2-23.ニコは過保護
「イリス、喉渇いてない?」
「イリス、果物たべる?」
「寒くない?」
「暑くない?」
「寝なくて大丈夫?」
「喉渇いてない?」
これは、私の傍にいるニコが、ほんの数刻の間に、口にした言葉である。その都度私は「大丈夫」とか「ありがとう」とか、「水飲みたい」とか返しているわけだが、ニコの心配は、一向に収まる気配を見せない。
「ニコ……私も、子供じゃないから、大丈夫だよ。そこまで世話焼かなくても」
「そういう問題じゃない。三日三晩死んだように寝ていた人は、大丈夫じゃないよ。イリスは自分のことを、わかってなさすぎる。いつもそうでしょ。銭湯でも、よく倒れるし」
「そうよね、そうよね。ごめんなさい」
たしかに私は、衰弱していた。今だって、全く本調子ではない。そもそも長いこと監禁され、ニコとは離れ離れになっていた。心配する要素がたくさんあるのは、自覚している。心配してくれるニコに、感謝もしている。ニコには二度も命を救われてしまった。感謝どころか、感謝してもしきれないほどだ。
それでも、である。
「ニコ、そこまでしなくても……」
「魔封じ、とかいう器具で、脚を萎えさせられてたんでしょ? 動かさなきゃだめだと思う」
横たわる私の、脚を畳み、ニコはぐぐ…と腹側に寄せる。脚を伸ばす。反対の脚で、また屈伸運動をさせる。
「それなら私、起きて屈伸するから。自分で」
「だめ。まだ微熱があるんだから」
老人に捕らわれていたときも、片腕、片脚ずつではあるが、動かすことはできていた。
たくさん寝て、調子も戻ってきたから、多少の運動はできる。というか、寝てばかりではさらに衰えるので、ニコが見ていない隙に少しだけ体を動かしている。見ていない隙がほとんどないので、本当に、たまにだ。
「イリス、喉渇いてない?」
「さっき飲んだから、大丈夫」
「そう」
差し出した水を、ニコは自分で飲む。
「汗かいてない? 体拭くタオル持ってこようか」
「さっきもらって、拭いたから」
「でも、冷えると風邪ひくよ」
「うん、ありがとう。大丈夫」
言いながら、ニコは薄手の布団をかけてくれる。
「ニコ、今任されてるお仕事は、いいの?」
「うん、いい」
詳しいことは元気になってから相談すると言って、ニコはあまり自分の話をしてくれない。ここは王都の奥にある家の一角らしいが、カーテンが閉められていて、開けに行こうと立ち上がるとニコに怒られる。
この家は、ニコが雇われている王都の魔導士が貸してくれているものだそうだ。
いろいろ思うところはあるとのことだが、とりあえず生活のために、ニコはその魔導士に雇われ続けている。それにはそれなりの、理由があるらしい。
今回の件で実感した。魔法の使えない私は、完全に無力だ。ニコといれば、魔法を教えることもできれば、自分の魔力を提供することで強力な魔法を使うこともできる。しかし、ひとりでは何もできない。
王都お抱えの魔導士とやらに狙われたら、ニコと離れた瞬間を見計らって、何をされるかわからない。私はそれに対抗するすべを持たないだろう。
私はこんな風に、ニコの足手まといになることを恐れていた。魔法によって、ニコは自分の選択肢を広げて、自由に生きるべきだからだ。
以前の私は、ニコに迷惑をかけないために、魔法を使える肉体に変わりたかった。あるいは、魔法を使わなくても、ひとり立ちしたかった。
今はもう、その方向性が間違っていたのだと、諦めている。魔法が使えない上に、魔力を抜かれても何の苦痛もないのは、この肉体が一度死んだものだからに他ならない。そして、決して魔法が使えない以上、真の意味でのひとり立ちはもうできない。
「雨を降らせないから植物が枯れたって言われたって、元を辿れば俺の責任じゃないから。でも、イリスに何かあったら、俺は責任を感じるよ」
何しろ、肝心のニコが、こうなのだ。
彼は私の生に責任を感じてくれていて、心配してくれる。仮に、ひとり立ちだと言って自力で仕事を始めたところで、きっとニコは気にかける。それでは、ニコの行動を制限してしまうという点で、足手まといになっていることに変わりはない。
「心配かけて、ごめんね……私もう、絶対にニコから離れないから」
だから私は、目標を変えた。ひとりで身を立てることは、現実的ではない。自分を磨き、彼を側で助けられる存在になるのだ。そうなれば、それはもう、足手まといにならないだろう。
ニコとふたりで、身を立てる。それが私が、今抱いている目標だ。実際その目標は、ニコが構わないのなら、かなり魅力的である。
「それは良いね。俺の目の届くところにイリスがいれば、安心するよ。俺も、イリスとふたりじゃないと行動できないって、言い張ることにする」
ニコの力強い宣言。ニコは構わないどころか、私が共に過ごすことを、大手を振って歓迎している。それが彼の優しさゆえの、本音とは違う建前ではないことが、この数日間の看病で、身にしみてわかった。
以前「結婚はしたい」と話したニコが、「妻」という名目で私を傍に置いておくことは、彼の私生活においては良くないと思う。
ただ、それを選択するのはニコだし、私が余計な口出しをするのも野暮だ。幸い、ニコはまだ若い。何も言われていないのに余計なことを考えるのは、もうやめた。「結婚はしたいけど今じゃない」なんて、よくある話だ。
「どうしたら、離れないで済むかしらね」
「離れたら死ぬ、とかは?」
「大袈裟な気がするわ」
「だけど、そう言い張るくらいしないと、またあの魔導士は、無理やり俺たちを引き離しにかかるよ」
ニコの提案こそ、無理やりだ。私は肩を竦める。
その魔導士とやらの人柄を、私はよく知らない。ニコの話を聞く限り、ろくでもない奴なのだろう。
「ニコがその方がいいと思うなら、そうしましょう。そんな魔法、ないと思うけど」
「魔法は何でもできるんでしょ」
自分の口癖で返され、私は「まあ」と応える。そんな魔法を思いついたこともなければ、当然、実現しようとしたこともない。離れたら死ぬなんて、不便すぎる。
「俺がイリスを好きすぎて、離れたら死ぬ魔法をかけたことにする」
「ニコはいいの? そんな適当な理由にして」
次から次へと出る世迷いごと。
ニコは今、私への心配が募って、それが最優先になっている。それはありがたい。ありがたいが、もう少し先のことを考えて欲しい。
好きすぎて離れたら死ぬ魔法をかけた、だなんて、そのまま他人の耳に入ったら、単なる頭のおかしい人だ。
例えばリックに「ジャックが好きすぎて離れたら死ぬ魔法を作った」なんて言われたら、私は彼に医者にかかることを勧めるだろう。そもそも彼らは兄弟だし、リックはジャックがあんなに苦手なのに……おっと、思考が逸れた。
「適当じゃないさ。そんな魔法が使えないってだけで、考えていることは大差ないからね」
「うん……? どういうこと?」
「気にしないってこと。口裏合わせないと不自然だから、イリスも聞かれたら話を合わせてね」
「わかったわ」
彼がそれを望むのなら、そうしよう。
「ほらイリス、果物食べる?」
「いただくわ」
生まれてこの方、「魔導士」という肩書きを外した私をここまで気にかけ、丁重に扱ってくれた人はいない。その気持ちを無碍にしては、いけない。
「それで、ニコの雇い主って、どんな人なの」
「イリスが元気になったら、会わせるから。早く治そうね」
「なら、起きてもいい?」
「まだだめ」
過保護なニコとの看病生活は、まだしばらく続きそうである。




