22-1.エピローグ1
仁が最後に参加した玲奈の握手会から1年と数か月が経過した。一昨年の12月のラジオで玲奈に“仁くん”と呼ばれたことを一時は救いに思った仁だったが、それも長くは続かなかった。
実はあの後、玲奈のラジオでの一件がSNSの一部で“匂わせ”ではないかと悪い意味で話題になっていたのだ。
“匂わせ”とは、主に芸能人やアイドルなどが公にしていない恋人や愛人に向けて送る隠れたメッセージのようなものだ。完全に本人たちにしかわからないならともかく、得てして優越感に浸りたいのか、敢えて見た人がそれとなく気付くようなものにするため、SNSなどでは度々炎上している。
玲奈の件もプライベートでの“ジンくん”との関係を匂わせるものではないかという声がファンの一部から上がったのだ。
しかし、ファンを大事にしていることに定評のある玲奈がそのようなことをするとは思えないという反論も多く、アンチの戯言として、炎上には至らず小火のまま鎮火した。
それをSNSで目にした仁も、玲奈がラジオの生放送を利用してメッセージを送ってきたとは思えず、仁のラジオネームを“ジンくん”と言ってしまったのは無意識によるものだと考えている。即ち、このことは、きっと玲奈も仁と同じ体験をしたのではないかと信じるに足る材料となったものの、玲奈が異世界でのことをはっきりと覚えているわけではないということの証左でもあった。
仁には指輪という物証があるが、それのない玲奈が曖昧な記憶を現実の体験だと信じ、そのまま記憶に留めようとしているとは思い難い。握手会の最中に見た刹那の白昼夢として忘れ去られていると考える方が、余程自然だと仁は思う。
もしそうならば、一層のこと仁は異世界の記憶を忘れて、これまでのようにただ玲奈のファンでいたかった。けれど、異世界での体験が現実のものであるなら、仁は玲奈との関係は別にして、仲間たちとの思い出を消し去るようなことはしたくはないし、仮に記憶がなくなったとしても今更玲奈に抱く別の“好き”の気持ちがなくなるわけではない。
玲奈へのその想いこそが異世界の記憶がただの夢ではないという何よりの証拠のようにも思うが、仁は諸手を振って歓迎することはできなかった。玲奈に確かな記憶がない以上、仁がどれだけ玲奈を想おうが、その想いが届くことは決してない。
ファンが声優に恋したところで、それは永遠に叶うことのない片想いに過ぎないのだ。
そして、仁は一人自嘲する。そもそも異世界でずっと一緒にいても別に玲奈と恋人関係になっていたわけではないのだから、この世界で付き合いたいと思うこと自体が烏滸がましいのだと。
どこからか仁を“ヘタレ”と罵る声が聞こえたような気がしたが、永遠に叶わない恋をし続ける勇気は仁にはなかった。
故に、仁は受験勉強を言い訳に、玲奈と距離を置くようになった。もともと近くもなかった距離は、ラジオやSNSを断つことで簡単に無限の距離となる。とはいえ、未練がましい仁は完全に繋がりを断つことができず、玲奈の音楽活動の公式SNSアカウントだけは、時折、追うことを続けたのだった。
仁は玲奈のニューシングルが発売されると少ない小遣いで購入していたものの、イベントへの応募はしなかった。必然的にイベントのたびに渡していたファンレターを書くこともなくなり、仁の側から玲奈に何かを発信することはなくなった。
CDを購入するだけでも立派な応援だと思うものの、直接的にも間接的にも応援の気持ちを伝えられない日々が続いているうちに、仁は、本当に自分は今でも玲奈のファンだと言えるのか疑問に思うようになり、意識的か無意識的か、益々玲奈との距離が開いていくのだった。
そして、地元の高校を卒業し、都内の大学に進学することになった仁は、この3月、大学の近くで一人暮らしを始めた。
そんなある日、仁は玲奈と莉愛の音楽ユニットが、ある場所で近々ライブを行うことを知った。その会場は、その場に立つことを玲奈と莉愛が音楽活動をしていく上での一つの目標としていた場所だった。
二人は既にキャパシティだけならそれ以上のスポーツアリーナなどでもライブをしていたが、ユニット結成時から目標としていた由緒ある会場で行われるということで、二人もファンも、喜びは一入だったようだ。
ライブの開催が発表された際にはSNSなどでも古参のファンを中心に非常に盛り上がっていたが、いつしかSNSを見ることもなくなっていた仁に知る由はなかった。
「玲奈ちゃん、おめでとう……」
仁は新居となる1Kのアパートの自室で一人呟き、瞳に涙を滲ませる。仁は玲奈の夢が一つ叶ったことを嬉しく思うが、その言葉が、気持ちが、玲奈に届くことはない。
一瞬、仁の胸がチクリと痛むものの、その痛みは以前ほどではなかった。仁は玲奈に関する吉報を素直に祝福できた自分にホッとしつつ、それでも未だに玲奈への想いが胸に残り続けていることを思い知った。
「まったく、我ながら何をやっているんだか……」
仁はインターネットの接続設定を終えたばかりのノートパソコンの前で自嘲する。先ほどライブ開催を知ったインターネットニュースサイトとは別に開いたブラウザのタブは、世界的な大手検索エンジンに繋がっている。その検索ボックスには『佐山玲奈 熱愛 彼氏』という単語が並んでいた。
「いや、チケット売り切れているから、気晴らししただけだし……」
誰に言うでもなく言い訳した仁は、深く溜息を吐く。検索結果に安堵しただけでなく、自身への軽蔑や後悔など、様々な感情の入り乱れた溜息だった。
独り言と溜息が、一人きりの部屋に染みわたり、消えていく。
仁は実家暮らしの際も一人部屋をもらっていたため、一人暮らしをしても大して思うところはないと考えていたが、一人の夜が、やけに寂しく感じた。
実のところ、そもそも仁が都内の大学を志望したのは、玲奈のイベントに参加しやすくするためでもあった。そして、異世界より帰還して玲奈と距離をとった後も、なぜか志望校を変えようとは思わなかった。
「当日券か……」
既に玲奈と莉愛のライブのチケットは売り切れている。開催日が近いのだから、それは当然だ。しかし、ライブには大抵、当日券というものがある。
都内から遠く離れた実家暮らしでは、あるかないかわからない当日券を当てにして会場に赴くということは難しいが、今ならばそれが可能だった。
もし当日券が買えるのなら、ライブに参加して夢の場に立つ玲奈を一目見たい、祝福したいという思いはある。しかし。
仁は再び溜息を吐く。いつか、どこかで誰かに言われたように、仁は自身が“ヘタレ”だと心底思ったのだった。




