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奴隷勇者の異世界譚~勇者の奴隷は勇者で魔王~  作者: Takachiho
最終章

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21-53.続・握手会

 あまりの眩しさに目の前が白くなる。それに釣られるように、思考までが真っ白になった。自分が今どこで何をしているのかわからない。遠くで大好きな声が聞こえたような気がしたが、その声を意味のある言葉として認識することができなかった。


 体が、魂が宙を飛んでいるかのような浮遊感の後に、光が消えた。地に足がついている感覚が戻ってきて、仁はいつの間にか閉じてしまっていたらしい瞼を開く。


 何だか、長い夢を見ていたような気がした。大好きな声優である佐山玲奈と一緒に異世界に召喚され、アニメに出てくるようなお姫様がいて、自分を慕ってくれる女の子や獣耳を持つ子供をはじめとした仲間たちと出会い、大切な人たちの暮らすその世界を守るために戦った。そして――


 忘れてはいけない。忘れたくない。漠然とそんなことを思った。


「玲奈ちゃん……?」


 仁はハッと息を呑む。長机を挟んで目の前に大好きな声優がいて、今が握手会の最中だったことを思い出した。いや、そうではない。確か二人は――


「玲奈ちゃん……!」


 仁の口から感極まったような声が溢れ出た。しかし、二の句が出て来ない。仁は玲奈と繋いだ手を強く握る。それと同時に、先ほどスタッフが握手会に先立ち、玲奈の方から優しく握るから強く握りすぎないよう注意していたことが頭を(よぎ)った。


 仁は慌てて手から力を抜くが、何が何だかわからなかった。先ほどまで異世界にいたという記憶がある一方で、握手会で自分の番を待っていた時間も、直前の出来事だと感じているのだ。


 徐々に鮮やかだった記憶に(もや)がかかっていくような気がする。仁はこの現象に心当たりがあった。一つは朝起きたときにリアルに感じていた夢が夢だと気付いた瞬間に忘れてしまうこと。そしてもう一つは、3年前の中学校の教室での出来事だ。


 仁は玲奈に右手を握られたまま、左手で自身の服の上から胸元を握りしめる。首から提げたチェーンの先に、小さな指輪があった。


「はい、お時間でーす」


 スタッフが仁の肩を叩く。仁は反射的に手を離してしまうが、その直後、玲奈の前で呆けていたことに気付いた。右手に感じていた温もりが急速に失われていく。


 もし白昼夢でも見ていたような記憶が実際の出来事なら、きっと玲奈も。仁はそう考えるが、時すでに遅く、仁にできるのはその場から立ち去ることだけだった。玲奈が困惑の表情を浮かべていた。


「玲奈ちゃん……!」


 玲奈の前で粘るのもそれで限界だった。仁の肩を、スタッフが強く押した。


「あ……。お、応援ありがとう。また会いに来てね」


 正面から横に外れた仁を、玲奈が、ともすれば作り物にも思えるくらいの完璧な笑みを浮かべて見送る。


「い、いつも応援しています!」


 仁が最後に早口でそれだけ伝えると、玲奈は仁とスライドする形で正面に立った次のファンへと笑顔を向けた。その直前の一瞬、僅かながら玲奈の表情が曇ったように見えたのは仁の気のせいだろうか。


 仁が最初の挨拶以降、玲奈とまともに話せなかったのを緊張していたからだと微笑ましく思っているのか、預けていた手荷物を忘れないよう誘導するスタッフの笑顔には同情のようなものが乗っていた。


 手荷物を受け取った仁は、後ろ髪を引かれながらもそのまま真っ直ぐ会場の外へと向かう。玲奈と話して確かめたいことがあったが、迷惑をかけてイベントに出入り禁止になるわけにはいかなかった。


 握手会の会場となっている雑居ビルのイベントホールはそれほど大きくなく、すぐに部屋の出口に着いた。仁がドアの前で立ち止まって振り返ると、今も玲奈は自分ではないファンの誰かに笑顔を向け、その手を握っている。なぜか、仁の胸が、ずきんと痛んだ。


「ありがとうございました」


 部屋を出たところでスタッフに挨拶をされて、仁は反射的に頭を下げる。こうして、仁の握手会は終わった。後は雑居ビルの階段を下りて駅まで歩き、電車に乗って隣町に移動して、そこから自転車で自宅に帰るだけ。


 これまで何度か玲奈の握手会に参加したことはあるが、そのときのような、どこかふわふわしたような幸福感はなく、仁の胸には喪失感が漂っていた。


 仁は雑居ビルを出ると、ふらふらと幽鬼のように歩く。その足は無意識に、アニメや漫画、ライトノベルや、その他関連商品の専門店へ向いていた。特に用があるわけではなく、その店内を通り抜けるのがイベントに参加した際に駅に向かう、仁のいつものルートだった。


 道すがら、仁は玲奈とまともに話せなかった後悔に(さいな)まれながら、気を抜くと寝ているときに見た夢のようにいつしか消えてしまいかねない記憶が現実のものであるかどうか考える。


 そうしている今も、リアルだった体験が、あったかもしれない出来事へと変わっていく。仁は首から提げたチェーンの先の指輪を襟元から外へと引っ張り出す。名前も知らない青い宝石が、傾き始めた太陽の光を反射して寂し気に輝いていた。


 肌寒かった空気が急に暖かくなり、仁は暖房の効いたアニメショップに入ったことに気が付いた。仁は混乱する頭で広い通路を進みつつ、何気なくライトノベルの棚に目を向けた。様々にカテゴリー分けされた文庫がいっぱいに並ぶ棚の横で、最近発売された新刊が平積みになっている。


 表紙に煌びやかなキャラクターが描かれたそれらの中に、ふと、仁の目を引くものがあった。何作ものライトノベルの中から、仁が一冊を手に取る。その表紙の上で、小麦色の髪と犬耳を持つ、いわゆる獣人の女の子が微笑んでいた。


 見覚えのあるその大人しそうな幼い獣人の女の子は、以前アニメ化された際に玲奈が声を担当したキャラクターだった。


「ミル……。ミ、ル……?」


 仁が空いた片方の手で頭を押さえる。このキャラクターの名前はミルではない。その名は、仁の記憶にある異世界の元気な女の子のものはずだ。しかし。


 確かに獣人の女の子の存在は覚えているのに、先ほど口にしたばかりの名前に確信が持てない。それどころか、意識的に記憶の中の仲間たちの名前を呼ぼうとしても、誰一人として喉から先に出て来なかった。


 青ざめた仁の手から文庫本が滑り落ちる。平積みにされたライトノベルの山に落ちたそれを、仁は慌てて元の場所に戻す。


 仁は恐怖を感じていた。このまま、異世界での記憶が泡のように消えてしまう気がした。


「玲奈ちゃん……」


 記憶の中で、仁は玲奈と一緒だった。そのことを玲奈に確かめることはできなかったが、今も玲奈の名前だけは呼ぶことができた。


 仁は先ほど通ってきた道を振り返る。既にアニメショップ内の景色しか目に映らないが、その先にはイベントホールのある雑居ビルが建っているはずだ。目を閉じると、瞼の裏にワインレッドのワンピースに身を包んだ玲奈の姿が浮かんでくる。


“好き”


 どこからか、そんな声が聞こえた気がした。


 仁が目を開ける。休日の喧騒の中、仁は胸の指輪を握りしめた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 記憶は消えてしまうのか!? レナの方は記憶が残っているのか 気になりますねー
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