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1-5.イリスの魔法指導

「ところで、ニコラウス」

「突然だね」

「ごめんなさい。夫婦っぽく振る舞うには、その方が良いかと思って」


 先程、カウンターで見た彼の名を呼んでみる。彼は苦笑して、自分の髪をくしゃりと乱した。黒い髪に、黄土色の砂粒が入り込んでいる。痒そうだ。


「ニコって呼んでくれ。田舎のちびたちは、そう呼ぶんだ」

「私はちびに含まれてしまうのね」

「ああ……そういうわけでは」


 ニコが口ごもるのを、私は「いいのよ」と遮って首を振った。


「確かに私は、あなたと比べれば、随分幼いもの」

「まあね」

「だけど、もしかしたら魔法に関しては、ニコより詳しいかもしれないわ」


 間違いなく詳しい。私は王国随一の魔導士だったから。敢えてそれをひけらかさないのは、まあ、「能ある鷹は爪を隠す」というやつである。


「王都では、魔法の研究が盛んだから」

「なるほどね」


 田舎から出てきたばかりらしいニコは、王都のことは、よく知らないはずだ。私も今の王都のことは知らないが……彼の無知につけこんで、そう説明する。


「それで、えっと……」

「イリスでいいわ」

「イリスが俺に、それを教えるって言うのか」

「そうよ」


 ニコは、信じていないことが明らかにわかる表情をしている。失礼な人だ。人は見かけによらないと言うではないか。確かに私は幼い少女の肉体を持っているかもしれないが、中身は、自他共に認める最高の魔導士である。

 信じてもらうには、実力を見せるのが手っ取り早い。と言っても、今の私の体は、魔法を使うことができない。


「喉が渇いちゃった」

「……え?」

「ニコは、水はどのくらい出せるの?」


 飲料水も、生活用水も。魔法がある程度使える者は、自分で使う水は自分で出すのだ。大気中には、それぞれの属性を帯びた魔素があって……ややこしい話は避けるが、周囲から水の要素を集め、実際の液体を生み出すのである。

 無論、そんな知識がなくたって、水を出すことができる。私たち生物にとって、魔力を使って魔法を出すと言うのは、呼吸と同じことなのだ。


「やってみて」

「いいけど……笑うなよ」

「笑わないわ」


 誰だって、できないところから始まる。ニコは、砂漠で飲み干してしまった、空の水筒を手にした。暫しの沈黙の後、水筒の中に、なみなみと水が現れる。


「これをいっぱいにするのが、俺の限界。繰り返せば、もっと出せるけど」

「大丈夫。わかったから」


 魔力の動きを感じ取れないから、実際、ニコのどこがいけないのかを、確実に捉えることはできなかった。それでも、初心者にありがちな問題がどんなものか、私はよく知っている。

 魔導士として大成して以来、後進の育成を任されることもあった。手を替え品を替え、新米の魔導士達の力がどうしたら伸びるのか、工夫を凝らして教えてきた。だから、教えることにも、それなりに自信がある。


「……冷たくて美味しい」


 ニコから受け取った水筒に口をつけ、ごくりと飲む。自分でも驚くほど、喉が大きく鳴った。外は暑かったし、砂漠の中を歩いてきて、消耗していたみたいだ。


「この水筒って、ずっと使っているの?」

「ああ。昔、父から誕生日に貰ったんだ。丈夫だし、長いこと使っている」

「そう。いいわね」


 私は相槌を打ちながら、室内を見回した。窓辺に、花が活けられた花瓶がある。夏らしく、黄色い花を咲かせている。

 この水筒と比較すると、あの花瓶の方が、ふたまわりほど大きい。花瓶を取り、一旦、花を抜き取った。中の水を捨て、空っぽの花瓶をニコに渡す。


「それは、さっきの水筒と、同じ大きさよ」

「えっ? こっちの方が、大きいじゃないか」

「いいえ。そう見えるけど、ガラスの部分が、厚いのよ。容量は同じだわ。持ってみると、意外と重いでしょう? 厚いからよ」


 きっぱりと言い切る。こういうのは、信じさせることが大事なのだ。


「たしかに、重いけど……」

「だからニコは、その花瓶を、水でいっぱいにできるわ」

「いや……」

「できるわ」


 彼の黒い目を見据えて、声に力を込めて言う。


「あなたは、いつも水筒に水を入れるみたいにして、水を入れるの。そうしたら、いつもみたいに、縁までなみなみと水が入るから。やってみて」

「いいけど……」


 同じ容量なら、花瓶に変えたって、何にも変わらないだろうに。どうしてこんなことをするのか。最初は皆、そう思うのだ。ニコは暫く花瓶を見つめ、そして、水が注がれた。それはぴったり、花瓶の縁まで入る。


「できたじゃない」

「それはまあ、この量なら、俺は出せるんだよ」


 私は手を伸ばし、ニコから花瓶を受け取る。おっと。水の入った花瓶は重く、取り落としかけた。落ちそうになった花瓶を、ニコが咄嗟に支えてくれた。ぽちゃんと水が跳ね、入っている量が少し減ってしまう。


「これ、ちょっと、飲みきれる?」


 水筒の中身は、あと半分ほど。一度空にしたくて、私はニコにそれを渡した。


「えっ、飲んでいいのか?」

「いいわよ……何がいけないの?」

「いや……飲むけど」


 ニコはごくごくと喉を鳴らし、水を飲む。喉仏が、大きく上下に動く。なんだか頼りなそうな感じだけど、そういう姿を見ると、やはり彼は男なのだと思う。


「飲んだよ」

「ありがとう。じゃあ、この花瓶の水を、水筒に入れるわ」

「それ、何の意味があるんだよ」

「まあまあ」


 花瓶を傾け、水筒に水を注ぐ。下から上へ水位は上がり、そして、溢れた。溢れた水はぼたぼた垂れ、床を濡らす。

 花瓶は、水筒よりふたまわり大きい。さっき少しこぼれてしまったが、その、ふたまわりぶんの水が入りきらなかったのだ。


「花瓶と水筒が同じ容量っていうのは、私の気のせいだったわ」

「……溢れた」


 呆然と呟く、ニコ。彼は今、「これが限界」と思っていた水筒の容量を超える水を、一度に出したのだ。自分の限界を、初めて突破したとき。人はこんな風に、心底、驚く。


「なんだ、ニコ、水筒よりもたくさんの水を出せるんじゃない」

「いや……でも、今のは……」

「案外、このくらいしか出せないって、自分で思い込んでただけなんじゃない?」


 ニコがあまりにも困惑しているので、私はわざと冗談めかして言った。「自分のやったことは大したことではない」と思わせた方が、この後上手く行く。このくらいの奇跡なら、これからも、いくらだって起きるのだ。


「できるって思えば、なんだってできるのよ。魔法って、何でもできるんだから」


 どうして私が、人に「そんなことはできない」と言われた偉業を、いくつも成し遂げられたのか。それは、信じていたからだ。自分を。魔法の持つ、計り知れない力を。

 魔法の力は、自分の想い次第で、いくらでも広げることができる。人はなぜだか、一般常識に捉われ、「自分にできるのはこのくらい」と決めつけてしまうのだ。ニコの場合、昔から持っていた水筒がひとつの基準になって、「これ以上は無理」と無意識に制限していたのだろう。


「なんなら、もう一回やってみる? 今度は……そうね、この桶なんかどうかしら」


 部屋の隅に置かれていた、手を洗う水を張るための桶。花瓶の水が、五杯分くらいは余裕で入りそうな大きさである。


「これは、さすがに……」

「でも、できるかもしれないって、ちょっと思うでしょ? 今だって、水筒に入りきらない量の水を、出せたんだから」

「……まあ、ちょっとは」


 一度限界を超えると、人は自信をもつ。はにかんで控えめに答えるニコ。その心のうちでは、今きっと、やる気に火が点こうとしていて。


「……できた!」


 桶いっぱいに、透明な水が、現れたのであった。

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