2-10.広場復活計画
ニコは再度風を出し、彫刻の細かな部分に溜まった砂を掃き出してから、いよいよ水を入れ始めた。
底の方から、ふつふつと水が湧いてくる。初めはなかなか上がらなかった水位も、水を入れるうちに徐々に上がり、透明な水が、幹を濡らし、枝を覆い、像の足元まできっちり満たす。
「……こんなもんかな。どう? イリス」
これだけの量の水を一度に出しても、ニコは疲れた様子もない。
「すごいわ、……以前の姿を、思い出すわね」
水面が、日光をきらきらと反射している。その上に、堂々と佇む初代国王の像。その神々しさは、かつての趣を、思い起こさせるものであった。
私は池から数歩離れ、遠目に見えるところで腰を下ろす。この辺りに、ベンチがあったのだ。座って見ると、なおさら、懐かしいイメージが蘇る。
「この辺りに座って、本を読んでいたの」
「そうなんだ」
「あの……ニコが読んでくれたっていう、『水中で息ができる方法』も、この池を見ながら、構想を練ったんだわ」
私にとってお気に入りの場所のひとつ。それがこうして、目の前で再び息を吹き込まれたのは、純粋に、嬉しいものだ。
そのまま郷愁に浸っていると、ニコが隣に座る。
「砂漠化する前の王都は、綺麗だったんだね」
「そう。ここから見える景色も、もっと彩り鮮やかで、素敵だったの」
今は、どこを見ても、砂色一色。そうなってしまったのは仕方ないことだろうが、寂しさはある。
「……でも、水の色が、なんだか違うわね」
「そうなの?」
「ええ。水の下にああいう木の彫刻があるのは、全く見えなかったわ。もっと水は、青みがかっていて、透明感がなかった」
記憶の風景と重ねるうち、その違和感に気づいた。ニコに文句を言うわけではない。ただ、その水の質感が、記憶にあるものとは異なっていた。
私はこうして、実際に砂を掘り進むまで、像の下に木があるとは、全く知らなかった。外から見ただけでは分からなかったのだ。
「水が特別だったのかも」
「特別な水なんて、あるの?」
「うーん……王都にあるかは、わからないけれど。あるにはあるわ、いろいろと」
いくら待っても、水が吹き上がる様子はない。それなら、水に何か特別な要素があったというのは、妥当な仮説であろう。
「例えば、山の中の水には、金属が溶け込んでいることもあるのよ。昔ね、山の中の池で、青く光る様子も見たことがあるわ」
「へえ……綺麗なんだろうね」
「綺麗だったわ。ニコもいつか、見られるといいわね」
「案内してよ、イリス」
自然現象ならば、百年くらい経ったところで、変わらないものもあるだろう。人間にとっての百年と、自然にとっての百年は、違うものだ。
かつて見た美しい風景を、ニコと一緒に見て回る。そんな旅も、良いかもしれない。
「……いつかね」
私が魔法を使えるようになったら、ニコと並んで、旅をすることだってできるだろう。何が起こるかわからない旅路で、私のような足手纏いを連れて行くのは、危険である。
魔法を使えるようになりたい動機が、またひとつ、積み重なってしまった。
「でも、金属が溶け込んでいたからって、水が吹き上がることとは関係がないから……未知のものなのかもしれないわね」
「イリスに、知らないことなんてあるの?」
「あるわよ。たくさん。人を何だと思ってるの?」
驚いた声を出すニコに、こちらが驚く。わからないことなんて、山ほどある。そこまで自惚れてはいない。
「特にここの水は、調べることを禁じられていたから。私も忙しかったから、禁を破ってまで調べようとは思わなかったのよね……でも、気になるわ」
「誰が知ってるんだろうね」
「管理していたのは王城付きの人たちだから、行けば資料があるだろうけど……今の私たちは、王城には入れないから、わかるのはまだ先ね」
そう、とニコも軽く相槌を打つ。立場が伴わないものは、仕方がない。魔法を使えば忍び込めないこともないが、そこまでして、今すぐ知りたいものでもないのだ。
それにしても。
こうして私の知る趣を取り戻した池を見ていると、その周りのものも、懐かしくなる。人々の憩いの場となっていた、ベンチ。そこに流れる、ゆったりとした空気。
「……ここに、ベンチを置いて、うまく日陰を作ったら、皆の憩いの場になるかしら」
「暑いからねえ……日陰ならまあ涼しいし、あとは冷たいものとか置いてたら、来たいかも」
目の前にある砂だらけの風景と、記憶の中の光景が重なる。
「……ちょっと、やってみても」
「イリスがしたいなら、俺は協力するよ。おもしろそうだし」
皆まで言わずとも、ニコは賛成してくれる。ありがたい。この活動は、ニコのためでも、サラのためでも、誰のためでもない。完全に、私の郷愁のための、わがままだ。
申し訳なさも感じつつ、同時に私は、少しわくわくしていた。
「何もないところから、人が集まるように工夫して作るの、楽しそうだよね」
「ニコもそう思う? 私も今、そう思ってたの」
出来合いではなく、ゼロから作り上げる、居心地の良い場所。想像力を存分に働かせられる状況に、心が浮き立つのを感じていた。
「ベンチはいくつくらいあるイメージ?」
「あそこと、そこに……」
「日陰のことを考えるなら、円形に椅子があった方が良いよね。大きな傘を作ってさ」
砂の上に広場の見取り図を書きながら、配置を練る。考えてみれば、王都の中に、参考にできる広場はない。外は暑いので、皆屋内で食事を取り、過ごしているのだ。
「大きな日傘を作るのは?」
「……でも、やっぱり真ん中の池は、陽を浴びてて欲しいわ。だから、大きさは中くらいで、こんな風に……」
目的があると、それまで考えもしなかった思いつきが湧いてくる。この、新しい発想が生まれる瞬間が好きだ。あれこれと意見交換しているうちに、私たちの影の向きは、徐々に傾いていく。
「……ああ、イリス。もう日が傾いてきたよ」
「ほんとね。気づかなかったわ」
炎天下でも倒れずに長時間語り合っていられるのは、ニコが先日身につけた、周囲を涼しくする魔法による。今回は、それが裏目に出た形だ。気づけば、夕方が近づいてきていた。私たちの今日の本務は、この後の時間にある。
「オアシスに寄って、夕飯を受け取って、一回宿に帰って少し昼寝しようか」
「オアシスで、夕飯を受け取れるの?」
「らしいよ。サラが言ってた。頼んでおけば、持ち出せる弁当の形にして、出してくれるんだって」
それはありがたい。ニコと私は、宙に浮き、空からオアシスを目指した。
「あっ、いらっしゃい! ニコラウスさん、お弁当ね?」
「ああ。そうなんだ。できてる?」
私たちが揃って扉をくぐると、サラは、今日も笑顔で出迎えてくれる。その口調が少し砕けていて、声が少し高く変わったのは、私たちが知り合いになったからだろうか。
「これ。……あたしが、作ったの」
「サラが?」
「そう。店主が、知り合いなら、料理も練習してみたらって言ってくれて。魔法使えないから、簡単なのだけど」
エプロンを首から下げる紐をつねりながら、視線を逸らしてサラは言う。どこか気まずそうな態度は、ニコが「ありがとう!」と声をかけることで、安心したものに変わった。
「わざわざ作ってくれたんだね、俺たちのために」
「うん。良かったら、感想教えて」
「だって、イリス。ありがたく頂こう」
「ありがとう、サラ」
淡い水色の包みは、サラの髪と同じ色。ニコがその包みを手から提げ、私たちは宿に戻る。
部屋に戻ると早速、ベッドに横たわるニコ。
「……夜までに、少し英気を養っておかないとね」
「そうね」
砂漠で行き倒れる人々の手がかりを掴むために、夜通し見張る。ニコが眠りながらでも魔法を展開できるようになるまでは、それが最善手だと考えたのだが。実際、「夜通し」というものがどれだけ現実的なものなのか、私にもよくわかっていない。
「おやすみ」
私もニコの隣に横たわり、目を閉じた。外はまだ明るい。眠れないかと思ったけれど、頑なに目を閉じていたら、だんだんと体がぽかぽかしてきた。