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2-18.この子どこの子

「……おかえりなさい」

「神父様は、もういらっしゃらないのですね」

「ええ。先ほどお医者様に診ていただきまして。神父様は、お医者様をお見送りしていらっしゃいます」

「なるほど」


 ベッドに横たわる子供のそばにいるのは、朝からずっと面倒を見てくれている、教会の女性である。私たちが部屋に入ると、穏やかに微笑み、静かな声で状況を教えてくれた。


「眠っている、だけだそうです。水も飲ませましたし、待っていれば起きるだろう、と」

「顔色も良くなった気がするわ」

「本当だね」


 眠っている子供の頬には、赤みがさしている。その手がもぞ、と動き、瞼を擦った。


「うーん……」


 眠たげな声。小さな口が開き、ふわ、とあくびをした。膝を抱えるようにして丸まり、こちらに背を向ける形に寝返りを打つ。


「まだ小さいですね」

「そうですね……十歳にもならないんじゃないかしら」


 女性は、丸くなった背をそっと撫ぜる。寝かしつけるような、優しい手つきだ。


「どこの子なんだろう」

「起きたら、名前も聞けるかもしれないわね」

「確かに、そうだね」


 この子がどこから来た子なのか。展開によっては、私の肉体の出所に、ぐっと近づく可能性もある。何より、こんなに小さいのに何らかの問題に巻き込まれたのなら、きっと恐ろしい思いをしたのだろう。家族を見つけて、返してあげたいと思う。

 すると、子供が、いきなりがばっと跳ね起きた。


「あ、起きた」


 目の前にある壁を、その薄い手で触る。次いで、顔がこちらを向く。視線はゆっくりと、私、ニコ、女性の順に動いた。


「……っ」


 子供は口を開き、何か言おうとした様子。ところが声は出ず、代わりに咳き込んだ。


「ああ、水を飲みなさい。ほら」


 女性が子供の前に水を差し出す。それを受け取り、子供はごくごくと飲んだ。あまりの勢いに、飲みきれなかった水は、口の端から垂れ、ぼたぼた落ちる。

 着ている服は、派手な色合いをした、王都の服のように見える。おそらく元は、王都の子なのだ。


「こ、ここ、どこだよ?」


 むせながら漸く発したのは、そんな言葉であった。さもありなん。どこにいたのか知らないが、砂漠で死ぬはずだったのに、気持ちよくベッドの上で寝ているのだから、驚くに決まっている。


「王都の西にある、教会ですよ」

「教会……?」


 目を、ぱちくり。視線が、またも順繰りに、私たちの顔を移動する。そのまま天井を見て、床を見て、ベッドを見て、手元のコップを見て。


「ぼく、ぼく……助かったの?」

「多分ね」


 かさかさに乾いた唇がぽかんと開いた。手から力が抜け、するりとコップが落ちる。手から離れたコップは、床に落ちてしまう前に、ニコが上手くキャッチした。

 ぼく、というくらいだから、少年だろうか。


「ねえ、君は、今までどこに」

「助かったんだ……!」


 ニコが投げかけた質問が届く前に、彼の目から涙が溢れる。両手を目元に当て、うえーん、と子供らしい泣き声が小部屋に響いた。


「良かったですねえ」


 女性は、その背を優しく摩る。号泣していた少年の呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。ニコがコップに水を入れて、彼女に渡した。女性が差し出したコップを少年は受け取り、今度は落ち着いて、ゆっくり飲む。


「……お名前は?」

「アルだよ。アル・リーデル」

「リーデルさんの、家の子なんですね」

「うん……ぼく、パパとママに、会いたい……」


 また少年の目に涙が溜まり、女性が優しく背を撫でる。


「ただいま……ああ、目が覚めたんだね」


 そこへ、オットーが帰ってくる。目を覚ましたアルを見て、目尻を垂らした。


「アル・リーデルくんというそうです」

「リーデルか……名字がわかるのなら、家族もすぐに見つかるだろう。なあ君、安心するといいよ……うん?」


 励ますような調子でオットーが話しかけると、アルは表情をこわばらせる。それどころか、小刻みに震え始めた。


「……どうしたのかな?」


 オットーが身をかがめ、アルに視線を合わせて問いかける。震えていたアルは、じっとオットーを見つめ、「……あれ」と呟いた。


「あいつじゃ、ない……」

「あいつ……?」

「おじさん、だれ……?」

「この方は、教会の神父様ですよ」


 女性がオットーをそう紹介すると、アルの肩の力は、明らかに抜ける。


「よく見たら、ぜんぜんちがった……」

「誰かに、似ているのかな?」

「あいつかと思ったんだけど……でも、あいつは、おじさんより、ずっと細いから」

「あいつって……まあ、今はいいか」


 オットーは口を開いて仕掛けた質問を、引っ込める。


「君はね、砂漠で倒れていたんだよ」

「うん。ダメになったやつは、砂漠に捨てられるんだ」


 オットーと女性が、ちらりと視線を交わした。私も、アルの言葉にどきっとする。アルを砂漠に捨てると予告し、実際にそうした者が、いるということだからだ。

 アルは両親に会いたがっているのだから、それをしたのは、家族ではないだろう。恐らくは「あいつ」が関係していると予想できるが、今のアルに、詳しく聞くのは憚られる。

 ずいぶん傷ついている様子だ。オットーも、だから聞くのを控えたのだろう。


「それを、そこの二人が見つけてくれたんだよ。ニコラウスさんと、イリスさんというんだ」

「ニコラウスさんと、イリスさん……」


 名前を復唱し、アルはぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございました」

「君が無事で何よりだよ」

「そうね。元気になったみたいで、良かったわ」


 私が喋ると、アルは「えっ」と小さく声を上げた。


「どうしたの?」

「ううん……なんでもない」


 その目が、泳いでいる。明らかに何かありそうだ。


「なんでもないって……」

「イリス。また今度、詳しい話は聞こうよ」


 質問を重ねようとするのを、ニコに止められた。いけない。アルは傷ついているから詳しく聞くのを控えようと、ついさっき、思ったばかりだったのに。


「教会の方で、ご家族の方は探してみようと思います。教会の伝手もありますし、行方不明者なら、警備の方で確認されているでしょうから」

「でもさっき、パトロールの人たちに言いに行ったら……」

「パトロール隊に行かれたんですか? 彼らは、見回りが仕事ですからね。管轄が違うのでしょう」


 オットーはふっくらした手をアルの頭に載せ、「ご両親が見つかるまでは、この教会にいなさい」と微笑みかける。


「いいんですか? 何なら、俺たちが」

「教会とは、このような、困っている人のためにありますから。……まさか本当に、お二人の言う通りになるとは、思っていませんでしたがね」


 拾った以上、親が見つかるまでは、責任を持って預からないといけない。申し出たニコだけでなく、私もそう思っていた。だから、オットーにやんわりと断られ、拍子抜けする。


「お二人も、あまり眠っておられないでしょう。あとは教会にお任せください。少し休んだ方がよろしいかもしれませんね」


 オットーに言われ、改めて互いの顔を見合わせる。言われてみれば、ニコは目の下に、うっすらとくまがある。私も同じようなものだろう。肩が、急に重く感じられた。


「……では、お言葉に甘えて」

「失礼します」


 教会を出ると、空は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。一仕事終えたような、奇妙な脱力感がある。


「なんだか、疲れたわね」

「そうだね。……久しぶりに銭湯に行って、もう寝ない?」


 最近ずっと、不規則な生活が続いていた。とりあえず壁を越えて悪さをしている人影があることは確認したわけだし、これからは、夜に張り込むのではなく、別のアプローチが必要になってくるだろう。

 銭湯に行くと、マーズが「久しぶりだねえ!」と、相変わらずの元気の良さで出迎えてくれた。私は久しぶりの湯船を堪能し、ばっちり逆上せて、またマーズとニコに叱られたのであった。

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