4-10.貴族
「ロゼはミルの側にいてね」
「はい。了解しました。ミル様はお任せください」
翌朝、やる気満々のミルに急かされて、仁たちはダンジョンを訪れていた。戦闘に関して全くの素人であるロゼッタを連れているため、安全を重視して1階層で経験値稼ぎをすることにした。ロゼッタは気丈に振る舞おうとしていたが、内心の不安と恐怖心が透けて見えていた。必死に槍を握りしめるロゼッタの姿は、サポーターとしてある程度場数を踏んでいるミルよりも小さく見えた。
「1階層は俺と玲奈ちゃんで十分対処できると思うけど、ダンジョンでは何があるかわからないから、油断だけはしないでね。パーティ登録してあって近くにいるだけでも経験値は入るから、焦る必要はないよ。実戦はもう少し力が付いてからね」
「わかりました。ジン殿やレナ様の戦いぶりから勉強させていただきます」
ロゼッタは緊張の面持ちで大きく頷いた。
「ジンお兄ちゃん」
仁が声のした方に視線を向けると、ミルの犬耳がピクピクと動いていた。ミルは犬人族の良い耳で近づいてくる魔物の足音を聞き取っているようだった。
「ミル、ありがとう。さっそく出てきたみたいだね。玲奈ちゃん」
「うん。任せて」
玲奈がミスリルソードを構えて通路の先を注視していると、通路の先からお馴染みとなった人狩猟犬が現れた。2匹はこちらの様子を窺うように鼻先を小刻みに動かしていた。
玲奈は人狩猟犬が動き出す前に氷弾を放つ。高速で回転する氷の弾丸は唸りを上げて人狩猟犬の脳天に突き刺さった。もう1匹が跳ねるように後ずさるが、その先に氷弾を放つと同時に走り込んだ玲奈の直剣が振り下ろされる。残りの1匹は断末魔の叫びを上げる間もなく、真っ二つに切り裂かれて命を散らした。
「ミルちゃん。後はお願いね」
「任せてなの!」
玲奈が小さく息を吐いた。玲奈は魔法と剣を織り交ぜた戦いの訓練を続けていた。今となっては格下の相手ではあるものの、複数の人狩猟犬相手に上手く立ち回れるようになっていた。
「レナ様はとてもお強いんですね」
いそいそと魔物の解体をしているミルの近くに立つロゼッタが、玲奈に尊敬の眼差しを送っていた。
「ありがとう。でも1階層の魔物だしね。このくらいはできないと。それに、私なんてまだまだだよ。近くにもっとすごい人がいるからね」
玲奈はそう言って仁に視線を向けた。
「早く隣に並んで立てるようになりたいな」
小声で呟いた玲奈のその言葉が仁の耳に届くことはなかった。
その後、休憩を適度に挟みつつ、夕方まで仁と玲奈で1階層の魔物退治を続け、ミルが次々と解体していった。その間、ロゼッタは重い槍を両手の力だけで支えることで少しでも筋力を高めようと頑張っていた。
ダンジョンを出た後、仁たちは魔石を換金するために冒険者ギルドに足を向けた。仁は今日の稼ぎを4人で分配するつもりだった。仁たちが冒険者ギルドの前に辿り着くと、入口前に人だかりができていた。その人垣の向こうに、きらびやかに装飾された豪奢な馬車が横付けされているのが見えた。遠巻きに様子を窺っている野次馬たちの間を抜け、入口に近付く。
「兄ちゃん。嬢ちゃん」
途中で横から馴染のある声に呼びかけられて仁は足を止めた。
「ガロンさん。数日振りですね」
「ああ。それより早くここから離れた方がいい」
「何かあったんですか?」
仁が目を細めると、ガロンの視線がチラッとロゼッタに向いた。
「話は後だ。とりあえずこっちに来てくれ」
緊張感を孕んだガロンの声に、仁たちは素直に従う。顔を青くしているロゼッタの手をミルが引いた。
「この辺りまで来れば大丈夫か」
冒険者ギルドから離れ、鳳雛亭へ続く道の脇に寄った。ガロンが仁たちと向き合う。ガロンの視線がロゼッタの首輪に向いた。
「嬢ちゃん。昨日奴隷を買ったかい?」
「はい」
「その白虎族の奴隷が嬢ちゃんの買った奴隷なんだな?」
「そうですけど」
ガロンが盛大に溜息を吐き、玲奈が首を傾げた。ガロンの言動からきな臭いものを感じた仁が間に入る。
「ガロンさん。白虎族だと何か問題でもあるんですか?」
「あ、いや。勘違いしないでもらいてえんだが、俺は別にそこのお嬢ちゃんが白虎族だからって、とやかく言うつもりはないぜ。そりゃどうしたって構えちまうところはあるが、だからって無意味に差別したりするつもりはないぜ」
仁から険のある気配を感じ取ったガロンが慌てて告げた。
「ただ、少し前に冒険者ギルドに帝国貴族がいきなりやってきて、白虎族の奴隷を買った冒険者を出せって喚き散らしてな。どうやら狙っていた奴隷を先に買われたことに腹を立てたらしい。それで、その冒険者ってのが黒髪の男女と獣人の子供だって話でな。どう考えても兄ちゃんたちのことだと思ってよ。冒険者ギルドに近付かないように仲間内で見張ってたってわけだ。心当たりはあるかい?」
ガロンの話を聞きながら、仁の脳裏には褐色美人の奴隷商の顔が浮かんでいた。パーラが毒づいていた豚というのが、その帝国貴族なのだろうと当たりを付けた。
「ええ。ありますね」
仁がロゼッタに目を向けると、血の気の引いた顔をしたロゼッタが目を伏せていた。
「レナ様。ジン殿。それにミル様。申し訳ありません。おそらくその貴族は自分を性奴隷にしようとレヴェリー奴隷館に通ってパーラ様に圧力をかけていた方かと」
「ロゼが謝ることじゃないよ」
「そうだよ。ロゼは何も悪いことなんてしてないんだから」
ミルもこくこくと頷いている。
「あー。なんとなく事情は察したぜ。そういうことなら気を付けた方がいいな。あの帝国貴族はメルニール周辺を除いたこの辺り一帯の領主のカマシエ家の当主なんだが、あまりいい噂は聞かねえ。先代が亡くなってから権力を笠に、やりたい放題してるって話だ」
「わかりました。ご忠告ありがとうございます。とりあえず今日のところはこのまま宿に戻ります」
「ああ、それがいいぜ。ただ、貴族が帰ったら人を寄越すから、兄ちゃんだけでいいんで冒険者ギルドに顔を出してくれないか? ギルド長が何やら話があるそうだ」
仁たちはガロンに感謝と了承の意を伝え、意気消沈するロゼッタを促して鳳雛亭への帰路についた。夕日に照らされながら槍を杖のようにして弱々しく歩くロゼッタの姿は、仁の目にひどく痛々しく映った。仁は貴族相手に何ができるかわからないが、自分にできるだけのことはしようと強く思った。




