、動物。哺乳類とか魚類とか、まとめてその辺り。この類の生き物の一部が主に食用になるらしい。歩いてくる途中に、何度かその姿を見た。とっても可愛かった。そして、自ら襲ってくるものは少ない、とも言っていた。
そして、もう一つは――
(『獣』……あらゆる色を吸い込む真っ黒な体毛を持ち、人類を見つけたら真っ先に襲い掛かってくるという、危険な生物――)
当然、見たことなんてない。
ロスは、『仮説が正しければ、リンは安全かもしれない。だが、念の為警戒はしておくべきだ』って言っていた。
あの時は聞き流していたけど、安全ってどういうことだろう。
それって、さっきロスと話していたことを念頭に入れると、私が「獣」には人認定されないっていう事なんでしょうか。
"神術が使えない=人ではない"の公式が、言語を介さない「獣」にも共通認識ってことなんでしょうか。
(なんだか、嫌な気分だなあ……)
「―gruuuuuuh―」
「!?」
左の奥から、唸り声が微かに聞こえた。
出来るだけ樹にべったりとくっつき、剣の柄に手を添えて、樹の左側、その奥を覗く。
――ベチャッ、と音を立てて転がり、動かなくなった大きな動物が視線の直線上に見えた。
「――!!」
そして、その動物にわらわらと群がり、息を荒げながらグチャグチャとそれを食べている――
(「獣」……っ)
奥に見えるのは三頭。どす黒い体毛を纏い、まるで狼のような姿形をしたそれ。
ちらと見えた瞳の色は、底冷えがするほど無機質な"白"。
ひやりと、背中を冷たいものが走った。
あの眼は見ちゃいけない。
生き物のする眼じゃない。
危険だ。
一刻も早く、ここを去らなくちゃ――。
夢中で食らいついている獣を傍目に。
足音を立てないよう、私はゆっくりとその場所を後にした。