表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/73

1-13.就寝問題

「あんた、昨日の! もう体調は、大丈夫なのかい?」


 銭湯の戸をくぐった途端、大きな声をかけられる。


「こんばんは、マーズさん」

「ああ、こんばんは、旦那さん」


 目を吊り上げていた彼女は、ニコが話しかけると、目尻を僅かに垂らす。


「おかげさまで、元気です。昨日はご迷惑をおかけしました」

「いいんだよ、元気なら良かった」


 相変わらず、物言いはぶっきらぼう。怖い印象があるだけで、言っていることは優しい。


「この服、明日にはお返ししますね」


 私が服を示して言うと、大袈裟に「いやいや」と片手を顔の前で揺らす。


「いいのよぉ、娘はもう着られないから。あんたにあげる」

「でも……」

「気に入らないならうちで捨てるけど、どう?」


 実際、服は足りていない。


「じゃあ……ありがたく」

「そうしてそうして! その分、うちの銭湯に来てくれればいいから!」


 豪快な大声。それに圧倒されていると、ニコがカウンターに硬貨を置いた。


「はーい。ごゆっくり」

「イリス、寝ちゃだめだよ」

「わかってる」


 私は、同じ失敗は二度繰り返さない。

 二度目ともなれば、銭湯での振る舞いも慣れたもの。頭から被った砂を綺麗に落とすため、念入りに身繕いをした。

 ニコが買ってくれた新しい服を着て、脱衣場を出る。さっぱりした。


「あ、出てきたよ」

「イリス。良かった」


 ニコはカウンターにもたれかかり、楽しげにマーズと話をしていた。風呂上がりに着替えたようで、ニコもさっき買った、王都風の服を着ている。薄手の生地を着ると、意外と胸板が厚いのがわかる。これはこれで、印象が変わって良い。


「似合うね、その服」

「そう? ありがとう」

「美男美女じゃないか。羨ましい夫婦だねえ」


 ニコを褒めると、マーズがそれに被せてくる。


「また来ますね」

「外は暗いから、気をつけて」


 マーズに見送られて外に出ると、濡れた髪が外気に触れ、涼しさを感じた。


「美男美女だって」

「イリスは可愛いけど、俺はついでだよ。リップサービスってやつ」

「可愛いの? 私」


 頬をぺた、と触る。この肉体がどういう顔をしているのか、私はよく知らない。窓に映る自分を見たことはあるが、ぼんやりして、はっきりとはわからなかった。

 私は研究に生きていたから、可愛いとか美人とか、そういうものに価値を置いていなかった。周りの人もそうだった。だから、「可愛い」なんて褒め言葉は、違和感がある。


「……可愛いよ」

「そうなんだ」

「今の、言わせたかったんでしょ」


 くす、と笑うニコ。からかわれた気がして、私はむっとした。言わせたいわけじゃない。ただ、違和感があっただけ。


「違うんだけど」


 声のトーンを落として言うと、ニコは「ごめんごめん」と慌てて謝った。


「おかえりなさい。今日もお疲れ様でございます」

「ありがとうございます、ラルドさん」


 宿屋では、主人のラルドが出迎えてくれる。夜でも相変わらず、折り目正しく、品がある振る舞い。


「部屋は、空きましたか?」

「いえ……申し訳ありませんが、皆さま、長期滞在を考えていらっしゃるようで」


 ニコが訊くと、俯いて首を左右に振るラルド。昨日提案した別室での滞在を、ニコはまだ考えてくれている。ニコも紳士的だ。お金もかかるし、私は特に気にしていない。


「帰ってきたわね」

「今日は、なんだか長く感じたよ」

「いろいろなことがあったから」


 どさ、とニコはベッドに座る。私は椅子に腰かけた。


「砂出しの仕事、楽しかったわね」

「砂出しが、というか……魔法があんなに使えて、楽しかった」

「私もニコがすぐに上達するから、楽しかったわ」


 私の助言を素直に聞き入れ、魔法の腕を短期間で着実に上げたニコ。優秀な弟子がいると、教えるのが楽しいのは、前も今も変わらない。


「昼も言った気がするけど……イリスのおかげで、俺の人生は、変わると思う」

「魔法の腕は、人生も変えるものね」

「そうなんだよ。本当に……ありがとう。出会えて良かった」


 ニコが差し出した手を私は握り、互いの手を、ぎゅ、と握り合う。握手を終え、手を離す。ニコの手は、意外と大きくて、温かかった。

 銭湯で温められた体から、少しずつ温度が抜ける。人の体は、温まってから冷えていくうちに、眠くなるようにできている。自然と、欠伸が出た。


「魔法もいっぱい使ったし、もう疲れたでしょ。……寝る?」

「ああ……ううん、まだいい。イリス、寝てなよ」


 ニコは立ち上がり、私の背を軽く押す。促されるままに椅子を立って、ベッドに腰掛けたものの。


「そういえばニコは、昨日どこで寝たの?」

「うん? ちゃんと寝たよ」


 言われたことに答えずに誤魔化すのは、私もよくやる技。何か言いたくないことがあるのだ。ニコの目元に、疲れの色が見えた。


「ちゃんとって……どこで?」

「うーん、ここ」

「ここ、って……」


 ニコは今、椅子に座っている。ニコは今朝も、私が起きたとき、椅子に座っていた。


「座ったまま寝たの?」

「……まあ」

「駄目だよそんなの、疲れちゃうじゃない」


 部屋には当然、ベッドはひとつ。私がそこに寝たらニコがどうするのか、そこまで考えが及ばなかった。

 そもそも最初は、別室での宿泊を提案していたニコ。こういう配慮がなされることは、予想しておくべきだった。


「今日は私が、椅子で寝るから」

「座って寝ると、体が痛くなるからダメ」

「それ、経験談でしょ」


 ニコは昨日椅子に座っていたから、体が痛いのだ。私は顔を顰める。そんなことを続けたら、すぐに体を壊してしまう。高いパフォーマンスを維持するために、睡眠は必須である。


「ベッド半分こして、一緒に寝ない?」

「え? それは……」

「私、別に気にしないよ」


 研究室では、気づけばソファに何人か折り重なっていたり、床で眠るうちに手足が絡んだり、そんなこともあった。異性でも、同性でも関係なく。さすがに男性と同じベッドで寝たことはないが、似たようなものだ。


「ニコは変なことしないだろうし」

「どうしてそう思うのさ」

「変なこと考えてるの?」

「考えてないけど」


 聞き返すと、ニコは不機嫌そうに答える。変なことを、考えるはずがない。行き倒れていた見知らぬ人を助け、初対面でも多くの人と打ち解けるニコ。その優しさと誠実さは、この1日で、私にもよく伝わった。


「なら、問題ないじゃない」

「あるでしょう、問題は……」


 まだ何かぶつぶつ言うニコだけれど、私は敢えて聞こえないふりをする。


「そっち空けとくから、寝てね」


 私は横たわり、ベッドの奥に寄る。強引に一緒に寝かせるのも違うし、あとはニコの判断に任せよう。

 目を閉じて暫く待っていると、本当に眠くなってきた。今日は疲れた。手足の力が抜け、全身がぽかぽかする。私の意識は、すぐに、夢の世界へ引き込まれて行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ