3-4.ベンジャミンのパパ
「ニコラウスくん! 君、何したんだよ、今!」
「言われた通り、水を撒いただけです」
「言われた通りぃ~? 王都中に水を撒きまくって、水浸しにしてくれなんて、頼んでないんだけどぉ! 僕のパパが、事情を説明しろって、使いを寄越したんだよ~!」
私たちは、やりすぎたらしい。「パパ」に呼び出しをくらったベンジャミンは、顔を真っ赤にして憤慨している。
「僕は……僕は、そんなことしている場合じゃないのに! 研究ができないよぉ!」
「なんの研究を、してるんですか?」
「お、気になる? イリスちゃん。王都のロマンだよ。失われた古代樹! 失われた印刷魔法! そういうのが僕の、専門なんだ」
研究の話をし始めるベンジャミンは、目が生き生きしている。
「失われた印刷魔法?」
「そう! かつての魔導士は、素晴らしい魔法をたくさん知っていたんだ! 砂漠化が進む中でそれどころじゃなくなって、言い伝えられなくなったらしいんだけど、僕はそれを現代に蘇らせたいんだよぉ!」
失われた印刷魔法って、昔同僚が考案した、火の魔法を利用して型を焼き付けるやり方だろうか。
だとしたら、その現物を、ニコが持っている。
隣にいるニコを見ると、あらぬ方向を見て、ぼんやりしていた。なるほど、ニコはベンジャミンのこの言動を、こうして適当に聞き流しているらしい。
「ねえ、ニコ」
「ん? イリス、どうしたの?」
「王都の地図って、持ってる?」
同じ研究者として、参考になる資料くらいは、見せてあげたい。ニコから地図を受け取り、広げて、ベンジャミンに見せた。
「印刷魔法って、こういうの?」
「ははは、違うに決まっているだろう、庶民の持っているものなんか……うん? ん? ちょっと見せてくれ。これは……これはぁ!」
私から奪い取った地図を、ベンジャミンは高々と掲げる。
「ほらぁ! 見ろ、僕の語る失われた魔法は、夢物語でもなんでもないじゃないか! わははははは!」
目をぎらぎらに輝かせ、レンズが地図に付かんばかりに目を寄せる。そうして大声で笑うベンジャミンは、やはりどう見ても、変な人だ。
「ベンジャミンさん、俺たち、帰りますよ」
「いやっ! いや、待ってくれニコラウスくん。まず、この地図は僕が暫く預からせてもらう」
「どうぞ」
「そして、だ! 君たちは僕の代わりに、パパに事情を説明しに行ってくれ」
ベンジャミンは最後に、厄介な問題を投下してきた。
「その手紙を持って行ってくれ。パパの使いが置いて行ったものだ。読めばわかる。じゃあ、僕は、この地図をじっくり読み込んで、使われている技術を、完璧に再現するからぁ~!」
テンションを乱高下させながら、地図とワルツを踊るベンジャミン。口を挟む気にもならず、私とニコは手紙を取って、外に出た。
「王城の隣の塔にある、魔導士長執務室だって」
「ベンジャミンさんのお父さんが、副魔導士長なんだよね。いいのかな、俺に任せてるってことは、内緒にするって言ってたんだけど、彼」
呟くニコは真面目な顔をしているが、口角が少し上がっている。
「あの人、憎めないわね」
「そう。おもしろい人だよね」
水を向けると、ニコの口角は、さらに上がった。
王都の魔導士がどういう人たちか知らないが、ベンジャミンの研究にかける熱心さには、共感できるものがある。
ニコが大人しく雇われている理由も、なんとなくわかった。ベンジャミンは困った人だが、悪い奴ではない。
「さあ、叱られにいきましょう」
「王都の偉い魔導士に会うの、俺、初めてだよ」
「ベンジャミンさんも偉いらしいじゃない」
「あの人は例外でしょ……」
ニコの言わんとしていることも、わかる。
私はなんだかおかしかった。有能な魔導士は、誤解されやすい。久しぶりにその例を、目の前にした気がする。
ベンジャミンを見ていると、心が和む。今まで王都で出会ってきた人は皆良い人だったが、私はどちらかというと、明らかにベンジャミン寄りの人間だ。
「立派な建物だねえ」
王城とは離れた形で、魔導士長の執務室がある塔は立っている。内部が連続していないのは、警備の都合上だ。
塔の警備をしている者に手紙を見せ、中に入った。螺旋階段を上っていくと、途中に執務室がある。
私たちを案内してくれた男性が、重厚な扉をノックした。
「入れ」
「失礼致します」
ものものしい雰囲気。
執務室には、ふたりの男性が待ち受けていた。
「お前達は……?」
「ベンジャミン・バルバトソンの代わりに参りました。ニコラウス・ホワイトと、こちら、イリスです」
「ベンジャミンの代わりだと? あいつはどうした」
口ひげを生やした男性が、前のめりに問うてくる。髪の縮れた感じや、目元が、ベンジャミンに見ている。こちらが、ベンジャミンの父だという、副魔導士長だろう。
「失われた印刷魔法の手がかりを見つけたということで、私たちが代わりに寄越されました」
事実を述べると、「あいつ……!」と両手で頭を抱えて天を仰ぐ。親子揃って、動作が大袈裟だ。
「君たちは、どういった立場なんだね? 見かけない顔だが」
威厳たっぷりに語りかけてきたもうひとりの男性の襟元には、金色のバッジが燦然と輝いている。あれは、魔導士長のバッジだ。
「ベンジャミンさんに、雇われています」
「雇われている? 雇える魔導士など、いないはずだが」
「俺たちは、砂漠から呼ばれて来たので」
「なんだって? あいつ、そんなことまでしていたのか!」
また副魔導士長が、頭を抱えて背中を反らす。
「……ベンジャミンの仕事を、肩代わりしているということか?」
「そうなりますね」
「ああ、なら、君たちを寄越した彼の判断は、結果的に正しかったわけだ。落ち着きなさい、マルゴ。我々が聞きたいのは、さっきの雨についてだからね」
マルゴと呼ばれ、副魔導士長は姿勢を正す。
魔導士長は、手に持ったペンで、机をかつかつと叩いた。
「いったいどこから、あれだけの魔力を持って来た?」
「どこから、と申しますと」
「先ほどの雨は、王都のこちら側、全域に広がっていた。そうだな?」
「はい」
ニコと私は、揃って頷く。
「そんな範囲の魔法を、ひとりの魔力で補えるはずがない」
「そう……ですね」
はずがない、というのは言い過ぎだ。魔導士長でもその認識ならば、多少王都のこちら側の方が魔法の知識があるとはいえ、大差ないことがうかがえる。
ちょっと私はがっかりした。と同時に、自分の知識はこちら側でも十分に価値があると察し、その点では意欲が湧いた。
「何らかの不法な手段を用いたに違いないと考え、呼び出した次第だ。ベンジャミンのことだからな」
「あいつは、魔法のためなら、法外なことをしかねない」
たしかに、そういう危うい雰囲気はある。それでこそ研究者だ。
「例えば……魔力石とか」
「使ってませんよ、そんなもの」
「そんなはずはない。あの魔法は、そうでもしないと使えないだろう。ベンジャミンは、我々に渡した以外の魔力石を、隠し持っているはずだ」
地下室で使われた魔力石は、ニコからベンジャミンを通して、王城の魔導士たちまで届けられたわけね。
「ベンジャミンさんが隠し持っているかはわかりませんが、俺たちは使っていませんよ」
「しかし……」
「ニコ。見せてあげましょう」
信じない人には、実際の様子を見せるのが手っ取り早い。私が声をかけると、ニコは頷いた。