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3-7.壁のあちらとこちら

 私たちは、久しぶりに、王都の向こう側を飛んでいた。向こう側とこちら側に引かれた壁は高く、一般人は門を通れないが、高く飛んでしまえば関係ない。壁を越えると、街の全てが、一気に砂に包まれる。


「ひどい落差ね」

「本当だよね。こっち側の人たちが知ったら、暴動が起きてもおかしくないよ」


 黄土色一色の街を見下ろしながら、私たちは広場を目指す。上から見ていても、すぐにわかった。端切れを縫い合わせた色とりどりの日除けは、よく目立つ。


「あっ! イリスさん! ニコラウスさん!」

「あら、リック。どうしたの、その格好」

「これですか?」


 リックが着ているのは、どこかで見たような、深緑のエプロン。肩紐に指を通し、リックはエプロンの生地を強調する。


「オアシスのエプロンですよ!」


 自慢げに、日除けの一角を指し示すリック。

 日除けのひとつは、サラの出す果実水の店だ。彼女なりにこだわった色合い、味付けの果実水が並んでいる。


「サラ、リックが手伝ってるみたいだね」

「そうなんです……あぁっ、イリスちゃん!」


 視線を落として作業していたサラは、私を見るなり、日除けから出てきた。両手を広げたサラに、はっしと抱きしめられる。


「え? な、なに、サラ」

「心配、してたよー! よかった、やっぱりニコラウスさんは、イリスちゃんのことを思ってたんだね!」


 肩口から聞こえるサラの声は、潤んでいる。なぜこの子は、泣きそうな声を出しているんだろう。


「イリス、どういうこと?」


 ニコも困惑している。私は首を左右に振った。


「心当たりがないわ」

「ないはずないでしょ! 聞いたよ、スミスさんから。隠さなくても大丈夫、あたし、ニコラウスさんはそんな人じゃないって、わかってるから……!」


 申し訳ないことに、感極まるサラの様子に、まだついていけない。


「スミスさんから……?」

「あの人、ニコラウスさんにとって、イリスちゃんは遊びだった、なんて言うのよ!」


 感情表現豊かなサラは、声に怒気を含ませる。


「そんなはずないと、思ってたけど、最近ニコラウスさんはひとりでしか広場に来ないし、心配してたんだから!」

「あぁ……」

「イリス、知ってるの?」


 漸く思い当たった。

 ニコが連れていかれた日、たしかにスミスは、「ニコは名家のお坊っちゃんだから、君は遊ばれてたんだよ」という趣旨のことを、善意で告げてきた。

 サラには、「名家のお坊っちゃん」というところだけ伏せて、伝わっているのだろう。


「知ってるけど……ここで蒸し返す話でもないわ。ねえ、サラ。私とニコの関係は、何にも変わってないわ。心配かけたわね」

「ほんとだよ、ほんとだよ。ニコラウスさんに振られて傷ついて、どこかに行っちゃったのかと思ったんだから!」


 私がそんなことをするように、見えるのだろうか。サラの腕はどんどんきつくなり、耐えきれずに咳き込んだところで、やっと離れた。


「おふたりに、そんなことがあったんですか?」


 こちらは、何も聞いていないらしいリックが、目を丸くする。

 リックも、誤解をしたら突き進んでしまいそうなタイプだ。彼が勘違いをする前に、「何もないわ」と答える。


「リックは、サラのお店を、手伝ってるんだね」


 ついでにニコが、話題を変えてくれた。


「そうそう、手伝わせてもらってるんです」

「もちろん、お給料は払ってるよ。リックは、働き者だから、助かってるの」

「へへっ」


 照れ臭そうに笑い、リックは鼻の下を人差し指で擦る。


「リックが慣れてきたら、あたしがいないときでも、果実水を売ってもらえるなって思ってるんだ」

「えっ? そんなの、聞いてないぜ」

「そうよ。今初めて言ったんだから」


 仲が良さそうで何よりだ。

 私は、広場を見回した。日除けの下のベンチは、空きがないくらい、たくさんの人で埋まっている。嬉しい賑わいだ。

 水面に輝く光を眺めながら、おいしいものを飲んで、ゆっくり語らう。それは、かつての広場の姿を彷彿とさせる、幸せな光景だった。


「イリス、アップルミント水だよ」

「ありがとう。……美味しいわね」

「だね」


 ほんのりと甘いリンゴの香りと、ミントのさっぱりした後味。暑い中、渇いた喉に嬉しい味だ。ニコも同じものを持って、ごくん、喉を鳴らして飲んでいる。


「ねえ、ニコ。私、想像したんだけど」

「うん」

「この中で私たちが池に潜っていったら、相当な変人よね」

「そうだね」


 この人出だ。

 池の中に入って行ったら明らかに変人だし、水中からしばらく出てこなかったら、死んだと大騒ぎになる。

 私はあくまでも、こっそり王城に忍び込みたいのだ。こっちで騒ぎになっては困る。


「夜にまた来る? 昼間じゃ絶対、目立つよね」

「その方が良さそうだわ」

「なんか俺たち、夜に活動するのが好きみたいだ」


 ニコが苦笑する。その通りだ。砂漠の行き倒れの張り込みも、然り。今回もまた、夜に行動しようとしている。


「ま、仕方ないわね」


 目立たないためには、必要なのだ。必要なら、大変でもやる。その方が良い。


「水を抜いて下に降りても、いいと思うんだけど」

「それもありだと思うわ」


 ニコの提案も、ひとつの手段である。池の水を全て外に出せば、中に降りることはできる。


「ただ、あとから誰かに水を入れられたら、死んでしまうわよね」

「あぁ……そうだね」

「だから、水中で息をする魔法を、練習した方がいいと思うの」

「それ、俺が読んだやつでしょ」


 ニコがにやりとする。彼は以前、王都の図書館で、私の書いた本に目を通している。

 内容には自信があるが、若かりし頃いい気になって書いた本を、今になって親しい人に読まれるのは気恥ずかしい。私はわざと咳払いをして、話題をごまかした。


「……それなりの量の水を、どこかに溜めたいわ」

「俺たちの借りている、家がいいかな。あそこの浴槽、広いもんね」


 ベンジャミンが貸してくれている家は、広くて立派だ。浴槽も、ひとりで入るには広すぎるほどのものがついている。


「ニコラウスさんたちは、今どの辺りに住んでるんですか?」

「いろいろあって、王都の向こう側にいるよ」

「向こう側に!」

「リック、だめ。大きな声で言わないで」


 驚いたリックが大声を出すので、慌てて制した。既に近くにいる何人かが、こちらに視線を向けている。


「たまたまなのよ。長居する気はないから」

「でも、向こう側なんて……魔法が使えると、そこまで出世できるんですね」

「そうだね。その認識は間違ってないよ」


 結果からすれば、ニコは魔法ができたからこそ、向こう側に行けたのである。「家族だ」と嘘をつかれ、王都の魔導士の代わりに、働かされているわけだが。


「すごいなあ。遠くの世界の人って感じ」

「そうですね。おふたりとも……」


 サラが手を組んでいい、リックが眩しそうな顔をする。ニコが肩をすくめ、私は首を左右に振った。


「やめて、私たちは変わらないし、こっち側の人間だと思ってるんだから」

「そうだよ。 ふたりは俺たちの、友人なんだから。そんな目で見ないでくれ」


 そう言ってはみたものの、リックとサラは、瞳を輝かせて目配せをしている。


「あたし、ふたりが出世したら、友達なんだーって自慢する!」

「俺も。俺はふたりの、弟子だからな!」


 私はがっくりした。私の言葉は、彼らに全然受け止めてもらえていない。


「飲み終わった? もらうよ」


 私はニコに、空になったグラスを渡す。ニコは、「美味しかった、ありがとう」と言いながら、グラスをサラに渡した。


「そろそろ行こうか、イリス」

「わかったわ。……サラに、リック。ジャックは今はいないけど、彼もだわ。広場をこんなに賑わせてくれて、ありがとうね」


 改めて広場を見回す。

 男女の二人組で、穏やかに話し合っている老人。日陰で休む女性のそばで、走り回る子供。果実水を飲みつつ、足を投げ出して座る青年。


「そんな、俺は全然」

「あたしだって、何にも」

「そんなことないわ。ふたりのおかげで、ここがこんなに過ごしやすくなったのよ。こういう光景を見たかったの……ありがとう」


 手を差し出すと、サラが恐る恐る私の手を握る。ぐ、と握手をして、リックに手を差し伸べた。こちらもぐっと、サラより力を込めて握る。


「こちらこそ、よ。あたしたちに、こんな場を与えてくれるなんて。あたしなんか、魔法がまだ使えないのに」

「使えるようには、ならなかったのね」

「うん。だけど最近、行方不明のニュースもほとんど聞かないから、調子は良いの」


 そのうち使えるかもしれない、とサラは破顔する。


「私たちのやっていたことは、サラのためにもなってたのね」

「そりゃあ、そうだよ。思い込みすぎだと言われてもおかしくない話を、俺たちはまじめに受け止めて、解決したんだからね」

「よかったわ」


 屋敷に戻ろうと飛びながら、ニコとそんな会話をする。

 リックたちと話して、温かな気持ちになった。彼らはいつでも私たちを受容し、笑顔で接してくれる。

 彼らの生活をよくするために、王都の魔力事情を改善しなければならないと、改めて思った。


「……ただいま」

「ただいまー」


 ベンジャミンに借りた屋敷には二人で住んでいるので、今は誰もいない。誰もいない場所に挨拶しながら、部屋に入ってカーテンを開ける。

 日は頂点を過ぎ、徐々に落ちて行く時間に変わっていた。


「……どうする? さっそくやってみる?」

「そうしたいわ。できれば今夜、探索がてら、行けるところまで行ってみたいわね」

「だよね。俺も、そう思ってた」


 ニコと私は、意見の一致を見た。浴槽のある浴室へ向かう。


「温度はどうする?」

「池が水だから、水にしましょう。じゃないと練習にならないわ」


 この屋敷の好きなところのひとつに、この浴室がある。浴槽は広く、全体的に色合いが整っていてセンスが良い。なにより、浴槽が広い。

 大事なことを何度も繰り返すほど、私は、ここのお風呂が気に入っている。銭湯も悪くはなかったが、他人がいるというのは、あまり予想していなかった。


「じゃ、水を入れるよ」


 ざばぁ。

 毎日王都に水を撒いているニコにとっては、このくらいのこと。何でもない。あっという間に、広い浴槽には、なみなみと水が注がれた。

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