3-11.それぞれに成長
「……できた」
「できたわね」
水中に沈んだ私とニコは、ひとつの空気の玉の中で、顔を見合わせる。
「このまま進んでみていい?」
「いいわ」
そろーっ、と前方に進む。空気の玉も、それに追随して動く。
ニコの髪から垂れた水が、私の頬にかかった。ここまで、試行錯誤を繰り返してきた。手を繋いで潜ってみたら、ニコの予想以上に体が離れてふたり揃って水を浴びたり。ニコが私を背負ったら、これも思ったより顔が離れて、私だけ水攻めに遭ったり。お互い腰に手を回して並んでみたら、ニコが私ばかり意識して、自分が水をくらったり。
挑戦して、失敗する。それが上達の近道だ。
「できたけど……イリス、嫌じゃない?」
「嫌じゃないけど……何が?」
「この体勢だよ」
私の背と、ニコの腹部が、ぴったりくっついている。私の頭の高さに、ニコの顎。それで試してみて、ようやく成功したのが、今である。
これなら、ニコに私の頭が見えやすい。それに、ニコの動きに合わせて動くことになるから、調整も楽なのだ。
「ちょっとくっつきすぎだよね」
「それはそうね」
「やっぱり、他の……」
「でも、必要なことだから、いいのよ」
成功するとわかったのなら、とりあえずこれで、練習をすればいい。広いところで試せるようになったら、新たな手法を模索すればいいのだ。
「これなら、いざというとき、すぐに魔力も補給できるものね。水中で魔力が切れたら、たまったものじゃないわ」
「それは、そうだね」
ニコの腕は、私の腹部にある。少し持ち上げれば、すぐに魔力の補給が可能だ。
こういう姿勢になってみれば、その方が都合が良さそうだということに気づく。
「これなら俺も、ひとりとあんまり変わらないから」
ニコは浴槽の壁を蹴り、すいーっと進む。私の足が、床を引きずられる。空気の玉は、速度を上げても追いついてきた。身につけている薄手の服が、水中でゆらゆらと揺れる。
「この方向で行きましょ」
「イリスがいいなら。そうしよう」
ベンジャミンの屋敷に行くと、まだ扉に手もかけないうちから、勢いよく扉が開いた。
「うわっ」
驚いたニコが、後ずさる。中からベンジャミンが、文字通り飛び出してきた。まりのように飛び跳ね、ニコに抱きつく。
「なっ、なんですか! やめてくださいよ!」
迫真の拒絶。ベンジャミンは全く気にせず、ニコを抱く腕の力を強め、肩越しに私と目を合わせる。
「今! 僕! ふたりが来るの、わかったんだよ!」
「すごいわね、成功したの?」
「そうっ! 僕、天才だった! できちゃったんだよー、わかっちゃった!」
ニコからぱっと手を離すと、両腕を広げて駆け寄ってくる。抱きつく気だ。身構える私にベンジャミンが届く前に、ニコが彼の腕を取った。
「すごいですね。中へ入りましょう」
「いいよー! これで僕も、ニコラウスくんみたいな天才魔導士の仲間入りだねっ!」
スキップしながら、屋敷に戻る。ベンジャミンは部屋に戻るなり、腰に手を当てて仁王立ちした。
「ほら! ほらほらぁ! 見て、今できてるよ、僕!」
見てと言うが、空気の膜は目に見えない。
「じゃあ、ニコ。練習しましょう」
「うん」
ベンジャミンが空気の膜を生成できたら、気づかれないように通り抜ける方法を練習するのが、今回の目的である。
人の魔法を逆手にとって利用するというのは、これからも使える方法だ。
「気づかれないように、穴を開けるのよ。そのためにはまず、空気の膜が張られていること自体を、知覚しないといけないの」
「ベンジャミンさんの魔力を、感じないといけないってこと?」
「そう。ニコは、自分の魔力はわかるけど、人の魔力は掴めないでしょう?」
ベンジャミンは腰に手を当てたまま、誇らしげに顎を斜め上に上げている。まだ、魔力が続いているのか。なかなか、魔法を使い慣れているらしい。
休み休み魔法を使ってるって、言ってたからな。
当人にその気はないだろうが、魔力を限界まで使って、休憩を挟んでまた使うという方法。これは、魔力の使用限度量を増やすのに有効な訓練である。
「人のがわかれば、大体のことは、同じ仕組みで知覚できるから」
「うーん……」
「自分の魔力と、人の魔力の、境目を感じて。そこから徐々に、相手の側に、イメージを浸食させていくの」
ニコは目を閉じる。彼は集中するとき、視覚を閉じる傾向がある。その分、他の部分に、神経を集中させようと言うのだろう。
私が伝えられるのは、それが可能であるという事実と、いくつかの例から導き出せるイメージの方法だけ。
魔法は何でもできるが、イメージがないものはできない。私は、イメージを結ぶ手助けはできるが、実際にやるのはニコだ。
「ベンジャミン……」
「今! イリスちゃんはこっちを向いたね! ほらあぁ!」
「それは目で見えてるでしょ」
ベンジャミンは嬉しげだが、額に滝のように汗が流れている。なかなかの消耗具合だ。
「魔力は足りてる?」
「あと少しは……でももうすぐ限界! これ、どこまでやってればいいの?」
「限界まで」
「わはははは! 僕は限界を超える! ……うっ」
突然ベンジャミンが、うずくまる。
ニコが、「ベンジャミンの魔力が消えたような感じがする」と呟く。
それ、会話を聞いたからじゃないの? と思ったが、魔法は思い込みが大切。指摘するのは野暮だから、やめた。
「頭痛い」
「ベンジャミン、大丈夫?」
「僕、こんなの、慣れっこだから。少し休めば……うぅ……」
口元を押さえ、苦しげに呻くベンジャミン。その様子はなんだか痛々しい。ニコはコツを掴みかけているようだから、彼の回復を待つ時間が惜しい。
いっそ、彼にも魔力を分け与えてしまおうか。目でもつむらせて見えないようにしたら、何が起きたかわからずに、新しい魔法だとでも思い込んでくれるだろう。
そう思った私は、「ねえ」とベンジャミンに呼びかけた。
「それは駄目」
間を開けずに答えたのは、ニコである。
「それ……って、私まだ何も言ってないんだけど」
「今イリスが何を提案しようとしたか、俺にはわかったよ。それは駄目」
「でも……」
私は首を傾げた。ニコは、ずいぶん頑なだ。
「その方が効率がいいのに」
「そうかもしれないけど……とにかく、駄目。また明日来て、練習しよう。俺も戻ったら、自分でいろいろやってみるから」
彼の主張を曲げるほどの強い希望が、あるわけでもない。私が頷くと、ニコはベンジャミンに「そういうことなので」と別れの挨拶を述べた。
「わかったよ~! ばっちり休んで、元気になっておくからー!」
うずくまったままだが、口調が元気になり、手を振って見送られる。なかなか、回復が早い。
「イリスは、他の人にも、魔力を分け与える気になるんだね」
ニコと手を繋いで空を飛んでいると、彼はそう言った。話しかけられたのか、呟きなのか、判じかねるほどの小さな声。
自分の名前が出てきたので、答えるべきだろうと思い、とりあえず反応する。
「ならないわ」
「だけど、さっきベンジャミンさんに、魔力を分けようとしたでしょう」
あ、本当に察してたんだ。
私は密かに、ニコの洞察力に驚く。
「したけど……あれは、そうした方が、ニコの練習の効率が上がると思ったからよ。ちゃんとベンジャミンには目を閉じさせて、何が起きたかわからないようにしようと思ったわ。面倒なことになると困るから」
私が、魔力を抜かれるのに苦痛を感じないということが知れると、厄介な事態が起きかねないことは、わかっている。
「魔孔って、微妙な場所にあるよね。胸でしょ? 触られていやじゃないの?」
「えぇ……?」
次にニコが発したのは、思いもよらない質問だった。
「それとこれとは、違うじゃない。胸を触らせるって思ったら……それはまあ、嫌に違いないけれど」
いくら別人の体だったとはいえ、この肉体は、今は私のもの。無闇に触らせることに、抵抗がないわけではない。
魔孔から魔力を抜くという実務的行為と、体を触るの触らないのという問題は、別であるだけだ。
ニコは、はあ、と浅く息を吐く。
「イリスって、変わってるね」
「そうかしら」
ニコは何も言わず、妙に力の抜けた笑みを浮かべた。




