1-21.イリスの宣言
「隊長、ただいまー」
「戻りましたぁ!」
キータとリックの元気な二人組を先頭に、私達は詰所へ戻る。書類に目を落としていたゴードンが視線を上げ、「おう」と応えた。
「首尾はどうだ?」
「僕はねえ、リックみたいに、風で砂を吹き飛ばせるようになったよ! そんでミトスは、水で砂を洗い流せた」
「ほう……相変わらず、短時間で随分変わるものだな」
ゴードンの口元が綻ぶ。
「ゴードンさんも、やってみませんか?」
私が提案したのは、今後砂出しの若者に魔法の使い方を広めるのだとしたら、最適なのはゴードンだからだ。彼の言うことを素直に聞く砂出しの若者は多いだろう。
ゴードンはゆっくりと、首を左右に振った。
「もう少し若かったら、教えを請うたんだがな……」
「魔法を使えるようになるのに、年齢は関係ありませんよ」
以前も聞いたような断り文句に、私はもう一押し粘ってみた。するとゴードンは苦笑し、頭を掻く。
「いやあ……様子を見てると、お前達のやり方は、魔法の使えない理由を探りながら進めるんだろう?」
どこかで練習の様子を見ていたのか、ゴードンが言う。私が頷くと、深い溜息をついた。
「俺は……魔法を使えない理由は、ちと言いたくないんだ」
「……そうですか」
歳をとるということは、往々にして、相応の過去を背負うことでもある。ゴードンも、砂出しの隊長という職に収まるまで、いろいろあったのだろう。言いたくないものを、無理に聞き出す気はない。
「なら、後進の育成は、リック達が中心になるしかないわね」
「行進? 歩くの?」
「他の奴に教える、って意味だ、キータ」
とぼけるキータと、それを冷静に訂正するミトス。息のあったふたりのやりとりを、おもしろそうに眺めるリック。ゴードンが断るのなら、やはり彼らが、周知の人に教えていく方向で行くしかない。
「砂出しの人たちって、あのどのくらいいるの?」
「俺たちを除いたら、あと七人くらいですかね」
「全部で十人? ずいぶん少ないわね」
王都の敷地は広い。壁内の砂を、しかも手で掘り起こしていた彼らが、たった十人とは。
「ああ。厳しい仕事なんでな。皆、辞めて行ってしまう」
「残るのは……自分達のような、魔法が使えない、役立たずだけ」
「全然人手は足りてないし、なんなら砂に埋まっちゃった場所とかあるよね!」
口々に説明される内容に、私は納得した。たった十人で、毎日砂の戻ってくる王都の掃除なんてしていたら、埋もれるところもあるだろう。むしろよく、生活空間が維持できているものだ。
「なら、ますます、皆が魔法を使えるようになればいいのね。王都全体を、綺麗にできるようになるまで」
それも、これまで。私は、俄然やる気が湧いてきた。十人という少人数で、王都全体を綺麗に仕上げる集団を作るのだ。魔法の力で。
「王都を全部綺麗にするには、もっと人を増やさないといかんな」
「さすがに、十人じゃ無理だもんね」
「無理なんてこと、存在しないわ」
キータに反論すると、彼はその丸い目をぱちくりとさせた。
そんなの無理。そんなのできない。実現不可能、夢物語。私は、そういう言葉を聞くと、実にやる気が出る。無理だと思えることも、魔法を使えば、必ず実現できるのだ。それが魔法の、凄いところ。
「明日は、また何人か揃うのかしら?」
「呼んだ方が良ければ、皆に声かけますよ。全員来るかはわかりませんけど」
「お願いするわ、リック」
リックは、任せてください、と応える。頼もしい反応だ。最初の頃のことを今更言うのも野暮だけれど……あの、不躾で乱暴そうなリックとは、似ても似つかない。
「とりあえず僕達は、もう何個か現場を回って、練習しようよ。まだ時間もたっぷりあるし」
「そうだな、……行くか」
キータとミトスは、顔を見合わせる。彼らは正反対の雰囲気を纏っているのに、不思議と気が合うようだ。
「俺も行ってきます。砂出しの成果報酬が、今となっては、良いものに思えますよ。砂出したら出しただけ、金になるんですから!」
身も蓋もないことを言うリックも、体力が有り余っているらしい。良いことだ。魔法は、自分で試せば試すほど、力が伸びる。
「若いなあ。気をつけろよ」
「使いなれない魔法をたくさん使うと、魔力切れになるから気をつけてね。具合が悪くなったら、じっとしてたら治るから」
以前、ニコも魔力を使いすぎて体調を崩したことがあった。初心者にはよくあることである。その時はたまたま私がそばにいたので、応急処置として魔孔から魔力を分けたけれど、普通の人にそれはできない。私の肉体がなぜだか、魔力を吸い出されることに違和感を覚えないだけで、普通の人は無理やり魔孔から魔力を出されると多大なる苦痛を覚えるからだ。
応急処置をしなくても、特に問題はない。失われた魔力は、時間とともに回復する。少しその気持ち悪さに耐えれば、いずれ体調は良くなるのだ。
「了解しましたー!」
口々に了承の返事をし、三者三様の姿で詰所を出て行く。雰囲気の異なる三人ではあるが、やる気と希望に溢れていたことは変わらない。魔法は人生を変える力がある。彼らはまさに、その力を手に入れたのだ。
「お前達のお陰で、リックの顔つきが、ずいぶん柔らかくなった。荒んでいたあいつを、救ってくれたんだな。感謝する」
「リックは、そんなに荒んでいたんですか?」
確かに、当初のリックはあまり良い印象ではなかった。今ではすっかり大型犬のようで、その尖った対応は鳴りを潜めている。
「あんまり言うとリックが腹を立てそうだから、言わないが……まあ、典型的なやんちゃ坊主だったよ。喧嘩は売るわ買うわで、生傷も絶えねえ」
「ああ、なるほど……」
私とニコの納得の声が揃う。
「家族思いで、根は良い奴なんだよ。お前達が、奴の良さを引き出してくれたんだと思う」
「そんな……リックは自分の力を発揮しただけですよ。私たちは、その手助けをしただけ」
「その手助けがなければ、奴は何にも変わらなかっただろう」
会話を切り上げるように、ゴードンはゴホン、と低く咳払いした。
「細かいことは良い。感謝の意を伝えたかっただけだ。それぞれ曲者揃いだが、根は素直な奴らばかりだ。俺は、お前達が奴らを変えることを期待してるぞ」
「……ええ。十人で、王都の砂をきっちり掃き出す。そんな集団にしてみせますよ」
私はそう、約束した。約束したことは、必ず実現する。私は、前の肉体で、ずっとそうやって生きてきた。やることは、体が変わったくらいでは、変わらない。
「力を貸してね、ニコ」
「俺にできることなら、するけど」
「できることはたくさんあるわ。何たって、私の体は魔法が使えないんだから」
大きな制約も、代わりに魔法を使ってくれるニコがそばにいれば、かなり軽減される。
「燃えてきたわ!」
なんだか暑くなってきた気がして、だぶだぶの作業服の袖をまくる。袖からばらばらと砂が落ちる。煩わしい。王都の砂が減れば、この煩わしさは、多少なりとも軽減されるのだ。砂出しの仕事がはかどることは、王都の生活を良くすることでもある。
「ほどほどに、無理しないでね、イリス」
ニコが何か言っている。私の耳には入ったが、頭にまではその言葉は入ってこない。ぐるぐると回転する思考が、目的に向けて、どんな選択肢があり得るか考え始めている。
「作戦を立てるわ。行きましょう」
私はニコを促し、詰所を後にした。




