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2-20.ふたりの受難

「昨日、空気の膜が途切れたのは、ここだ」


 西の壁沿いに街を歩く。壁は、人の背丈の何倍もありそうな、高いものだ。


「この辺りなのかしら」


 私は辺りを見回す。王都の門側から、中央部に差し掛かる、ちょうど境目の辺り。右を見れば小さな家が並び、道を挟んで反対側には、家々だけでなく、中流層向けの、書籍を扱う店などが建っている。


「……来てみたけど、何もわからないね」

「そうね。普通の街だわ」


 とりあえず、歩き始めてみる。王都の他の通りと、何も変わらない。すれ違う人も、何ら変わりはない。派手な色の服を纏い、軽やかに、あるいは忙しく、あるいはのんびりと移動している。


「アルはきっと、閉じ込められるか何か、していたのね。大人の男の人に」

「どうして?」

「神父様を見たとき、すごく怖がっていたから。男の人に、ひどい目に遭わされたんじゃないかしら」

「よく見てるね」


 そういうわけでもない。

 何か手がかりがないかと気にして見ていたから、そんな気がしただけだ。


「そういう場所を、見つければいいのか」

「ひとつの目安にはなるわね」

「うーん、全然イメージできないけど……」

「隠し部屋みたいなのがあれば、わかりやすいんだけどね」


 脳裏に浮かんだのは、研究仲間のひとり。

 妻子持ちで、魔法の研究にばかり取り組んでいるのを、家族にはよく思われていなかった。

 研究はほどほどにしているふりをして、高価な素材や、書物を、隠し部屋に溜め込んでいた。あるときそれが白日のもとに晒され、彼は奥さんから大目玉をくらった。


「地下室、とか」


 そうそう、彼は家に地下室を作り、そこに種々のものを保管していたのだった。


「地下室、かあ……俺、地下室の有無なら、空気の膜を張ればわかる気がする」

「別に地下室があるからって、怪しいとは限らないわ」


 地下室くらい、普通の家にも、ある場合がある。そもそも、家の間取りは個人的な情報だ。


「むやみに覗くのは、おすすめしないわよ」

「あれ、あの家、ずいぶん地下が広いな」

「どこ?」

「あの、青い屋根」


 ニコが指差すのは、白壁に青い屋根の、清潔そうな色合いの一軒家。他の住宅と比べても何の遜色もない、普通の家だ。


「ああ、あれです」

「……あなたが、ニコラウス・ホワイト殿ですか」


 顔を寄せ合って確認していた私たちの後ろから、声がかかる。振り向くとそこには、スミスと、見知らぬ男性。


「スミスさん、どうしたんですか?」

「いやー、朝なら宿にいるかと思ったんだけど、もう出かけてるって聞いて、探しに来たよ。ラルドさん、だっけ? あの主人に、居場所を聞いてさ」


 見つからないかと思ったー、と、語尾を伸ばして言う。私が聞きたいのは、そういう説明ではない。


「この方は?」


 スミスの隣にいる、壮年の男性。鼻の下のひげをねじって整えながら、彼は口を開いた。


「王都警備隊長、モリス・ハーベスター。そこにいるニコラウス殿に、詳しい話を聞きに参りました」

「俺に?」

「パトロール隊から、話は伺っています。わざわざ壁を越えて、外に出られたそうで」


 スミスたちの報告を受け、わざわざ事情聴取に来たようだ。

 モリスが動くと、厚手の警備隊のジャケットが、ぎち、と軋む。


「あなたを探している方がいるそうです。戯れはやめて、ご同行願いますよ」


 モリスは強引に、ニコの腕を取る。そのまま引っ張られそうになって、ニコは足を踏ん張った。


「どういうことです? 俺を探している人がいる?」

「ええ。ここでは名前を出せませんので、警備隊の方へ」


 おかしい。ニコは、田舎から出てきたはずだ。そんな彼を、わざわざ警備隊長を使って、誰が探すというのか。


「とりあえず、引っ張るのはやめていただけませんかね」

「大人しく来ていただければ、私も乱暴はいたしませんよ」


 睨み合い。まとう雰囲気が、剣呑なものに変わる。

 今のニコなら、魔法を使えば、あの二人なんて簡単に吹き飛ばせる。まずい。警備隊長に魔法なんて使ったら、ニコの立場は、一気に悪いものになる。

 ひやっとしたけれど、ニコはさすがで、いきなり魔法を使うことはしなかった。代わりに私に、手を差し出す。


「行こう、イリス」

「あ、ごめん、イリスちゃんは俺が見とくから」


 その手を取ろうとしたら、横から腕を引かれた。スミスだ。彼は私の手首を掴み上げ、ぐらぐらと揺らして手を振らせた。


「ほら、イリスちゃんも、いってらっしゃいってさ。大丈夫、ちゃんと宿まで送っておくから」

「行きますよ」


 モリスはぐっとニコの腕を引く。ニコの表情には迷いが見えるが、振り返りながら、向こうへ歩いて行った。

 ニコだけ連れて行くなんて、なんだか、おかしい。

 やっぱり、一緒に行かないと。

 そう思って駆け寄ろうとすると、スミスに腕を後ろに引かれる。


「……イリスちゃんは、彼のこと、知ってた?」

「どういうこと?」


 ニコの姿が角を曲がって、見えなくなってから。スミスが声を落として、そう話しかけてくる。


「本当は、言うなって言われたんだけどさ。……あの人、王都の奥から逃げてきた、名家の坊ちゃんらしいぜ」

「は……?」


 ニコが、「名家の坊ちゃん」であるはずがない。彼は田舎から出稼ぎのために王都へきた、一般人だ。疑いの眼差しを向けるも、スミスは大真面目な顔をしていた。


「遊ばれたんだよ。妻なんて言って、イリスちゃんのこと」

「そんなはずないわ」

「信じてたんだよな……同情するぜ。俺でよければ、いつでも話を聞くから」


 悲痛な表情で私の頭を撫でる、スミスの手を、払いのける。


「じゃあニコはこれから、警備隊長から、その『名家』の人に引き渡されるってこと?」

「らしいぜ。もう、迎えが来てるってさ」


 何も知らないニコは、そのまま連れていかれてしまうだろう。縁もゆかりもない人間を、嘘を並べて引き取ろうとする「名家」など、絶対に、信用できるものじゃない。

 歩き始めようとすると、再度、スミスに手を引かれた。


「行くのは、やめな。妻なんて名乗ったら、どんな目に遭わせられるかわからねえぞ」

「なんでよ」

「名家の坊ちゃんが、家出ついでに外で女作ってたなんてことになったら、大変だからだよ」


 もしそれが事実なら、確かにそうだ。事実なら。

 タイミングから考えて、ニコが壁を越えた話が、スミス達を通じて上に上がったからだろう。ニコの魔法を当てにしている誰かが、仕組んだのだ。私は、そう思う。


「ニコのところに行かせて」

「わかる、わかるよ。信じられないよな。なあ、イリスちゃん。今日は宿に帰ってゆっくりして、身の振り方を考えなよ」


 スミスの言葉は、おそらく、完全に善意だ。名家の人間が、わざわざニコを身内だと言ってきたものを、彼が嘘だと疑う道理もなかろう。


「痛いわ。離して。大声を出すわよ」

「……俺は、心配してるんだよ、イリスちゃん」

「わかってるわ、ありがとう。だけど私は、ニコが心配なの」


 今度は、スミスは追おうとしなかった。警備隊の詰所へ向かおう。ニコがまだ、いることを願って。

 背後で、砂を踏む音がする。彼は諦めて、去ったのだ。


 嫌な予感しか、しない。大きな力を持つものを悪用しようとする人は、どこにでもいる。私も散々、そうした思惑に晒されたものだが、ニコはそうした悪意への対処法を知らない。


「お嬢さん、お待ちなさい」


 ずんずん歩いていると、不意に声をかけられる。


「え?」


 顔を向けると、杖をついた老人がいた。家の前で、何をするでもなく、佇んでいる。つばの広い帽子をかぶっていて、顔はよく見えない。


「ちょっとこれを、見てくれんかね」


 細長いものが、差し出される。時間の無駄だとは思ったが、立ち止まり、顔を寄せて確認する。すると老人は、思いもかけぬ俊敏な動きをした。細長いものが、しゅる、と首に巻かれる。

 言葉も出なかった。瞬時に、目の前が、真っ暗になる。

 そこは、ニコが先ほど言っていた、青い屋根の家の前であった。

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