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風が肌を撫で、草木を揺らしている。
僕はゆっくりと目を開けた。近くには井戸があり、その前で眠っていたようだ。
「……天国には見えないな」
視界に広がるのは江戸時代を思わせるような風景だった。
木造住宅が立ち並び、遠くで小さな子供たちが走り回っている。空は曇っていて薄暗く、浮いている提灯が赤く道を照らしていた。
……浮いている提灯?
「えっ!なんで!?」
おかしいのは提灯だけじゃない。よく見ると、子供だと思っていたのは子狐とひな人形だった。
「子狐はまだわかる。いや、おかしいけど!でも、ひな人形はもっと意味が分からない!」
僕は混乱し、大声叫んだ。
「別におかしくはないぞ」
頭上で声がする。――頭の上に誰かいる!
「誰?!――てか、全然重くない!」
「そりゃそうだろう。ワレの重さはほんの一グラムもないのだからな」
頭の上からふわりと降りてきたのは、紺色の浴衣を着た五歳くらいの男の子だった。しかし、重さからして普通の子供ではないのだろう。
男の子は地面に立つと、腰に手をあてふんぞり返る。
「ワレがお前をここに連れてきたのだ!感謝するがよい!」
……僕は黙って子供の頬をつねった。
「痛い痛い痛い痛い!!!!何をするのだ!」
「それはこっちのセリフだ!」
子供は必死に僕に手を振り払おうとするが、僕はつねる指に力を入れ離さない。
「おい、説明してくれ!ここはどこだ!」
「わかった!説明する。説明するから離してくれ!」
僕は渋々子供の頬から手を放す。
子供は涙目で頬をさすり、僕を恨めしそうに見ながらも説明を始めた。
「ここは妖の国だ。付喪神や妖怪達が人目につかぬように暮らしている」
「妖の国……」
僕は病院で読んでいた物語を思い出す。
「転生でもしたのか?」
「転生?――輪廻転生のことか?別にお前は生まれ変わったわけではないぞ。お前は死んでここに来たのだ」
「どういう事?」
「お前が死んで霊体になったところを、ワレが妖の国に連れてきたのだ。生まれ変わりではない」
……よくわからないが、とりあえず僕が死んだのは間違いないらしい。
「お前がここに連れて来たんだよな?何のために連れて来たんだ?」
「よくぞ聞いてくれた!とりあえず、ちょっとこれを見てくれ」
子供は僕に背中を向け、肩甲骨の中心を指さす。
「これって……羽?」
男の子の背中には僕の手のひらサイズの小さな羽が生えていた。鳥とか天使の羽ではない。
虫の羽だ。
「ワレの父上はウスバカゲロウの妖怪で、大きな虹色に輝くカッコイイ羽をもっているのだ。だが、ワレの羽はこれっぽっちしかない」
「年齢の問題じゃないのか?」
子供は首を振る。
「いいや、ワレは今日で百歳だ」
「百歳!?」
「妖怪というのは、大体百年で立派な大人になるのだ。妖怪の中にも、好き好んで子供の姿のままでいるやつも居るが、ワレは違う。――なぜか成長しないのだ」
子供は一瞬悔しそうな顔をしたが、直ぐに顔を上げて僕を力強い目で見る。
「ワレは父上のような立派な妖になりたい。そのためにお前を連れてきたのだ!」
話はわかった。しかし、妖怪の成長と僕に何の関係があるのだろうか。――いや、今はそれよりも気になることがある。
「僕を連れてきた背景はわかった。理由はまた後で聞くとして、一つ教えてほしい」
「なんだ?」
「お前が僕を連れてこなかった場合、僕はどうなる予定だったんだ?」
『連れてきた』ということは普通、死後にここへは来ないのだろう。
「そうだなぁ……」
男の子は腕を組み、首を傾げて唸る。
「普通に輪廻転生していたと思うぞ。そういえば、最近は他の世界の神様が、異世界に連れていくっていう話もよく聞くな」
「異世界?異世界って存在するの?」
「あるぞ」
さも当然かのように答える。
「どこにあるのかは分からんが、鬼火を人が出したりするらしいな。あとは……えるふ?とかいう妖怪がいる世界もあるらしい」
……異世界って存在するのか。
火の魔法にエルフがいる世界ねぇ。
ふーん、そっか。
僕は子供の頬をつねる。
「異世界転生したかった!!!!」
僕の悲痛な叫びと子供の悲鳴が辺りに響き渡った。