2-17.パトロール隊のふたり
「……まだ、寝ていますね」
「暫く起きないかもしれませんね。かなり衰弱しているようですから」
ニコとオットー、私は、寝ている子供の顔を覗き込む。声をかけても、近くで喋っていても、起きる気配はない。深い眠りの中にいる。
「もう少し日が昇ったら、お医者様をお呼びします」
「ありがとうございます」
オットーの隣にいる教会の女性が、子供の額に、濡れタオルを乗せた。水差しを取り、口元に水を含ませる。ごくん、と子供の喉が動いた。
「おふたりは、警備隊の方に、行き倒れがいたことを伝えていただけませんか」
「警備隊に……?」
「砂漠で行き倒れている方の管理は、彼らの仕事だそうですから。まだ、お伝えしていませんよね?」
「はい」
オットーは子供の世話、私たちは報告。役割分担を終え、私とニコは、教会を出た。ひと眠りしたので、もう朝日はすっかり顔を出している。
「警備隊って、ヴァンさんたちのことかな」
「そうよね、きっと」
ニコに手を取られ、宙に浮く。そのまま、王都の門近くの、パトロール隊を目指す。
「イリスって、砂漠の行き倒れなのかな」
「……たぶん。あの子と違って、死んでた体だけど」
「俺、イリスのこと、報告してないよね」
王都に来たばかりの頃は、ニコも王都に疎かった。私も、下手に自分の存在が怪しまれたら嫌なので、報告するなんてこと考えもしなかった。
「言った方がいいのかな」
「個人的にはやめてほしいわ」
せっかく王都の中で知り合いが増え、自由に動けるようになりつつあるのに、今更そんな目で見られても困る。
「だよね。俺も、言わなくていいかなと思う。今のところ上手くいっているし。……いるかな、ヴァンさんたち」
高度を下げ、この間訪れた小屋の前に降り立つ。相変わらず、なかなかの荒れっぷりだ。砂出しの詰所はゴードンが整頓していたが、ここにはそういう人がいないらしい。
ニコが、扉をノックする。重い足音が聞こえ、中から扉が開く。
「あ、こないだの。どうしたのさ、こんな朝っぱらから」
「おはようございます、スミスさん」
「なんだ、イリス達じゃねえか」
顔を出したのは、スミス。相変わらず軽い調子だ。奥の椅子に腰掛けているヴァンも、声をかけてくる。
「今日はサラちゃんは一緒じゃないんだねえ」
「お前達がわざわざ来たってことは、また行き倒れの話か」
「そうなんです」
見ればヴァンは、ゴーグルを外し、口を覆う布を引き下げた状態で、何か飲んでいる。カップからは、まだ湯気が立っている。
「ちょうど良かった。俺たち今帰ってきたから、行き違いになるところだったよ」
パトロールを終えた後の休憩、というところだろうか。スミスの肩には砂が乗ったままである。
「俺たちこのあと、飯食いにいくんだよね。イリスちゃん、どう? ご飯まだなら、一緒に行こうよ」
「今日は、このあと教会に戻るので。またの機会に」
あれ以来、サラの働くオアシスで、パトロール隊のふたり(特にスミス)とは何度も顔を合わせている。スミスが私を誘いながら肩に手を回そうとするのを、すっと避けた。
スミスはどうも、女好きなところがある。オアシスにもサラ目当てで通っているらしいが、側から見ていてもわかるほど、適当にあしらわれている。
「スミス。絡むな。……まあ、座れ。それで、今度はどういった用件だ」
ニコは教会から壁を見張り始めたところから、今朝までの顛末を簡潔に話す。ヴァンの表情が、だんだんと苦いものに変わった。
「お前達、本当に、壁を越えて外へ行ったのか。それで、行き倒れを見つけた、と」
「はい」
「そうか……」
ヴァンが、皺の寄った眉間を解すように指で押さえる。スミスが、「そんなことしたら、まずいでしょ」と言葉を受けた。
「無闇に口外しない方が良いよ。俺たちは、もう聞いちゃったけどさ。壁を越えられる奴がいるなんて、今の警備で想定されてないから。大問題になりそう」
スミスはカップを傾けて中身を飲む。
カップの中身は、濃く煮出したミントティーだった。頂いた茶を口に含むと、がつんとした爽快感が一気に鼻を抜ける。
ヴァンが腕を組み、濁った音で唸った。
「行き倒れの件は、わかった。こっちの方で記録しておくから、もう構わない」
「いいんですか?」
「生きてるんだろ? 記録すべきことは今お前達から聞いたから、後は好きにして構わん。むしろ問題は、ふたりが『壁を越えた』って方だ」
きっとこちらを見る目は、鋭い。
「俺たちは、聞いてしまったから、それを上に報告せざるを得ない」
「私たち、それを悪用したりはしませんよ」
「だろうな。そういう問題じゃないんだ」
ヴァンがポケットから、黄色く日焼けした紙の束を取り出す。
「お前たち、どこに泊まってる?」
ニコが答え、ヴァンはそれを紙に書き写した。
「その宿に、連絡が行くかもしれねえが、悪く思うなよ」
「わかりました。いなかったら、宿の主人に取り次いでください」
「おう、じゃ、またな」
「『オアシス』で会おうねー」
スミスとヴァンの挨拶をそれぞれ受け、私たちは外へ出る。お日様が、だいぶ高くなってきた。ぎらりと照りつける明かりが眩しい。
「俺、余計なこと話しちゃったかな」
「壁を越えたこと?」
「そう。ヴァンさんもスミスさんも、問題だって言ってただろう」
ニコは不安げに眉尻を下げる。彼は、あくまでも一般市民。こんな形で目立つとは夢にも思わなかっただろうし、落ち着かないのだ。
実際、このあとの展開がどうなるか、予想がつかない。ニコが使っている魔法は、今の王都では、ありえない魔法だと捉えられる。私自身、王都の魔法の知識が以前より劣っていることをあまり気にせずに、昔の感覚でニコに魔法を教えてしまった。
「やってしまったことは仕方がないわ。壁を越えられる魔導士が王都にいるっていうことは、もしかしたら国の偉い人の耳に、入るのかもしれないけれど」
「俺、捕まったりするのかな」
「大丈夫……だと、思うわよ。私たちに、偉い人に歯向かおうとか、そういう意思はないもの」
むしろ重用されてもおかしくはない。そんな気はするものの、私自身も、今の国王や国の重鎮の考え方はわからない。むやみなことを言ってニコをぬか喜びさせてもいけない。私は、ニコの不安を曖昧に否定するに留めた。
「私ももうちょっと、慎重に魔法を教えればよかったわね。ニコがこれで悪目立ちしたら、申し訳ない気がしてきたわ」
今までも空を飛んだり、砂出しの仕事に口を出したり、悪いかどうかはともかく、目立っていたのは間違いない。彼がそれを気にするのなら、控えるべきであった。
「いや……俺はイリスに魔法を教えてもらって、世界が開けたから。申し訳なく思う必要なんてないし、もっと色々、教えて欲しいと思っているよ」
「そう? なら安心だわ」
「そうだよ。俺は、自分の人生に、希望なんてほとんど持ってなかったんだから」
進行方向を向くニコの横顔は、どこか遠い目をしている。意外と長い睫毛に、砂が一粒付いている。
「少なくとも田舎にいるうちは、俺は一生砂を掘って生きていくんだと思ってた」
その視線の先には、田舎があるようだ。遠くを見ていた視線を、下へ落とす。そこはもう、教会であった。
「王都へ来てよかったよ。……戻ってみようか」
「あの子は目を覚ましたかしら」
「イリスの体の手がかりになるような話も、聞けたらいいよね」
言葉を交わしながら、教会の前で地に足をつける。扉の先には、ステンドグラスから溢れる、色とりどりの光の雨。ニコが定期的に掃除しているおかげか、光に照らされた教会内は以前よりもさらに神々しく、神秘的な静けさだ。
奥の小部屋が、子供の寝ている場所である。静かな教会内に、止むを得ず足音を響かせながら、神の像が飾ってある扉を軽く叩いた。




