21-4.家出
「嘘つき……」
ぼんやりとした薄明りの街灯の下で、ミルが呟く。勢いよく家を飛び出したものの、感情の爆発は長くは続かず、ミルは道端でしゃがみ込んでいた。そんなミルに、イムがピタッと寄り添っている。
「ジンお兄ちゃんもレナお姉ちゃんも、みんな嘘つきなの……」
メルニールで衰弱していた折に声をかけられてから、これまでずっと一緒だった。厳密には時々離れ離れになってはいたが、仁が行方不明になった際には一緒にいられるように頑張ったし、その他の場合は、また一緒にいられるようになるのを前提としたものだった。
そして、これからもずっと一緒だと思っていた。
魔王妃に憑りつかれた玲奈が無事に帰ってきて、皆で協力して魔導人形を倒し、サラが大勢の味方を引き連れてやってきた。難しい話はわからなくても、事態が好転していることはミルにもわかった。
そう遠くない将来、両親と暮らしたメルニールもまた冒険者の街に戻ると聞いて、ミルは嬉しかった。ラインヴェルトも好きになっていたミルとしては少し悩ましかったが、ラインヴェルトが仁にとって大切な場所だということは理解しているため、どちらで暮らすことになったとしてもミルに不満はなかった。
皆で一緒に暮らし、ダンジョンに潜って生計を立て、仁や玲奈、ロゼッタたちに見守られながらイムと共に大きくなっていくのだと信じていた。ミルが仁たちを誇りに思うように、いずれ生まれてくるであろう仁と玲奈、リリーらの子供に憧れてもらえるような“ミルお姉ちゃん”になりたいと思っていた。
非力だったミルに戦う力を授けてくれた仁と玲奈。多くの人たちを助け、傷付きながらも大切な人を守り続ける兄と姉のように、自分も皆を、家族を守りたいとミルは願っていた。そして、これからも家族と一緒にもっと強くなっていけると思っていた。
この先、まだ見ぬ困難が待ち受けていたとしても、皆で乗り越えて行けると、苦労した分だけその先に幸せが待っているのだと信じていた。この道が、輝く明日に繋がっているのだと。
とはいえ、ミルはそう多くは望まない。いつまでも、大切な人たちと、家族と一緒にいられるだけでミルは十分幸せだった。そんなささやかな夢を、仁も玲奈も共に叶えてくれるはずだった。
けれど、ミルの大好きな兄と姉は“違う”と言った。
「嘘つきなの……」
ミルの視界が涙で滲む。仁や玲奈に対する怒りは既になかった。あるのは裏切られたという喪失感と、もう一緒にいられないという深い悲しみだけ。
「グルゥ……」
ミルはイムを抱きしめようとして、未だに枕を抱えたままだということに気が付いた。それが久しぶりに仁と一緒に寝ようと思って持ち出した枕だと思い出せば、次から次へと止めどなく涙が溢れてくる。
「お別れは嫌なの……」
しゃがんだまま、ミルは枕を強く抱きしめる。先ほどは勢いに任せて「嘘つきは大嫌い」だと言ってしまったが、ミルは仁と玲奈が本当に嘘つきだったとして、とても嫌いになれそうになかった。それだけの時間を共に過ごし、絆を育んできたからこそ、別れを告げられた事実に心が悲鳴を上げているのだ。
「ミル様」
顔を枕に埋めたミルの耳が、ピクリと動く。その声は間違えようのない家族のもので、ミルは身を硬くした。そして、はたと思い出す。
「ロゼお姉ちゃん……」
仁や玲奈と同じくらい大切な家族である白虎族の彼女もまた、二人からこの世界に残るのだと言われていた。
ミルは恐る恐る顔を上げ、声のした方を向く。そこには心配そうな顔をしたロゼッタがいるのみで、仁と玲奈の姿はなかった。ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な感情がミルの胸に去来した。
「ミル様。このようなところにおられては、体が冷えてしまいますよ。さぁ、参りましょう」
ロゼッタが手を伸ばすが、ミルは拒絶するように首を横に何度も振った。
仁と玲奈と一緒にいたいのに、今は一緒にいたくない。ミルは自身の感情を持て余し、自分がどうしたいのかもわからなかった。
「今すぐ帰ろうとは言いません。しかし、外で夜を明かすわけにも参りません。そうですね――」
続いてロゼッタがいくつかの選択肢を提示する。リリーのいるマークソン商会ラインヴェルト支店、行く行くは孤児院となる予定のヴィクターやファム、キャロルらの暮らしているところ、アシュレイの館やゲルトとトリシャの邸宅、ガロンやノクタたち冒険者が仮住まいとしている冒険者ギルドの宿舎。その他にもルーナリアやコーデリア主従の元など、いくつかの滞在候補地が挙げられた。
「それとも、診療所に間借りしますか?」
どうやら連れ戻すつもりではないらしいと理解したミルが顔を上げ、ロゼッタを窺い見る。自分と同じように仁と玲奈から別れを告げられたはずのロゼッタは、ミルを心配こそすれ、嘆き憤っているようには見えなかった。
「ロゼお姉ちゃんは、悲しくないの……?」
見上げるミルに、ロゼッタがゆっくりと首を左右に振った。
「悲しくないはずがありません。自分も叶うのならレナ様やジン殿、もちろんミル様やイム様とも、ずっと一緒にいたいと思っています」
ロゼッタが薄っすらと微笑んだ。その笑みの裏に深い悲しみの色が見え、ミルは尋ねたことを後悔した。聞くまでもないことだった。ロゼッタも自分と同じように仁や玲奈を家族だと思っていることは、疑いようのないことだった。ならば、別れが悲しくないわけがない。
「ミル様。この世界に残される者同士、ゆっくりお話ししませんか?」
そう言って、ロゼッタは再度、ミルに宿を借りる相手の選択を促した。既に夜も遅いため、これ以上遅くなるのは相手方の迷惑になってしまうと告げられ、ミルは焦る。誰かに泊まらせてもらえなければ、飛び出してきた家に戻されてしまうかもしれない。それでは残される者だけで話すことはできなくなってしまう。
ミルはうんうんと呻りながら頭を働かせ、大商会の跡取り娘のところを選択する。ロゼッタが挙げた相手は皆、仁と玲奈との別れを惜しむであろう者たちだったが、ミルはその中でもリリーが一番自分たちに近しい境遇だと思ったのだった。
ミルがリリーの名を告げると、ロゼッタは屈んでミルの小さな手を取った。ミルは枕を小脇に抱え、立ち上がる。
「リリー様ならば、快く迎えてくださるでしょう」
夜遅くに急遽押し掛けるのは決して歓迎されることではないが、リリーが嫌な顔をする様はミルにも想像できなかった。仁や玲奈、ロゼッタとは立場が少し違うが、それでもリリーもミルにとって大切な姉のような存在だ。それに、程度の差はあれど、先ほどロゼッタが挙げた面々は、ミルが心を許している相手だった。
ミルは自身が大切に思い、自分を大切に思ってくれる人が信じられないくらいたくさん増えたのだと思い至り、そのきっかけをくれた仁と玲奈に改めて感謝の念を抱いた。
ロゼッタに手を引かれ、ミルはラインヴェルトの街の中をゆっくりと歩く。仁と玲奈と一緒にいられないのは心が引き裂かれるくらい悲しくて辛いが、そう思っているのは自分だけではないと気付いたミルは、先ほどまでよりも少しだけ、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。
見上げた夜空に、淡く輝く三日月が浮かんでいた。




