2-15.いくつかの進展
「本当に、一晩中、張り込んでくれたの?」
「まだ俺には、寝ながら魔法を使うってことはできないからさ。しばらく続けてみるよ」
「すごい……ありがとう。ここまでしてくれるなんて、本当に嬉しい」
オアシスに向かうと、サラが出迎えてくれる。ついでに昨晩の首尾を伝えると、彼女は驚いた様子だった。
私とニコも、サラの話には、半信半疑である。私のルーツに繋がるかもしれないという利己と、私たちの行動自体がサラの気持ちを変える可能性もあるという予測があって、実際に夜間の見張りに乗り出したわけだ。
サラも同様に、私たちの話を、半信半疑で受け取っていたのかもしれない。本当に一晩中、張り込みなんてするのかな、みたいに。
「はい、これ、ご予約のお弁当です」
「ありがとう」
「あの……」
サラが、ニコの服の袖を軽く引く。ニコが少し屈むと、その耳元に口を寄せ、小声で言った。
「嫌じゃなければ、明日からは、あたしにお弁当を作らせて。お金受け取ってるの、申し訳ないから」
「いや……いいよ別に、どっちみちご飯は食べるわけだし」
「でも……やっぱり、気が済まないの。二人が、張り込みをしている間だけ」
ニコが、こちらを見る。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「……お店に悪くないかな」
「いいの。店主に断っておくわ。最近料理を作らせてくれるようになったから。まだ始めたばかりだし、味は良くないかもしれないけれど」
「食費が浮くならありがたいわよね」
それに、サラが気にするのなら、好意を素直に受け取った方が良い。
「その分お昼に、お金を払ってしっかり食べましょ」
「そうだね。サラ、席は空いてる?」
「ああ、ならこちらへどうぞ」
今日の私たちの昼食は、食後に果実水とデザートを付けた、幾分か豪華なものになった。
「またのご来店を、お待ちしております」
「じゃあ、またね」
「また明日、サラ」
見送るサラにそう言うと、彼女はにこっと笑った。その屈託のない笑みは、恐らくは、ただの客には見せないもの。心を許してくれているのだと思うと、嬉しくもあり。
「今夜も、ちゃんとやらないといけないわね」
そんな、責任感も増す。
「そうだね」
「頑張るのはニコなんだけどね」
「そんなことないよ。イリスが隣にいるから、俺は一晩中魔法を使っていられるわけだし」
事実上、ニコが魔力を使いすぎた時に、私から吸い取ることで、彼は自分の力を人並み以上に伸ばすことができている。普通の人は、一度魔力を使いすぎたら、自然回復をしばらく待たないといけない。
この体は魔法を使えない分、どうも多く魔力を保有している気がする。私自身は魔力を感知できないので推測でしかないが、何にせよ、ニコの魔法に私が貢献しているのは間違いない。
「それはそうね」
ニコの分析は正しいので、私は謙遜せず、肯定した。私も前の肉体で、自分みたいな魔力の補給法があれば、もっと爆発的な威力の魔法を使えていたと思う。各領どころか、王都全体に広がる規模の魔法が。
「戻って仮眠をとりたいわ、そろそろ」
「……そうだね」
日はまだ高いが、先ほどに比べると、やや傾いた気がする。夜に備え、部屋で眠ろう。私たちは弁当を手に宿に戻り、そのままベッドに直行した。
そして、夜。教会に向かい、挨拶をして、鐘の間に上がる。鐘の間はしっかり腰を落ち着けて座れ、西の壁も少し遠いが、よく見える。弁当を食べ、ニコは魔法を使い、私は星を見る。
「……この間と比べると、間隔が少し長くなったわ」
「どのくらい?」
「そうねえ……」
床に線を引いて長さを比較すると、ニコはその違いを確認し、私から魔力を補給してまた壁を見る。朝になると、挨拶をして、宿に戻って昼まで眠る。
翌日からは弁当が、サラのお手製に変わった。サラ自身は謙遜していたが、美味しく、見た目も可愛らしい弁当。
ニコの空気の膜に引っかかる人はなく、ただ、魔法の持続時間だけが延びて行く。そんな夜が、この後暫く、続くことになった。
「おはよ、ニコ。……どうしたの?」
「いや、ちょっと首が痛くてさ」
首元を押さえるニコの手のひらの下は、たしかに薄っすらと赤く痣になっている。何かに打ち付けたような形だ。
「そんなところ、ぶつけるものなの?」
「いろいろあってね」
そうそう、近頃私は、夢の中で大蛇を撃退することを覚えた。締め付けられる尻尾を掴んだり、蹴ったりして、追い払うのだ。おかげで寝覚めは、ずいぶん良くなった。
昼過ぎに起きると、初代国王の像の広場へ向かう。
「あっ、こんにちは、イリスさん!」
「ちょっとリック、途中で放り出すなよ!」
「ジャックもちゃんと挨拶しろよ!」
「今日は二人とも、来てたんだね」
王都は暑いし、空気も乾燥している。池に溜めた水は、毎日少しずつなくなってしまう。今のところ水を自動的に足す術はない(あるけど、魔力の消費量がその効果に見合わない)ので、毎日顔を出して水を足すことにしている。
オットーがくれた資材を使い、池の周りに、バランス良くベンチを配置できた。私も試しに座ったが、高さもちょうどよく、長時間座ってもさほど疲れない。細かいジャックと勢いのあるリックは、互いに口出しし合いながら、うまくやってくれている。
「日除けの形を考えたんです」
「リックじゃなくて、僕がね」
「俺だって意見を言っただろ!」
「色について、だけね」
ジャックが差し出した日除けの案を、私とニコは覗き込む。木で枠を作り、そこに布をかける形だ。
「なるほど。手入れがしやすそうね」
「お店の庇を参考にしたんです。神父様に伺ったら、端切れの布ならけっこうあるってことだったので、縫い合わせてもいいかなと思いまして」
ニコの魔法に、リックとジャックも加わって、軌道に乗り出した作業は、どんどん進んでいる。
「ただ、僕は裁縫はできないんですけど。リックは、もちろんだし」
「うるせえな、余計なこと言うなよ。俺だって」
「裁縫できるの?」
「できないけど」
ジャックの言うことに、リックはいちいち噛み付く。ニコが「俺、できるよ」と口を挟むと、二人は「えっ」と顔を上げた。
「なんでニコラウスさんが、裁縫できるんですか」
「田舎でちびたちが服を破いたときなんか、縫ってやってたからね。大したことないよ」
「すげえ……」
「私も、やってもいいわ。夜は星を見るだけだから、合間に縫うくらいなら」
裁縫なんてしたことないけど。ニコの教えを受けながら、私は魔法を使う彼の隣で、指に針を刺しながら縫い物を進める毎日となった。
設置したい日除けは何箇所かあり、それぞれに大きい。教会で端切れをもらい、目的の大きさに合わせて縫って行く。怪我してばかりで気の遠くなるような作業だったが、最終的には、それなりの速さで縫うことができるようになった。
「……最初の倍くらい、保つようになったわね」
「俺、自分でもそんな気がする。わかんないけど、節約できてるってことだよね」
「そうだわ」
ニコが、魔力を節約する感覚を、なんとなく掴めるようになり。空気の膜を張っていても、喋れるくらいの余裕が出てきて。
「あれ、もう縫い終わったの?」
「ええ。これで最後だわ」
「すごいじゃん。……引っ張っても、縫い目も緩まないし」
私が、縫い合わせる技術を向上させ。縫うときに、怪我もしないようになって。
「このまま何も起こらなくても、なんだか満足だね」
「そうね。得たものはあったわ、既に」
私たちがそんな気持ちになりかけていた、そのとき。
「……あれ?」
「どうしたの、ニコ」
「今、空気が揺れた。何かが壁を通った気がする」
リラックスして座っていたニコが、片膝をついて立ちかけた。
「行こう、イリス」
「……そうね!」
ニコに手を引かれ、私も夜空へ飛び出す。そうそう、ニコが私を抱えなくても、触れていれば飛べるようになったのも変化のひとつだ。
生ぬるい風が頬を切り、私たちの体は、迷いなく西壁の一点に向かって行く。