4-21.打ち上げ
「仁くん!」
ヴォルグの部下の兵士たちが駆けつけてきたのかと警戒心を抱いた仁の耳に、心地よい声が聞こえた。
「玲奈ちゃん?」
夕焼けが夜の帳に侵食されつつある中、スラムの広場に玲奈が息を切らして走り込んできた。少し遅れてミルとロゼッタの姿が見えた。その後ろからガロンのパーティが続いていた。
「仁くん! よかった。無事だったんだね」
玲奈は肩で息をしながら、膝の辺りに手を置いて仁を見上げた。
「玲奈ちゃん。それにみんなも。どうしてここに?」
「バランさんのところで仁くんの帰りを待っていたら、ヴィクターさんがスラムの女の子たちを連れて駆け込んできたんだよ。仁くんが危ないって聞いて、もう気が気じゃなくて……」
「ファムもいたの。ジンお兄ちゃんがスラムの奥の広場にいるって」
「ジン殿。ご無事で何より」
「そっか。心配してくれてありがとう。この通り、俺は何ともないよ」
仁は息も絶え絶えな玲奈とミル、ロゼを気遣わしげに見つめた後、ガロンたちに視線を送る。
「ガロンさんたちもありがとうございます」
「いや、それはいいんだが、そこに転がっているのは、もしかしてヴォルグ・ヴァーレンか?」
ガロンの目線が鎖で縛られたヴォルグに向いていた。
「そうですけど。よくご存知ですね」
「ご存じも何も、ヴォルグ・ヴァーレンといえば帝国随一の魔剣使いで、かつての帝国騎士の象徴じゃねえか。皇帝の不興を買ったとかで表舞台に出てくることは少なくなったが、確か第一皇女に拾われたってもっぱらの噂だったか」
「お詳しいですね」
仁はヴォルグが帝国の有名人であることに驚きを隠せなかった。
「そりゃあメルニールで暮らす以上、帝国とは切っても切れない関係があるからな。それにしても合成獣や多頭蛇竜に続いてヴォルグ・ヴァーレンにも勝っちまうとはな。まったく、兄ちゃんは底が知れねえなあ。そういやあ、ヴォルグ・ヴァーレンの黒の魔剣が見当たらないな。持ってきてなかったのか?」
「それはともかく、どうやら合成獣に関して何かしら知ってそうな雰囲気でしたよ」
仁はヴォルグの疑問を曖昧に濁し、これまでの経緯を話して聞かせた。
「兄ちゃん。こいつは冒険者ギルドに引っ立てていいんだよな?」
「ええ。そのつもりです。お願いできますか?」
「ああ、任せな。ギルド長には俺から話しておく。また明日にでも冒険者ギルドに顔を出してくれ」
「わかりました。それでは後はよろしくお願いします」
力強く頷くガロンに、仁は頼もしさを感じた。
「仁くん。ここに来るときもミルちゃんが案内してくれたんだよ」
「そうなんだ。ミル。ありがとう」
仁が感謝を伝えると、ミルは柔らかくはにかんだ。ミルの尻尾がパタパタと振られていた。仁は笑顔のミルに手を引かれながら、鳳雛亭への帰路についた。
「ジンさん! みなさん! お帰りなさい!」
約1週間ぶりに鳳雛亭の入口を潜ると、はち切れんばかりのリリーの笑顔が出迎えた。
「リリー、ただいま」
仁は笑顔で返しつつ、まるで自分たちが今日帰ってくるとわかっていたようなリリーの対応を不思議に思った。
「あ。ジンさん。食堂に待ち人がいますよ」
「待ち人?」
仁は疑問に思いながら、リリーに促されて食堂に向かった。
「奴隷くん!」
「ミルミルのお兄ちゃん!」
食堂に顔を出した仁を待っていたのは、ヴィクターとミルの友人のファムだった。
「奴隷くん。無事で本当によかった。さっきはすまなかった」
「ミルミルのお兄ちゃん。ヴィクターさんは悪くないんです。わたしたちが悪い人たちに捕まっちゃったのがいけないんです。ごめんなさい」
「いや、ファムは何も悪くない。守り切れなかった僕が悪いんだ。奴隷くん。本当にすまなかった」
ヴィクターとファムはお互いに庇い合いながら、深く頭を下げた。
「ヴィクターさんもファムちゃんも顔を上げてください。2人も被害者なんですから」
仁は微笑ましい思いで2人の様子を眺めた。
「この通り、俺は何事もなかったことですし、2人とも、もう気にしないでください。元々、俺たちの事情に巻き込んでしまったようなものですし。そこまで謝られてしまうと、こちらも申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいますよ」
「それでも、ファムたちと奴隷くんを天秤にかけて僕がファムたちを選んだことに変わりはない。この償いはいつか必ず」
「ヴィクターさん、やめてください。それこそ逆の立場だったら俺も玲奈ちゃんやミルたちを選びますよ」
「しかし――」
このままではどうしても気が治まらないと言うヴィクターに、仁は名案を思い付いた。
「わかりました。それなら、そろそろ俺のことを名前で呼んでもらえますか?」
ヴィクターは一瞬だけ動きを止めると、整った顔に笑みを浮かべた。
「わかった。ジンくん。困ったときは遠慮せずに言ってほしい。この借りは早めに返したいからね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
仁はヴィクターとの間に一段落ついたところでファムに目を向けた。
「ファムちゃん。他の子供たちにも怪我はなかった?」
「うん。赤いおじさんが子供たちに手を出すなって言ってました」
「そっか。それはよかった。これからもミルと仲良くしてあげてね」
「はい。ミルミルが嫌だって言っても仲良くします!」
ファムの言葉に、ミルが僅かに唇を尖らせた。
「ミルはそんなこと言わないの」
「ごめんごめん。ちゃんとわかってるよ」
食堂の片隅でミルとファムを囲うように仁たちが歓談に耽っていると、徐々に食堂に客が増えて来ていた。夕食時だと意識すると、急に空腹感が湧き上がってきた。食堂の奥からフェリシアの料理の美味しそうな匂いが漂ってきて、仁の周りで誰かの腹の虫が可愛らしく鳴いた。
「ミルじゃないの」
顔を赤くしたミルに、周囲の視線が集まる。真っ先に否定の声を上げたミルは、自分だと告白しているようなものだった。
「ミルもお腹が空いたみたいだし、そろそろ夕食にしようか。久々のフェリシアさんの手料理だし、今日は食べたいものを好きなだけ頼んでいいよ」
「ジンお兄ちゃん。ミルじゃないの。でも嬉しいの」
頬を上気させたミルが、喜色を浮かべた。
「ヴィクターさんとファムも一緒にどうですか?」
仁の提案に、ヴィクターとファムは顔を見合わせて、にっこりと微笑んだ。仁たちは次々と運ばれてくるフェリシアの料理に舌鼓を打った。結果として強化合宿の打ち上げのようになった食事会は、ヴィクターとファム、最終的にはリリーまで巻き込んで、大いに盛り上がった。誰もが笑顔を浮かべ、仁も楽しい時を過ごした。そうしているうちに、魂喰らいの魔剣のことは仁の頭の片隅に追いやられ、いつしか意識の埒外に置かれてしまっていることに、仁が気付くことはなかった。




