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1-14.新しい弟子

 夢を見た。大きな蛇に、巻き付かれる夢。足元から這い上がってきた大蛇が、太腿の辺りにぐるりと巻きつく。動けない私の、肩口にも巻きついて、大きな赤い口を、ぱっかりと開ける。ちろちろと出入りする赤い舌が、恐怖を喚起する。


「ひ、ひぃ……」


 夢の中の私は、あまりの恐ろしさに身悶えした。魔法が使えない。身動きも取れない。ニコ、助けて……そう思ったら、ぱちんと、大蛇の姿が消えた。

 あの後、また深い眠りに戻った気がする。目覚めたのは、それから随分後だった。起きると、ニコは、椅子に座って林檎を齧っていた。


「結局、椅子で寝たの?」

「違うよ。ちゃんと寝た」


 咎めると、ニコは否定する。確かに布団には、もうひとり寝たような跡がある。良かった。寝ないと、体がもたないから。


「早起きなのね」

「田舎にいた頃の習慣だよ。朝日と一緒に目覚めていたから」

「農作業?」

「そう」


 私がかつて訪れた領地でも、農作業のため、市民は朝早くから活動していた。日が昇るまで眠りこけていられたのは、私は自然相手の職業ではなかったから。朝から動き回り、人に美味しい食材を届けるために奔走している彼らを、私は尊敬する。誰かのために動けるということは、それが何であっても、素晴らしい。


「とにかく、今日はよく眠れたよ。ほら、クマもないでしょ」

「ないわね」


 わざわざニコは、下瞼の皮膚を伸ばしてアピールする。見れば、健康的な肌の艶。寝たというのは、本当らしい。


「イリスはよく眠れた?」

「ええ」


 途中、蛇に食べられかける悪夢は見た。そんなこと、わざわざ報告するまでもない。その後もぐっすり眠っているし、悪い夢を吉兆と捉える説もある。


「林檎。今日もラルドさんが持ってきてくれた」

「ありがとう。いただきます」


 林檎は今日も、甘くて、みずみずしくて、美味しい。砂漠化した西の領に行ったとき、振舞われたのは、やはり林檎だったことを思い出す。林檎は、水がなくてもよく育つ植物のようだ。

 食べながら、今日の予定に思いを馳せる。


「リックは、どうするかしら」


 この後は、砂出しの仕事に向かう。魔法で効率よく砂を片付けられる私たちにとって、量で報酬が支払われる砂出しは、今のところ割が良い。ニコの魔法の練習も兼ねて、暫く続けてもいいと思っている。

 昨日は、話の流れでニコの魔法をリックに見せつけ、喧嘩を売ったみたいになってしまった。リックは、あの後、何を考えただろう。腹が立って、もう関わりたくないと、思わせたかもしれない。


「来るよ。絶対に」


 そんな反省をしていると、ニコが断言した。


「どうして?」

「魔法が使えるようになるなら、誰だって、もっと使えるようになりたいからさ。俺が、人生が変わるって言ったのは、大袈裟でもなんでもない。彼が大馬鹿でもない限りは、間違いなく、イリスに頼みに来るよ」

「そうなったら、嬉しいわ」


 私は、別にリックに劣等感を味わわせるために、ニコに魔法を教えたわけではない。砂出しの仕事を実際に体験して、なんて非効率的なことを、無駄な労力を使ってやっているのだろうと思っただけだ。

 昔の拷問に、奴隷にわざわざ手作業で穴を掘らせ、それを埋めさせ、また掘らせるというものがあったと本で読んだことがある。無駄な作業に、最後は精神を病んでしまうのだ、と書かれていた。砂出しの仕事は、それと大差ない。地道に砂を手作業で外へ出し、風が吹いて、また砂が戻ってくる。徒労感の大きい仕事をずっと続けていたら、気が滅入って仕方がないはずだ。

 あの仕事に従事している人々に魔法を教えたら、時間が浮いて、もっと別のことに労力を割ける。学ぶ人もいるかもしれないし、さらに働く人もいるかもしれない。選択肢を与えることができるのなら、やる価値はある。


「行ってきます、ラルドさん」

「行ってらっしゃい、ニコラウスさん。それと……奥様」

「行ってきます」


 私はニコにならい、にこやかに挨拶を返した。

 今のラルドの雰囲気は、私の名前が思い出せず、とりあえず立場で呼んだ、という感じであった。魔導士の名前がわからないから先生と呼んでみたり、知らない上司を先輩と呼んでみたりするのと同じ。

 名前を認識されているニコと、されない私。ニコといると、今まで敢えて直視してこなかった、自分の人当たりの悪さを実感する。

 今日も、天気は晴れ。砂漠化している王都では、雨もなかなか降らないようだ。空気は乾き、砂のせいで埃っぽい。

 詰所に辿り着き、何気なく、戸を開けた。


「おはようございます、ニコラウスさん! イリスさん!」

「わっ」


 ニコが驚いて、一歩下がる。後ろにいた私は、ニコの背に頭がぶつかって、よろけた。


「なんなの……?」

「リックだよ、イリス」


 改めて詰所の中を覗いたニコに説明され、私も中へ足を踏み入れた。


「昨日は、失礼なことをしました」

「えっ……ちょっと、それは」

「そんなことしなくていいわよ」

「いえっ、申し訳ないことをしましたので!」


 リックは、詰所の床に手をつき、深々と頭を下げている。私とニコが口々に止めるように言っても、その姿勢は変わらない。

 困惑した私とニコは、互いに顔を見合わせる。


「すまない、二人とも。大袈裟に謝るのは止めろと言ったんだが、気が済まないと聞かなくてな」


 同じく、困惑した顔を浮かべる、砂出し隊長のゴードン。


「もう、いいだろう。二人を困らせているぞ」

「……はい」


 渋々と言った体で立ち上がるリック。次は何をするのかと思えば、びしっと姿勢を正し、「弟子にしてください!」と来た。


「俺は、家に帰ってから、考えたんです。ニコラウスさんの言うことが本当で、俺にも魔法が使えるようになるなら、絶対に教わった方が良いって。信じなかった、俺が馬鹿でした。きっと、直ぐには受け入れてもらえないと思いますが……」

「いいわよ」

「疑ったことは、謝ります。反省してます。だから、許してもらえるのなら、俺にも魔法を……」

「だから、いいって」

「え?」


 滔々と語り続けていたリックの言葉が、漸く止まる。


「そんな、許すも許さないも、ないもの。魔法の使い方を、ちゃんと勉強したいんでしょう?」

「はい」

「なら、拒否する理由はないでしょ。志も、高いようだし」


 私の知識は、出し惜しみするほどのものではない。少なくとも、私がニコに伝えている「イメージが大事」と言うことは、私の時代には、当たり前の常識であった。そのイメージの仕方にコツが必要で、私はそのイメージの持たせ方が、人より少し上手なのだ。特別なことを話しているわけではない。


「あ……ありがとうございます!」


 勢いよくリックが頭を下げる。トレードマークのような赤い髪は、昨日と比べると、ばっさり切られて短くなっている。私がじろじろと頭を見ていると、顔を上げたリックは、毛先を指で摘んでにかっと笑う。


「これ、けじめを見せるために、切ったんです!」

「ええ……そうなの」

「そうです! お二人には、失礼なことをしたんで、お詫びの印に!」


 わざわざ髪を切ってくるなんて、怖い。昨日の、肩で風を切って歩く、ぶっきらぼうなリックは、一体どこへ行ってしまったのだろう。あまりにも態度が違うので、こちらが付いていけない。


「隊長さん、このひとって、こういう方なんですか……?」

「元々はこういう、暑苦しい奴なんだ。昨日は先輩風を吹かせたくって、あんな振る舞いをしたらしいが」

「そう……」

「隊長を騙そうとするやつを、懲らしめてやるつもりだったんです! まさか本当に、あんな魔法が使えるなんて、これっぽっちも思っていなくて! ほんと、すみませんでしたぁ!」


 放っておくと、また深々と頭を下げ始めるリック。開いた口が塞がらない私をよそに、ニコが「もうわかったから、そんなに謝らなくていいよ」とフォローを入れる。

 あまりの変貌ぶりに、昨日の失礼な言動を、責める気にもならない。実際、ニコの考え方が一般的なここでの考え方だとすると、「砂出しになるような人が急に魔法が使えるようになる」なんていうのは、夢物語でしかない。リックが疑ったのだって、無理はないのだ。


「……じゃあ、行く?」

「俺も、付いていきます!」

「ああ、ああ。行って来い」


 ゴードンの対応も、どこかめんどくさそうで。リックを引き連れ、私とニコは指定された現場へと向かう。


「俺、ほんと、昨日のことは申し訳なく思っていて」

「うん。わかったよ」

「あまりにも信じられなくて、家に帰ってから、じわじわと感動が沸き起こって……イリスさん、俺でも、できるんですよね! 俺でも!」

「ちゃんと理解すれば、できると思うわ」

「うおお! 俺、頑張りますっ!」


 こっちの話を聞いているのかいないのか、私とニコの顔を見ながらずっと元気よく話しているリックは、尻尾をぶんぶん振り回す、大型犬のようだ。すごく鬱陶しいんだけど、なぜだか憎めないのは、彼が今こちらに百パーセントの好意を抱いているのが伝わってくるから、だろうか。なんというか、素直であることは、得だ。

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