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1-17.ニコのスカート

「全然、それはもう、微動だにしてないんだけど」


 部屋の中央で、私のワンピースを着たニコが、腰に手を当てて仁王立ちしている。一定の距離を保って向かい合わせたリックは、渋々ながらも、彼に向かって風を出そうと試みていた。

 不機嫌そうに言うのは、ニコ。ただでさえ背も高く、肩幅も広いので、そんな顔をすると凄みが出る。


「そんな、怖い感じで立ってるからじゃないの? もっと笑顔で立ってあげてよ」

「いいけど、そういう問題なの?」

「あのー……」


 おずおず、といった風に、私とニコの会話に口を挟むリック。


「俺、風の出ない理由がわかるんですけど」

「……どんな?」

「そんな格好してもらって、ニコラウスさんには申し訳ないんですが……見たいと思わないんですよ、スカートの中」


 しーん、と沈黙が小部屋を支配した。私とリックは顔を見合わせ、ふたり揃って、ニコの顔色を伺った。

 ニコは、さっきから変わらない不機嫌そうな表情。はあ、と深い溜息をつく。


「……だろうと思ったよ」

「……すみません」

「いや、リックは悪くないよ。俺に意気揚々とスカートを履かせたのは、イリスだからね」

「行けると思ったのよ」


 自分でも、言い訳がましい調子になっているのがわかった。それにしても、困った。条件が限定的すぎる。リックが魔法を出せないとなると、話が始まらない。今まで私が指導してきたのは、魔導士であったので、ある程度魔法を使う素地があった。市井には、リックのように、「使う」という段階に重い蓋が置かれている人もいるのだ。

 困っているだろうなあ。八十年越しに知った民間の人々の姿に、私は新たな課題意識を持った。そういう人たちが、自由に魔法を使えるようになれば、もっと生活は豊かになるに違いない。

 何はともあれ、まずは目の前のリックである。


「どうしたらいいかしら」

「イリスさんのスカートなら……」

「それはいや」


 いくらリックの心理的な障壁を取り除くためとはいえ、自分の体を犠牲にすることは望んでいない。スカートをめくられて中を確認されるなんて、たとえ中にズボンを履いたとしても嫌だ。

 きっぱり断った上で、私はニコの様子を観察した。背が高く、肩幅が広い。今は腕を組み、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。ワンピースの鮮やかな色合いだけが、妙に浮いている。どう見ても女性には見えないし、何よりその威圧的な表情が、服装に合わない凄みを与えてしまっている。


「とりあえず、ニコは後ろを向いてよ」

「まだ続けるの?」

「続ける。なんか悔しいから」


 やると決めたら、できるまで試行錯誤する。それが私のやり方である。ニコは嫌そうだったが、渋々壁の方に向きを変えた。


「足を閉じて立ってみて」


 肩幅に開いて貫禄を醸し出していた脚を閉じてもらう。


「手は前に組んで」


 横にだらりと無造作に垂らされていた腕を、体の前方で組んでもらう。


「いいじゃない」


 姿勢を整えたニコの後ろ姿は、最初よりは、女性っぽく見えたように思える。


「どう? リック」

「どうって……あれ、ニコラウスさんじゃないですか」

「違うわ。ちゃんと、自分に言い聞かせるの。あれはニコじゃなくて、女の人だって」

「ええ……」


 リックも嫌そうに表情を引きつらせる。元を辿れば彼が望んだことなのに、失礼な話だ。


「私の言うことを、復唱して。自分に言い聞かせるつもりでね。あのワンピースの人は、女の人」

「……あの人は、女の人」

「あなたは、スカートの下が気になる」

「……俺は、スカートの下が気になる」


 顔をしかめながら言うリック。


「ねえ、そんな顔しないで。自分に言い聞かせるのよ」

「イリスさん、本当にこんなこと……」

「ニコを見たでしょ? 砂出しの仕事をしにわざわざ出てきたくらいの人が、あんな魔法を使えるようになったのよ」


 大切なのは、信じること。私は、リックの目を見て、そう言い切った。


「……そうですね」

「そうよ」

「俺、やってみます」


 リックはニコの背を見つめ、表情を変えた。一瞬の間の後で、さっと風が吹く。ニコが着ている、派手な色のスカートの裾が、ひらっと舞い上がった。中に履いている、男性用のズボンが覗く。


「できたじゃない!」

「……できましたね」

「すごいわ! やっぱりリック、あなたはできるのよ!」


 不思議そうに私の顔を見るリック。私は、必要以上に、魔法を使ったリックを褒めちぎった。この行為の目的は、「魔法で風を出すと叱られる」というイメージを、少しでも変えることにある。


「……なんか、複雑なんですけど」

「でも、できたじゃない。本当にニコのスカートを、めくりたかったわけじゃないでしょ?」

「……まあ、それは」

「そこで肯定されたら、俺も困るよ」


 いつの間にか近くに寄っていたニコが、私達を見下ろして言う。リックが、ニコを見上げて頭に手をやった。


「すみません、ニコラウスさん」

「いいって。イリスがそうしろって言うことには、やっぱり意味があるんだね。実際、君は魔法を使えたようだし」


 さりげなく、リックの信じる心を、後押ししてくれるニコ。私もそれに重ねて、さらにひと押しする。


「見たくもないのに魔法を使えたんだから、一歩前進なんじゃない?」

「見たくもないとか言われても微妙な気分になるんだけど……ああもう、これで何も起こらなかったら、俺はイリスに腹を立ててたよ」

「起こらないわけないと思ってたのよ」


 はあ、と溜息をついて額に手を当てるニコ。リックが、くすりと笑った。


「……確かに、俺は今魔法を使えましたね。見たくもないのに」

「そうよ」

「そうだね。……俺、もうこの服脱いでいい?」

「いいわ」


 ごそごそ。ニコがワンピースを脱ぐ衣擦れの音を聞きながら、私は窓のカーテンを閉じる。そのまま、リックを見た。


「じゃあ次は、見たいものを見るために魔法を使いましょう」

「カーテンですか?」

「そう。窓の外って、気になるじゃない? ニコのスカートの中よりは」

「……まあ」


 頷くリックの声は、自信なさげに小さい。


「だけど俺だって、カーテンを開けないか、くらいのことなら何度も試しましたよ」

「そうだろうけど、過去は過去、今は今よ。だってリック、あなたはさっき、見たいと思わなくても布を揺らせたんだから。以前のあなたとは違うわ」


 強引かもしれない。けれど、「できる」と力強く励ますこと。それが、自分を信じることにつながるのだ。


「少なくとも、見たいと思うだけ、さっきのスカートより簡単なはずよ」

「そうですか……やってみます」


 リックが、部屋に備え付けの、色の褪せたカーテンを見つめる。

 ふわっ。

 吹き抜けた風が、カーテンを揺らし、窓の向こうに青い空が見えた。


「ほら!」

「できました!」


 反射的に、両手を上に挙げて万歳のポーズを取るリック。


「俺の時もそうだったけど……こんなことで、魔法が使えるようになるんだなぁ」


 喜ぶリックを見た、ニコの感想である。


「そうよ。簡単なことなの」


 私は、自分の手法がニコだけではなく、リックにも通用したことに安堵しながら反応する。

 何のことはない。魔法というのは、本来、簡単なものなのだ。植物だって、虫をおびき寄せたり、必要な水分を手に入れたりするために、空気中の魔素を取り込んで魔法を使う。鳥だって、速く飛ぶためには、魔素を取り入れて魔法を使う。生物が生きる上で、息を吸って吐いているのと同じように、魔素を入れて魔法として使うことは、仕組みとして成り立っているのだ。

 人間だって、息をするのと同様に魔法を使える。思考力が高いので、植物や鳥の比ではないほどに、複雑で強力な魔法が使える。それが人間の利であったはずなのだが、同時にその思考力が、ニコやリックが直面した問題にもつながっている。


「俺……カーテンなんて、自分では、動かせないと思ってたんですよ。それが、こんなに簡単に……」

「不思議だよな。『自分にはこれしかできない』と思っていたのに、イリスと話していると、できるようになるんだ」


 自分にはできないと思い込んで、本来持っている魔法を扱う力が使えなくなる。それが、人間の持つ思考力の、ひとつの弊害なのだ。


「私は、ただ、本当のことを言っただけよ。ニコもリックも、魔法を使う力は充分にあるんだから」


 思考を変えれば、人は変わる。私はそんな簡単なことを、ただ実行しているだけだ。

 時代と人が変わっても、意味のあることは変わらない。私の言葉はリックに自信を与えたかもしれないが、彼の成功は同時に、私にも自信を与えたのだった。

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