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1-4.彼は自信がない

 主人の案内で、奥の戸をくぐり、狭い廊下を歩く。ところどころに砂が落ちているが、全体としてはよく掃き清められ、清潔な印象だ。

 木製の階段を上がると、ぎし、ぎしと鈍く軋む。できるだけ足音を立てないよう、慎重に歩を進めた。


「こちらです。ごゆっくりどうぞ」


 二階の一室。それが、私たちの案内された部屋である。主人は扉を開け、私たちふたりを室内へ入れると、深々と頭を下げて閉めた。品の良い主人だ。ここでの暮らしは、なかなか快適なものになりそうである。


「どうして、俺と同じ姓を名乗ったんだ?」


 主人の足音が遠のく。途端、椅子に腰かけた青年が、硬い口調で問う。私は、その向かいのベッドに腰かけた。古いスプリングが、ぎしっと錆びたバネの音を立てる。


「私……自分の名前、よくわからなくって。ごめんなさい」

「わからないって……覚えてないのか?」


 私は頷いた。この肉体の名前を覚えていないというのは、本当だ。


「覚えているのは、イリスって名前だ、ってことだけだわ」


 馬鹿正直に「イリス・ステンキル・プロット」なんて名乗って、妙な騒動になっても困る。私の成し遂げたことを考えれば、名前のひとつやふたつ、残っていてもおかしくはない。

 そんなことを敢えて言う必要もないから、青年にそう伝えた。彼は顎に手を添え、うーん、と唸る。


「だとしても……君が、俺の妻だと思われてしまったじゃないか」

「駄目だったわよね、ごめんなさい」

「駄目ってわけでもないけど……嫌じゃないか? 俺なんかの妻だと思われるのは」


 改めて、青年の顔をまじまじと見つめる。自信なさげな、黒い瞳。縮れた黒髪。くたびれた旅装束。背は高く、肩幅は広く、肌は日焼けして健康的だ。

 まあ、なんというか……別に不快感はない。研究室では、何日も風呂に入っていない男や、体型を気にしないせいで目も当てられない男達がたくさんいた。そうした人を見慣れている私には、彼の容姿は、ごくごく普通に見える。

 私だって、生理的に無理だったら、思いつきでも妻に誤解されるようなことはしないだろう。


「嫌じゃないわ。どうして?」


 彼の自身のなさの理由が気になり、質問を返す。


「俺は、見た目も普通だし」

「……まあ」

「田舎出身だし」

「そうなのね」


 生まれはどうしようもない。私も王都で名を上げたが、生まれは地方だ。


「それに、何より……魔法が全然使えないから」

「そうなの?」


 私の内部の魔力を使ったとはいえ、先程風の起こした風は、かなりのものだった。それに、魔法を使うときに、魔力の揺らぎを感じなかった。それほど素早く魔法を展開できる彼が、魔法が使えない、だなんて。

 この世の中は、いったいどれほど、魔法が進歩しているのだろうか。その割には、人々の移動は相変わらず徒歩だし、宿屋の経営も代わり映えしない。不思議だ。


「そうだよ。王都に来たのだって、ここなら魔法がろくに使えなくても、砂出しとか……そういう仕事があるって聞いたから、紹介してもらったんだ」

「砂出し?」

「そうさ。この辺りは砂漠化しているから、侵入してくる砂を掃き出す仕事さ」


 そんなもの、魔法を使って吹き散らせばいいのに。人の手を使うなんて、なんて非効率的な。


「砂なんて、魔法で出せばいいじゃない」

「君は何を言ってるんだ? こんな広い王都中に吹かせる風なんて、誰にも生み出せないよ」

「そう……?」


 少なくとも私は、ちょっとした工夫で、王都中の塵を吹き散らすことができる。いや、今はできない。この肉体にいると、魔力が感じられないから。

 それでも、私でなくたって、似たようなことができる魔導士はいたはずだ。未来であるなら、魔法は進歩して、もっと便利になっているはずなのに。


「あなただって、さっき、風を吹かせていたじゃない」

「……そう! あれ、なんだったんだ? 俺にできるのは、せいぜい、このくらいなのに」


 びゅっ、と一陣の風が吹く。私の、肩にかかるかどうかの長さの髪が、ふわっと巻き上がって、落ちた。


「……髪を乾かすのに便利そうね」

「慰め、ありがとう」


 青年は肩を落とす。ふうん。すごい魔導士なのかと思っていたが、彼はどうも、単なる一般人らしい。生活のために風を起こしたり、火を起こしたり、水を出したりすることは、誰にでもできる。それ以上のことができるから、魔導士になれるのだ。

 私は水を出そうとしてみた。……感覚は全くなく、水は出ない。


「このくらいの魔法、誰でも使えるさ。そうだろう?」


 青年は言うが、私の体は、そのくらいの魔法も使うことができない。魔力を感知できないことといい、魔法が使えないことといい。問題は周囲ではなく、この肉体にあるらしい。つまり私は、何らかの理由で、魔力を感じられず、魔法も使えない体になってしまったのだ。


「生まれて初めてだよ。あんなに大きな魔法を使えたのは。どう頑張っても、無理なのに」

「まあ、あれはね……」


 私の内部に飽和していた魔力を大量に消費したからこそ、できた仕業だ。


「君は、俺に何かしたのか?」

「何もしていないわ。ただ、助けてもらっただけ。死にかけていたの」


 というか、一度は死んでいたわけだが。

 その辺りの事情を説明するには、まだ、相手のことを知らなすぎる。


「あなたは命の恩人よ。だから……妻だと思われるのだって、やぶさかではないわ」


 だから私は、彼の関心を魔法から逸らすために、話題を戻した。別に妻だろうが、家族だと思われようが、何でも構わない。今大切なのは、そんな些末なことよりも、変わってしまったこの国の中で、どう生きていくかなのだ。


「変わってるね」

「そうかしら」

「そうだよ。俺なんて、君から見たら、随分なおじさんだろうに」


 彼の顔つきは、精悍な青年、という印象だ。二十代後半くらいだろうか。私の前の肉体が病に侵されたのも、ちょうどそのくらいの年齢である。別に、「おじさん」と自称するほどの年でもない。

 私はこの時まで、現在の自分の容姿について、考えたことがなかった。肉体が変わったのだから、当然、容姿も違うはず。現に、肩に触れる髪は栗色。私の元の髪は、彼に似た黒だったから、変わっている。頬に触れてみる。もち、と弾むような弾力が返ってくる。若々しい肌だ。


「……私、いくつに見える?」

「年齢も思い出せないのか?」

「……まあ」


 どうせわからないのだ。この際全て、記憶喪失ということにしてしまおう。

 私が肯定すると、青年は肩を落とす。


「そうだな。十代……せいぜい、行っていて十五、六だろうな」

「そんなに若いの?」


 十五、六だなんて。まだ子供じゃないか。驚く私に、彼は渋い表情で頷く。


「君が俺の妻だなんて、無理があるよ」

「ほとんど犯罪じゃないの」

「だからさ」


 国内の制度として、婚姻関係を結ぶことができるのは、男女ともに十五からということになってはいる。ただし、実際は十五といえば、奉公を始めたばかりの見習い。そんな若者を妻として迎えるのは、金持ちの、物好きな老人くらいなものだった。

 今はその辺りがどうなっているのか知らないが、彼の反応を見るに、風潮が大きく変わったわけではなさそうだ。


「今からでも、妹だって訂正しない?」

「今更だわ」

「……そうだね」


 はあ、と深い溜息が発される。私は申し訳なくなった。迷惑をかける気なんてさらさらなかったのに、既に心労をかけている。


「……お詫びに、魔法の使い方を教えるから」

「君が?」

「そう。私が」


 普通の人だって、工夫次第で、それなりの魔法は使える。さっきの風を見るに、彼はまだ、その域にも達していない。感覚を掴めば、あと数段、高みに登るのは容易いこと。

 せっかく精神が蘇ったのに、私の体は、魔法が使えないのだ。その分の知識を、迷惑料として、彼に教えても良いだろう。

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