21-49.別れ
もしかすると、今日帰還する必然性はないのかもしれない。けれど、明日無事に元の世界に帰ることのできる保証がない以上、根拠なく先延ばしにすることはできなかった。
仁と玲奈は後ろ髪を引かれながらも湖畔に集った仲間たちに最後の別れを告げる。オニキスが仁に、パールが玲奈に鼻先を押し付け、二人がそれぞれ優しく撫でつけた。仁の足元にはルビーが寄り添い、丸みを帯びた鼻を擦り付けている。
『主。ボクは主を乗せて駆けたこと、ずっと忘れません』
「ありがとう。俺はオニキスに乗せてもらえたことを誇りに思うよ」
『主~!』
ぐいぐいとオニキスが顔を寄せ、仁は器用に角を避けながら、しっかりと受け止めた。皆がその光景を見守る。その中にはハギールの肩に乗ったメーアもいた。
「ジンさん、レナさん。そろそろ……」
しばらくして、リリーが遠慮がちに声をかける。それと同時にガーネットがオニキスとパールの首筋を突くと、二頭は名残惜しそうに嘶きながら仁と玲奈から顔を離した。仁は屈んでルビーの鼻筋を撫でてから立ち上がり、玲奈と顔を合わせた。二人は頷き合い、背後に控えるミル、イム、ロゼッタ、リリー、シルフィを除いた皆に向き直る。
「「みんな、ありがとう。お元気で!」」
仁たちはオニキスやメーア、ハギールらの泣き叫ぶような別れの言葉に送られながら湖畔を後にする。そのままラインヴェルトの街へと続く門を潜ると、奴隷騎士隊と見知ったエルフ族の面々が待ち構えていた。居並ぶ集団の中からファレスとイラックが歩み出る。
「ジンさん、レナさん。準備が整いました」
「アシュレイ様の命でお迎えに上がりました」
仁と玲奈が生唾を飲み込む。『ついにこの時が来た』という思いが仁の体中を駆け巡る。既に気持ちの整理はつけていたはずなのに、“その時”がもう間近に迫っていると実感すると、仁の心の内に様々な感情が込み上げてくる。しかし、もう歩みを止めるわけにはいかない。
ファレスとイラックに先導されて仁たちが進む中、奴隷騎士隊とエルフたちが口々に別れの言葉を告げてくる。仁も玲奈もいろいろな葛藤を呑み込み、温かな声に応じた。仁たちが集団の中央を抜けると、その先の沿道に、ずらっと街の人々が並んでいた。
「さあ、参りましょう」
にこやかにイラックが告げて歩き出す。仁と玲奈は戸惑いつつもファレスに促され、その後に続く。沿道の人々が手を振って仁たちを見送る。その中にはメルニールの人々もいて、仁たちは顔見知りを見つけるたびに、その無事を喜びながらゆっくりと足を進めた。
「リリー。みんなもダンジョンで転移を?」
「はいっ。宣伝も兼ねて、今回は無料で招待しましたっ」
ラインヴェルトにはメルニールからの移住者もそれなりにいるが、当然、解放されたメルニールに戻って復興を誓った人々も多くいた。そうした人々の中には、以前、根も葉もない噂に踊らされた人たちもいるが、その多くはマークソン商会や心ある者たちの地道な活動によって考えを改め、仁たちに申し訳なく思っていた。リリーによると、そうした人々も仁と玲奈を見送りたいと駆け付けたのだという。
「あ、仁くん。バランさんもいるよ」
沿道のバランはまだ怪我が完治していないようで、杖を手にしていた。仁と玲奈がそちらに向けて会釈をすると、バランもそれに気付いて大きく頷いた。
「リリーのお父さんとお母さんも来てくれたんだ」
さらに進むと、リリーの両親を筆頭に、マルコや見覚えのあるマークソン商会の人たちが並んでいた。リリーの父母が大きく頭を下げる。仁と玲奈もお辞儀をし、笑顔に笑顔を返す。
白亜の城まであと少し。
「みんなの見送りはお城までですっ」
沿道の最前列で手を振る多種族の子供たちに仁らが手を振り返していると、リリーが今後の予定を告げた。予定と言っても、仁と玲奈が城に入れば送別会は終了。もちろんある種のお祭りとして騒ぎは続くだろうが、二人は近しい人たちと最後の送別会を行った後、夜のうちにひっそりとラインヴェルトを旅立つことになっている。
実際には城の地下室の魔法陣で元の世界に帰るのだが、仁と玲奈が異世界人であることを知らない人たちに対する説明と、ラインヴェルトを訪れている獣王国など他国の使節や帝国内の貴族たちの目を逃れるという目的のためでもあった。一人で帝国軍の大軍に相当する戦力を有する仁と玲奈の動向に、権力者が注目しない理由がなかった。
ちなみに、送別会に茶々が入らないように、アシュレイは開会の時のみ参加し、その後は外部の有力者を集めて会合を行っていたようだ。
「ジン。レナ」
そのまま歩を進めて城前に辿り着くと、アシュレイの姿があった。その後ろにガロン、ノクタ、ヴィクター、ゲルト、トリシャ、セシル、カティア、ココ、キャロル、エイミー、ファム、ラウル、エクレア他、特に親しい者たちが待ち構えていた。
「この街は、ラインヴェルトはお前たちの門出を祝している」
「アシュレイさん。それはメルニールも同じだぜ」
二人の言葉に背後から歓声が沸く。仁と玲奈が振り返ると、先ほど沿道に並んでいた人々が集まっていた。これが最後とばかりに、皆が声を張り上げる。仁と玲奈は目頭を熱くしながら、笑顔で応じる。
天を衝くような歓声は、仁たちが城門の向こうに消えてもしばらく続いていた。
「兄ちゃん、嬢ちゃん。俺らもここまでだ。これまで、ありがとよ」
ガロンがニカっと笑い、ノクタが深く腰を折った。
「ジンくん、レナさん。君らが守ったものを、きっと僕も守ってみせるよ。頼りないかもしれないけど、任せてほしい」
ヴィクターが真摯に告げ、爽やかな笑みを見せる。
「兄貴、姉貴。二人がこの世界にいたということを、俺たちは絶対に忘れない」
ゲルトがそう宣言し、トリシャも隣で大きく頷く。
「ジンさん、レナさん。ありがとうございました。ジンさんは、隊長は私の理想の隊長です」
「ジン、レナ。感謝してる」
セシルが目尻に溢れんばかりの涙を溜め、カティアが平坦な声に確かな感情を乗せた。
「ジンさん、レナさん。本当にありがとうございます。お二人とも、私の憧れです。お幸せに」
キャロルを皮切りに、エイミーやファム、ラウルらが仁と玲奈の近くに押し寄せ口々に二人への想いを伝える。その後にエクレアも、この街を仁と玲奈が誇れるような冒険者の街にしていくことを誓った。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
仁と玲奈に押し寄せる波が去った直後、ココが二人に駆け寄って仁の腰に抱き付き、片方の手で玲奈の手を握る。ココは何も言わず、両手に力を込めた。溢れ出る想いをひたすらに耐えるような姿に仁は心が痛んだが、その気持ちを本当にうれしく思う。
「ココ、ありがとう」
仁がココの頭をそっと撫で、玲奈が両手で優しくココの手を包み込む。ココは額をぐりぐりと仁の腹に押し付けながら、歯を食いしばった。
堪え切れず小さな口から嗚咽が漏れていたが、そのことを指摘する者は誰もいなかった。




