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間のはなし

作者: みなす

 彼女と僕の間には名前というものは必要なかった。僕たちが共にした時間の中では、僕にとって彼女は彼女であり、僕は僕であり続けた。彼女にとってどうだったか、それは分からない。僕は、ただの未熟で頼りにもならない若い男に過ぎなかったかもしれない。よく顔を合わせる近隣の住民のうちの一人、もしくは身勝手な好意を押し付けてくる下らない男たちのうちの一人、だったかもしれない。出来るだけその好意は隠していたつもりだったけれど。

 

いずれにせよ、僕にとっては彼女の名前というのはさほど重要な要素ではなかった。そうなるには僕は知り合いが少なすぎた。名前なんていうものは日常的に大体10人以上の人と関わるようになってから必要になるものなのではないか、と個人的には思う。そして当時の僕は10人もの人と日常的に関わることはなかった。まあおそらく片手で数えられるか、られないか、そのくらいの数の人だけが僕の周りにいた。女性に限ればその数は半数以下になった。だから、僕にとって彼女は彼女でよかった。

 





彼女にとって、それは分からない。そもそも、彼女にとっての話を僕が出来るはずもない。だから、主観の多く入り混じった想像に過ぎないけれど、彼女から見た僕にはたぶんなにかしらのラベルが張られていたんじゃないかと思う。でないと、彼女の中で僕と言う人物を上手く整理できなかったのだと思う。洋服をたくさん持っている人は、どのタンスの何段目の引き出しにはこういうような服をしまっている、ということを決めておかないといざ必要になったとき探すのに時間がかかる。本をたくさん持っている人は、どこどこの部屋にある棚のどこらへんにはどんな本があるか大体把握している。もちろんそれは律儀な人に限るだろうけれど、彼女はおそらくそういう律儀さを持っている人だと思う。読んだ本を、もしくは読もうと思っている本をそこらへんに積んでいくタイプの人間ではなかった、と思う。

 



それらと同じように、彼女にとっての僕は、自分の家の近くに住んでいる人々の中の、男の中の一人であり、さらに若い方に属しており、さらにその中でも自分に好意を持っている人間、というような感じであったのだろう。これはどちらかというと悲観的な見方で、この推測が間違っているならば(それはつまり彼女にとっても僕が僕でしかなかったということだが)、そちらの方がよほど良かった。しかし、これは性分ということもあるけれど、どうも僕にはこの悲観的な見方が正しいとしか思えなかった。

 


というのも彼女の交友関係はとても広いようなものに見えたからだ。もちろん、かなり狭い関係性の中でしか生きていない当時の僕から見た印象に過ぎないけれど、少なくても人並みには広い交友関係の中にいることは間違いなかった。僕が偶然見かけるとき、それはいつも誰かと話している彼女であった。ときに冗談を言って笑いあっていたし、またときには便宜的な苦笑で場を誤魔化していた。相手が女にせよ男にせよ、彼女といる人はみんな幸せそうで温かな笑顔を浮かべていた。

 






おそらく、彼女は狭い関係のなかに閉じこもるには社交的で外交的すぎた。そして、あまりに魅力的すぎた。彼女が望む望まないに関係なく、知り合いは増え、交友関係は広がっていくようでもあった。彼女の方からすればどこまでが自分で買った服で、どこからが与えられた服なのか区別のつきようがなかった。それでも、むしろそれだからこそ、上手くラベルを張って整頓していく他なかった。そうすることでしか現実的に生きることはできなかったのだと思う。

 



その中で僕だけがそのラベルを逃れられたと考えるのは少々都合が良すぎたし、そう信じる気持ちを絶えず持ち続けられるほど楽観的でもなかった。それでも、彼女が僕に対して他の人とは違うなにか特別な想いを抱いていたと信じることだけは、易々と止められるものでもなかった。


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