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1-8.詰所でごあいさつ

 湯に当たって頭がぼうっとしていて、宿に戻ってすぐ、ベッドに倒れこんで眠った。その、一連の流れは覚えている。果たしてニコがどうやって寝たのか、よく覚えていない。朝、眩い日差しに眼を覚ますと、ニコは既に起きて椅子に座っていた。


「……おはよう」

「おはよう、イリス。具合はどう?」

「もう、大丈夫」


 頭はすっきりしていた。私はどちらかというと、朝には弱い。こんなにすっきり目覚めたのは、久しぶりな気がした。

 ……久しぶりだ、本当に。前の肉体が病にかかってからは、朝も晩もなく、苦しい日々が続いていた。


「朝ごはんは、りんごだよ」

「食べていいの?」

「良い。宿の主人が、さっき運んできてくれたんだ」


 ニコに貰ったのは、赤くてつやつやとした、丸い林檎。ニコもひとつ持ち、齧っている最中だ。

 口をそーっと近づけ、がりり、と噛む。酸味が広がり、じわっと果汁が染み出す。しゃくしゃく、と小気味良い歯ごたえ。


「おいしい」


 思ったことが、そのまま口から出た。ニコは、「ほんとだね」と相槌を打ってくれる。優しさを感じる。

 林檎を噛む音だけが、暫く響いた。窓の向こうから、微かに喧騒が聞こえる。外ではもう、人々が活動を始めているらしい。


「じゃあ、今日は、砂出しの仕事を聞きに行くから」

「私も、行く」

「……本当に? 俺、心配だよ。昨日の銭湯でも、君は倒れてるし」


 彼の心配は至極真っ当だ。私は、反省したのだ。あんな風に油断して、体調を崩すことは、もうしない。


「気をつけるから」

「いいけど……駄目だと言われたら、諦めて帰るんだよ」

「わかってるわ」


 そうなったら、一日中図書館にこもって、本を読み漁るのも良いだろう。そんな過ごし方も好きだ。私はニコが釘をさすのを受け入れ、立ち上がった。


「その、砂出しには、どうやってなるの?」

「知り合いに、紹介状を書いてもらった。これを、担当の人に見せに行くことになってる」


 ニコが鞄から取り出したのは、一枚の紙。昨日、門番の兵士に見せていたのと同じものだ。


「砂出しの詰所があるらしいよ」

「へえ……」

「まあ、俺もわからないから、ラルドさんに聞いたんだけど」


 身支度を簡単に済ませ、朝の街へ繰り出す。朝日に照らされ、世界はきらきら輝いている。日光を乱反射しているのは、砂粒だ。相変わらず、ここは砂で覆われている。


「ラルドさんって?」

「宿のご主人だよ」


 あの紳士は、ラルドというのか。知らぬ間に彼の名を知っていたニコの社交性に、感心する。

 十分も歩いただろうか。昨日抜けた、王都の門。その近くに、小さな建物があった。入り口の看板に、「砂出し部隊詰所」とわかりやすく名称が書かれている。


「おはようございます」


 声をかけ、扉をノックする。ドアノブが回り、中から男性が顔を出した。


「……ん? 新入りか?」

「紹介状を持って参りました、ニコラウス・ホワイトと申します」

「……入れ」


 男性の声は、がらがらと掠れている。奥へ入った男性に続き、私達も建物へ。

 建物の中には、スコップや作業着のようなものが、所狭しと並んでいた。砂の匂いが立ち込め、むせそうになる。この環境だけで、砂出しという仕事が過酷な労働であることが想像できる。


「紹介状を」

「はい。よろしくお願いします」


 男性はニコから、例の紹介状を受け取る。両手で持ち、上から下まで、ゆっくりと読む。読み終えた紹介状を、ぐさ、と机の上の釘に刺した。釘にはたくさんの似たような紹介状が、既に刺されている。


「そっちの、女は?」

「イリスです。砂出しをしたくて、無理を言って付いてきました」


 ニコに迷惑はかけられない。私は、自分のわがままであるという部分を強調して告げた。男性は、白髪混じりの眉を右側だけ上げる。


「今までも、女の作業員はいたが……辛いぞ」

「構いません」

「そうか。なら、やってみろ」


 構えてはっきりと返事したら、男性は案外、あっさりと私を受け入れた。


「今は人手が足りん。猫の手でも、誰の手でも借りられるものは借りたいのでな」

「頑張ります」

「俺は、砂出し部隊長の、エスナー・ゴードン。砂出しは地味できつい仕事だが、王都になくてはならないものだ。ニコラウスに、イリス。よろしくな」


 差し出された手を握り、握手をする。日頃からスコップを握っているだろうその手の皮は厚く、皮膚がごつごつしていた。

 その後、ゴードンは、ニコとも握手を交わす。そして私達は作業着を着せられ、スコップを持たされた。


「……大きいです」

「なかなか、イリスに合った大きさの作業着はないんだよ。隊員はガタイの良い男ばかりだから」


 ニコは、作業着もよく似合っていた。問題は私である。作業着の大きさが合わず、袖も裾も余って、だぶついている。


「折れば?」


 ニコに言われ、余った裾と袖を捲る。なんとか動ける格好にはなった。それでも、着せられている感は否めない。


「ままごとの人形みたいだな」

「お父さんの服を着た子供みたいだよ」


 ゴードンとニコに、それぞれからかわれながら、私はスコップを握った。なかなかに、重い。


「どうしてスコップを使うんですか?」

「溜まった砂は、スコップで掘り起こすしかないからな」

「魔法はどう使うんですか?」


 こんなに重いものを持ち、砂を掘るなんて、非効率極まりない。だから、効率を上げる魔法を使っているのだ。そう思ってゴードンに聞いたら、彼は「魔法なんて使えない」と言い放った。


「え?」

「魔法が使えたら、わざわざ砂出しなんて労働はしない。ここで働くのは皆、平均か、それ以下の魔法しか使えないんだ。俺たちは、自分の体で稼いでいるんだよ」

「そうなんだ……」


 昨日ニコがやって見せたように、魔法の技術は才能ではなく、上手い使い方を掴んでいるかどうかで決まる。なのにここには、魔法が使えず、肉体労働をするしかない人たちが集まっているというのか。


「イリスも、魔法が使えるなら、他の仕事をした方が良いぞ」

「いえ、私も魔法が使えないので」


 彼らの力でも、もっと上手く魔法を使い、効率的に仕事を進められるようになる。私の知識で、その手伝いができる可能性がある。

 手伝うにせよ、まずは、どんな仕事かを知らないと始まらない。


「今日の現場は、王都の南東だ」


 指示を受け、ニコと私は、歩き始める。徒歩で移動なのだ。王都は広く、南東は近い方らしいが、それでもかなりの時間を要する。

 風に乗って空を飛べば、移動はもっと速いのに……身ひとつで風を切る爽快感を思い出し、よく晴れた空を見上げる。空を飛んでいる人など、誰もいない。飛んでいるのは鳥だけだ。

 私の時代には、こうして歩いていれば、飛んでいる人のひとりやふたり、見つけることができたのに。どうも未来、つまり今は、そうした魔法の工夫が失われているようである。


「この辺りだね」


 王都の、南東。地図に示された場所と地形を見比べ、ニコが言う。立ち止まった彼は、辺りをぐるりと一周した。私もつられて、辺りを見回す。


「うわあ……」

「これはひどいね」


 その光景を目にした時、私とニコの感想は、一致した。

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