1-16.リックの魔法上達作戦
壁が見えるところが良い、と注文を付け加えたところ、リックはそれに合った場所へ向かってくれているようだった。
「詳しいのね」
「もう働き出して一年になりますから」
「若いのに、すごいわ」
「俺と対して変わらないイリスさんに言われると、変な感じですね……」
気持ちの上では、私はもう二十代後半。どちらかというとニコに近くて、リックのことは、年下の新人を見ている気分だ。
ただ、肉体の年齢は、十代らしいのである。リックに同年代扱いされるのはどうも違和感があって、とりあえず笑って誤魔化す。
「働けるようになって、すぐ働き出したんです。魔法が使えないから、砂出しみたいな仕事しかなかったんですけど……稼がないといけなかったんで」
「家の事情?」
「そうです。よくある話ですよね。俺、四人きょうだいの長男なんで、何かと」
弟たちの方がずっと魔法が使えるんですけど、と言いながらリックははにかんだ。
やんちゃそうな風貌のリックだけれど、家族のために働く一面もあるのだ。人は見かけによらない。そんな当たり前のことを、私は改めて実感した。
「この辺りです」
「ちょうどいいわ。さすがね」
リックが連れてきてくれたのは、壁の間際に砂が山となっている場所。昨日、ニコとの練習に使ったような、砂と壁を同時に視界に収められるような空間である。
「イリスさん、お願いします!」
砂山の前で、姿勢を正すリック。鳶色の瞳が、生き生きと輝いている。
「ねえ、リックって、風はどのくらい出せるの?」
「いや、それはちょっと……」
「ちょっと、って言われても……実力を見たいわ」
ニコが水筒を上限だと思っていたように、リックは何を上限だと思っているのか。自身で定めている限界を知り、それを超えさせてあげることが、最初の一歩になる。
だから必要なことなのだけれど、リックはさっきまでのやる気はどこへやら、眉尻を垂らして本気で拒否している。
「うーん。困ったわ」
今のままやらせても、魔法は間違いなく失敗に終わるだろう。リックは、限界を超えられるかもしれないという期待は持っていても、自信は持っていない。自分を信じ、期待した上で、具体的なイメージが伴うことが必要なのだ。
「俺、風の魔法は、ほんとに、限定的なことにしか使えなくて」
「だから、それを聞いているのに」
「ちょっと、イリスさんにお伝えしていいようなことでは……」
要領を得ないリックの物言いに、私はイライラしてきた。力を発揮させるためには、今できることを把握し、それに合わせた限界の超え方を考える必要があるのに。
「教えてよ。それを元に、やり方を考えるんだから」
「いや、あの……なら、俺、ニコラウスさんにだけ、言います」
ニコは、私の魔力を程よく吸い上げ、顔色が良くなっていた。
「俺に? なに?」
語気の強い私とのバランスを取るかのように、優しい声音で問いかけながら顔を寄せる。
リックはニコの耳に顔を近づけ、口元に手を添えて、こそこそと何か言う。聞いているニコの顔が、にやにやし始めた。
「ああ……それは、イリスに言うには、恥ずかしいね」
「そうなんですよ! ニコラウスさんには、わかりますよね!」
「まあ……でも、いいんじゃない? 年相応でしょ」
ニコはこちらに向き直る。いじわるな笑顔を浮かべ、今しがた聞いたばかりのリックの秘密を、何の躊躇もなく言い放った。
「女の子のスカートをめくるために使ってたらしいよ」
「あああー! 何で言っちゃうんですか!」
ニコの背後で、頭を抱えて嘆くリック。
なるほどね。年相応とは、そういうことか。小さい男の子の考えそうなことだ。ある目的のために使っているうち、それしかできなくなる、ということはままある話である。以前教えた若い魔導士の中には、とんでもなく暑がりで、涼を取るために冷風を出すことに長けてしまい、風の温度を調整できなくなってしまった者もいた。
スカートをめがけて風を送り、うまく裾を翻らせていたとしたら、コントロールの良さがある。応用さえできれば、ニコのように、砂の山くらいすぐに動かせるようになると思う。
「もう、今はしてませんから! ほんとに!」
「疑ってないわよ。それで、本当に他の用途には、風を出せないの?」
「それが……他のことに使おうとしても、俺がそういうことに魔法を使ったのを見た親に、こっぴどく叱られたことがちらついて」
「そりゃあ、叱るわよね」
自分の子供がそんな悪戯に魔法を使っていたら、親ならそれを叱るだろう。当然の話をしょんぼりと語るリックが面白くて、私はくすりと笑ってしまった。
「うーん、どうしようかしら」
リックの抱えている問題は、ただ目的が固定化してしまったということだけではない。「叱られた」という記憶が蓋になり、風の魔法自体が使えなくなっている。
まずは蓋を取り外すこと。それができないと、魔法を使うという、最初の段階にもたどり着けない。
「何か、問題があるの?」
「え?」
「イリスが難しい顔をしてるから、リックが落ち込んでるよ」
ニコに聞かれて見ると、リックが悲しげな顔をしている。彼が悲しんでいるのは、私が考えているからじゃなくて、自分の秘密をニコがばらしたからじゃないの。
「いや……魔法で風を出すと叱られる、ってイメージを取り除かないと、先に進まないなあと思って」
「スカートをめくられて叱らない人なんて、いないだろうしねえ」
「ニコラウスさん、何度も言わないでくださいよ……」
力無く反応するリック。彼が落ち込んでいるのは、ニコの言動が原因なのだ。
「魔法を使うとこうなる」という誤ったイメージが原因で魔法が使えないときには、「魔法を使っても大丈夫」という経験を重ねることで使えるようになることが多い。
リックの場合、魔法で風を出しても叱られないという経験を積めば、風自体は出せるようになる。ただし、彼は風をいたずらのためにしか使えないという問題もある。そして、彼のするいたずらを笑って流してくれる女性はいないだろう。まして今のリックは、そうしたいたずらの許される年齢をとうに過ぎた、青年である。
「叱らない人……そうだわ」
リックと、ニコの顔を見比べながら考えていた私は、あることを思いついた。
「イリス……これ、本当に、意味があるの? 君の趣味じゃない?」
「ごつい男の人にそんなものを着せる趣味はないわ」
ゴードンにひとつの現場を片付けたことを報告し、相応の対価をもらった。その後、一旦作業を離れる許しを貰い、私は、リックとニコとともに宿へ戻ってきている。
昨日ニコに買ってもらった、新しい王都の服。私にちょうど良いサイズのそれは、ニコが着ると、肩や胸元がかなりきつそうだった。元々ゆったりした作りなのである。着られないということはなく、スカートのあたりは、それらしくひらひらしている。
「でも、思っていたより、似合うわね」
ニコは体格は良いけれど、顔立ちは、どちらかというと中性寄りだ。髭もないし、肌は、日焼けはしているものの、それなりにきめ細かい。眉も太すぎないし、肩幅の広さに目をつぶれば、見られないほどではない。
「その褒め言葉は、嬉しくないね」
「何でもいいのよ。リック、始めましょう」
「始めましょうって……そういうことですよね?」
話の流れとニコの姿に、これから始まることをもうリックは察したらしい。げんなりした表情で、「わかりました」と続ける。
リックの、「風の魔法を使うと叱られる」という蓋を外す作業。その名も、「ニコのスカートをめくろう! 大作戦」の開始である。
「ねえイリス、これ、誰得なの?」
「リックが魔法を使えるようになったら、皆の得じゃない」
「そうだけど……それ以前の段階で、俺とリックはかなり損する気がするよ」
ニコの言葉に、うんうんと繰り返し頷くリック。
「文句があるなら、他の案を考えてよ」
私はこれを、妙案だと思っているのだ。そうつっけんどんに言い放つと、それ以上の苦情は来なかった。