3-12.麗しのバリトンボイス
「あれ? あれっ? イリスちゃんとニコラウスくんを、急に感じなくなったんだけどお! なんで? いるのに、そこに!」
大騒ぎするベンジャミンを見て、私とニコは、視線を合わせて頷いた。
「あっ! 二人がでてきた!」
「ベンジャミン、ありがとう。あなたの協力があって、本当に助かったわ」
「おかげで、俺のしたかったことが、できるようになったよ」
それで何をするのかを、今明かすことはできない。ふんわりとした感謝の言葉に、ベンジャミンは胸を張った。
「でしょ! 僕に頼んで正解だったね!」
「ほんとね」
いつもの自信過剰なトーンではあるが、今日のベンジャミンの発言には、手放しで同意する。彼の父にも洩らさず、辛い練習にも耐えてくれた。
おそらくベンジャミンは、この練習が何につながるのかには興味がなく、ただ新しい魔法に夢中なだけ。その研究者体質が、今回はありがたかった。
さらに私たちは、彼に感謝しないといけないことが、もうひとつある。
「これ、本当に、お借りしていいんですか?」
「いいよ! ふたりが必要とするってことは、失われた魔法の再現に役立つってことでしょ。そういうのは僕、大歓迎!」
「ありがたいわ、本当に」
ニコの手には、平べったい金属が持たれている。これは、王都の図書館の、ベンジャミンの利用者証である。
偉い人たちの中には、自ら情報を得るのは手間だと思う人もいるらしい。この利用者証を持っていくと、私たちはベンジャミンの代理として、図書館に入れる。
そのことの何が良いのかというと、一般人では入れない、奥の書架を見ることができるのだ。ベンジャミンは、こう見えても王都の有力な魔導士。許可される範囲は、私たちより広い。
「その代わり、新しい発見があったら、ぜーったいに教えてね」
「もちろん」
そう念押しするベンジャミンに見送られ、私たちは図書館へ向かう。
「良い資料があるといいんだけど」
「そうだね」
高く舞い上がり、王都のこちら側とあちら側を区切る壁を、大きく越えていく。
しばらく進むと、古びた図書館の姿が、だんだんと見えてくる。
「こんにちは、ターニアさん」
「お久しぶりです」
いつもの司書が、笑顔で出迎えてくれる。その笑顔にどことなく親密さを感じるのは、気のせいだろうか。ニコは、ターニアと仲が良い。
ニコはカウンターに寄り、先ほど受け取った利用者証を差し出す。
「今日は、この方の代理で来たんです」
「えぇと……これは……?」
ターニアは眼鏡をくいっと動かし、利用者証に顔を寄せる。問うような視線を向けられ、ニコは、たじろいだ。
「王都のあちら側の、方なんですけど。ベンジャミン・バルバトソン。俺たちは、その代理で」
「えー……ちょっと聞いて来ますね」
ターニアは金属片を持ったまま、カウンターの奥の部屋へ向かった。その隙に、私とニコは、視線を交わす。
「そういう制度はとっくにないなんてこと、ないよね」
「あるかもしれないわよね。ベンジャミンだもの」
「そうだね……」
ベンジャミンが熱く語る内容は、彼の祖母の話に基づくことが多い。私にとっては懐かしい話ばかりなのだが、それはつまり、時代遅れということなのだ。
「ああ、お待たせしました」
ぱたぱた。軽い足音を立てて、ターニアが戻ってくる。彼女はいつも、物音を極力立てずに、静かに行動するので、こういったことは珍しい。少し慌てているようだ。
「やり方がわかりました。ええと、どなたの代理になっているのか、もう一度うかがえますか?」
「ベンジャミン・バルバトソンです」
「はい、ありがとうございます。バルバトソン……バルバトソン……あ、あった」
ターニアはカウンターの向こうで何か操作し、「照合が取れました」と言って、金属片を返して来た。
「どう照合しているの?」
「その金属片の、裏に模様が彫られておりますでしょう。奥の書架への立ち入りが許されている方は、そのような、模様入りの金属片をお持ちなのです。それを照らし合わせるそうです」
「へぇ……」
「今、聞いたんですけどね」
私が感心していると、ターニアは肩をすくめて笑った。
「初めてです。どなたかの代理で、いらっしゃる方がいるなんて」
「そうなんですね」
「はい。お待たせして申し訳ありませんでした」
金属片を返すとき、ターニアは、ニコの手に自分の手を軽く添える。
その仕草にどこか親密さを感じるのは……気のせいだろうか。
「奥の書架へご案内しますね」
「私が」
突如として、朗々と響くバリトンボイス。
「あ、館長」
「お手数お掛けいたしまして、申し訳ございません」
声の持ち主が、現在の図書館の館長らしい。細身で、銀縁の丸眼鏡をかけた、知的な印象の男性だ。
なにより、その腹から響くような品のある声といったら。
「奥の書架には、私しか行けないようになっているのです」
「そうなんですね」
なんて素敵な声なんだろう。思わずうっとりしながら、館長の隣を歩こうとする私の腕を、ニコが軽く引いた。
「並んで歩くと迷惑になるよ」
「あぁ……そうね」
書架と書架の間は、さほど広くはない。ニコに言われて、館長の後ろを歩く。
階段を上り、書架と書架の間を練り歩く。この辺りは、懐かしい。この先の書架にも、私は来たことがある。かつての私は、奥の書架を閲覧することの許される存在だったのだ。
埃の匂い、古い本の匂い。静かな中を、三人で並んで、息をひそめるようにして歩く。まるで、この静けさを破ったら、何か悪いことがあるみたいだ。
書架と書架の間の壁に、徐に、扉が現れる。館長が、扉に手をかけた。そのまま扉を開け、中へ案内してくれる。
「私は、この扉のそばで控えております。何かありましたら、あるいはお帰りの際には、お声かけくださいね」
「……はい」
返事がぼんやりとしてしまったのは、その美声のせいである。
「探しましょう、ニコ」
「この中から……?」
入った部屋の中には、天井まで書架が設けられ、壁面いっぱいに本が並んでいる。一部の人間しか閲覧することを許されない、奥の書架。ここには、王城関係の書物や、広めてはいけない魔法など、人目につかせたくはないものが保管されている。
「ええ。私も、王城については、あんまり調べたことがないから、どこにあるかわからないの」
「すごい量だよ……」
並んだ本を見て、ニコが絶望的な声を上げた。
私がここへ来るのは、たいてい、魔法について調べるためだ。間接的に人を傷つけるような魔法は禁忌とされるが、それを応用すると、新しい魔法が生み出せる場合もあった。
王城にはたまに謁見に行った程度で、内部の作りを詳しく調べようと思ったことなんてない。
「あった方がいいって言ったのは、ニコでしょ」
「そうだけどさ……まさか、こんな量だとは思わなかったから」
私たちはここへ、王城の内部構造を調べに来たのだ。
王城に忍び込もうとする目的は、どのように魔力石を作っているのか突き止めるためだ。
魔導士たちが支給される魔力に頼り、自己の限界を低く定めている。その結果、王都のあちら側にしか、魔法の恩恵がない。そんな現状を変えることと、魔力石生産という非人道的な行いを阻止すること。
「どこから手をつけたらいいのか、わかんないよ、俺」
ニコが、城に入るなら、内部の地図を知って見当をつけたいと言ったのだ。それに、私も賛成した。状況がわからない以上、いきなりばれるやり方で乗り込むのではなくて、秘密裏に行動してみたい。
並んだ背表紙を眺める。司書がいて、それなりの秩序を保って維持されている一般の書架と違い、ここの本は雑然としている。持ち込まれた順番に、並べられているのだ。
扉の近くは、どうも最近持ち込まれたものらしい。しかし、題名を見れば、古いものもたくさんある。その多くが、魔法に関することだ。
「これも、こっちに移されてるのね……」
中級魔法に該当する内容が書かれた教本も、ここにある。わざわざ奥の書架へ移動するのは、市民には見せたくないからだ。
こうした本を読んで、魔法を身につけた人が増えたら困るのは、王城の人間だ。魔法を使える人が増えれば、魔力石も必要なくなる。高値で売れている魔力石の収入がなくなったら困るのだろうが……その多額の収入は、どこへ消えているのか。それも気になる。
「イリス、こっちかな?」
「今行くわ」
謎を解き明かすためには、王城に行って、実際にこの目で見るしかなかろう。
私はニコの隣へ行って、一緒に本を確認した。




