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2-3.魔法が使えないわけ

「おはようございます」

「おはようございます! 本当に、空飛んでくるんですね……」


 朝。サラと約束した詰所へ行くと、彼女はもうそこで待ち構えていた。


「見てらしたんですか?」

「はい! 窓から」


 そう答えるサラは、目をきらきらと輝かせている。ニコやリックたちも何度か見せた、期待の眼差し。


「あたしも教わったら、飛べるようになるんですか?」

「なるわよね、ニコ」

「そうだね、きっと。俺だって、魔法は得意じゃなかったし。空を飛んでみたいの?」


 サラは、こくりと頷く。店では大人びた表情をしていたが、こうして見ると、まだうら若き乙女だ。


「はい! 空なんか、あたしの父も飛べないし。見返したいんですよね、父のこと!」

「そうなんだ」

「そうですよ~。魔法が使えないからって、あたしのこと厄介者扱いするんですから、うちの親は」


 サラはそう言って、ぷく、と頬を膨らませる。

 王都で働く人々の中には、魔法至上主義というか、どれだけ魔法が使えるかに人間の価値を置く人もいたのを思い出す。特に、自身が魔法によって成り上がった人に、その傾向が強かった。

 魔法が使えない人に魔法を教えたり、広めたりする私を、そういう人は小馬鹿にしていたなあ……と、思い出す。サラの父の人物像が、垣間見えた気がした。


「飛んでみる?」

「えっ、どうやって?」

「ニコに頼めば、飛ばしてくれるわ」

「えっ」


 私が言うと、ニコは濁った声を上げて一歩下がった。


「イリス以外の人を飛ばすのは、怖いんだけど」

「私を運んで、そのあとサラさんを運ぶ……ってしても、無理かしら」


 ニコは最近、魔法を扱うのが上手くなってきた。自分のできること、できないことも、よくわかっている。

 彼に判断を委ねると、ニコは暫く考え込む。サラを運ぶイメージをしているのだ。

 大切なのは、具体的に想像すること。ニコは魔法の基本を忠実に守っているから、上達するのだと思う。


「まだ怖いな。他のと違って、空を飛ぶのは落ちたら、命が危ないし」

「そう。ごめんね、やっぱり無理みたい」

「いいです! 自分で実現するから!」


 サラは細い腕をぐっと立て、力こぶを作る。快活で、エネルギーに溢れた女性だ。その素直さは、わかりやすくて、好感がもてる。


「なら、歩いて行きましょうか」

「あたし、歩くのも好きだから!」

「頼んだ、二人とも。俺の私事ですまないが」

「いいえ。ゴードンさんこそ、昨日はありがとうございました」


 ゴードンは片手を挙げて応える。私と、ニコと、サラ。三人で、連れ立って街に出た。

 砂出しは、成果報酬。時間的な拘束はないため、途中で抜けても、何ら問題はない。

 砂出しの彼らの様子も、最近は見なくても上手く行っているようだし……ニコの魔法の練習がてら、手の回っていない場所の砂出しをしてお金を稼ぐこともあったが、近頃は「手の回っていない場所」の方が珍しくなってきた。

 端的に言えば、やることがないのである。


「ラルドさん、知人を部屋にあげてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。このように断っていただければ、構いませんよ。宿泊ではありませんよね?」

「はい」


 宿に戻ると、ラルドはいつもと変わらない、紳士的な雰囲気で迎えてくれる。彼は「少々お待ちを」と私たちに告げ、奥から温かいお茶を三人分、持ってきてくれた。


「お話中にお部屋をノックするのも、何ですから。どうぞお飲みください」

「ありがとうございます」


 ニコが、盆に乗った紅茶を受け取る。先頭に立って歩くニコから、紅茶の良い香りがした。


「どうぞ」

「わあ、良い部屋ですね!」


 扉を開けると、サラが歓声を上げる。


「あたし、王都の人間だから、こういうところに泊まったことって、全然ないんです。いいなあ、綺麗で」

「良い宿ですよね。ラルドさんも、良い人ですし」

「さっきのおじさま? 素敵でしたね、お茶までくれちゃって」


 サラが気に入ってくれたようで、何よりである。サラに椅子を勧め、私とニコは、並んでベッドに腰掛けた。ひとり用のこの部屋は、残念ながら、椅子は足りない。

 それぞれに腰を落ち着けて、私たちは互いに顔を見合わせた。


「サラさんは、とりあえず空を飛ぶのが目的、ってことで良いですかね」

「はい。あ、サラって呼んでください。敬語も使わなくていいです。たぶん、あたしの方が年下だし。教わる側なんで!」


 口火を切ったニコに、サラはそう言う。


「あ、イリスちゃんもそうしてね。あたし、気にしないから」

「わかったわ」


 ついでのように、そう付け足す。私だって中身はニコと大差ないのに、と喉元まで出かけた。肉体は、まだ十代。私が子供扱いされるのは、致し方ない。


「空を飛ぶでも何でも良いけど……魔法を使って、見返したいというか、認められたいんですよ、父に。今はなんか、完全に家族の厄介者って感じだから」

「俺もそうだよ。魔法が下手だったから、田舎でもできることがなくて、それで砂出しになるために来たんだから」

「そうなんですか? 空飛んでるのに?」


 目を丸くするサラに、ニコは頷く。


「イリスが、俺に魔法を教えてくれたんだ。イリスのおかげで、俺は人生が変わったんだよ」

「運命の出会いってやつですね。いいなあ、羨ましい」


 胸の前で手を組み、瞳を輝かせる。つくづく、サラは乙女だ。こうしていると、仕草も表情も、可愛らしい。


「親近感わきますね、ニコラウスさんも、魔法が使えなかったなんて」

「でしょ? イリスがよく言ってくれるんだけど、魔法って、本当は誰でも使えるんだって」


 ニコが私の言葉を代弁してくれる。紅茶をすすると、まだ熱くて、口に含めなかった。紅茶の香りが、鼻を抜けて行く。


「どうやったら、魔法が使えるようになるんですか?」

「魔法が使えない理由を探るところから……だよね、イリス」

「うんっ! そうね」


 お茶の香りにうっとりしていたところに急に話しかけられ、動揺してしまった。サラが小さく笑い、「イリスちゃんって食べるの好きなんだね」と続けた。


「魔法が使えない理由は、はっきりわかってるって、昨日言ってたわね」

「そうなの。あんまり、人には話さないんだけど……重いから。でも、聞いてもらってもいい?」

「もちろんよ。それをした方が、魔法を使えるようになるための方法も、探しやすいもの」


 サラは頷く。俯き、下唇を噛んで、暫く沈黙した。顔を上げた彼女は、眉間が強張り、先程よりも硬い表情をしている。


「魔法が使えないのはね……小さい頃、誘拐されたからなの」

「誘拐……?」

「そう。父をよく思わない人がいてね。まだ幼い頃なんだけど、庭で遊んでたら、知らない人に声をかけられて。『父が呼んでる』って言うから付いて行ったんだけど、そのまま閉じ込められたの。暗い、倉庫みたいなところに」


 サラの小さな白い手が、ぎゅ、と強く握られる。


「小さくても私、魔法はそれなりに使えたから。助けてほしくって、あらゆることを試したわ。火を出してみたり、水を出してみたり、風を起こしてみたり……でも、誰もこなかったの」


 よく見れば、握られたその手は、ふるふると震えている。サラの声は、何かを堪えるように、硬く、拳と同様に震えている。


「結局、泣き疲れて眠って、起きたら家だったんだけどね。誘拐犯は父の元上司で、父に役職を奪われた、と思ったんですって。……それ以来、魔法が使えないの」


 くしゃ、と笑うサラ。それは、痛々しい笑顔だった。


「おかしいでしょ? 魔法を使おうとすると、あのときの感情を、思い出すのよ。暗くて、怖くて、魔法を使っても無意味で、寂しくて……そういう、ぐちゃぐちゃな、気持ちが」


 ひとつひとつ、言葉を切りながら、サラは話す。


「おかしいのよ。小さい頃のこといつまでも引きずって、もういい大人なのに、いつまで経っても怖くって。おかしいの。駄目なのよ、あたし」

「おかしくないよ」


 驚くほどはっきりした声で、ニコが言った。


「おかしくないよ。感受性豊かな、小さい頃にそんなことがあったら、忘れられなくてもおかしくない」

「そんなこと……」


 サラの青い瞳に、透明な涙が、ぶわっと一気に溜まる。


「そんなこと言ってくれたの、おじさんと、店長と、ニコラウスさんだけだよぉ……」

「結構いるね」


 苦笑するニコと、大泣きするサラ。私は口を挟める気がしなくて、暫くその様子を見ていた。


「紅茶、飲む? まだ温かいわよ」

「ありがとう……イリスちゃん。ふたりとも、優しくって、嬉しい」


 泣き止みかけたサラに、飲み物を飲ませて落ち着かせようと思って、紅茶を勧める。サラの瞳が、また潤んだ。泣かせてしまうかと身構えたが、それ以上は泣かずに、サラはお茶を飲む。

 カップから唇を離し、はあ、と勢いよく息を吐く。その溜息は、さっぱりした印象だった。


「ね? あたし、この話すると、絶対泣いちゃうのよ。ごめんね。だから、人がいるところでは話したくなくって」

「構わないわ」

「そうだよ。そんなに辛いことを、話してくれてありがとう」


 ああ、こういう時には、そう言えばいいのか。ニコの言葉の適切さに、内心、頭が下がる。


「理由は、たぶんそれなんだけど……これって、治るのかなあ?」

「そうねえ……」


 私は、今まで出会ってきた人を思い出す。その中には、幼い頃に、重く辛い経験をしてきた人もいた。


「……時薬、って言葉もあるけれど、ね。そういう気持ちを、時間が解決することって、あるのかしら」

「うーん……あたしも、何もなければ忘れると思うんだけどさ。あたしって、わりと忘れやすいタイプだから。でも、王都って、たまに、誘拐事件が起こるの。その話を聞くたびに、思い出しちゃうのよ」


 サラは私たちに顔を寄せ、声を落とす。


「さらわれた子の中には、暫くしてから、砂漠で亡くなっているのが見つかった人もいるのよ。怖くない? あたしも見つかるのが少し遅かったら、そうなっていたかもしれない、って思うの……」

「……怖いわね」


 私は、自分の肉体が、砂漠で死んでいたことを思い出した。ニコと目が合う。彼もきっと、そのことを思い出しているのだろう。

 砂漠で行き倒れている人について調べることは、私の肉体のルーツを、見つけることになるかもしれない。他人の肉体を借りる以上、そのルーツを探れるのなら、探るのが誠意ではなかろうか。


「まずは、その誘拐事件を調べてみる? 事件がなくなったからって、すぐサラが、魔法を使えるわけではないとは思うけど」

「うん……でも、あたしみたいに嫌な思いをする子がいなくなるなら、嬉しい。あたしにはできないけど……空も飛べちゃう二人なら、できるかもしれないね」


 その過程で、サラが魔法を使えるようになる、手がかりが得られるかもしれない。

 やらない理由は、特にない。私たちは、そのことについて、調べてみることに決めた。

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