#7 「束の間の休息」
◇
ロスの背中、ローブの明るい水色は、この緑に囲まれた空間でとても目立つめじるしになっている。
ロスの歩くスピードは、私に合わせてなのかだいぶゆっくりだけど、それでも様々な木々と植物が鬱蒼と茂っているこの場所では姿を見失いやすい。きっと、その辺も考えての事なのだろう。
(少し派手派手しいな、と思っていたけど……それなら納得)
先端がくるりと丸まった、巨大な植物を両手でどかしながら、ふと考える。
ここに入る前は、木も植物もほどほどな見た目で山の中の「森林」だな、と思っていたけど、いざ中に入ってみると奇妙なでっかい植物がめちゃくちゃ多い。
よくよく木を眺めてみても、私が前の世界に居た頃に見たものよりも遥かに太くて長い木が乱立している。
(ここ……森林というよりもジャングルって言ったほうがしっくりくるなあ)
腕にちくちくと突き刺さって離れない泥棒草のような細い緑色の葉っぱを服の袖から引き抜きながら、改めてここは謎世界なんだということを感じていた。
…
……
………
「ここだ」
「……こ、こ?」
ちょっと歩くのがしんどくなってきたかな、という頃合いで、先を歩くロスの足が止まった。
どうやら「仮拠点」とやらに到着したらしいのだけど、疑問符を出したのは目の前の光景が原因だった。
「あのー……どう見ても壁、なんですけど」
「ああ」
「えっと……洞穴、とかも見当たらないんですけど」
「これから作る」
「ええ……」
目の前にあるのは木々の葉に覆われて頭上の果てが見えない切り立った岩壁。
これから作る、っていうのはどういう意味だろう。
今から削り出してこの壁の内側に空間を作るところから始めるのかな。
(それって拠点とは言わないんじゃ……)
ロスは数歩進んで岩壁に手を当てると、何かを探るように幾度か手の位置を移動させて、こう言った。
「リン、我の真後ろに居てくれ。死ぬぞ」
「死……っ!?」
(なんで!?)
という疑問は口にしようとした瞬間に吹っ飛んだ。
――バガァアン! と鼓膜が破れそうなほどの破壊音と、視界に映る岩壁に抉られたような深い穴が開くのは同時の事だった。
少し遅れてヒュン、と風切り音が耳のすぐ近くで聞こえて、背後の木々がめりめりと音を立てて倒れていく音がそこらじゅうで鳴り始める。
唖然として、棒立ちのまま、ゆっくりと、風切り音の後にほんの少し熱を持った左の頬に触れる。
少し撫でて、手の指を見ると、べっとりと真っ赤な血が付いていた。
(痛……っ)
遅れて痛みがやってくる。
強張った首をどうにか後ろに振り向かせると、倒木に紛れてそこそこの大きさの岩が転がっていた。
(ほんの少しでも顔を左に傾けていたら、私の頭、文字通り飛んでた?)
それを認識した途端、現実逃避しようとしていた意識が元に戻ってきた。
「あ、あの!」
「何だ?」
振り向いたロスの姿には、傷どころか衣服の破れも見当たらない。
「な、なんで無事なの?」
「……身体の前面に斜め後方へと物体を受け流す力場を生成していた、それだけだ」
「さすが、魔法……っ!」
「……リンが時々口にする、"マホウ"とは何だ? 「神術」の方言か?」
「えっ? あっ、うん、私の世界だと、本に出てくるような空想の奇跡をそう呼ぶの」
「ほう……本、奇跡か。それを何処で――いや、いい」
「?」
「先にすべきことがある。顔を貸せ」
戸惑いながらも、上体を倒すと、ロスが私の左頬を手で撫でた。
そのままさっと反転し、岩壁に空いた穴へと歩いて行く。
何事かと、今度は自分の手で頬をなぞる。
(痛くない……!)
あれだけべっとりとついていた血も、じんじんと疼いていた痛みも消えている。
ちょっとした線状に腫れている感触が残っているだけ。
ここまで出来るのか、という魔法――もとい神術に驚いていると、穴の中から呼ぶ声がした。
「来い、リン」
「あ、はい!」
薄暗い、本当に作られた洞穴を数メートルほど歩いていくと、しゃがみ込んだロスの姿があった。
(地面を何やら手でなぞっているけど……もしかして)
「――お前の身体は源素を拒絶する。だから流血を抑えることは可能でも痕までは消すことが出来ない。心しておいてくれ」
「あっ、うん」
「そこから三歩、後ろに下がっていろ」
(やっぱりまた、爆発するんだ)
再びの轟音。
砂埃を両手で払いながら、目を開ける。
すると、床に四角い鉄扉らしきものが見えた。
ロスはそれをガコリと外し、頭を突っ込んで中を覗く。
数秒後、首を持ち上げて、
「ここが仮拠点だ。入るぞ」
と涼しい顔で言い放った。
(そんなところにあるんだ……)
…
……
………
中は案外、と言っていいのか奇妙奇天烈なものは控えめだった。
唯一、部屋を淡い光で照らす、天井に埋め込まれた自然発光している石が不思議ではある。
拠点と聞いてずっと地上の小屋っぽいものを思い描いていたけど、その中身が地下に移ったというくらいで想像通り、ではあった。
積み上げられた木材。
小山のように盛られた植物の束。
水の汲まれた木の樽。
そして――私がつい目をやってしまう、鉄製の杖と剣や防具。
「落ち着きが無いな」
「ご、ごめん……ずっと気を張ってたあの場所と違って、何だか安心しちゃって……周りは見たことないものばかりだし」
「謝る必要は無い。我の許可なしに、余計なことをしなければそれでいい。エクシオンは、我にとっても退屈だったしな。同情の余地はある」
「そうなんだ……」
「それよりも、だ。これを見ろ」
私とロスが挟んで座っている机に、一枚の古びた紙が展開された。
茶色と、ところどころ黒で塗られたいくつもの不定形の模様、そして模様の部分以外は真っ青に塗られた紙。
これは――、
「地図?」
「――ほう。それに関しては知識が一致するか。そうだ、全ての国、地域を網羅している訳ではないが、これが世界全土の地図になる」
やっぱり、どうまじまじと眺めても私の知る世界地図とは似ても似つかないものだ。
一つの巨大な大陸が地図の四割を占めていて、後は細かな島のような陸地が周囲に点在している。
大陸の中にも湖や大きな河らしき青が紛れていて、それを中心に国や街が広がっているようだ。
「我らがいたセントリィが南にあるこの場所、リンが目指すと言ったペヤル半島がここだ」
海にほど近い場所にあり、大国を築いているセントリィ。
そこから、北西方向に山脈と河を挟んで湖に突き出ているような島がペヤル半島。
地図上ではそこまで遠くは感じない。でも、実際は簡単にたどり着けるものじゃないことも読み取れる。
「ここに行くまでには、山を三つ越え、西の隣国……"ローレイディア"の領土を右回りに迂回する必要がある」
「ロー……レイディア?」
「あの国は独立している。他人を必要としない。よそ者を受け入れない。……逆も然り、なのがあの国の厄介たる所以なんだが……むやみに関わるべきではないな」
「そっか……」
「そして、ローレイディアの向こう、北西から北にかけては「敵」がいる。こいつらの目を掻い潜って、いかにペヤル半島を探るか、が問題だが……会敵するようなことがあれば、我の指示した位置から決して離れるな」
「うん……!」
「敵」とは、一体どういった存在なのだろう。
見た目が怪異な化け物なのか、私達と同じような人なのか。
どちらであろうと、私にその現実が耐えられるのか……。
「以上だ。今日はもう寝ろ」
「えっ」
「明日からは、この拠点を後にしひたすら歩く。そんな時に体力が持たないなどと弱音を吐かれては困るからな」
こんな早いときから……いや、今は地下にいるから、純粋な日の光は届いていないし……でも、そんなに時間は経っていないはず。
それに、ひたすら歩く、って――、
(あの場所が一気に変わったやつ。あれも神術だよね。あれは――)
「はぁ……転送移動は、お前の意識が戻るのに数分、時間遅延があった。……仮に、あれが源素の干渉を拒絶しているからこその反応だとすれば、多用するのは危険だろう」
「! え、エスパーなの……?」
「何だそれは。お前は感情が表情に表れやすい。何を考えているかぐらいは推測出来る」
思わず顔に触れる。
(私、そんなに分かりやすい表情してたんだ……!)
「寝ろ」
ロスは、植物の山を指差し、それだけぶっきらぼうに言い残して姿を消した。
静かになる部屋内。
剣とか杖とか、防具に触れてみたいけれど……余計なことをするな、と釘を打たれているし。
寝るしかないか……と植物の束に倒れ込む。
(あっ……これ、意外と柔らかい……ふわふわ……)
「……ふわぁ」
あくびが出た。
そういえば、こんなにほどよく静かで、ベッド代わりの束も柔らかで、不安を感じる必要が無いところで寝るのは久しぶりだ。
それに、自分で驚くほど、明日の心配もしていない。
(私……ロスのこと、信頼しているのかも)
そう考えると、安心感からか、なんだかどっと眠気が襲ってきた。
牢獄に居た頃から、だいぶ疲れをため込んでいたんだ。
ようやく、それを発散できる場所に辿り着いた。
(ほとんど、ロスが連れ出してくれたおかげだけど……この安心も長くは続かない。私自身の生きる術も、見つけて……いかなくちゃ……)
植物の温かさに包まれながら、意識はゆっくりとフェードアウトしていった。