途中まで読んでいたとあるなろう小説が消えた時に思った事を思ったままに書く
一応伏せるべき部分は伏せて書いていますが、このエッセイの内容から個人を特定し攻撃するような行為はご遠慮ください。
TwitterのDMにてとあるなろう作家(以下、その人をAと呼称する)から「良ければ自分の作品読んでみてください」とメッセージを送られ、何となく読んでいた時期がある。Aもこちらの作品を「面白そうだから読む」と言っていたので悪い気はしなかった。
ただ正直なところAの作品はお世辞にもクオリティが高いとは言えず、半ば義理のような気持ちで読み進めていたのを今でも憶えている。相手が学生である事、その作品が処女作である事も(どこまで事実か知らないが)無下に扱わなかった理由に該当していたかもしれない。
こうして書くと巷で話題の相互クラスタと勘違いされる方もいるだろう。しかし私はAの作品にポイントを入れるつもりもブックマーク登録するつもりもなかった。
話が面白ければそれらの形で作者を応援する事も考えたと思う。しかしつまらなかったし読みづらかったので、率先して応援しようという気にもなれない。別に消えるのが惜しい小説でもない。
同時にトラブルを避けたい気持ちから不出来な部分を指摘しようともしなかった。感想など書いてもどうせ批判しか並ばない。私は読書の感想で歯に衣着せるような心優しい人間ではない。
つまり最善の選択はAに対して何もしない事、これだけだった。なので放置したのだがこうして振り返るとやはり私の対応は少し冷淡だったかもしれない。
で、それはそれとして読むだけ読んでやろうかと数日かけて1/3程度まで読んだ。
随分と読むのが遅いように思われるだろうが、私は元々速読家ならぬ遅読家である。面白ければ「もったいないから」と時間をかけ、つまらなければ「耐え難いが読まない事には評価もできまい」と結局時間をかけて読む。今では本棚に何冊も未読の書籍が積まれている。
なのでその作品も「キツい」と思いつつ読み進めていた。苦痛と呼べるほどの苦痛ではなかったものの、最近の忙しさもあってどんどん浪費されていく時間が勿体なく感じる場面も幾度かあった。
ある日、Aのアカウントが『ユーザーの規約違反』によって消えていた。
これも正直に言うと、消えた事実に対して私は一切驚かなかった。「ああやっぱ消えたんだ」程度に受け止めていたと断言できる。
というのも何というか、本当にAには申し訳ないのだがあのクオリティの処女作に対して不自然なまでのポイントがついていたのだ。クラスタ云々の問題かあるいは複数のアカウントを所持していたのか知らないが、運営が虚言を吐くような事はしないだろう。Aは間違いなく何らかの違反行為に手を染めていたのだ。
そしてそれだけではない。Aは某所にてちょっとした問題行動を起こしていた。
これはあまり詳しく話すと簡単に特定されてしまうので大部分はぼかす。強いて言うならその問題行動とはそれほど大きな規模のものではなかった。
私は特に同情するでもなく、相互フォローを外すついでにAのTwitterを覗き込んだ。この時心の中では「これ以上読まずに済ませるには充分な言い訳が立った」程度に思っていた。やはりどこか冷淡だ。
案の定、彼ないし彼女は反省した様子を見せていなかった。どころか「なろうのアカウントは諸事情あって自主的に削除した」と虚言まで吐いている。そんな薄っぺらな嘘、誰でも暴けるというのに。
あまりこういう話をしたくないのだが、結局は「つまらない人間がつまらない作品を書いてつまらない不正で持ち上げていた」という話だったのだ。
ひとまず「某所でのやらかしを見ていた」「フォローは外す」と誰に向けたものでもない呟きをネットの海に投げ込んで、Aのフォローを外した。あの言葉をAが見ていたとも限らないけれど、そこはもう私にとってどうでもいい。ブロックするほど大物の悪党でもないのでそのまま放置する事とした。
今、Aは他のサイトにてあの作品を連載しているらしい。
どことは言わないがなろうでアカウントを削除された者達が流れ込んでいるせいで一部からは流刑地と呼ばれている、あの有名な小説投稿サイトだ。
ネットの情報曰く複数アカウントでやりたい放題できるらしいがそこでも対策が進んだらその流れ者連中はどうするつもりなのだろう。どうでもいいが。
今回の件で私が得たのは徒労感と、このエッセイのネタだけだ。
夜遅くに書いているせいか内容はまとまっていないしオチさえも考えていない。さてどう〆たものか。
強いて言うなら、そうだな。
書くなら誠実に書こう。