1-11.変わらない図書館
「いらっしゃい!」
「ごめん、イリス。わがまま言って」
「ううん。魔法を使ったら、お腹が空くわよね。忘れてたわ」
さて。私とニコは、町の中心部にある、食事処に来ていた。店の名前は、「オアシス」。おしゃれな店内には、あちこちに緑の植物が飾られている。緑の少ない砂漠の王都において、この空間は、自然の癒しを与えてくれる。
店員は、深い緑のエプロンをしている。ポニーテールに結わえた水色の髪が、後頭部で揺れている、可愛らしい女性だ。
「何をお食べになりますか?」
「……俺は、これを」
「私も、同じものを」
メニューを指差し、注文する。店員は、忙しそうに早足で去っていった。店内にはテーブルが数脚あり、全て客で埋まっている。なかなかの賑わいである。
「ニコ……お水、ちょうだい」
テーブルには、空のコップ。ここに自分で水を出し、飲むと言うスタイルは、昔から変わっていない。
私がコップを差し出すと、ニコは「いいよ」と受け、コップに水を入れて返してくれた。
「イリスは、魔法は使わないの?」
「使わないというか……使えないの」
「使えない? どういうこと?」
ニコは顔を寄せ、声をひそめる。「魔法が使えない」なんて言うことは、こうして内緒話にしないといけないくらい、異常なことなのだ。わかっていたことだが、態度に出されると、この肉体の異常性が改めてわかる。
「わからないけど……使えないのよ」
「だって、こんなに魔法に詳しいのに」
「それはちょっと、知ってたんだけどね」
肩をすくめる。ニコは、顎に手を当てて、考える素振りを見せた。
「……俺でよければ、イリスの助けになるようなことは、するから」
「うん。ありがとう。一緒にいてくれるだけで、助かってる」
それは、本当だ。例えば私がひとりでここに来たら、店員に「水をくれ」と頼まないと水を飲めない。そんな注文、目立って仕方がないが、生きるためには仕方ない。そもそも今日、お金を稼いでこの店でご飯を食べているのも、ニコのおかげだ。
「俺も、イリスにいろいろ教わって、助かっているから」
「なら、お互い様だわ」
「それなら良かった」
ニコは顔を離し、普通に座る。
「俺ばかりイリスに教わって、申し訳なく思っていたんだ」
「それは、助けてくれたお礼だから」
「だとしても、俺の人生は、君のおかげですっかり変わると思う。君の助けに、本当になれているなら、よかったよ」
私は微笑みを返した。私とニコの関係は、持ちつ持たれつになった。たまたま会っただけの相手にしては、良いバランスを保っている。
「お待たせしました」
そこへ、店員の女性が戻ってくる。両手に乗せた皿を、そっとテーブルに置く。黄色い卵がふんわりかかった、オムライス。とても美味しそう。
フォークを入れると、抵抗なく卵が切れ、とろりとした断面が現れた。
「……美味しい」
昨晩は何も食べていないし、朝ごはんは林檎だけ。前の肉体の頃には病人食ばかりだった私には、まともな食事は久しぶりだった。
ふわっと溶ける、柔らかな卵。トマトで味付けした米粒が、絶妙に絡み合う。鼻を抜けるバターの香り。美味しい。
あっという間に平らげてしまうと、ニコもちょうど、食べ終わったところであった。
「食後に、お茶でも飲みたい気分だわ」
美味しいご飯を食べ、お腹も満たされた。研究室では、食事の後、自分で紅茶を淹れたものだった。食欲が満たされた後の紅茶は、ことさらに美味しいのだ。
「どこか、飲みに行く?」
「ううん……図書館に行く」
今どこかで紅茶を飲んだら、まったりしてしまって、動くのが億劫になる。自分の性格はよくわかっているので、私は行動を選択した。
図書館の場所は、さっき店を出るときに、例の可愛らしい店員に確認した。客の出入りもあり、忙しい中なのに、爽やかな笑顔で教えてくれた彼女。ああいう、感じの良い店員のいる店には、また来たいと思う。
「この辺りだったね」
「なんだか……」
ニコと並んで、町を歩く。図書館は王都の中でも、城に近い側にあるそうで。けっこうな距離を歩いていくと、どこかで見たことのあるようなないような、そんな道を通り始めた。次は曲がるだろう、と思ったら曲がる。次は右だな、と思うと右。ここは私の、知っている場所だ。立ち並ぶ建物も、生えている植物も全然違うが、知っている地形である。
「ああ……」
変わり果てた姿に、声が出た。図書館。そこは、私が以前通いつめていた図書館の、風情を残していた。建物の形は変わらないが、美しかった窓や壁は砂に晒されて茶色く染まり、手入れされている気配はない。ずいぶん古びている。漸くここが、私が知っている時代より、ずいぶん後だという実感が湧いた。
門をくぐる。中へ入る。そこは、私が知っている図書館と、同じ作りをしていた。まず入り口に、司書のいる受付がある。その奥に、壁一面の本棚。ぎっしり本の詰まった棚が、ずっと続いている。
懐かしい。手前には魔法の入門書があって、後進の指導をするとき、それを読んで教え方を勉強したのだ。自分の研究のときは、二階の奥にある、専門書を読みに来ていた。
王城に備えられた研究室にも専門書はあったが、数が限られていた。その点こちらの図書館には、発行された様々な書籍が備えられていた。
今でも変わらない、本の圧力。何より、変わったものばかりのこの王都に、あまり変わらないものがあることが嬉しかった。
……まあ、全体的に古ぼけてはいるものの。壁のひびを何かで修繕したような跡が見え、心の中で、そう付け足した。
「利用者手続きはまだですね。どうぞこちらへ」
何も言わないのに、声をかけられる。なぜ、わかったのだろう。来館者が把握できるくらい、利用者が少ないのか。私の頃にも、わざわざ図書館に足を運ぶ人は少なくて、司書の女性と親しくなったものだった。
当然、ここにいるのは、当時の司書とは違う。眼鏡をかけた、真面目そうな人だ。色白で、肌の色だけでなく、表情にもどことなく冷たさがある。
「……はい」
「まずは、お名前を」
渡された用紙に、氏名を記入する。ニコは、ニコラウス・ホワイトと。私はイリス・ホワイトと。偽名を名乗る罪悪感など、とうに消えている。
「こちらの金属に、魔力をお流しください」
用紙と引き換えに、差し出される金属片。鍵と似たようなものだが、色が青みがかっている。
「……これは?」
「利用者識別用のものです。魔力を通すと、その人が近づいたとき、光るのです。このように」
司書の人は、ひとつの金属片を出す。それは、青白く光を発していた。
「これは、私のですが」
「なるほど」
鍵と同じで、一度通した魔力に反応するのだ。こうした金属は、初めて見た。魔法の研究に関して、進んでいるものもあるようで、ほっとする。
「では、どうぞ」
「ありがとうございます」
手を出し、ふたつの金属片を受け取ったのは、ニコだった。
「イリス、はい。魔力を流して」
困った。そう言われても、私の肉体は、魔力を出すことができない。とりあえず受け取ろうと手を伸ばしたところ、ニコは金属片を離さなかった。そのまま、ぼう、と、青白い光が金属に宿る。
「これで良いでしょうか」
「はい、確かに」
光る金属片が、ふたつ。受け取った司書は、何か書き、それをどこかにしまったようだ。
ニコが私の代わりに、両方の金属に魔力を流してくれた。幸い、今ここには、流した魔力がどのようなものか、その質を特定する技術はなさそうだ。ニコが近くにいれば、私とニコの、両方の金属が光る。問題ない。
「次からは、受付で名乗っていただければ、中へ入ることができます。お入りください」
「ありがとうございます。えっと……ターニアさん」
ニコが誰を呼んだのかと驚くと、司書の女性が、にこりと微笑んで頷いた。その胸元の名札には、「ターニア・トンプソン」と書かれている。
彼はなかなかの人たらしと見える。名札にきちんと気づき、名前で相手を呼ぶ。呼ばれた方は、親近感を覚えるに違いない。
大いに感心しながら、私は、ニコと連れ立って図書館の内部へ入っていった。