5-10.決心
「顔を上げてください。俺はその頼みを聞くわけにはいきません。俺としてはメルニールの力になりたい気持ちもあります。ですが、俺には玲奈ちゃんを守るという使命があります。それに、今はミルとロゼも守りたいと思っています。3人を戦争に巻き込むわけにはいきませんし、3人だけ逃がして俺だけ留まるという選択肢も存在しません」
仁の脳裏に夢を語るラストルの姿が浮かぶが、仁は頭を振って追い出す。バランはゆっくりと頭を上げた。
「そうか。無理を言ってすまなかったな。この後、住人たちにも通告するが、宣戦布告まで僅かだが日があるはずだ。それまでにメルニールを出るといい。お主らは反対派に狙われる可能性がないとは言い切れぬし、街道も帝国が網を張っているだろう。十分注意することだ」
仁はバランから今後のメルニール側の動きと予想される帝国側の動きを聞き、応接室を後にした。冒険者ギルドを出る間、冒険者やギルド職員たちが忙しなく動いているのが見えた。カウンターの向こうのエクレアと目が合い、頭を下げる。エクレアは何か言いたそうに口を開きかけるが、言葉を発することなく口を閉じ、仁に会釈を返した。
仁が鳳雛亭の自室に戻ると、玲奈、ミル、ロゼッタが迎え入れた。仁は3人の顔を見回す。玲奈は静かに仁の言葉を待ち、ミルは不安げに見上げ、ロゼッタは真剣な表情で仁を見つめた。
「ガロンさんから話は聞いたよね」
仁が問うと3人はそれぞれ頷く。
「ギルド長の話もそんなに違いはなかったよ。ただ、どうやら帝国は戦争ありきで動いているらしい。戦争なんて起こってほしくないけど、回避は難しいようだよ」
ガロンから前もって聞いていたこともあり、仁が思っていたよりショックは少なそうだが、玲奈は悔しさを滲ませて顔を伏せた。
「玲奈ちゃん。ギルド長も言ってたけど、玲奈ちゃんのせいじゃないからね。俺たちは口実にされただけで、帝国は最初からメルニールに戦争をしかけるつもりだったんだよ」
責任を感じて肩を震わせる玲奈に、仁は自身がバランに言われたことと同じ内容の言葉を告げる。
「仁くんはどうするつもりなの?」
玲奈の顔は床に向いたままだった。玲奈と同じ思いを抱いている仁の言葉は、玲奈の心の深いところまでは届かない。
「戦争が始まる前に、メルニールを出ようと思ってる。目的地はまだ定まってないけど、帝国の外を目指すつもりだよ。長旅になるかもしれないから、しっかり準備をしてね」
「わかったの」
「承知しました」
ミルとロゼッタの目が、返答のない玲奈に向く。
「私は残る……」
「玲奈ちゃん?」
玲奈の呟きが上手く聞き取れず、仁が聞き返すと、玲奈の顔が跳ね上がった。
「私はメルニールに残る!」
「玲奈ちゃん、何を……」
仁の顔に戸惑いの色が浮かんだ。いくら責任感の強い玲奈でも、戦争になる地に留まると言い出すとは思っていなかった。
「口実は口実でも、やっぱり私のせいなのは変わらないよ。私がメルニールに来なければ、メルニールはまだ平和なままだったかもしれない。そう思うと、私だけが逃げ出すわけにはいかないよ。仁くんのおかげで私も少しは強くなったし、戦う他にも何かメルニールのためにできることがあるはず」
「それこそ玲奈ちゃんのせいじゃないよ。メルニールに来るのを決めたのは俺だし、逃げるのは俺たちだけじゃない。ギルド長はメルニールを出るのも残るのも住民の自由だって言ってたし、住民に通達されれば多くの人が戦禍を逃れるためにメルニールを出るはず」
思いつめたような表情の玲奈を仁は説得しようと試みるが、玲奈は首を左右に振った。
「ガロンさんたちは残って戦うって言ってたよ。マルコさんも残って食糧や物資面で支援するつもりだってリリーが話してた。リリーもそれを手伝うって。それにファムちゃんたちみたいに身寄りのない子どもたちはどこにも行くことはできないし、きっとヴィクターさんも残るんじゃないかな。フェリシアさんもご両親から受け継いだこの宿を守るって。私はこの世界の人間じゃない私たちを受け入れて、よくしてくれたメルニールを守りたい。お世話になった人たちの役に立ちたい」
仁は玲奈の真摯な瞳で見つめられ、玲奈が場の勢いで言っているわけではなく、仁が冒険者ギルドから戻る間に考えをまとめていたのだと察した。
「玲奈ちゃん。玲奈ちゃんは戦争を知らないからそんな風に思えるんだよ。そりゃ俺だってメルニールのために何かしたいっていう気持ちがないわけじゃない。でも、だからって、それで戦争に参加しようなんて気にはならない。戦争なんてものは巻き込まれないで済む道がある限り、避けるべきなんだよ」
かつて戦争を経験した仁は、玲奈に同じ経験をしてほしくなかった。玲奈の意志は固く、2人の話は平行線のまま進む。
「私だって戦争は怖いよ。元の世界では戦争は遠い国の出来事だったし、たまにテレビで見る海外の戦場の様子も、どこか別世界のように感じてた。確かに私は戦争を知らない。知らないからこその怖さだってある。でも、この世界で起ころうとしてる戦争は、他人事じゃない。仁くんが言うように、逃げる道だってある。だけど、それは巻き込まれない道じゃない。逃げる道なんだよ。仁くん。私たちはもう巻き込まれてるんだよ。ここで逃げたら、私はきっと後悔する。そして仁くんも」
肩を震わせながら必死に言葉を紡ぐ玲奈の姿は、仁の目には逃げ出したくなる弱い心を叱咤しているように映った。
「ねえ、仁くん。仁くんのことだから、きっと気付いてるよね」
玲奈の大きな瞳が、仁の姿を黒目の中に捉える。仁は内面を見透かされているように感じた。
「今のメルニールの状況って、昨日、仁くんが話してくれた、ラインヴェルト王国の状況と似てるよね」
それは仁も思っていたことだった。良質な魔石の多く取れるダンジョンを有する地が、魔石の独占を目論む帝国に狙われた。つまるところ、かつての出来事と今回のメルニールの件の根底にあるものはきっと同じなのだろう。今まで帝国の戦力が外で手一杯だったことで保たれていた不安定な均衡が、何かしらで崩れ、それが一気にメルニールに押し寄せようとしている。それは遅かれ早かれ、起こるべくして起こったのだと思えた。そしてその地に、かつても今も、勇者とされる人物が存在したのは偶然なのだろうか。
仁はメルニールのダンジョンで出会った観測者を名乗る人物の話を思い出した。観測者の話が真実だとすれば、ダンジョンを帝国に渡すわけにはいかなかった。仁の脳裏に、仁を元の世界に送り返す際に見せた、クリスティーナの悲しくも優しげな笑みが浮かんだ。ラストルにダンジョンを託したクリスティーナの想いと、帝国から自由を勝ち取ってクリスティーナの願いと自身の夢を叶えたラストルの想い。その両方を無駄にするわけにはいかなかった。仁の中で、己の想いとメルニールのために戦いたいという考えと、玲奈たちを危険な目に合わせたくないという、相反する感情がぶつかり、葛藤が生まれる。
「仁くん。私たちのことを考えてくれるのはすっごく嬉しいけど、仁くん自身の想いも大切にしてあげて。私は知ってるよ。仁くんが元の世界でもこっちの世界でも、今度こそは後悔しないようにって一生懸命頑張ってたのを。仁くんはいつも私に勇気付けられたって言ってくれるけど、お手紙やラジオへのお便りで、仁くんが頑張ってるのを知って、私も元気を貰ってたんだよ」
にっこりと微笑む玲奈に、仁は一瞬だけ見惚れてしまった。
「何も知らない私なんかが言うのは烏滸がましいかもしれないけど、怒らないでね。仁くん。私にクリスさんとラストルさんの想いを守るお手伝いをさせてください。そして、私がリリーやマルコさん、ガロンさんたちの大切に思っているメルニールを守るお手伝いをするのに力を貸してください」
玲奈は腰を折って深く頭を下げた。
「ミルも、お願いするの。ミルはおとーさん、おかーさんとの思い出の詰まったこの街を、ファムちゃんの暮らすメルニールを守りたい。ジンお兄ちゃん。ミルもレナお姉ちゃんと一緒に頑張るの。だからもう一度助けてください」
「ジン殿。自分からもお願いします。ずっと奴隷館で過ごしていた自分はまだこの街を心から愛していると言えるほどの気持ちはありません。ですが、パーラ様やレナ様、ジン殿やミル様と出会ったこの街を、これからもっと知っていきたいという思いはあります。ジン殿。自分はジン殿より授かった槍に誓って、レナ様やミル様を守り抜きます。ですので、自分にチャンスをください。この街を自分にとっての新しい故郷にするチャンスを」
ミルとロゼッタが玲奈に並んで同様に頭を下げた。3人は仁に力を貸してほしいと願っているにもかかわらず、仁には3人が仁の背中を押そうとしているようにしか思えなかった。
「みんな、頭を上げて。ありがとう。みんなの気持ちがすごく伝わって来たよ」
顔を上げた玲奈とミル、ロゼッタの真摯な目が仁に向く。仁はそれぞれに視線を送り、目と目を合わせた。
「実は、さっきギルド長から力を貸してほしいって頼まれたんだよね。その時は断っちゃったけど、みんなのおかげで決心がついたよ」
仁は一旦目を閉じ、自身の心を見つめる。数瞬後、開かれた仁の瞳からは迷いが消え、力強さが宿っていた。
「俺は戦うよ。昔も今も、俺は俺の大切に思っている人たちのために戦う。玲奈ちゃん。ミル。ロゼ。俺に力を貸してほしい」
仁の強い意志の籠った言葉に、玲奈たち3人は、待っていましたとばかりに力強く頷いた。




