#2 「住めば都」
◇
「ごほ、ごほ……っ、ふぁぁ」
二日目になった。
何で二日目だと断定できるのかというと、扉の窓から差し込む光の色と量からだ。
昨日、あのスープみたいなものを食べた後、扉を見ながら手持ち無沙汰にしていると、窓から部屋をじんわり明るくする程度に差し込んでいた光の色がほんのり茜色へと変化したのに気づいた。
――あれ、もしや夕方? もしかしてこのまま夜になるんじゃ?
という、当たって欲しくなかった予想は順調に暗くなっていく部屋によって正解を裏付けられ、慌ててもう寝るしかないと判断して、でも布団も何も無いから床に寝転んで、思ったよりもざらざらして硬い床にもだえ苦しみながら就寝。
気が付けばまた日の光が差し込んでいて、あー朝だ、と認識した。
だから、二日目だ。公園のベンチよりも寝心地の悪いこの場所で、一日以上眠っていられないはずだという思い込みもあるけど。
体中の鈍りと微かな痛みを無視して、それよりもと周囲を見渡す。
昨日よりも部屋が明るくて、細やかなところが目に見えてきていた。
壁はレンガのように縦横へ走っている白い模様があるし、
扉はシンプルで、見慣れた位置に鍵穴の付いたノブがある。
そして、右上の隅をみると、アブのようなそこそこ大きい虫さんがじっと止まっていた。
虫さんは、嫌いじゃない。
むしろ、同じ部屋の住民のようで、あの全身真っ黒な姿にもなんだか愛着が湧いてきそうだ。
――意識して、口元に笑みをつくる。
こんな状況だけど、いいや、こんな状況だからこそ。私は笑顔でいないといけない。
恐ろしいのは無気力。不安と絶望に押しつぶされ、やることなすこと全て無意味に見えてしまうことほど身を滅ぼしてしまうものは無い。
父のように。目を虚ろにした路地裏のおじさんのように。
よし、と自らを鼓舞して、決意を固める。
背後の壁と平行になるよう身体をずらし、立てた膝に片手を付き、もう片手は床を押して。
息を思いっきり吸い込んで、全身にありったけの力を込める――。
「んぬぬぬぬぬぁぁぁぁ!」
勢いよく立ち上がる。
自分でも驚くほどの起立っぷりで、身体が後ろに倒れかけるものの、両手を壁につけて支える。
(やった……立てた!)
まだ若干足の震えが残っているものの、問題なく立つことが出来た。貧血じみた立ち眩みもない。
昨日よりは身体の機能がよくなっているように感じる。
これなら、昨日思っていたけど出来なかったことも実行できる。
(扉に行こう!)
壁伝いに扉の前まで向かう。
つとめて慎重に動かしているけど、歩くのにもそんなに問題はない。
筋力が落ちているのは確かみたいだけど、この分なら多少運動すれば元通りになれるかもしれない。
「……が、んばるぅぅ」
昨日の眠れない夜、ずっと小さな声で練習していた発声。
それもだいぶ様になってきていると思う。
なんだかんだでたどり着いた扉。
近くで見ると、目線よりちょっと高い位置にある窓は、案外大きかった。
そして、特にガラスが張られているというわけでもなく、ただそこだけがすっぽり抜けているのだということも分かった。
そこに両手の指をかけて、ぐぐっと背伸びをして、何か発見できるといいなと淡い期待を抱きながら外を眺めてみる。
(壁……)
正面は、部屋の中と同じく無機質な灰色の壁だった。
薄々気付いてはいたけど、やっぱりここは監獄的な場所なんだろうか。
この部屋だけが独立して外にあるわけじゃないみたい。虫さんも入ってきているくらいだし、自然とか草原とかだと嬉しいなと期待していたぶん、ガッカリ。
もう少し視線を動かして、左右を眺めてみる。
どうやら通路になっているみたいだ。左側は暗く、右側は明るい。出口と外があるとしたら右に行った先だと思う。
背伸びがしんどくなってきた。
一旦、諦めて扉にもたれかかる。
(……私以外にも他に、ここにいる人がいるかもしれない)
左の奥に、同じような形状の扉が見えた。想像している通りなら、その先にもいくつか扉があるのだと思う。だとしたら、似たような境遇の人達もいるんじゃないか――。
以前見たことのある脱獄ドラマを思い出してみる。いずれにしても、「協力者」が居た。
だから、私一人だと絶対にここからは抜け出せない。それに、抜け出した後に待っている生活の保証もない。
しばらくは、ここでじっとしているしかなさそう。
そう考えながら視線を下向けていくと、扉のノブが見えた。
(当然、鍵がかかっているんだろうけど――)
確かめてみたい、という衝動に駆られる。
ただ、触れただけで電流が流れたり、「あの人とその仲間達」に連絡が行ったりするようなことが起こってしまわないかも気になる。
二つの考えを天秤にかけて、いつかは試さないといけないことだろう、と勢いよくノブに手を触れた。
「っ……!?」
――びっくりするほどあっけなく、ノブは回転した。
そして、押し込もうとすると――扉ごと身体が弾かれた。
後ろにとすっと尻もちをつき、唖然と扉を見つめる。
(え? どういうこと――?)
バネみたいに、押し込むほど抵抗力が強くなって力を抜いた途端押し戻される、というような感覚じゃない。
途中まで何の抵抗もなくすんなり押し込めたと思ったら、急に反対側から凄まじい力で押し戻される、という感覚だった。
強烈な違和感。なんだろうこれ。
「もう、いち、ど……っと」
リズムよく身体を動かし、立ち上がる。まだふらつく。けど、すぐに安定させられる。
今度は、足を前後に開いて、ぐっと扉へ全体重を押し付ける。ドアノブを握り、気合の声と同時に回して――。
「いっ……たぁぁぁー」
現実は容赦無く、同じ轍を踏む結果に終わってしまった。
いや、今度はお尻ではなく背中から地面に衝突した分、痛みは倍増している。
(つらい、でも、悔しい――)
私にも想像できる理屈でドアが開かないのなら、仕方ないと思える。
だって、開けるために必要な道具も、知識もないと分かれば、ドアを開けるための試みは奇跡が叶うことを待ち続けるくらいに時間の無駄だと納得できるから。
別の方法を探ろうと考えをシフトできる。
でも、よくわからない現象のせいで、ドアが開かないのなら。
まだ、よく判明していない解決方法があるんじゃないかって、期待を抱いてしまう。
だから。
「まだ、まだ……!」
何度でも挑んでやる。
この、扉に――。
◇
ゆっくり開けてみたり、早く開けてみたり。
開けた瞬間、ドアの間に生まれる僅かな隙間に着ている布の一部を挟んでみたり。
色々試して――結局急な運動による疲れで眠ってしまっていたらしい。
起きるとまた部屋が橙に染まっていて、すぐ傍には料理が置いてあった。
「……」
今回はスープの他に、いろいろな食材の盛り合わせが大きな容器に入っていた。
そして、形状からして「スプーン」がその容器の傍に立てかけられていた。これで食べてねという事だろう。そこは原始的でなくて良かった。
おもむろにスープを飲んで、次に盛り合わせを口に運んでみる。
薄くて緑色の、レタス的なものかな。しゃきしゃきと水気があっておいしい。
大きさはばらばらだけど赤色の、何かのお肉? 柔らかさと歯ごたえを両立した食感に、刺激のある味付けが懐かしい。
細長くてまっ黄色の野菜。見た目ピーマンかと思ったけれど、味がほんのりと甘くてパプリカに近い気もする。
そして――それらを一緒にスプーンに乗せて口へ運び、味のハーモニーを楽しんだ。
(幸せ――)
料理を食べている時だけは、何も考えず幸福だと思える。
それに、私自身で何か買ったり準備したりせずにあの人が食べられるものを運んできてくれる感動はちょっと筆舌に尽くしがたい。
ただ、まず食べてみないと分からないくらい、食材の見た目が見慣れていたものと違うのが気になりはするけど。今この幸せに比べたら些細な事。
決して慣れたくはないけど――こんなところでも住めば都、なのかもしれない。