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第二章 エレベーター 1

 その日、外回りから直帰した由希子はいつもより早く帰宅し、自宅のマンションのエントランスでエレベーターを待っていた。


(いつもはまだ会社にいる時間だし、なんか新鮮な気分。今日はお風呂にお湯を張って、こないだ買った入浴剤使おうかな。ゆっくり入ろうっと)


 ふふっと小さく笑うと後ろからマンションの他の住人が来たことを感じ、キュッと唇を引き結ぶ。


 エレベーターが来たので、乗り込むと、サッと操作盤の前に立ち、


「こんばんは、何階ですか?」


 と後から乗り込んできた男性に声をかける。

 すると、その男性は一瞬驚いた様子で目を見開いたが、次の瞬間には元の表情に戻り、


「八階です」


 と、行先を告げる。


(八階、同じ階の人なんだ…。いつもと違う時間だと、会ったことない人にも会うのね)


 そう思ったが、なんとなく見覚えがある人物だった。ここではないどこかで、恐らく何回か会った事がある気がするのだが、思い出せない。


 だが、由希子の疑問はすぐに解消する。

 八階に着き、男性が降り、由希子も後に続く。すると突然男性が振り返り、由希子に声を掛けてきたのだ。


「同じマンションだったんですね」

「え?」

 

 由希子は訝しげに男性の顔を見る。


「すみません、思わず声をかけちゃいました。よくうちのコンビニに来てますよね?」


 《コンビニ》というキーワードでやっと思い出す。コンビニの制服を着ていない事と、場所と人が一致していない事もあり気付かなかったが、男性は例のコンビニの店員、壱岐その人だった。


「ああ!ニコマの店員さん!」

「そうです。制服じゃないと分かんないですよね」


 壱岐はいつもの爽やかな笑顔で由希子に微笑みかける。


「ふふ、そうですね。私服姿だと、誰かと思いました。毎週会ってるのに。あの、エレベーターに乗っている間中、ずっとどこかで会った事がある気がするのに、思い出せないなぁって思ってたんです。ここではない場所で会った事がある気がするのにって」


 頭一つ分ほど背の高い壱岐を見上げながら、由希子は微笑む。


「覚えていてもらえてうれしいです。まさか、同じマンションに住んでるとは思いませんでした。八階なんですか?」

「はい」

「階まで同じなんて、すごい偶然。俺は八〇二号室の壱岐悠(いつきゆう)です。今更ですけど、よろしくお願いします」

「佐野由希子です。八〇五号室です。壱岐さんはずっとこのマンションに?」

「そうです。大学入学の時に引っ越してきたので、もうすぐ四年目です」

「大学生なんですね。そっか、いつも違う時間に帰ってくるから、全然気付きませんでした。こちらこそよろしくお願いします。本当、今更って感じですよね。ふふ、可笑しい」


 由希子はなんだか嬉しくなり、口元を緩ませ、壱岐に微笑みかけた。壱岐もまたそんな由希子の様子を頭一つ分、上から見ていて、自身の鼓動が速くなっていくのを感じていた。


「それじゃあ、また」


 エレベーターの前で立ち話もなんなので、何方からともなくそう告げると、お互いの部屋に帰っていった。


「…すごい偶然もあるのね」


 自室の玄関のドアにもたれ掛かりながら、由希子は呟くと、バスルームに行きバスタブにお湯を張るべく、給湯器のスイッチを押した。


 ◆


「由希子さん。おはようございます」

「おはようございます。壱岐さん。今日は早いんですね」

「最近朝日浴びてなかったなーと思って、朝活?ってやつです。夜やっても進まないから、じゃあ気分変えて朝ならどうだ!ってことで」

「ふふ。卒論大変そうですね」

「…他人事だなぁ」

「他人事です」


 マンションでお互いを見かけることがなかったと思っていた由希子と壱岐だったが、不思議なもので、お互いの存在を認識してからというもの、マンション内やその周辺で度々顔を合わせるようになっていた。


 今までもすれ違っていたりしていたのかもしれないが、付き合いもなく、年齢も生活も違う二人はお互いを特に意識することもなく、それ故に記憶にも残っていなかったのかもしれない。

 最近では、会えばこうして少し話したりもするようになった。


「そう言えば金曜だけど、今日うちの店来ます?冬の限定チョコ入ってきてますよ。毎年出てるあのくちどけがいいやつ」

「本当ですか?じゃあ買いに行かなくちゃ」


 毎年冬の間だけ期間限定で発売される少々高級なくちどけの良いチョコレートが由希子は大好物だ。口に入れた瞬間に蕩けだすその甘い誘惑を思い出し、由希子は無意識に頬が緩む。


 そんな由希子を見て、壱岐は思わず吹き出してしまう。


「ぶふっ!顔緩みすぎ!どれだけ好きなんですか」

「えっ?やだ!毎年楽しみにしてるから、思い出しちゃって。笑わないで下さい」


 耳まで赤くして恥ずかしがる由希子を見て、壱岐はなんだか胸が熱くなった。もっと話していたい。もっと親しく声を掛け合えたらどんなに良いだろうと考える。


「ねえ、由希子さん、お互い敬語やめませんか?俺、もっと気軽な感じで由希子さんと話したいな。ね、俺もやめるから、由希子さんも!」


 壱岐の申し出に由希子は一瞬瞠目したが、まるで子犬の様な目でそう訴えてくる頭一つ分高い目線の男に、今度は由希子が吹き出した。


「ふふ、わかった。そうだね、私もその方が話しやすい…ねぇ、その顔わざとなの?そんな上から捨てられた子犬みたいな目で見てくるのやめて!おかしいから!」

「捨てられた子犬って…ひどいな由希子さん」


 そう言いながら、壱岐はその表情を崩さずにさらに顔を由希子に近づけた。


「あはは!やめて~」


 由希子は壱岐の背中を軽く叩くとお腹を抱えて笑った。


「あー、こんなに笑ったの久しぶり。年単位でなかったかも」

「年単位って!由希子さんどんな枯れた生活をしてたの」

「枯れたなんて、ひどいわね!」


 ぷくっと頬を膨らませた由希子を見て、壱岐はキュッと胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


(可愛いな…)


 駅に着くと手を振り合い、それぞれ乗車ホームに向かった。

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