1-10.リックの疑い
「なんだ、忘れ物でもしたのか?」
詰所の扉を開けて入ると、ゴードンが相変わらず、机に向かっていた。机の傍には、砂の袋が二つ。ゴードンの隣で、私たちと同じ作業服を着た赤髪の青年が、その様子を見守っている。
「二袋で、これだけだな。リック、お前は今日はもう上がるのか?」
「はい。一眠りしたら、他の仕事があるんで」
「そうか。体には気をつけろよ」
リックと呼ばれた青年は、ゴードンからお金を受け取る。なるほど、砂の袋の量に対して、いくら、と報酬が支払われる仕組みなのだ。
「新入りか? 頑張れよ」
リックは、そう言って私たちの隣を通り過ぎる。彼が作業着を脱ぐと、ばらばらと砂が落ちる音がした。
「それで、どうした。何か問題でもあったか」
「いえ。任されたところの砂を、全て壁の外へ出したので」
「全て?」
ぴくり。ゴードンの太い眉が、神経質に釣り上がる。
「全て終わるわけがないだろう。この短時間で」
「だけど、終わったんです」
「その砂はどうした?」
「もう外です」
ニコとのやりとりの最中、見る見るうちに強張る表情。ゴードンの肩が大きく膨れたかと思うと、バン! と勢いよく机が叩かれた。机上の筆記用具が、その衝撃で跳ねる。
「ふざけんじゃねえ!」
「まあまあ、隊長。新入り、そんな適当な嘘で報酬を騙し取ろうってのは、考えが浅いぜ」
額に血管を浮き上がらせるゴードンを制したのは、リック。作業着を脱ぎ終わり、王都の人がよく着ている、薄手の服になっている。
「いや、でも……」
「そんな嘘とわかる嘘、つきません。それほど馬鹿じゃありませんから」
迫力に飲まれたニコが口ごもったので、私が代わりに続ける。
「隊長、こいつら、いつから作業を始めたんです?」
「お前が来る、少し前だよ」
「ふうん……じゃあ新入りは、その時間で、担当場所の砂を全部出せるって言うんだな」
「はい」
リックの見下ろすような視線。その鳶色の目に込められているのは、疑い? 軽蔑? なんにせよ、あまり良くない感情を持たれているようだ。
「やってもらえばいいじゃありませんか。隊長はここを離れられないだろうから、俺、見てきますよ」
「どうせ嘘だろう」
「まあ、これだけ自信満々なわけだし。もし、本当に嘘だったら、俺が洗礼を浴びせてやります」
リックは右手で拳を作り、軽く掲げた。
「俺、喧嘩は強いんで」
「……くだらない。まあ、行って来い」
「行くぞ、新入り」
ゴードンの許可を得て、リックを先頭に、私とニコは詰所を出た。
先を歩くリックは、肩で風を切り、威勢良く歩いていく。元気の良い若者だ。十代後半くらいに見える。
「信じてもらえなかったよ」
こそこそ。囁いてくるのは、ニコである。リックに遠慮しているのか、かなり控えめな声だ。
「またやって見せればいいじゃない」
「できるかなあ……」
「一度できたんだから、大丈夫」
ニコの不安を穴埋めするように、きっぱりと言い切る。大事なのは、自信。
「ほら、ここだ」
連れていかれたのは、別の吹き溜まり。さっきの場所と同じように、砂が山になっている。
「そこが、砂だから……」
ニコは、山の位置と壁の位置を確認し、宙に線を引きながらイメージをしている。魔法を上手く使うには、具体的なイメージが大切。そのコツを、既に掴んでいる。飲み込みが早い。
「早く作業を始めろよ」
「待って」
苛々と爪先で地面を叩くリックを、制する。ここでのイメージが充分にできないと、失敗するのだ。
暫く待つと、ニコは「よし」と声を上げた。
「そこ、動くと危ないから、動かないでね」
私やリックの位置も含めて、風のイメージを組み立てたのだろう。ニコの注意に私は「わかった」と返し、彼を見守る。
そこからは、先程と同じ。発生した風の渦が砂を巻き上げ、それを壁の外まで運んでいく。なにやら念入りに風が地上を動いているなと思ったら、さっきよりも、残された砂の量が少なく見えた。同じことを繰り返すだけでなく、自分なりにアレンジを加える。ニコには、魔法が上手くなる素質がある。
「……信じて、もらえるでしょうか」
こちらを振り向いたニコは、はにかむ。くしゃっとした笑顔は、愛嬌があった。
「……なんだよ、今の」
リックが声を絞り出す。握った拳が、ふるふると震えている。
「お前みたいな優秀な魔導士が、なんで砂出しみたいな仕事をしようとしてるんだ? 場違いだろ」
漸く吐き出した言葉は、そんな言葉だった。苦し紛れの悪態。私には、そう見えた。
「俺は、優秀な魔導士じゃないよ」
「謙遜すんなよ、かえって腹が立つ」
「本当だよ。昨日まで、この水筒に水を出すのが精一杯だったし、風は、髪を乾かすのが精一杯だった」
ニコの声のトーンは、落ち着いている。俯いたリックの視線が、ニコに向いた。
「昨日まで? 嘘つくなよ」
「本当だ。そこのイリスが、俺の人生を変えてくれた。魔法の使い方を、教えてくれたんだ」
リックの鋭い目つきは、今度は私を見据える。ニコは何だか讃えるような口調だし、私はいたたまれなくて、姿勢を正した。こうした口調で功績を称えられることは、まああったが、今回は大したことはしていない。なのにこんなに褒められて、ちょっと申し訳なくなったのだ。
「こいつが? 何者だよ。ただの小娘じゃないか」
少年よ。私は、見た目は小娘かもしれないが、中身は大人の女だ。そもそも君も、私の肉体と、大して年齢差はないだろうに。
「イリスは、最高の」
「ニコの妻です」
陶酔した雰囲気のニコがとんでもないことを言いそうな気配を感じ、私は言葉を遮る。とりあえず、この肉体の詳細がわかるまでは、ニコの妻で通すのがわかりやすい。
「惚気かよ」
チッ、とリックの舌打ち。
「でも、私はあなたにも、ニコがしたみたいな魔法を、教えることができるわ」
「はあ……?」
「知りたかったら、だけど」
リックは唇を閉じる。何か考えている様子だ。ここまで威張っておいて、今更すぐに「お願いします」と言うのは難しいと思う。
「とりあえず、隊長のところに戻って、今のことを話してくれる?」
「……ああ」
「魔法の話は、今度会った時でいいわ」
リックは頷き、詰所へ方向を変える。歩いていく背は、先程より、少し丸まっている。
「……戻りました」
「おお、リック。……と、新入りも一緒なのか?」
「隊長。こいつらの言ったことは、本当でした」
ゴードンは、訝しげに眉間に皺を寄せる。
「……喧嘩に負けたのか? 無傷のようだが」
「喧嘩なんてしてねえ。ただ、この新入りは本当に、魔法で砂を外へ出してた」
何はともあれ。
詰所を出たニコの鞄には、数日分の労働に匹敵する、重たい硬貨が詰まっている。リックの証言もあって、ゴードンは、量に相当した報酬を出してくれたのだ。
「一日で、こんなに稼げるなんて、思わなかった……」
「一日も経っていないわ。実際、半日よ」
まだ、日は空高く輝いている。気温が上がり、じっとりと暑い。今日はまだ、これからだ。
「この後の時間を、どう過ごしたらいいんだろう」
「図書館に行ってもいい?」
生きていくのに必要なための、当面の稼ぎは手に入れた。ならば私は、私の知っている王都と、現在の間にある歴史を知りたかった。ニコにねだり、快諾されたので、午後は図書館へ寄ってみることになった。